取引20件目 香るシナモン
悶々と考えていたら、勢い余って混ぜていた卵がピチョンと弾けてぽたっと落ちる。
卵は放置すると面倒だから、濡らしたキッチンペーパーでサッと拭い去り、濡らしていないキッチンペーパーで二度吹きする。
やはり思考の分散は調理時には不要だな。
「大丈夫か?」
「よくあることなんで大丈夫っす」
百鬼さんとたわいもない会話をしながら、なんやかんやで下準備を完遂させる俺は、熱したフライパンにたっぷりとバターを馴染ませる。
芳醇な香りが漂えば、ここが縦半分にカットして卵を染み込ませた食パンの投入タイミングだ。
「おぉくっそいい匂い」
「ふふ、楽しそうに料理していて見てて飽きないな君は」
「そすか?」
ジュワジュワとバターがフライパンに熱されながら、半分に切られた食パンに染み渡っていく。
その証拠にフライパンと隣接する裏面は少しきつね色に染まってきた。
タイミングを見計らい、フライ返しでササッとひっくり返せば、あとは反対の面が焼けるのを少し待つだけ。
「よし……バッチリ」
コンロを止めて、余熱で焼けすぎないように急いで皿を用意する俺は、慎重に盛り付けていく。
味は保証できないから、せめて見た目だけでも取り繕う。思春期の不良少年のような思考でフレンチトーストは完成する。
「シナモンとはちみつかけても大丈夫すか?」
「ああ、よろしく頼む」
フレンチトーストにはシナモンとはちみつがマストだと思うんだが、中には苦手な人もいる。
百鬼さんが両方いける人で良かった。フレンチトーストの味わいを深めるのもそうだが、見た目がなんかオシャレに見えるからシナモンとはちみつは欠かせないんだよな。
「どぞ、お待たせっす」
「ありがとう、とても美味しそうだ。先にいただいていいのか?」
「もちろん、俺の分もすぐ出来るんで先食べちゃってください」
コーヒーマシンで深煎り豆をドリップして、百鬼さんの前に差し出す。
「ブラックでいいんすよね?」
「ああ、把握してくれているんだな」
「まぁあれだけ見てたら覚えるっすね」
仕事の合間や、正念場でよく百鬼さんはブラックの缶コーヒーを接種している。カフェラテや加糖を飲んでいるのを見たことないなそういえば。
「……いい匂いがする」
「本当ねぇ」
自分の分を焼き始めたと同時に、両親が手を繋いで眠そうに歩いてきた。頼むから朝っぱらから息子と娘の前でいちゃつくのはやめてくれ。
「……父さんと母さんの分は用意してないぞ」
「「え……?」」
ストン、と椅子に座り自分たちの分が出てくると思ってフレンチトーストを待つ両親。
「休日は朝飯くわないだろ、二人とも」
「えー、今日は食べたーい」
「フレンチトーストの仕込みは俺と唄子の分しかしてないから、トーストでいいなら今から用意する」
二人分しか準備をしていないフレンチトースト。今から下準備をするのは面倒だからしたくない。
いつも食わないのに匂いに釣られてやってくるとかそれは子供がやることなんだよ。
「母さんフレンチトーストが食べたいなぁ?」
「……分かったから上目遣いやめろ、母親の上目遣いはキツさしかない」
いい歳してぶりっ子ムーブする時の母さんは、俺を妥協させるためにわざとやっている。こうすればやめさせるために俺が折れるしかなくなるからだ。
「やったね!」
「今焼いてるやつ渡すから数秒待って、コーヒーは自分で淹れてくれ」
自分で淹れると言っても、コーヒーマシンのボタン押すだけなんだけどな。
「お母さん、私が淹れてこよう」
「唄子ちゃんは素直でいい子ね。夢都、素直さを見習いなさいよ?」
「うっせ」
今褒めてるの妹じゃなくて俺の上司だからな。
「態度はああだが、お兄ちゃんは誰よりも素直で優しいさ」
「それもそうね、展開的なツンデレだものね。男のツンデレを生み出してしまったことは反省しているわ」
どうやら母さんはツンデレは女子のみに適用されるべきな思考をしているようだ。てかツンデレじゃないし。
「コーヒーお待たせ」
「ありがとー」
スマートな立ち居振る舞いでコーヒーを淹れた百鬼さんは、カップをそっと母さんの手前に置いた。
「こっちもお待たせ。母さんシナモン抜きで良かったよな?」
「うん、ありがと」
母さんはシナモンの独特な香りが苦手らしい。
「父さんはトーストでいいだろ?」
「ありがとう。朝から急にごめんね」
「別にいいぞ、フレンチトーストよりは手間かからないから」
確か冷蔵庫にベーコンがあったし、卵もまだ残ってるからベーコンエッグでも作るか。
トースターに食パンを二枚入れて、しばらく待つ。その間に、ベーコンを焼いていく。
この時、大きめのフライパンを使うことで二つ同時に作れて効率よく完成する。
「そろそろいいか」
外側からパリッとしてきたベーコンは、香ばしい匂いを放つ。
頃合いを確認して俺は、卵をフライパンの角に打ち付けて、片手で悠々と割って見せる。
ベーコンの上に卵を綺麗に乗せる作業を二度行った俺は、目玉焼きが崩れないように慎重に火を通していく。
同時に、黄身が固まりすぎないようにタイミングを見計らう。
白身が固まり、黄身が半生くらいがベスト。
「……できた。お待たせ」
焼けた食パンの上に、滑らすようにベーコンエッグを乗せて、父さんの前に差し出す。
「ありがとう夢都」
調理している間に百鬼さんが準備してくれていたコーヒーと共に、朝食を堪能した俺は、リラックスタイムも程々に部屋へと戻った。
***
「もしもし、休日になんの用だ?」
『うわ、何その嫌そうな声』
俺が部屋に戻った理由、それはめぐるから「電話をかけてくれ」と連絡が入っていたからだ。
「休日は休む日だぞ」
「休日は遊ぶ日だぜ?」
こいつ正気か?
「もしかして遊びに誘われてんのか今」
遊びに誘われると言っても、この歳だ。夕方から出て居酒屋だろう。当然断る、ルールだしな。
「あいにくだが断るぞ、どうせ飲みだろ?」
「違うぞ? 話全部聞いたのに飲みに誘うバカがいるかよ」
ああ、そういえばこいつには全て話したか。
「だったら要件はなんだよ、こう見えて忙しいんだ。手短にしてくれ」
忙しさとは無縁だが、面倒ごとに巻き込まれそうな時は忙しくなる。
「百鬼部長イン唄子に会いたいから家行っていい?」
「くんな」
そう言い残して俺は通話を終了させた。そして抜かりなく、スマホの設定をおやすみモードに変更する。
「よし、出かけるか」
着信の心配は無くなったが、あいつのことだ。
どうせ突撃してくるに違いない。なので俺は家から遠ざかることに決めた。
カバンに財布と鍵を入れて、部屋から玄関に移動する。
「お兄ちゃん、出かけるのか?」
「ん? ああ、百鬼さんのお見舞い行くわ、数日ぶりに。毎日行ってるわけじゃないからいいだろ?」
玄関で誤って固結びにしてしまった靴紐を解いていると、百鬼さんがリビングから現れた。
「そうだな、いってらっしゃい」
「おう、いってきます」
見送られたのはいいものの、靴紐の結び目はさらに厄介な事態になっていく。これもう詰んでね?
「……かしてみろ」
「すません」
玄関でモタモタする俺を見兼ねたのか隣に座る百鬼さんは、俺の手から靴を取ると、神技と言わざるを得ない速さで結び目を解いていった。
わずか十秒程度で解かれ、俺はようやく家を出ることに成功した。
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