取引42件目 泥酔

 ***


   

 大量の人が縦横無尽に歩き回る交差点、そこで俺は肩をぶつけながら、目的の服屋へ一人勇敢に歩んでいる。


「せっかく牛タンで幸せ気分だったのにこの人混みは萎えるわ……」


 おっちゃんの店を出て、しばらく歩くとこの人混みに巻き込まれた。


 やはり休日は人が多い。

 あたりを見渡せば皆楽しそうに友人や恋人と思わしき人たちと笑顔を交わし合っている。


「いらっしゃませこんにちわー」


 大きなモールにテナントとして入っているハイブランドのファッションメーカー。普段は安価でシンプルなデザインを取り扱うブランドの服しか買わない俺だが、今日ばかりは違う。


「あった」


 手に取るのは、今日発売開始の新作パーカー。ネットで見て、買おうと決めていたものだ。


 丁寧に畳まれたパーカーを乱さないよう身長にサイズを確認して、勇足で店員さんの待つレジへと歩く。


 本音を言えば店内をぐるりと散策して、パーカーに合うジーンズを見たいところだが、散財する自信しかない俺は大人しく自重した。


「お買い上げありがとうございますぅ」


 重みを感じるほど濃い黒のショッパーを手渡された俺は、この後の行動を考える。


 このまま家へ帰ってだらだらと過ごす休日は大いにありだ。だが、本当にそれでいいのか? 果たしてそれが立派な社会人の充実した休日と言えるのだろうか。


 いつも家に籠るんだから、今日くらいは外に出たついでに遊んで帰るのもいいのではなかろうか。


 そうと決まれば話は早い。興味の引かれるままに街を徘徊するのみ。


「カラオケだな」


 ビリアードは一人では楽しくないし、ボーリングも一人でする度胸はないし、結局一人でできる遊びはカラオケだと相場が決まっている。

   

「――やっぱ世の中一人で遊ぶのに適してないわ」


 一人カラオケから数時間。休日出勤していたであろうスーツ姿のサラリーマンを横目に、俺はぽつりと小さくこぼす。


 休日なのに社会のためにこんな遅くまで残業ありがとうございます。


 心の中でサラリーマン集団に感謝を述べて、帰路導く最終便の電車へと進む。


 腕につけたスマートウォッチで颯爽と改札口をスルーすると、ぽつぽつと人が最終の便へ向かっていた。


 俺も例に漏れず進んだが、ドアの一歩手前でその足が停止した。


「うぇぇぇ……つらいよぉ……悲しいよぉ……妬ましいよぉ……」


 俺はこの目で目撃してしまった。

 最終電車に乗らずにベンチでうずくまってすすり泣く女の霊を。


「……なぁにみてるんれすかぁひっく」

「あ、ただの酔っ払いか」


 悪霊のたぐいだと思い込んでた俺は恐怖で足がすくんでいたが、ただの酔っ払いと分かればもう足が動く。


 しかしそれは電車も同じのようで、俺を乗せていないにも関わらずガタゴトと発進していった。


「やらかした……」

「あっははは、終電逃しちゃったねぇあっはははは!!」


 何がおかしいのかこの酔っ払いは、ケタケタと笑っている。笑うたびにオフィスカジュアルな服装越しでも揺れる胸から目をそらしながら俺は、たちの悪い酔っ払いに一喝しようと思う。


「タクシー呼ぶんで改札出ません?」

「でりゅー」


 声を上げるたびに酔っ払いから濃い酒の匂いが漂う。


「はきそ……」

「我慢してください」


 俺の肩に体重を乗せながら、千鳥足でふらふらとホームから改札へ歩く酔っ払いのお姉さんは、モタモタとカバンから定期券を取り出した。


「ゆっくりでいいですから、慎重にまっすぐ進んでください」

「うぃ……」


 先に改札を抜け、フラフラと歩く酔っ払いを受け止める覚悟で身構える。


「ぶぇ……っ!」

「っと、予想通りに倒れたな……」


 ボスっと俺の胸に倒れこむ酔っ払いのお姉さん。ぶつかった瞬間、ふわりと酒の香りが、シトラスの香水の香りと混ざってカオスを作り出した。


 完全に身をゆだねるお姉さんの体重を感じながら、タクシー配車アプリで状況を確認する。


 見れば、もう近くまで来ているようだ。


「ほら行きますよ……えと、お姉さん」

「のんちゃんだぁよぉ……ひっく」


 抱えたほうが早いんじゃないだろうかと思いながらも、恐らく酒カスでも初対面の女性を抱きかかえるのは気が引ける。


「のんさん、タクシー来たんで乗せますよ。すみません運転手さん、行き先はこの人から聞いてください」


 奥へ酔っ払いを押し込んでいると、ギロリと運転手の瞳が輝いた。


「困りますよお客さん。基本うちはね、酔っ払い一人の乗車はご遠慮いただいてるんですよ」


 やれやれとため息をこぼす運転手は、酒の香りが籠らないようにか窓を全開にしながらこう言った。


「さぁ乗って、お連れさん」

「え、俺は連れじゃ……」


 有無も言わせず、酔っ払いを押し込んでいた俺の手を掴み器用に車内に引きずり込んだ。


「あい、到着。割増金額で二万円ね」

「……さすがに高すぎない?」

「そりゃあお客さん、車内で粗相しちゃあねぇ」


 怪訝な目で見られながら、俺は財布から諭吉を二人開放する。


 手に持つのは、酔っ払いお姉さんの嘔吐物まみれの新作パーカーが入ったショッパー。

 終電を逃しただけで、数万の損失を一夜でしてしまった。


「ごえんねぇ……ごえんねぇ……」

「……もういいっすよ、もうここからは一人でいけますね?」

「いけゆいけゆ」


 ふらっと右足、左足を交互に揺らしながら電柱へ向かっている。


「あだ……っ。すびばぜんねぇ」

「……はぁ」


 ゴツンと激しく酔っ払いの頭が響き、当の本人はケロっとしながら電柱に頭を下げている。


「家どこ?」

「あのマンションのにじゅっかぁい」

「リッチかよ……」


 夜空に浮かぶ月明りが照らすマンションの、中層あたりに住んでいるらしい。いかにも家賃が高そうなマンションに、女性が一人で住んでいるのか?


 俺はマンションに送り届けた後、旦那さんにしばかれる想定も視野に入れて、酔っ払いを運ぶ。


「のんさん、着きましたよ。鍵は?」


 再び吐き気をもよおしている酔っ払いをエレベーターで運んで、指示された場所の前で停止する。


「鍵はねぇ、ずぼんのぽっけ。ひだりぃ」


 ふにゃっと脱力する酔っ払いは俺に鍵を取って開けろと言っている。なぜ俺は深夜に初対面の女性の下半身をまさぐらないといけないのか。


「あひゃひゃ! くすぐったいなぁ」


 大声を出さないでいただきたい。

 ただでさえ近隣の人が不意に出てこないか不安なのに。


「はい、開けた。ちゃんと戸締りしてから寝てくださいよ」

「むりぃ。どうせだから上がってってぇ」


 重厚感のある扉を開けると整理された玄関が視界に入るが、キレイだなぁなんて感心する間もなく、瞬時に腕を掴まれて見知らぬ家に連れ込まれてしまった。


「ちょっと吐いてくりゅ」


 自宅に踏み込んだ瞬間、急に俊敏性が増した酔っ払いはヒールを脱ぎ捨てトイレへと駆け込んだ。


「のんさん、同居人は……いなそうっすね」

「しょうでしゅよ……独身でしゅよ……おぇぇ」


 吐くか喋るかどっちかにしてくれ。話しかけたの俺だけどさ。


「てきとうにくつろいでてねぇ」

「あ、はい。とりあえず洗面台と洗濯機かりていいすか? 洗剤とかも」

「あぁい……」


 洗濯機は数時間後に使うとして、まずは洗剤に嘔吐物まみれのパーカーを一時間くらい漬けておく。


 洗面台の下の収納スペースに洗剤もゴム手袋もあるようなので、スムーズに処理を進めていく。


 あぁ……俺の奮発した六万のパーカーの初洗濯がまさか知らない酔っ払いお姉さん宅でとは思っていなかった。

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