取引11件目 幻中兄妹

 ***


   

「と、いうわけだ」

「えと……つまり? ガチで百鬼さん?」

「ああ。正真正銘、百鬼天音だ」


 待てよおい。今のがガチの話なら、俺の好意筒抜けじゃないか。というか唄子よ、好きなんて一言も言ってないからな。あくまで惹かれてるだけだ。


 でも聞く感じ百鬼さんも満更でもないのでは?


「どうした? ぼーっとして」

「いや……何でもないっす」


 見た目が唄子でも、中身は百鬼さんなんだよな……。どうも調子が狂う。


「唄子ちゃんが心配か?」

「そりゃまぁ……精神どこ行ったんだよ、とは思いますね。だって今は百鬼さんの精神が唄子の体を使ってるんでしょ?」

「それもそうだな」


 二つの精神が肉体を共有できるとかならいいんだけど、でもだったら俺に直接説明しても良くないか?


「今唄子ちゃんに変わる」

「あ、変われるんすね」

「勿論だ。まだ人と接するのが怖いらしいが、兄ならなんとかいけるかもしれないとのことで今から変わる」


 言うと百鬼さんは、スーッと目を閉じて息を整える。


「……お兄……ちゃん?」

「唄子か!?」

「う、うん……」


 目の前の唄子の表情から、覇気のような威圧感やカリスマ感が消えた。本物だ、今目の前にいる幻中唄子こそ、純度百パーセントの俺の妹だ。


「状況は百鬼さんから聞いたぞ、お前も色々思うところがあったんだな。ごめんな、兄ちゃんそんな細かいとこまで分からなかった」

「ううん、お兄ちゃんが毎日話してくれるの嬉しかったよ」


 見慣れた笑顔だ。優しい光を放つように笑うその姿を久々に見れただけで、俺は今満足している。


「そろそろ天音さんに変わるね」

「母さんたちとは話さなくていいのか?」

「うん、天音さんを通して見てるからいい。天音さんが元気になってこの体から去った時にでも話そうかな」


 短い会話だった。だが、今まで話していなかったことを考えると、進歩なんじゃないだろうか。まだ少し複雑な感情は残るが、今はとにかく唄子も百鬼さんも楽しそうにやってるならそれでいい。


「……幻中くん。もう少し話さなくてよかったのか?」

「百鬼さんが社会復帰させてくれれば自然と話せるでしょ? そんなことよりはよ自分の体の方覚醒させてくださいよ。寝たきりっすよ」

「私としても早く目を覚ましたいのだがな」


 何か言いたそうな眼差しで、俺をみる百鬼さん。


「どしたんすか」

「今すぐにでも目を覚ましたいのだが、現状でそうなってしまえば唄子ちゃんの社会復帰はどうなる?」

「どうなるんすかね」


 そこはもう本人次第だと思うんだが、百鬼さんは自身の心配より唄子の社会復帰に関してを心配しているように思える。


「ウィンウィンだと言って体を借りているのだ、社会復帰してないと約束を放棄したことになってしまう」

「そもそもなんすけど、唄子の体と言えど精神が百鬼さんならそれは社会復帰とは言わないのでは?」

「そこは心配ない。間近で私の仕事を見れるし、解説付きだ。数ヶ月もあればなんでも出来るようになる」


 胸を張る百鬼さんは、言葉を続ける。


「慣れてくれば精神を入れ替えて仕事すればいい。人より優位なところからスタートすることが最善の成長方法だと思わないか?」


 とびっきり悪い顔をしているが、言ってることは妥当だと思う。というか……。


「まさか唄子の社会復帰のために数ヶ月目覚めないつもりすか?」

「自分で判断ができるのなら是非そうしたい」


 まじかよ……。


「俺、百鬼さんが目覚めるのずっと待ってるんすけど」

「申し訳ないがもう少し待ってくれ」


 何一つ迷いのないような曇りなきまなこで強く見つめられたら、「分かりました」としか言えないじゃないか。


「それに、これからは毎日行かなくていいからな。自分のために時間を使ってくれ」

「……そすね。一応生きてるのは分かりましたし、とりあえず安心です」


 よく分からない怪奇現象のようなものに巻き込まれているとはいえど、生きているならそれでいい。


 もう目を覚さないんじゃないかと不安だったが、そんな不安も払拭されたも同然だ。


「久々にジム通い再開しますわ」

「ほう、感心だ。肉体作りはとても有意義だ」

「百鬼さんも筋トレとかするんすか?」


 百鬼さんはスーツがよく映える、洗練されたスタイルをしている。どんなトレーニングをしたらそこまで整うんだ? 人体の不思議だな。


「ジムには行かないが、自宅で軽く筋トレはしているぞ。基本はヨガとジョギングが多いがな」

「無駄な筋肉をつけないことがスタイル維持の秘訣なんすね」

「そうだな、昔筋トレにハマってやりすぎてな……そこから反省して今の思考に至れたというわけだ」


 筋肉ダルマな百鬼さんを想像したら吹き出しそうになった。でも見てみたいな。


「その頃の写真ないんすか?」

「実家にはあるが、絶対に見られたくないな。特に君には」

「特に俺には!? なぜ!」


 特になんて強調されると少し悲しくなってくる。嫌われていないとは思うけど、拒絶されると不安になる。


「恥ずかしいじゃないか……」

「よほどムキムキだったんすね」

「否定はできないがこの話はやめよう。私のこのスタイルが悲しい過去の上に成り立っていると改めて実感するのは辛い」


 俺は今百鬼さんのウィークポイントを入手できたのかもしれない。俺は百鬼さんが目覚めたらこのネタをぶつけてみよう。


 今は唄子の姿だからなんとも思わないが、百鬼さん本体が赤面しながらも冷静を装う姿は是非見たい。


「……そういえば。新規での問い合わせがあったぞ」

「それ割り振られるのってまさか……」


 嫌な予感がする。


「近々、問い合わせ先にヒアリングしてくれ。まずは電話でいい」

「やっぱそうなるのかぁ……」

「不服か?」

「仕事量増えるのに喜ぶ変態いないっすよ」


 俺はのらりくらりと生きるだけの金が稼ぎたいだけだから、しんどい思いはしたくない。やりたいことも夢もないし、やる気なんて全くない。


「私は仕事が増えるとやる気が出て嬉しいぞ」

「変態っすね」

「断じて違う」


 仕事人間の思考は基本そこらへんの露出魔と同じ狂い方をしてると思っている。

 仕事するために生きてるなんてヤバすぎるだろ。


 人間の本懐はあくまで生存。仕事は生存に必要な資金を調達する手段であるべきだろ。


「仕事って何が楽しいんすか?」

「それは上司に聞く疑問じゃないんじゃないか?」

「今目の前に上司しかいないんで仕方ないっす」


 俺には楽しさが見出せないが、仕事人間の百鬼さんは楽しさを見出しているんだろうか。


 働くために生きるってのは、どんな感覚なのだろうか。とても興味がある。

 後学のために把握しておいても損はないはずだ。


「そうだな、あくまで私個人の意見として聞いてくれ」

「なんの予防線すか」

「スキルが身に付くことがまず楽しいな。そして女だからといって見下してきた人間より出世していくのが楽しい」


 あ、なんか拗らせてそう。

 確かに百鬼さんの出世スピードはそこら中の男より余裕で早い。そこに嫉妬する中年おやじどもも多数いるが、それはカズさんが一掃したと聞いた。

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