クロージング

 ***


   

 病室の前で俺は呼吸を一旦整える。


「よし、行くぞ……」


 今すぐにドアを開けて部屋へ行きたい。だが、もし着替えてたりしたら怒られかねない。


 慎重にドアをノックする。

 病室の奥に反響する小気味のいい音の後に、「どうぞ」と今では少し懐かし声が聞こえる。


「失礼します」

「来てくれたか、幻中くん」

「もちろんっすよ、会いたかった」


 百鬼さんの朗らかな表情が視界に入るや否や、俺は心の底から何か感情が込み上げてきて視界が潤んでくる。


「……だ、抱きしめるとかは、こ、ここ、心の準備ができてないぞ!?」

「すみません、でも。しばらくこのままでいいっすか」


 溢れる気持ちがどうしても止められない。

 この腕に感じる百鬼さんの感触、温度。


 あの事故の日感じた気持ちとは違い、安心感が俺の気持ちを落ち着ける。


「構わない……私も嫌ってわけでは、ない」


 色々言いたいこと、話したいことはある。ただ今は百鬼さんを感じていたい。


「百鬼さん、急でしたね、目覚めるの」

「ああ、正直私自身も驚いている」


 俺はてっきり、唄子と百鬼さんが判断して目覚めるものだと思っていたから、この結末は予想できていなかった。


 でも、百鬼さんが目覚めたことはいいことだ。これでようやく約束が果たせる。


「今後ってどうするんですか?」

「唄子には私の補佐として働いてもらうことを、社長に話は通してある。仕事は私と同等くらいにはできるはずだからな」


 マジすか。俺より有能認定されてないか妹が。


「同僚が混乱しないか心配っす」

「まぁなるようになるだろ」


 そう微笑む百鬼さんは、どうやら医師の診察を受けてから自宅へと帰宅するそうだ。


 今日で百鬼さんとの同棲生活が終わってしまう、普通に考えれば上司と同棲してたこと自体が奇跡でワガママは言えないが、少し寂しい気分だ。


「じゃあ俺は帰るっすね。落ち着いたら連絡ください」

「ああ、分かった。ありがとう」


 病室を出ようとする俺を引き止めるように百鬼さんが。


「そうだ幻中くん」

「なんすか?」


 百鬼さんは枕元に置かれた卓上カレンダーを指さして、「この日、私に時間をもらえるか?」と尋ねる。


「もちろんっすよ。いくらでもあげます」

「そうか、嬉しいな」


 心の底から。

 そう感じるほど屈託のない微笑みを見せる百鬼さんに俺は、自分の気持ちを再び知った。


「引き止めて悪かった」

「いえいえ、お気になさらず」


 俺は百鬼さんに背を向けて、病室を後にする。多分今顔めっちゃ赤いよな? さすがに見られたくないため、心ばかり俺の歩みは早くなっていた――

   

 ――病院から自宅へ。


「ただいま」

「おかえりー」


 家のドアを開けると、ちょうど母さんも帰ったところらしく、玄関先でエンカウントした。


「……なに?」


 母さんはなぜか俺の顔を凝視して、ニヤニヤと笑みを浮かべている。


「別にー? 嬉しそうな顔してるなぁって思っただけー」

「別に普通でしょ。つまらないこと言ってないで早くどいて、玄関狭いんだから」


 感情が顔に出てたか……?


 誤魔化すように母さんを押しのけて玄関を進む俺の背中に母さんが。


「はいはい普通ね。でも、よかったわね」

「……まぁ」


 まるで全てを見透かされてるように、母さんにあしらわれている気さえする。


「あ、お兄ちゃん帰ってきた。天音さんどうだった?」

「元気そうだった」

「だよね、お兄ちゃんすごく嬉しそうだから察してた」


 クスクスと笑う唄子。


「俺そんなに顔に出てるか?」

「これ以上ないってくらいに分かりやすいよお兄ちゃんは」

「まじかよ」


 自分の認識はポーカーフェイスのクールキャラなんだが、妹に分かりやすいと言われるクールキャラなんていない。つまり俺はクールではないのではないだろうか。


 同様のあまりうまく言葉が出てこない俺は、自室に引き篭もろうと思う。


「で? キスぐらいはしてきた?」

「なっ!? んなことするか! いいか? 物事には順序ってものがあってな?」

「なぁんだ、ハグ止まりか」

「!?」


 やれやれと言わんばかりに肩を落とす唄子は同情するように俺の肩に手を乗せる。


「これだからお兄ちゃんはモテないんだよ」

「ほっとけ」

「お互いの気持ち分かってるんだから手早く既成事実作って自分のものにしちゃわないと、誰かに取られるかもよ?」


 ……。


 既成事実を作るってやり方に関しては賛同できないが、誰かに取られる可能性は十分にあり得る。


 なぜか内心、百鬼さんは俺は両思いだし流れで付き合えるっしょ。と思い込んでいたのを見透かされている。


「取られる前に動かないとな」

「そうそう、パパッとね」


 ポンポンと、励ますのか揶揄うのか分からないテンションで俺の肩を叩く唄子は自室へと戻っていった。


「……パパッと、ねぇ」


 俺も自室に戻り、ベッドで項垂れる。

 正直、恋愛についてよく分からない。


 不破さんと別府さんの件もあるし、交際の有用性が理解できないってのもある。


 ただ。


「百鬼さんが他の男とイチャつくのだけはやだなぁ」


 自分でも面倒なことを言ってるのは分かってる。


 悶々と悩みが脳内を巡る最中、俺のスマホが震えた。


 百鬼さんからの連絡で、来週末は駅集合だとの連絡だった。


「了解っと」


 瞬時に返信して、俺はスマホのカレンダーに予定を入力した。


   

 ***


   

 百鬼さんが職場に復帰し、唄子が補佐として就任したものの、俺は相変わらず適度に仕事をしている。


 そして今日は、百鬼さんとのデートの日。


「お兄ちゃん、ハンカチ持った? ティッシュは?」

「母親か。ちゃんと持ってるって」


 世話焼きな妹に絡まれて家を出る時間が少し遅れたものの、早めに目的地に辿りついた。


「お待たせしました百鬼さん、すみません」


 待ち合わせ時刻までまだ余裕はあるが、街のシンボルマークのもとにはすでに百鬼さんが佇んでいる。


「私が早く来すぎただけだ、気にするな。そんなことより、腹は十分に空かせてきたか?」


 ニヤッと笑う百鬼さんに答えるように、俺もニヤリと笑い返す。


「もちろんっすよ。今日は昼から飲み歩くっすからね」

「店のリサーチはたくさんしてきたから、安心して私についてきてくれ」

「うす!」


 百鬼さんは今まで我慢した分を、この一日で回収するつもりのようだ。今日は確実に潰れるな……。


 そんなことを思いながら、店員の無気力な歓迎が俺の耳に舞い込む。


 どうやら最初の店は、待ち合わせ場所から徒歩数秒の店らしい。


 とりあえずでお馴染みの生ビールと、スピードメニューの枝豆が卓へとすぐにやってくる。


 向かい合って座る百鬼さんと、この瞬間をどれほど待ち侘びたか。


 今後色々解決しないといけないこととか、百鬼さんとの恋愛事情とか。


 そんなのは一旦全て置いて、頭を綺麗に空にする。


 今はただこの一言だけでいい。どうやら百鬼さんも同じ考えらしい。


「それじゃ」

「ああ」


 噛み締めるように今の一瞬を楽しみながら、俺と百鬼さんの声が共鳴する。


「「乾杯!!」

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上司な妹〜事故に遭い意識不明の上司、俺の妹に精神を宿して日々を過ごす〜 真白よぞら @siro44

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