取引18件目 オールナイトナキリ
「いただきます」
鯖の塩焼きに箸を刺すと、ジュワッと脂が滲み出て、皮もパリッと小気味いい音を奏でる。
「はぁ幸せ……」
じんわりと広がっていく塩気や、ふわりとした身の柔らかさ。全てが極上の感覚を与えていた。こんな焼き魚を作れる百鬼さんはやはりバケモノじみたスペックをしている。
「ふふ、喜んでもらえてよかった」
「夢都、母さんの料理ではそんなリアクション取らないのになんだか悔しいわね」
「なんの対抗心だよ、母さんの料理もちゃんとうまいし好きだぞ」
「そう? ならいいわ」
俺の上司に対抗心を芽生えさせる母さんだが、鯖を口にした瞬間、コロッと手のひらをひっくり返す。
「あら、これ余裕で母さんより上手だわ」
「まだまだお母さんの料理には及ばないさ」
対抗するなら負けを認めるな。
百鬼さんも百鬼さんで褒められても満更でもないような雰囲気だ。
「にしても、夢都と唄子って最近、兄妹じゃなくて新婚さんみたいな雰囲気だね」
鯖についての感想を伝える俺を和やかな表情で受け止める百鬼さんを見て、父さんは言った。
「なに馬鹿なこと言ってんだよ父さん」
「そうよ歩さん、まずは夢都がうちの戸籍抜けないとダメよ」
「おいこら勝手に幻中家から排除しようとするな」
ツッコミどころがおかしい母さんは置いておいて、俺の横の席では百鬼さんがモジモジしている。
「(なにモジモジしてんすか、唄子はこれくらいじゃ動じないっすよ)」
目の前で父さんと母さんの戸籍議論が繰り広げられる中、隙を見て俺は小声で百鬼さんに話しかける。
「(し、仕方ないだろ……だって……新婚って……)」
「(……それ、動揺するようなことっすか?)」
「(周りは結婚し出しているし、この歳になると結婚関連の話題は体が反応するだ……それに……)」
いまいち歯切れの良くない言葉を発する百鬼さん。
百鬼さんにも結婚願望とかあんのかな。
「(それになんすか?)」
「なんでもない、お兄ちゃん早く食べないとご飯冷めるぞ?」
「あ、誤魔化した」
百鬼さんはキリッと表情を整えると、綺麗な姿勢で飯を食べ続けた。
「――唄子の調理後って洗い物少ないから助かるな」
「まぁ咲さんは効率度外視だからなぁ」
夕食後の皿洗いは、うちでは俺と父さんが担当することになっている。
調理は母さんと百鬼さんがしてくれているが、以前までは母さん一人でこなしていた。調理器具などは使いっぱなしだし、調理の間に洗うなんてことは多分思考の片隅にすらなかったと思う。
だが百鬼さんが調理に加わった今、効率厨の習性なのか調理の間に洗い物などをパパッと完了させている。
「父さんたちがやるからいいって言ってるのに、唄子はほんといい子だなぁ」
「そだな」
二人で料理してるし余裕があるからと言って洗い物をしてくれる百鬼さんのおかげで、俺と父さんの負担は存分に軽減されている。
あの人ほんとすごいわ。
「でも驚いたよね。急に仕事始めめてるし、夢都の上司だし」
肩の震える父さんは、長男の惨めな現実を笑うまいと耐えてくれてるんだろうが、肩震えた時点でバレてることに気付け。
「人生なにが起こるか分からないなまじで」
「そうだよ、夢都にもきっと素敵ななにかが起こるよ。楽しみだね」
「起こらない人間も中にはいると思うぞ」
素敵かどうかは置いておいて、非日常なことは既に起こっているしな。
「そういえば今度ね、父さん路上ライブやろうと思うんだけどどう思う?」
「もう少し慎重に物事を考えた方がいいと思う」
気の抜けるようなトーンで話しているが、多分ガチで言ってんだろうな。
まぁ実際やるんだろうな父さんは。
「今度許可もらいに行ってくる」
「母さんの許可は?」
「話したらバイオリンで参加するって言ってた」
なんなんだこの両親は。
「でも咲さんが変な男に絡まれたら嫌だから拒否した」
「その話まだ続く?」
皿洗いを終えた俺は、父さんの惚気話が始まる前に去りたい。隙あれば惚気るしイチャつく両親の元に生まれると苦労する。
百鬼さんは素敵だと言っていたが実の息子からすると、親のヤバい面を上司に見られて辛くなる。
「息子に邪険にされた……」
「じゃ、俺部屋戻るわ。路上ライブ、ある意味楽しみにしとくわ」
「うん! 絶対最高のパフォーマンスにする!」
こういう時の父さんは都合のいいことしか耳に入らないから、「ある意味」って単語はなきものとして扱ってメラメラとやる気を出している。
ある意味楽しみにしてるのは、父さんがどんな選曲をするからだ。
父さんの趣味全開でセレクトするならクラシックミュージックだが、エレキギターで歌なしのスローペースなリズムを聴かせようと思うなら並外れた技術がいる。
「多分笑い物になる気がするんだよな」
一度父さんがクラシックを演奏しているところに遭遇してしまったことがあるが、なかなかに混沌とした戦慄だった。
クラシックをエレキで弾くなんて稀有な例だろうな。
リビングを出て階段を登れば、俺の部屋と唄子の部屋がある。今は百鬼さんが使っているけどな。
「お待たせっす」
「後片付けありがとう」
「いえいえ、百鬼さんの労働量に比べたら雀の涙程度の行いなんで気にしないでください」
大した量じゃない作業を倒産と分担して楽してるのにお礼を言われるのはなんだか居心地が悪い。
「てかマジで一気見するんすか?」
「ああ、面白いのだろう?」
机に置かれたパソコンに向き合う百鬼さんは、ワクワクしたような表情を唄子の顔でしている。
「いくら金曜だからってアニメを二クールは疲れるっすよ?」
「構わない。幻中くんが面白いと絶賛するのだから、疲れを忘れるほど面白いものだと核心している」
面白いの感じ方は人それぞれですよと教えたいが、今はこのワクワク顔を曇らせるわけにはいかないという謎の使命感でそれどころじゃない。
「パスワードはモニターの横に貼ってるんでそこから動画サイト繋いだら見れますよ」
「……ちゃんとセキュリティー研修を受けたとは思えないセキュリティー対策だな。パスワードをモニターに貼るのは御法度だぞ」
「親しくない人間が家に置いてるデスクトップに触れる機会なんてないんすから多めに見てくださいよ」
この人はやはりオフな時間でもきっちりとした思考を持っている。
「そ……そうか。親しい人間しか触れないんだな」
「そすよ?」
なぜ満足げなのかはわからないが、なんとか見逃してもらえたので良しとしよう。
カタカタとパスワードを打ち込み、動画サイトで見たい番組を選択する百鬼さんは、ベッドに座って百鬼さんごとモニターを俯瞰する俺の方を向いて言う。
「再生してもいいか?」
「もちろん」
いつも俺がゲームをするために向かい合っているモニターに今は百鬼さんが向かい合っている。姿は唄子だが、唄子が俺のパソコンを使うことも珍しいな。
アニメのオープニングが流れる中、百鬼さんは興味深そうに細部まで観察していた。
「ほう……有名アーティストを起用しているんだな。私が知っているアニソンというものは声優や地下アイドルを起用するものだと思っていた」
「時代の流れっすね。両方の良さがあるんで片方がなくなるなんて事態だけは勘弁して欲しいっすよね」
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