取引10件目 天音と唄子

 兄は引きこもりの妹が外に出てこれるように、一人じゃないとアピールするために話をしていたんだな。


「兄はなぜ泣いていたんだ? 聞く感じだと泣きそうにないほど明るい印象なんだが」

「好きな人がね、事故に巻き込まれてちゃったって……助けれなかったことに負い目を感じているらしい」

「それは……凄惨な事実だな」


 私も今日事故にあった。今回は私が轢かれた本人だから特に何も感じないが、目の前で大切な人が事故に遭うなんて……想像しただけで酷だ。


「君は情けないと言ったが、これからどうするんだ?」

「分からない……」

「本当に情けないな」

「……」


 この子が自身のことを情けないと考えるのは本心だろう。

 だが、なにかがこの子の思考と行動力に鎖をかけている


「君が引きこもった原因は知らないが、情けないと思うならまずは部屋から出ればいい。兄と対面して慰めてやればいい」

「でも……」

「行動は確かに勇気がいる。だが、抱え込む辛さに比べれば大したものではないだろう」


 傷心する人物に過度な言葉をぶつけるのは悪手だと、世間一般では言われている。だが私はそうは考えない。


 傷心する人間に慰めの言葉だけをかけては、本人は甘えて何もできなくなってしまう。

 だが過度な言葉をぶつけることで、甘える道を断ち切るんだ。そうすればもう立ち向かうしかないからな。


 幻中くんもそうして育った。特に彼にはこのやり方がハマったのだろう、今までの新人と段違いの成長速度だった。


「そんなこと言ったって、無理なものは無理なの! 怖いものは怖いの!」


 今まで極小だった声量が、少しだけ上がった。

 と同時に、うずくまっていた布団から女が姿を現した。


「……君、もしかして唄子ちゃんか?」

「へ? そうですけど……誰ですか?」


 私は布団から現れたこの人物を認識している。なぜなら、何度も部下に写真を見せられていたからだ。


「幻中夢都の上司だ」

「お兄ちゃんの!?」

「やはり妹さんだったか」


 私の可愛い部下、幻中夢都の妹――幻中唄子。

 彼女は新卒で入った企業で酷い扱いを受けて心を病んだと聞いている。それで部屋から出れなくなったとも。


「あなたがお兄ちゃんの……」

「あぁ」

「好きな人!」

「あぁ!? すっ……好き……!?」


 きゅ、急になんだ!?

 キツく言った腹いせだろうか、不意にそんなことを言って私を動揺させようとしているのか?


「お兄ちゃんが入社してからずっと教育係してましたよね!?」

「あ、ああ。立派に育ったと思うぞ」


 先ほどの落ち込んだ様子からは一転、声がもう完全にキラキラ可愛い系のテンションまで回復している。


「お兄ちゃんうざいくらい百鬼さんの話してたよ」

「そ……そうか……」


 まさか幻中くんが私のことをす……好きだったとは……。待て、そしたら今幻中くんが泣いてるのって私のせいではないか。


 私が掴まれた手を振り解かなければ、幻中くんが気を病む必要はなかっただろう。

 だが私は、大人の命よりも子供の命の方が偉大で尊いという考えは揺るぐことがない。


「あの、百鬼さんは……」

「天音で構わない。苗字は厳つくて可愛くないからな」


 本当なら幻中くんにも下の名前で呼ばれたいのだが、あいにく私にはそんなお願いをする勇気がない。


「天音さんは、その……事故にあって、亡くなっちゃった……んですか……?」

「いや、おそらく生死の概念に囚われてはいないな」


 聞き辛そうに言葉を放つ唄子ちゃんは、おずおずと質問を投げてくる。だが私もそれについては確証がないため曖昧な考えしか発表できない。


「つまり……?」

「……生き霊に近いんじゃないか?」


 腕を組み、手を顎に当てて何かを考えるそぶりを見せる唄子ちゃん。そして、おもむろに立ち上がって本棚の上段から一冊、少し大きめの本を私に渡す。


「洋書? いい趣味だな」

「天音さん英文読めますか?」

「ああ、知見を広めるために海外にしばらくいたことがある。問題ない」


 日本語が一切ない本には、『肉体と精神と神秘』といった内容のタイトルが書かれていた。


 パラパラと見た内容を要約するには、人が不慮の事故に遭い肉体から精神が分離された時、数奇な運命が降りかかると書いている。


「海外のオカルト本だな」

「これ結構有名な事実談らしいですよ。著者は自分がいなくなって悲しむご両親を見て今までの親不孝を反省したらしいですよ」

「なるほど、何か意味があってこんな状況になったというわけだな?」


 不慮の事故。果たせなかった幻中くんとの飲みの約束。引きこもりの唄子ちゃんの枕元に辿り着いた事実。


「それが何かは分からないんですけど……」

「唄子ちゃん、外に出る気はあるか?」

「うん……明らかに家族の負担になってるし……社会復帰はしたいと思っています……」


 ふむ。私がこの状況に置かれた意味を理解した。


「ならば私に肉体を貸してくれないか?」

「肉体!?」


 私は洋書の一箇所を開いて見せる。


「ここに著者が冗談のように、相手の肉体を使って大胆なことをするイタズラが出来たかもしれないと書いている」

「え、イタズラはされたくないです」


 そうじゃないんだけどな。


「別にイタズラをするわけじゃない。仕事に遅れが出てしまうんだ、体を貸して欲しい」


 目的はどうであれ、こう書くと言うことは、理論上体を借りること自体は不可能ではないはずだ。


「えっと……あたしが就職するってことですか……?」

「ありていに言えばそうだな。私は仕事ができるし、唄子ちゃんは社会復帰ができるだろう? ウィンウィンじゃないかな?」


 ポカンと口を開ける唄子ちゃんだったが、徐々に私の提案を理解してくれたのだろう。


「確かにありがたい話なんですけど、お兄ちゃんの情緒バグりませんか?」

「そうか?」

「だって大好きな上司が意識不明の中引きこもりの妹が職場に現れるんですよ?」


 ……。たしかに、少し酷かもしれない。

 だがしかし。


「幻中夢都はそれほど脆い男ではないだろう。問題は、唄子ちゃんを自然に私のポジションに置くかだ」

「たしか部長さんですよね!? 流石に新社会人を部長にするバカな会社ないですよ」


 普通に入ればそうだろうが……うむ、どうしたものか……。


「社長に掛け合ってみよう、シナリオはもう組んだ」

「もう天音さんに任せます、なので。私の体、使ってください」


 賭けに近いが、私に万が一のことがあった際の仕事を全て唄子ちゃんに任せていたことにする。


 なぜ社内の人間にしなかった、社外秘だ、などいろいろ言われるだろう。

 だが、幸い社長の弱みを握っている。


 人の弱みに付け入るのは気が引けるが、今回は特例としてもらおう。


「ここまで言ってなんだが、本当にいいのか?」

「うん、大丈夫。お兄ちゃんをよろしくお願いしますね、お義姉ちゃん。なんちゃって」

「お、おね、おね……じょ、冗談はよせ。まだ幻中くんとはそんな関係じゃないんだ」


 突如、お義姉ちゃんなんて言われては、さすがの私でも動揺してしまうぞ。それにその言葉は、ちゃんと幻中くんと共に過ごしたのちに言われたいな。


「まだ……ねぇ。了解です! 早く呼べる日が来ることを願ってますね」

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