取引19件目 朝チュン……?

 アニメは幼い頃しか見なかったという百鬼さんからしたら、新鮮なことが多いのだろう。

 作画のクオリティに圧倒され、声優の演技に圧倒され、演出の緻密さに圧倒され。驚きの連発で表情がコロコロ変わっている。


 少し百鬼さんの素の部分を知れたと同時に、こんな百鬼さんを見れるのは俺だけなんだろうな、なんて優越感に浸る。

   

 あっという間に時は四時間程度流れ、もう一クール目が終盤を迎えていた。


「なんだこの展開は……視聴者の涙腺を壊しにきているのか?」

「このシーンは感情がジェットコースターになりますよね」


 ボロボロと涙を流す百鬼さんの表情は、モニターに煌々と照らされて、まるでドラマのワンシーンのような綺麗さがある。


 これで姿もちゃんと百鬼さんだったらなぁ……。なんて思うが、唄子に失礼なのでこの思いは胸に秘めておく。


 そして例にも漏れず俺も号泣しながら、百鬼さんが目を覚ましたら泣ける作品を泣くまで見せようと固く決意した。


「ふわぁ……」

   

 ――アニメももう二クール目の中盤間近。

 俺はもうベッドに横たわり、すでに瞼が重くなっている。二クール目の一話あたりからすでに視界には百鬼さんもモニターも映っていなかった。


 ティッシュを取り出す時の摩擦音や、鼻水を啜る音がかろうじて聞こえることから、百鬼さんはまだ起きてるし泣いている。


「おやすみっす」


 そうポツリとこぼす俺の言葉はきっと感動中の百鬼さんには聞こえていないんだろうが、俺はもう限界なんだ、寝る。


   

 ***


   

 鳥の囀る声がちゅんちゅんと聞こえる。


「朝……?」


 カーテンの隙間から差す日光は、とても眩しく今日がカラッとした快晴だということを伝えていた。


 起きあがろうとする俺だが、足元に何か重みのような違和感がある。

 まだ目覚めきっていない目をゴシゴシと擦るが、その目には地面に座る唄子がベッドに覆い被さるように突っ伏している姿しか認識できない。


「なんで唄子が俺の部屋……いや、百鬼さんか。いや百鬼さん!?」


 え? え? どうして百鬼さんが俺のベッド付近で力尽きてる?

 これが俗にいう朝チュン……?


「いやいやいや、普通なら嬉しいけどまずいだろ……姿は妹だぞ。なに考えてんだよ昨日の俺」


 昨日の記憶は、眠すぎて寝たところで途絶えているが、その後にアクシデントが発生したのか……。


「な、百鬼さん……?」


 俺の掛け布団に添えられた唄子の細い手を、恐る恐るツンツンとつついてみる。


「んん……」

「百鬼さん、おはざす。どういう状況っすかね……」


 軽くつついて呼びかけただけで、百鬼さんはどうやら目を覚ましたらしい。


「もう朝か、時間の流れは早いな。おはよう」


 寝起き数秒後でも爽やかに振る舞う百鬼さんは、部屋の電気を消してカーテンをサッと開放する。


 一気に差し込む自然光は、体を芯からポカポカとさせて活力を与えてくれる気がした。


「昨晩君に布団をかけたところまでは良かったのだが、そのまま力尽きてしまった。すまないな、腕が体に乗っていただろう。重くなかったか?」

「え、いや。それは全然大丈夫っす。もしかして布団かけてくれただけっすか? それ以外何かハプニングあったりとか……」

「ハプニング?」


 なんのことだと言わんばかりに首を傾げる百鬼さん。


「あ、なんでもないっす」


 良かった、妹と一夜の過ちを犯したクソ兄貴は存在しなかったんだ。


「はぁヒヤヒヤした」


 親に顔向けできない行為をしていないことと、まだ三十年保有していれば魔法使いになれる権利を有していることに安堵している俺に百鬼さんは、不思議そうな顔で尋ねてくる。


「なににヒヤヒヤしていたんだ?」

「本来妹が部屋にいてもなんとも思わないんすけど、ほら……今中身が違うじゃないっすか? だからその……過ちというか、やらかしというか……なんかあったのかなってくそ焦り散らかしてたっす」

「……!?」


 目をカッと見開いたのちに赤面する百鬼さんは、深々と頭を下げる。


「本当にすまない、配慮が足りなかった。だが爛れた関係にならないと断言する、安心してくれ」


 キッパリと断言し、俺に安心を与えようする百鬼さん。もちろんこの言葉は嬉しいが、俺には一つの不安要素を植え付ける。


 それって唄子の体でって認識でいいんだよな……? 百鬼天音としては別口なんだよな?


「そすね、唄子の体では爛れた関係には絶対ならないっす。唄子の体では」

「ああ、もちろんだ」


 クールに振る舞う百鬼さんの耳が紅色に色付いていくのは、つまりそういうことでいいんだな? 百鬼天音に戻ればワンチャンあるかも知れないんだな?


 一筋の希望を見出したところで、俺はせっかく早起きしたついでに、朝ごはんを作ることにした。


「百鬼さん、今日の朝飯はフレンチトーストでいいっすか?」

「幻中くんが作ってくれるのか?」

「たまには料理しとかないともし一人暮らしした時に困りますからね、する予定ないっすけど」


 気分はフレンチトーストだっったため、朝から手間のかかるチョイスになったが、これもまた休日の一興。


「幻中くんの手料理か、期待している」

「うまいの作るっすよ」


 期待されている、これは腕によりをかけて調理するしかないな。

   

 まずは顔を洗って歯を磨く、そして部屋着から私服へとチェンジする。

 たとえ休日でも、オンオフの切り替えは大切だからだ。


「っし、やるか」


 リビングのキッチンに立つ俺は、冷蔵庫を開けて食材が足りるかを確認する。


「一通りあるな」


 幸いにも材料は無事揃っていた。

 急な思いつきで料理することの多い俺だが、基本スーパーに買いに行くことがデフォルトになっているが、今日はその必要はないようだ。


「慣れた手つきだな」

「気分転換に料理するんで慣れたもんっすよ、味の保証はできないっすけどね」


 いつの間にか私服に着替えていた百鬼さんはテーブルから、卵をかき混ぜる俺の調理風景を褒めてくれる。


 百鬼さんの私服なんて見たら普通なら喜ぶんだろうが、目に映るのはただの妹が見慣れた服を着ているだけの日常なんだよな。なんの新鮮味もありがたみもないな。


 そんな状況を悔いるべきか、精神レベルの同棲ができている現状に感謝すべきか。とても迷いどころだ。


「あ、卵弾けた」

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