取引41件目 休日おひとり様
***
ジャパンランドデートの翌日、テレワークをした。
そしてその翌日である今日と明日は、祝日と会社都合で休暇を得た。
月曜日に祝日があれば嬉しいが、火曜の祝日はなんだか微妙に感じるんだよな。まぁ、連休で嬉しいけど。
「ちょっと出かけてくる」
「お昼ご飯は食べないのか?」
今の時刻は十二時前。
そろそろ百鬼さんがご飯を用意してくれるころだが、今日の俺は行きつけの牛タン屋に行くと決めていた。
「ごめん、外で食うわ」
「そうか分かった。晩はどうする?」
「晩も今日はいいかな」
飯食って、ショッピングして、飯食って帰る。一人でもできる息抜きだな。
「……デートか?」
「違う、一人遊び」
「誘ってくれてもよかったんじゃないか?」
自分の食べたいものを食べて、欲しい服を買いに行くだけなのに巻き込むのはなんとなく申し訳なさ気がした。
「また今度ってことで。じゃ、行ってきます」
「ああ、気をつけて行ってらっしゃい。遅くなるなら連絡するんだぞ」
こうしてボッチのショッピングが始まる。
まずは軽く腹ごしらえ。
行きつけのき牛タン屋は、大都心のはずれに本店を構える老舗店。
ミーハーな連中は中心部にある支店で満足するが、本店でないと味わえないサービスに裏メニュー、これらを食べずに牛タンを語るやつは牛タニスト失格だ。
え? 牛タニストってなんだって? 牛タンをこよなく愛し、牛タンに愛される者の総称だろ。
「いらっしゃい、ゆめちゃん」
「よっす、いつもの頼む」
「あいよ!」
本店のドアを我が物顔で開けて、客から見える位置のキッチンに控える店主にオーダーする。
この店はいつもので通じる唯一の店だ。常連ってなんかいいよな。
「いつもありがとうございます夢都さん。おじいちゃんったら、夢都さんが来たとたん明るくなるんだからほんと困っちゃう」
そう言いながら俺にお茶とおしぼりを置くこの店員さんは、店主の孫娘――
「おじいちゃん普段こわもてだから最近本店のほうにほとんどお客さん来なくて、若い人なんて夢都さんくらいなんですよ?」
「本店には本店にしかない良さがあるのにな、おっちゃん」
「なぁに、本質を見抜けるお客だけ来てくれればいいんでい」
店主は、いかにもな江戸っ子のような頑固者感があふれているが、根はとてもいい人でキャッチーないいキャラをしている。
「そういえば見ましたよ夢都さん」
今は客が俺一人しかいないからか、響子ちゃんは俺の隣の席へ座ってじーっと俺の顔を覗き込んでいる。
「見たってまさかあれじゃないよな?」
「彼女いたんですね」
やっぱあれじゃないか。
「誤解だねそれ。ネットのおもちゃ特有の、受けのいい設定を勝手につけられてるだけだね」
「え、そうなんですか? でもすごく泣いてましたよね」
「上司だからね、それは泣くでしょ」
まさかこんなところまであの動画が拡散されているとは……。
いやなんとなく想定はできてたけどね? こんな彼氏が欲しいだとか、彼女さん幸せだったろうな、とか。アンチコメより俺を褒めるような爆発的な拡散のされ方してたから、鬱になりそうとかはない。
だが、こういうの知り合いに見られるのは恥ずかしいんだ。それに、人のプライベートを無許可でネットの海に投げたやつは絶対に許さない。
「こら響子! 人には誰にも触れてほしくないことがあるんでい。それが親しい中でもなぁ」
「ごめんなさい夢都さん……あの動画見てから心配で」
「別にいいよ響子ちゃん、俺だって逆の立場だったらすごく気になると思うし」
自分の知った顔が推定恋人であろう人を抱いて泣いている動画を見れば、当然心配になるだろう。
物語の一部を切り抜いた動画で真実が分からないため、恋人の容態も不明。中には死亡と記載して目をひこうとするバカもいる。
そんなものを見れば、大切な人を失った心と、晒されたことによる精神ストレスが心配になって本人に聞いてしまうかもしれない。
少しでも話して楽になってほしいと思うのかもしれない。素直に気遣ってもらえるのはありがたい。
「あの人は上司だし、生きてるし、回復の目処もあるし、ネットに晒されたことはいい経験出来たと思い込むからなんの心配もいらないよ」
「夢都さんは強いですね」
「長男だからな」
次男なら間違いなく百鬼さんが事故にあったことだけで、折れたメンタルが復活することは無かったな。
「ゆめちゃんおまち! 悪いねぇ響子にデリカシーがなくて。これ、サービスで新作小鉢おまけしとく」
「おぉ、ありがとおっちゃん」
本店にしかない、特上牛タンと熟成牛タンのセットに、仕込みに丸一日かかる特製テールスープ。それと白米。これが俺のいつもの。
それに加えて、毎回何かと理由をつけては小鉢をサービスしてくれる。
この店の売りは、本店にしかない時期によって工夫が施される小鉢メニュー。小鉢にしては価格帯が高いが、それに見合う価値は十二分にある一品。まぁ一度も自分で払ったことはないんだけど。
「今月は特上タンのしぐれ煮でい。白米が進むこと間違いなしだ」
「これおじいちゃんの自信作なんですよ、この味にするまで一ヶ月悩んでましたよ」
「響子、そういう影の努力ってのは言わねぇのがイキってもんなんでい」
この人はもっと自身の努力を表に出していいと思う。おっちゃんの意見には同意だけれども。
「美味いよおっちゃん、毎日おかずに出てきても飽きないレベル」
噛めば噛むほど味に深みが生まれ、回数ごとに感じ方の変わるこのしぐれ煮は、なかなか飽きがこない楽しさがある。
それに、酒のつまみにもなりそうな満足感。これ瓶で売ってくれないかな。
「そうかいそうかい、なら響子にレシピ叩き込んどかねぇとなぁ」
フッとニヒルに渋い笑みを浮かべるおっちゃんは、面白いものを見るような目で響子ちゃんに視線を送った。
「ちょっとおじいちゃん、そういう話はやめてって言ったでしょ!?」
後継問題だろうか、デリケートな問題には深く関われない。
俺は黙々と、全てが完璧な牛タンに舌鼓を打つ。表面のツヤ、火の通り具合、食感、味の深み、どれも秀でている。
それにこの店は、白米ですら他の追随を許さないほど洗練されている。食を愛するおっちゃんの本気を感じる料理に、俺は毎度癒される。
小さい頃はよく父さんに連れてこられていたが、いつの間にか俺一人で行くことが増えた気がする。
知らぬ間に、談話より食を好むようになったんだろうか。
「い、今の話は忘れてくださいね? 夢都さん」
「店の後継の話? 忘れるよ」
「店の後継の話……? ではないんですけど、はい。忘れてください」
いまいち話が噛み合っていないなと感じながらも、とにかく忘れろということなら忘れるしかない。よし、忘れた。
「これは先が思いやられそうでい……」
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