取引12件目 五つのルール
「俺には分からない楽しさでした。変態の思考は理解不能っす」
「誰が変態だ」
「百鬼さんしかいないでしょこの場には」
仕事好きな人間は尊敬するけど、なりたいとは思えないな。俺になにか夢があるなら、今より仕事を頑張れるのかな。
「幻中くんは仕事を楽しいとは思えないか?」
「思えないすね。好きにならないとなと思いつつ、慣れる気配がないす……」
こんなことを言っても、仕事好きな人には理解ができないだろうし、やる気がないなんて説教をされそうな気がする。だがつい口からポロリと出てしまった。
「別に好きになる必要はないだろう。仕事は基本生きる手段だ、好きも嫌いもあるのは当然だ」
意外な返答だった。
百鬼さんは真面目な雰囲気で俺の目を真っ直ぐと見てくれる。ただ顔は唄子だけど。
「俺、夢とかもなんもなくてただ適当に過ごしてるだけなんすよ。真面目に仕事してる人にちょっと申し訳ないんすよね、生き方を変えるつもりはないっすけど」
申し訳なさを感じているのは事実だ。
だが、絶対に今のマインドを変える予定はない。首にならない程度のクオリティで働けば問題ないと思っているからだ。
「夢なんてのは唐突に抱いてしまうものだ、幻中くんはまだ抱いていないだけ。いつか必ずやりたいことなんてのは見つかるものだ。気にせず今は楽しんで生きればいい」
「百鬼さん……ありがとうございます。ということは新規は担当しなくていいんですね?」
「それはそれ、これはこれ。仕事しつつ楽しんで生きてくれ。ちゃんと私もサポートするから安心してくれ」
ちくしょう……! うやむやにして新規をなくす作戦が崩れてしまった。
「……とりあえずヒアリングすればいいんすよね」
「ああ、相手がなにを求めているかをまずは知りたい。オフィス備品を最新のものにしたいとしか把握できていないからな」
「随分ざっくりした問い合わせなんすね」
俺が勤める株式会社クイックビジネスでは、オフィス備品の販売やレンタルを行なっている会社。
問い合わせの内容はほぼコピー機やキャビネットのレンタルの依頼がほとんどだ。
「おそらくレンタルだろうから、気楽に挑めばいい」
「百鬼さんがサポートしてくれるってだけですでに気楽っす」
仕事の話はほどほどに。
俺と百鬼さんは、唄子に別の精神が宿っていることを隠すためのルールを決めて奇怪な日常生活を送ることになった。
ルールその一。両親の前では上司の百鬼さんではなく、妹の唄子として接すること。
ルールその二。職場では上司の唄子として接すること。
ルールその三。自分の時間を大事にすること。(特に俺)
ルールその四。上司だからと気を遣ってよそよそしくしないこと。
ルールその五。百鬼さんが目を覚ますまでお互い他の人と飲みに行かないこと。
「なんでルールその五で共依存するカップルみたいになってんすかね」
「カッ!? カップル……!? 私たちはそんな関係じゃないだろう」
「だから疑問なんすよ」
俺は百鬼さんと飲むまで、他の人と飲まないとあの日から決めていたから継続するのは当然だ。
だが、百鬼さんに関してはなぜだ。
特に断る必要はないだろうし、なにより今は幻中唄子として社員と仲良くなることを優先すべきじゃないか?
「なぜだ。幻中くんが私が目覚めるまで飲みを断つのなら当然私も断つ。二人で楽しく飲む日を楽しみに生きようじゃないか」
「まぁ百鬼さんがいいならなんでもいいっすけど」
満足げにしている百鬼さんだが、俺の目の前には機嫌のいい時の唄子がいる。脳バグるぞこれ。
「精神が唄子ちゃんに移ったことを受け入れられないかもしれないと思っていたが、杞憂だった。流石の許容力だな」
「あれは信じるしかないでしょ。理屈とかはよく分かんないっすけど」
あれだけ大量の身分証を見せられたら、いやでも信じるしかない。
「てか良かったんすか? 得体の知れない男に個人情報全部開示して。俺記憶力バケモノなんで全部覚えましたよ」
「君に知られるのは構わない。私だって君の住所を知っているどころか一緒に住んでいるのだから」
証拠としてだけでなく、自分が俺の住所を知ったから開示した。と言うようにも聞こえる。
これがフェアの精神ってやつだろうか、どこまでも真面目な人だな。
「それに、得体なら知れているだろう。やる気はないが才能のある人間だ、普通なら記憶できないからな?」
「褒めてもゲーム機しかでないっすよ」
長らくやっていなかった家庭用ゲーム器は、久しぶりに起動された嬉しさからか、起動音が無駄に大きかった気がする。
「明日も仕事だ、ほどほどでやめるぞ」
「やりはするんすね」
「部下とゲームって親密感あっていいじゃないか」
部下と遊ぶことに憧れでもあったのかこの人。
感覚としては妹とゲームしてるようにしか思えないんだが、節々に百鬼さんを感じて多少身構えてしまうな。
なんで俺自宅で夜に上司と格ゲーしてんだ? てか強過ぎるだろ百鬼さん。
「手加減してくれてもいいんすよ」
「本気を出してくれてもいいんだぞ? 接待プレイなんて望んでいないのだがな」
この人確実に煽ってきてんな……。
こっちははなから本気だし。
「なっ! あれ避けれるか!?」
「このタイミングで技を出せばキャンセル出来るぞ」
バシバシととコントローラーのボタンを本気で連打する俺と、鮮やかな音楽を奏でるように軽やかにボタンを打つ百鬼さん。
格ゲーってこんなに優雅にできるゲームだっけ?
「百鬼さん手抜いてます?」
「そんなことはないぞ、本気で挑んでいる」
その余裕の笑みはまだ本気じゃない証拠だと思うんだ。
「一回は勝つ」
「ほう、なら一度でも勝てたらなんでも一つ望みを叶えてやろう」
「百鬼さん負けフラグっすよそれ。いいでしょう、俺が一度も勝てなかったら百鬼さんの望みを叶えますよ」
ラブコメでは優位な女性がそう言うと決まってどんでん返しが起きるんだ。
勝ちを確信した俺はコントローラーを握り直し、少し強気で画面と対峙した。
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