取引17件目 トレーニー
「容姿整ってるのに性格がそこら辺の男より男だから男って言っても通じるよな」
自他ともに産まれる性別を間違えたと認識しているめぐるは、飲み干したプロテインの蓋を閉めながら、百鬼さんについてを詳しく聞いてきた。
断ってもしつこく聞かれるんだろうな。
学生時代から妥協するのは俺だったわそういえば……。
「――なんかラブコメみたいなことになってんだな」
「妹が上司になってどうラブコメに発展するんだよ」
ラブコメの波動を感じたなんて訳のわからないことを言っているめぐるは、大のラブコメマニア。
自宅の本棚には無数のラブコメが散乱している。
「だって姿形は妹でも百鬼部長と同棲みたいなもんでしょ? 一つ屋根の下、お互いの素を知っていって惹かれ合う――! 最高にラブコメだぜ!」
「あの人の素とか見れる気しないわ。だって毎朝ビシッとしてるし家事だって完璧にして、母さんがすごく感激してた」
素を見せるつもりがないのをひしひしと感じる百鬼さんの日々の行動は、大変感心するが少しはだらっとすればいいと思う。
「あー、百鬼さんプライベートでもバリキャリタイプか」
「そそ、しかも料理もめちゃレベル高くてもはやシェフ」
「ラブコメだ! ヒロインの手料理! ラブコメだ!」
「うるさい」
ニコニコと満面の笑みではしゃぐめぐるを見て、このままではジムに集うトレーニーに迷惑になると悟った俺は、ストレッチとランニングしかできていないが撤退することを決めた。
「俺はもう帰るけど、めぐるはまだ残るか?」
「え、もう帰んのかよ。まぁいいや、久々のジムトレだもんな。無茶せず帰るのがベストだ」
別にそんな理由で帰るわけじゃないが、めんどくさいのでそういうことにしておこう。
「ワタシも今日は帰るわ。今日はなんか疲れた」
「そうか、じゃあまた今度な」
恐らくラブコメがどうこうで騒いでたせいだろ。
あえてツッコミもせず、俺はシャワーが備え付けられた更衣室へ移動する。
「ちょい! 『じゃあまた今度な』じゃねぇのよ!」
「は?」
「待つだろ!? ワタシをさぁ!」
俺の手首をがっしりと掴むめぐるの手の平は、運動して上がった体温でじんわりと発熱している。
「意外と汗かく体質だよな。運動後から時間経ってんのにまだ熱い」
俺の体温はすでに下がって、なんなら汗のせいで少し寒いくらいだから羨ましい。
「ごめんな!? 汗ばんでてキモかったよな!?」
「いや別にそういう意味で言ってないぞ」
「あぁ傷ついたなぁ。乙女心がエマージェンシーコール出してるなぁ……これはユメが待ってくれないと癒えない傷だぁ」
あ、こいつわざとやってやがる。
「分かった、待つから騒ぐな迷惑娘。トレーニーは案外内気な人が多いんだから適度な声量でしゃべれ、びくついてるだろ」
普段から声の大きなこいつだ、今更言っても常時この声量は変わらないだろう。
現に今も「やったぜ!」なんて喜ぶ声も十分大きい。
「ほら早く着替えてこい、三十分後にエントランス集合な」
「おっけ!」
こうして俺の仕事終わりのジムトレは、めぐるのハイテンションに邪魔されながらも幕を閉じた。
***
いつもの道、いつもの景色、いつもの夜空。
ジムから家までの帰路、俺はふと思い耽る。
百鬼さんが事故に遭って日常はさほど変わらず、見てる景色も特には変わることはなかった。特には。
「おかえり、ちょうど夕飯の支度ができたところだ」
「ただいま。ありがと」
大きく俺の日常が変わった箇所をあげるとするなら、引きこもりの妹が俺の上司の精神を宿して社会復帰したことだろうな。
「強制はしないが、今度からはどれくらいに帰宅するかを知らせてくれると助かる。可能な限り出来立てを食べて欲しいからな」
……絶対毎日連絡しよ。
百鬼さんの……性格には唄子の表情だが、慈愛に満ちた様子に俺は心が突き動かされた。
「分かった、今後は連絡入れるようにする。で、今日の献立は?」
「ありがとう、助かる。今日の献立は鯖の塩焼きと豚汁だ」
「ラッキー! やっぱ日本人は魚だよなぁ」
玄関でもすでに微かに香っていたが、リビングに行くと微かな香りが当然主張を強め、俺の鼻腔を刺激する。
「お兄ちゃんは本当に魚が好きだな、あれを完食したのはお兄ちゃんだけだぞ」
「あれほど幸せだったことはないな」
あれ。とは、以前社内にあるカフェのオーナーが悪ふざけで提供した”ドコサヘキサエン酸で健康になろう定食アルティメット”のことだ。
定食の価格はワンコイン。
だが、アルティメットの名は伊達じゃない。
なんと定食の内容は、鯛めしにあら汁、白身魚のサラダに、鯵の開き、ししゃも、焼き鯖。
しかも焼き魚は二匹ずつ用意され、希望者にはムニエルも提供される神イベントだった。
「食べきれず残したり胸焼けで早退する者が続出で一日で廃止になったがな」
「自分の力量も知らずに食いつく愚かな人間のせいで神がかったメニューが消えるのは由々しき事態だ」
当然、オーナーに復活できないか直談判しに行ったが、オーナーは悲しげに復活はありえないことだと告げてくれた。
「魚好きなのは知っていたがまさかそこまでだったとは……」
若干引き気味の百鬼さん。
ドコサヘキサエン酸はすごいんだからな、具体的に説明しろと言われたら困るが、とにかくすごい。
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