取引21件目 後ろ向きな少女と選択するおじちゃん
「――あ、夢都くんだ。毎日来るのはやめたんだ?」
「妹に毎日行くのは止められました」
「あ、そうなんだ。まぁ毎日だと夢都くん大変だろうしね。いい妹さんじゃん」
いい妹さんの中身はそこで目を覚さない人なんだが何も言うまい。こんなこと医療機関の人間に話したら間違いなく研究対象になる。
そうなれば、意識のない百鬼さんの肉体や、百鬼さんの精神が宿った唄子の肉体がどこぞのサイコパスに好き放題されかねない。
そんなこと、決してあってはいけない。あの二人の安全は俺が確保する。
「そういえば夢都くん、百鬼さんに助けられたって子供がお母さんと来てるんだけど、通しても大丈夫?」
「百鬼さんが助けた子……ああ、あの子かな。大丈夫っす」
あの事故の日、百鬼さんが庇って俺の方へ投擲した少女のことだろう。
あの子の無事も確かめたいと思っていたし、ちょうどよかった。
「失礼します」
窓際の花瓶の水を換え終わったタイミングで、透き通るような声がドア越しに聞こえる。
「します」
その声の後に幼い声も響く。
どうやら助けられた少女とそのお母さんが到着したようだ。
「あの……あの時娘を助けてくれた方ですよね。あなたも」
「助けたというか……受け止めたというか……」
先客である俺におずおずと声をかける少女のお母さんだが、あれは助けたと言えるのだろうか?
「娘さん、お怪我はありませんでした?」
「ええ、お二人のおかげで娘は無事です。感謝しても仕切れないほどです……」
目を開けることのない百鬼さんを見て、静かに涙を流す少女のお母さんは、丁寧な仕草で涙をハンカチで拭った。
「ねぇおじちゃん、おねーさん死んじゃったの?」
「生きてるよ。ただ、まだちょっと眠たいみたい」
百鬼さんより年下だが、この子には俺がおじちゃんに見えるらしい。
「わたしのせいで入院してるんだよね? わたしを助けなかったら起きてたよね?」
……。
少女は、年齢に似つかわしくない険しい表情を俺に向ける。
「助けてなかったらおじちゃんも泣かなくてよかったんだよね」
「それは……」
すみません、百鬼さん。
どうやら百鬼さんの助けた少女の心を、俺が傷つけてしまったみたいっす。
部屋の隅で悲しげに泣くことしかできない少女のお母さんを見る限り、この子はずっとこの調子なんだろう。
「わたしが……」
空な目で百鬼さんを見つめる少女。
「……っ」
何をやってるんだよ幻中夢都。
幼い少女がこんなに感情を病ませるほど心に傷を負わせたのはお前だろ、百鬼さんが人生を、俺が灰色にしたままでいるつもりか?
俺は、この子を慰める言葉をかけれるか? このまま何も言わず放置するつもりか?
そんな葛藤が俺の脳内でぐるぐる回転している。
「お姉さんはね、あの時おじちゃんにこう言ったんだよ」
少女の心に何が響くか。色々考えたが、この子は多分賢い。
綺麗事並べても、響くことはないだろう。
「選択肢を見誤るな」
綺麗事が響かないなら、ありのままに話せばいい。
幼い子には理解できないかもしれないが、あの時百鬼さんに言われた言葉を、俺なりに解釈した内容を話すことにした。
「お姉さんはそう言って、なんの躊躇もなく君を助けたんだ」
「……?」
何が言いたいんだこいつはと言わんばかりに首を傾げる少女。
ごめんね、おじちゃん話を綺麗にまとめるの苦手なんだ。
「お姉さんにとっては自分の人生より、未来が無限に広がる君の人生の方が大切だと考えたんじゃないかな」
「他人の人生を犠牲にしてまで生きようと思わない」
「……君、価値観大人すぎない?」
壮大な人生を歩んだのちにしか出ないようなセリフを言う少女に、俺は柄にもなくこの日本の未来を憂いそうになってしまった。
「もしおじちゃんが泣いてる姿を見て罪悪感を覚えているならごめんね? おじちゃんはまだまだ未熟だからさ、選択肢を見誤っちゃったんだ」
あの時俺がすべきことはまず、この少女を安心させることだった。なのに、俺は自分の感情を優先させてしまった。
「これからは年齢相応の選択ができるように善処するから、君も最善の選択ができるように頑張ろうね」
「……死?」
「絶対やめろ?」
最近の子供ってこんなにも物騒で卑屈なのか? マジで日本大丈夫かよ。
「まずこう仮定しよう。君は人生の主人公だ」
「え?」
「そして、このお姉さんは君の人生のキーパーソンなんだよ。おじちゃんは差し詰めちょっと重要なモブかな」
考えろ、どうすればこの子の心を救える?
「君は今傷ついてるよね?」
「わたしのせいでおねーさんがこうなってるもん……」
「だよね。でもね、傷は人を強くする道具だよ。君がこの出来事を乗り越えた先、きっと楽しくて素敵な人生が待ち受けてるよ」
正直自分でも何言ってるかわからないし、この子もわからないだろう。
ただ、この子には知ってほしい。
急なトラブルや、人生をどん底に感じる出来事は、悲観すべき事象じゃないってことを。
「わたしは、おねーさんが幸せじゃないのに楽しくなんて過ごせない」
この子の心は頑なだ。
でも……自分を責めてしまう気持ちはわかる。
自分もそうだった。もしかしたらこの子にはそれを悟られて、俺の言葉が響かないのかもしれない。
「お姉さんの人生はここで終わりじゃない。この先きっと幸せになれるから、大丈夫」
「そんな保証ない」
確かに、この先どうなるかわからないし、幸せになれる保証はない。でも……。
「お姉さんの人生はおじちゃんが必ず幸せにする。お姉さんが幸せになる保証は確かにないけど、幸せにする自信ならある」
俺、子供相手になにを言ってるんだろうな。
だが、ここでもう俺に言えるのはこれくらいだ。
少女の不安を拭いつつ、俺は決意を固める。
「君は気兼ねなく、君の人生を楽しむんだ」
「でも……」
「誰かのためにそこまで悲しめる優しさは大切だけど、君が悲しむことで悲しくなる人の存在も忘れちゃいけない」
そっと部屋の隅にいる少女のお母さんに視線を向ける。
「君を助けたお姉さんも、君が前を向いて生きることが望みだよ」
「お母さん……」
少女は涙を流す自分の母を見て、何かに気付いたようにハッと目を見開いた。
「選択肢を見誤らないようにしようね、お互い」
「うん……でもやっぱりおねーさんが気になるよ」
「だったらさ、お姉さんが目を覚ましたら、お礼言ってあげてよ。とびっきりの笑顔でさ」
ポツリと涙を流す少女にハンカチを差し出し、俺はニコッと笑って見せる。
「笑顔で……」
「うん、とびっきりだよ。お姉さんはきっと嬉しくて泣いちゃうね。できる?」
「やる、おねーさんに喜んでもらいたい」
俺は安心して胸を撫で下ろす。
なんとか俺は稚拙な言葉で少女のネガティブを払拭できたようだ。
「約束ね」
「わかった、約束」
お互いの小指を結び、決して破らない約束をした。
「でもその前に、やることあるよね?」
「……うん」
俺は少女にまずすべきことを聞いてみた。察してくれるかわからなかったが、少女はやはりとても賢い。
「お母さん、心配かけてごめんなさい」
「……いいのよ。これからあなたが笑顔でいてくれるなら」
感極まってさらに涙を加速させる少女のお母さんは、愛しい娘を大切に抱き寄せる。
「あの……ありがとうございます。助けていただいただけじゃなく、今回も……」
「いやいや、気にしないでください」
元はと言えば俺が時と場所をわきまえずに泣き喚いたことが原因だろう。
だから自分のミスをカバーした感覚なんだ俺的には。
深々とただの泣き虫に頭を下げる親子になんだか申し訳なってきた。
百鬼さんみたいにかっこいい人間になりたい人生だった。
「今度会うときは、君の笑顔を見れることを楽しみにしてる。またね」
「うん。おじちゃん、ありがとう」
涙で目が腫れる親子は、百鬼さんの病室から出て帰っていった。
「今回は百鬼さんみたいに正しい選択できたかな」
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