エルナーヤの戦巫女

如月姫蝶

第1話 登場! 魔法少女

 エルナタリア帝国には、戦巫女いくさみこが存在する。帝国を守護する女神——エルナーヤの加護を受けし者たちである。それは、魔法少女とも呼ぶべき存在だった。


「そろそろ砂漠だね。馬車の車輪を砂にとられぬよう気をつけな!」

 リュウナは、劇団長として、配下たる一座の者たちに警告を発した。元は看板女優だった彼女の声は、豊かでよく通る。

 馬車を連ねて移動する一座は、ついに難所に差し掛かったのだ。


 砂混じりの風の向こうから、別の一団が現れ、一座の前に立ちはだかった。十人ばかりが、馬上で鎧を煌めかせている。人数は劇団の半分以下とはいえ、武装した集団である。

「我が名はイグリス。この地を警備する騎士団の長である。この砂漠を通行するのであれば、法に則り調べを受けてもらおう」

 立派な髭を蓄えた先頭の騎士が言った。砂漠化した土地に、騎士たちが警備隊として配置されるのは、ありふれたことである。


 劇団長は、命じられたまま馬車を停めて、騎士団長の前に進み出た。

「私はリュウナ。女帝陛下より、この通りちゃあんと許可証を頂戴したうえで、旅の一座を率いております。今回は、この砂漠を越えた先の領主様より、お子様の誕生祝いに華を添えるよう仰せつかり、こうして旅をしているのです」

 リュウナは胸を張り、堂々たる物言いで応じた。この砂漠は小規模であるが、地形の都合上、迂回は困難なのだった。

 イグリスは、許可証が本物であることは認めたが、それで終わりではなかった。

「そなたらも知っていようが、この辺りには魔物が出る。魔物は危険であるにも関わらず、捕えて売り捌こうなどと考える不届きな人間まで出る始末だ。馬車の中を改めさせてもらうぞ」

 砂漠化した土地には、他よりも魔物が出やすい。魔物は危険だが、中には宝石を生むものもいる。さらには、あえて魔物に悪さをさせようなどと考える人間までいるので、闇市場にて魔物が売買されているのは事実だった。

「私どもは、魔物も、それを捕える魔法の罠も隠しちゃいませんよ。魔物が嫌うお香なら、さっきからたっぷり焚いておりますがね」

 リュウナの言葉に合わせたように、むわり、ねっとりとした匂いが、辺りに立ち込めた。人間が嗅いでも、過剰に熟した果実を山積みにして、頭から突っ込んだような気分を味わえる。

 下馬して馬車の荷を検分していた騎士の一人が、にわかに激しく咽せたのである。


 その騎士は、激しく咳き込みながらも、くるりと向きを変えると、自分の馬目掛けて跳躍した。鎧の重さも、体重すらも感じさせない、あまりにも軽々と大きな跳躍だった。

 そして、馬に飛び乗るや否や、彼は、グアーーッと獣のごとく吠えたのだ。その口は、一気に耳まで裂けた。


「聖なる光芒!」

 凛として愛らしい声が、呪文を唱えた。それは、獣のごとき咆哮を圧して、その場に響き渡った。

 そして、白金色の光線が、どんな矢よりも高速で飛来して、吠えた騎士の胸を貫いたのである。

「苦しい? この魔法は、人間には無害よ。もし苦しいのなら、人間に化けたつもりでいても、あなたが魔物という証拠だわ!」

 

 砂漠に、ピンクの一輪が開花していた。丸くふんわりと広がったスカートの、ピンクのワンピースを纏った少女が、劇団の馬車から飛び出して、魔法の一撃を放ったのだ。

 少女は、ちょうど短剣ほどの大きさの杖を構えていた。その先端を飾るクリスタルから、聖なる光線が生み出されて、魔物の胸を射抜いたのだ。


「おのれ……エルナーヤの……いくさみこか……」

 魔物は、耳まで裂けた口で歯噛みした。

「そうよ! わたしは、月の女神エルナーヤ様の戦巫女——名はハルナ!」

 ハルナは十二、三才ばかりだろう。彼女のピンクの衣装やストロベリーブロンドの髪は、砂を含んだ風に棚引きつつ、どこまでも鮮やかだ。

 劇団の役者、踊り子、道化師——そういった全ての人々よりも華やかで、異彩を放つ者こそが戦巫女だった。

 

 魔物は、果たして、ハルナの名乗りを最後まで聞き届けただろうか?

 戦巫女の退魔の魔法を受けたその体は、瞬く間に砂のごとく崩れ去ったのである。


「おのれ!」

 剣の一閃が、女神の加護を受けし花を斬り裂こうとした。

 その剣を振るったのは、なんと、騎士団長であるはずのイグリスだった。

 彼はしかし、戦巫女という花が散る様を見ることはなかった。


「月光を織り成したる戒めの網よ、かの者らを捕えて、真実を照らし出せ!」

 ハルナは、瞬時に上空へと逃れていた。魔法により、蝶を思わせる白金の翅を、その背に得て羽ばたいたのである。

 そして、彼女の唇が紡いだ呪文に応じて、杖のクリスタルから溢れ出た光は、全ての騎士たちに網のごとく覆い被さり、彼らの身動きを封じたのだった。

 ただ一人、イグリスを除いては——


 イグリスも、光の網に囚われはした。しかし、彼が鋭く口笛を吹くや、一頭の馬が疾走した。

 イグリスは、網に突入した馬に飛び乗り、融合したのである。上半身は人、下半身は馬という魔物の姿を曝け出したのだ。

「おのれ人間ども、このまま滅ぼされてなるものか!」

 みるみる耳まで裂けた口で吠えたのだった。


 イグリスは、最初から、魔物が人間の騎士に化けただけの存在だったのか?

 いな——

 戦巫女の編んだ魔法の網の中で、人馬一体と化して暴れる魔物の前に、一つの騎影が進み出た。

 眼帯で片目を覆っているものの、馬上の騎士の顔は、間違いなくイグリスのそれだった。

「待たせたな。待たされているとも知らなかったか?」

 隻眼の騎士は、笑みすら浮かべて飄々と言ったのだった。


 一昨日、片目を失くしたばかりか、満身創痍の男が、近隣の村に助けを求めた。

 村長は、砂漠の警備隊を率いるその男——イグリスと面識があった。

 イグリスは懸命に訴えた。砂漠を通行する子連れの行商人を警護していたところ、たっぷりと砂を含んだ一陣の風が吹き抜けた隙に、彼以外の騎士たちが討たれてしまい、彼自身も深傷ふかでを負ったのだと。行商人の一行は、人間に化けた魔物だったに違いないと。

 この界隈に出没する魔物たちは、みな獣のような姿をしており、獣を狩るごとくに討伐できるはずだった。その思い込みのせいで、屈強な騎士たちは、人に化けた魔物たちに敢えなく蹂躙されてしまった。

 その急報を受けて、戦巫女を主力とする討伐隊が派遣されることとなった。隻眼となった騎士は、死に場所を得たとばかりに、案内役を買って出たのである。


「せっかく拙者に化けたというのに、男前が台無しではないか」

 イグリスが敵前で叩く軽口は、死を覚悟した証だろう。

 人馬一体の魔物は、ついに光の網を破るや、手負いの騎士団長へと突進する。

 イグリスもまた馬を駆り、両者は交錯したのだった。

 魔物は、手にした剣を、イグリス目掛けて投擲した。

 イグリスは、鎧を装着した左腕で、無造作にその剣を薙ぎ払った。死を覚悟した騎士が、腕一本を惜しむはずもない。

 魔物は、騎士へと肉迫して、その顔面や首筋を、鋭い爪と牙で抉った。いや、抉ろうとしたところで動きを止めて……みるみる砂のごとく崩壊したのである。

 イグリスが渾身の力で突き出した槍が、月の女神の加護が込められたクリスタルでできたその穂先が、魔物の体を貫通したからだった。


 青空に砂が混じらなくなった。砂漠から離れたのだろう。

 隻眼の騎士は、荷馬車に設けられた寝台に仰向けとなり、そんな空を見上げていた。

「戦巫女殿、礼を申し上げる。エルナーヤ神殿の聖なる槍を貸し与えていただいたうえ、最後にかの魔物と戦わせてくださったこと……」

 ハルナは今、寝台の傍らに腰掛けて、イグリスを見守っているのだった。

 十体の魔物のうち九体までを、容易く魔法で滅した少女が、イグリスに化けていた一体だけは網から逃したのがわざとであることくらい、彼にもわかっていた。

「イグリスさん、わたしのほうこそ感謝しています。あなたが、大怪我をしながら、人に化ける魔物が出ると知らせてくださったことに。砂漠の騎士団が偽物であることや、人肉を糧に姿を変えつつ増殖する魔物なのだろうと理解できたのも、あなたのおかげです」

 戦巫女の、若葉を思わせる翠の双眸が、隻眼の騎士を真摯に見つめた。

 一昨日の時点で、行商人の一家に化けていた三体の魔物が、十人の騎士団と化して出現したのだ。何も知らぬ旅の一座が偽の騎士団と邂逅したならば、魔物の頭数がさらに倍増した可能性もあったのだ。

 それが、実際には、問題の魔物を全て討伐して、人間の死者は出さずにすんだのである。

 ふいに、イグリスが咳き込んだ。ハルナの斜め向かいに腰掛けていたリュウナは、すかさず彼の胸元に手をかざす。

「痛みを和らげることくらいはできるからね」

「回復魔法? もう良いのだ、リュウナ殿。拙者は、部下たちの仇を討てたのだから……」

「私が良くないんですよ、イグリスさん」

 リュウナは明かした。彼女は女帝の許しを得て劇団を率いているが、他にも人知れず担っている役目がある。リュウナや劇団の者たちはみな、魔法や武芸の心得があり、戦巫女の支援を引き受けるのも、今回が初めてではないのだと。

「女帝陛下に今回の魔物討伐の顛末をご報告するところまでが、巡察使じゅんさつしとしての私の仕事なんだ。ハルナさんやイグリスさんにも、その場に居合わせてもらわないと困るじゃないですか」

 各地を旅して、女帝の目や耳のごとく情報を収集することこそが、リュウナが密かに拝命した巡察使の役目なのだった。

 ハルナは、そんな彼女に、一転して明るい笑顔を向けた。

「わたしは、帝都に到着して、陛下へのご報告をすませたら、リュウナさんのお店へ行きます。まずは絶対、茸のスープと鴨肉の燻製を注文するって、今から決めてるんですから! ああ、あの味が恋しい……ちゃんと目を覚ましているのに、夢に見てしまいそう!」

 まさにうっとりと夢見るように、頬を赤らめ、翠の瞳を輝かせたのである。

 リュウナは、劇団を率い、実は巡察使であり、さらには帝都に人気の飲食店を構えているという遣り手なのだ。

「……そんなに美味いのか?」

 そう呟いたのは、イグリスだった。そして、自分の口からそんな言葉が零れたことに誰より驚いたのも、彼なのだった。


 

 

 


 

 


 

 

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