休暇用レコード37:十六夜一月編「世界を救う探索者と幸せの条件」
世界が滅んで早数百年
緑色に輝く「全てを浄化する鉱石」に滅ぼされた世界は、とてもじゃないが人が生きていける環境ではない
安全な地下空間から一歩でも外に出れば、浄化の力に蝕まれ・・・人は死へと近づくことになる
もちろんだが、その浄化の影響を緩和する薬だって存在している
僕が作り上げたそれを飲みながら、僕らは前へ進んでいく
命の危険を賭して、なぜ前に進むのか
理由はいたって単純だ
なんせ僕らは・・・この壊れた世界を、救いたいのだから
荒れ果てた広大な土地を四人で進んでいく
そんな中、彼は何かを見つけたようで・・・一人だけ早く前に進み、それを拾い上げた
「いっちゃん!」
「どうしたんです、お兄さん」
「見て、スプーンだよ。デザインが可愛いねぇ」
嬉しそうに拾ったスプーンを見せびらかしてくる黒髪の彼は「
憎たらしい鉱石の力で、この世界に再び生を得た元人間
傘を媒体にして蘇った「人造生霊」と呼ばれている彼のかつての名前は「
元々は料理人。料理が上手でとっても優しい・・・僕の大好きなお兄さんだ
「ただのスプーンだろ」
「もー・・・理一郎は見る目がないよ!ここの装飾がいいと思わない!?」
「料理人うぜー・・・」
ブカブカの白衣を身にまとった青年は「
彼もまた元人間。リボンタイを媒体にして蘇った「人造生霊」
そんな彼の能力で、僕は足の機能を補強している
かつての怪我で足の機能を失った僕は、彼の能力なしでは出歩くことすら難しいのだ
「まあまあ、理一郎。お兄さんは仕事柄こういうところあったから」
「
「君にも甘くしているぞ。家族だからな」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん」
僕らは三人、不思議な出会い方をした
お兄さんも理一郎も、かつてはただの実験材料としか思っていなかったが・・・
今では、その考えを改めて、家族として見ている
二人共、大好きな存在なのだ
「
「その名前で呼ぶな、
そうそう。今日は一緒にこの男も探索に付いてきていたんだったか
「
「本当にお前は私へあたりが強い」
「お前が所属している行政部の指示で始まった無謀な外界探索、忘れたとは言わせないからな」
かつて、医療従事者だった理一郎は、一ノ宮が今所属している行政部が作り上げた「外界探索隊」に所属していたそうだ
無謀かつ、帰ってくることを前提にしていない計画で・・・彼は命を落とした
「あの計画は私が行政部に所属する前の話だ。無関係の私に当たるな」
「・・・」
「理一郎、抑えろ。この男はいつもそうだ。気にすることはない」
「・・・この男、らしいぞ。仕方ないけどな」
彼は腰につけられている小さな瓶を握りしめる
・・・連れて来ていたんだな
「まあ、無駄話はここまでにしておこう。一ノ宮、それなりに知識があるお前に聞く。これは何だ」
「・・・
「へぇ・・・で、このスプーンは何に使うんだ」
「忘れた」
「忘れるな」
「冗談だ。確か、幸せを掬うと言われていたな」
なるほど。このスプーンはそういう力があるのか
幸せを掬う、それなら僕にとっての「幸せの象徴」は、これを使えば更に美味しくなるのではないだろうか
「そうか。ではお兄さん、早速今夜のシチューを作ってもらえるだろうか。このスプーンなら美味しく食べられそうだ」
「シチューは、掬えないらしいぞ」
「は?」
「だから、シチューは掬えない。そのスプーンでは、シチューは食べられないんだ」
一ノ宮の言葉に僕は絶句してしまう
「僕の幸せ」を一口分すら掬えない分際で、よく幸せを掬うスプーンなんて名乗れたな・・・!
「・・・決めた!お兄さん、シチュー!」
「う、うん」
「理一郎、野営の準備と水とアルコール!」
「あー・・・それ洗うのな。理解理解・・・」
「一ノ宮ぁ・・・本当にこれが僕にとっての
「・・・いいだろう。掬えた場合・・・「次の研究予算」の提供を約束してやろう。いくらでも申請してみろ。叶えてやる」
「言ったな行政重鎮!絶対掬って研究費用もぎ取ってやるわ!」
「掬えたら、な?」
こうして、親子の賭け・・・もとい、僕の研究費用とプライドを賭けた特級遺物という中々に貴重なスプーンを使った実験が始まる
これはスプーンに定められた「幸せの定義」を調べる一晩が、幕を開けた
・・
野営の準備を整えた後、お兄さんが限られた設備で今日の晩御飯を作ってくれる
もちろん、リクエスト通り「特製シチュー」
先に実験をしてしまいたいのだが、きちんと腹ごしらえをしてからでも遅くはないはずだ
まろやかな香りの中に込められた、食欲をそそってくる匂い
それは周囲に漂い、僕たち三人はついつい頬を緩めてしまう
「できたよ、いっちゃん。俺特製シチューです」
「うむ。今日もお兄さんのシチューは匂いからして最高だ!」
「お褒め頂きありがとう。ほら、理一郎。きちんと受け取って。そのリボンの形じゃ、器落としちゃうよ」
「これでどうだ?」
「大丈夫。少し重みがかかるから、気をつけてね」
「おう」
理一郎は長いリボンを器用に動かし、器を受け取る
そして同じように、別のリボンでスプーンを掴み、シチューを口元へ運んでいく
・・・この男は、死亡原因になった探索で両腕を失っている
あのリボンは、僕にとっての「脚」でもあるが、同時に彼にとって「両手」でもあったりするのだ
「一ノ宮さん、どうぞ」
「ありがとう。天羽君」
「・・・どうかされたんですか?」
「君の作る食事は一月がおかわりをするほどに好んで食べているんだな、と。少食で偏食だと聞いていたから。安心しているんだ」
「ええ。沢山苦労しましたが、色々と食べさせることに成功していますよ・・・ね、いっちゃん。今ではちゃんと玉ねぎ食べられるよね?」
「・・・」
お兄さんから視線を向けられた僕は普通のスプーンの上に乗せた
しかし、もうこの魂胆は彼に見透かされている
「・・・捨てようとしていたね。もったいないことしない!それにいっちゃんはただでさえ栄養不足なんだから!きちんと食べなさい!」
「やだー!」
「相変わらず玉ねぎ食えねぇのな・・・」
「人参は食べられるようになったと、
あまりにも玉ねぎを食べない僕にお兄さんが「玉ねぎを食べるまで実験はさせません」と言って、スプーンを取り上げる
流石に困るので、頑張って玉ねぎを食べた
・・・こいつ、茹でたら味がしないのな。生は辛いのに
「もぎょもぎょ」
「凄い咀嚼音だね。ほら、茹でた玉ねぎはほとんど味がしないでしょう?」
「うん」
「生は辛いけど、茹でたら全然でしょう?ほら、玉ねぎさん怖くないよ」
「うん。怖くない」
「本当にお子様だな・・・」
「天羽君。おかわりを頂いても?」
「どうぞどうぞ。明日の為にもたくさん食べてくださいね」
「実験用は残しておけよ」
「わかっている。物がなければ、賭けは成り立たないのだから」
認めたくないが、やはり親子と言うべきか
同じ趣向、同じ味覚・・・外見も何もかも一緒で、違うのは性別と瞳の色ぐらい
離れて暮らしていたのに、何から何まで一緒のクソ親父
やはりというべきか。それともお兄さんの料理は誰からも褒められるものと言うべきか
お兄さんの食事も、彼のお気に入りになったらしい。彼の妻役をしていた女が「刻明さんは少食で偏食だから・・・あまり食べてくれないのよ」と言っていた
おかわりをするのは僕同様、周囲が見たら異常事態だ
何もかも同じで、若干嫌気がさしてくる
そんな僕らを見て、あんたはどう思う・・・?
一ノ宮の腰につけられた小瓶の中に問いかけながら、僕は食事を進めていく
実験の時間は、もう少し後だ
・・
さて、食事も終えて英気は養えた
用意してもらった若干冷えたシチューと、お兄さんから返してもらった魔法のスプーンを携えて実験を開始していく
「手始めに、普通に掬ってみようか」
普通のスプーンと同じように、それはシチューの中に沈んでいく
器にぶつかった感覚を得た後、僕はそのスプーンをそのままゆっくり持ち上げる
本来ならば、シチューがスプーンにかかっているはずなのだが・・・
「何も付いていないな」
「ほら、言っただろう。シチューは掬えないと」
「水は・・・先程試したな。水も掬えなかった」
これは本当に幸せしか掬えないものなのだろうか
今も、目に見えていないだけで僕はこのスプーンで幸せを掬っている・・・?
否、それはないだろう
このスプーンにとっての幸せの定義が何なのかは現状理解できない代物だ
しかし、魔法だろうが、呪いだろうが、幽霊が引き起こしたとかいう現象だろうが・・・説明できないことなんて一つもない
見えないものを掬えている、なんてことはないのだ
「何か掬えた際、反応があるはずなのだが」
「反応とは?」
「光る」
「どんな感じに」
「ぽわぁ・・・って感じに」
「・・・」
一ノ宮ぁ・・・擬音で喋るな気持ち悪い。三十代のいい大人が何をしているんだ。その貧弱な語彙力は幼児のそれかぁ?
滅多なことでは動じないお兄さんも理一郎も絶句しているじゃないか・・・
まあ、ここで文句を言えば話がこじれるのは目に見えている
文句は死ぬほどいいたいが、今は押さえて毅然とした振る舞いをしていこう
「なるほど。ぽわぁ・・・な」
「そうそう。ぽわぁだ」
とりあえず、何かを掬うことを期待して、宙でブンブンスプーンを振ってみる
大気の中に幸せが含まれているのなら、これで自然と掬い取り、スプーンにも何らかの反応が出るはずだ
しかし何も反応は出ない
「いっちゃん、反応あった?」
「全然だ。シチューも掬えないし、実はこれ、
「その可能性も否定はできないな。しかし、そういうのって一月の感情で動く場面もあるんじゃないのか?」
「ふむ。理一郎。仮説を聞こうか」
「これは
「ふむふむ」
「スプーンを貸してくれ」
「勿論」
理一郎にスプーンを手渡し、彼はそれをリボンでしっかり握りしめる
「これはあくまで仮定だが、スプーンは人の思考を読み解き、その人物にとっての幸せを掬い取った時、反応を示すのではないか?」
「しかし、僕にとって幸せの象徴であるシチューは掬えなかったぞ」
「多分、それは消耗品ではだめなんだ。食べて消えるもの、吸ったら消えるもの、飲んだら消えるもの・・・そういうものは生命維持に必要なものだ。なくてはいけないものは、幸せの象徴ではない」
たとえ大好物でも、食品は消耗品であるから掬えない・・・か
「賢いな、理一郎」
「これでもお前の助手だぞ。これぐらいはな・・・しかし、そうなってくると、今、この場では「幸せとして掬えるもの」って限られてくる」
「そうだな。僕の研究室であれば多少は存在しただろうが・・・僕の毛髪でも乗せてみるか、理一郎」
「ああ。多分載せられるぞ。なんせそれは・・・」
間髪入れず、持っていたハサミで自分の髪を少しだけ切りとり、スプーンの上にばらまいてみる
するとそれは、スプーンを貫通せず・・・その上に留まることができ、一ノ宮の言ったとおり「ぽわぁ・・・」と光を纏い始める
「俺の幸せの象徴。家族であるお前の髪だから」
「なるほど。じゃあお兄さん」
「載せません」
「そうか・・・。では、消耗品以外で掬えそうなもの・・・」
ふと、頭の中に掬えそうなものを思い浮かべてみる
そして頭に浮かんだのは、例のあれ
「一ノ宮」
「・・・なんだ」
「そこ腰の小瓶・・・」
「・・・」
「もとい、母さんの遺灰、載せてみないか?」
「わかっていたのか」
「生前の
それを叶えることなく、病で死んでしまったが
彼女は長年夢を見ていた
外の世界に出て、本物の太陽を浴びながら海を見る
もしもそれが彼らの夢であり、叶えることが一ノ宮刻明の幸せであるのなら
おそらくだが・・・スプーンは僕の髪を載せた以上の反応を見せてくれるはずだ
「ほんの少しだ」
「構わんよ。どうせこれは、今回の探索で海にたどり着くことができたら、私の髪と一緒に海へ流す予定だった」
「どうしてそんなことを」
「夢だったんだ。外に出るのは私と鈴音・・・二人の夢。今日という日を、私はお前と同じ歳の頃から待ちわびていた」
小瓶の蓋を開けて、遺灰をスプーンの上に乗せる
スプーン一匙分ちょうど。こんな時でも、几帳面な男だ
「・・・でも、もうこの世界に彼女はいない。もしも幸せを掬えると言うのなら、私の幸せを、私達の夢を・・・叶えてくれ。私はそれ以上の幸せは望まない。掬えるのなら、私の残りの人生の幸せ全てを、今この瞬間に全部掬い取ってくれ」
たとえそれが、一瞬の泡沫であろうとも
・・・しかし、一生分の幸せを代償に得たいものがそれとは
まだ叶えていない「幸せ」があるというのに、言わなくていいのかねぇ
そんな悠長な事を考えている時、スプーンが先程とは桁違いに煌めく
スプーンの上で灰は舞い踊り、光は形を作り・・・女性の姿をとる
まばゆい光が消える頃、僕の手にはスプーンではなくて女性の手が握られていた
「・・・鈴音」
「・・・母さん」
「あれ、刻明・・・?随分老けたね」
「君がいなくなって十年以上経過している。老けるに決まっているだろう」
「でも男前になったね。それに貴方は・・・もしかしなくても一月!?そうよね。だって、髪の色も目つきも、刻明にそっくりだもの」
「か、母さん・・・」
僕が幼い時に亡くなった母さん
記憶にある、元気な母さんの姿をした存在は、記憶の中の母さんと同じように僕と一ノ宮に微笑みかけてくる
「そうですよ、一月。貴方のお母さんです」
「鈴音、なんで・・・」
「わからない。けれど、私はただの幻。貴方の幸せを得るために作られた存在。だから、私は記憶も姿も十六夜鈴音ではあるけれど、貴方が知る十六夜鈴音ではないの」
「そう、なのか・・・」
「受け入れてくれるのが早くて助かるよ。刻明。私はね、夢を叶えたら消えてしまうの。けれど、叶えなくても消えてしまう」
「時間制限があるのか?」
「うん。だから、叶えよう。貴方の幸せを・・・形を少しだけ変えて、親子三人で叶えよう?」
「・・・一月」
「・・・母さんの頼みだ。今回は付き合ってやる」
母さんに聞こえないようにボソボソ相談しながら、笑顔で母さんと共に歩き出す
突然の移動だ。二人も瞬時で状況を把握し、まずは先行して理一郎だけが付いてきてくれる
お兄さんは野営の設備を片付けたら合流してくれるだろう
「ねえ、刻明。今は何をしているの?」
「私は今、行政部の高官をしている。やっと階級制度の廃止ができるほどに権力を手に入れたよ」
「そっかそっか。でもごめんね。夢を叶えた先に待つ存在がもう死んでいて」
「いいんだ。この階級制度が消えることで、私の妻役も、同じように身分差で悩んでいた存在も・・・やっと幸せになれる」
この男は確かに昔から僕たちが住んでいる地下居住区「第三白箱」に蔓延る階級制度の廃止を訴えてきていた
貴族が住む中央区画「核」で生まれ育った一ノ宮と、廃棄区画と呼ばれる外周区画「淵」で生まれ育った母さんには生まれながらに格差が存在している
・・・もしかしなくてもこの男、そのしがらみを消し去ることへ尽力していたのは、母さんと共に暮らしたいが為だというのか
狂っている。本当に成し遂げられるかどうかわからない計画に挑むこの男も、それを待つ母さんも
「そっか。でも相変わらず自分のことは後回しなんだよね。私が死んだ後、いい人とか見つけなかったの?」
「私は互いに仮面夫婦ではあるが、一応妻子持ちの男だ。それに鈴音以外なんて考えたことはない」
「そっか・・・でも、たまには自分の幸せにも目を向けてね」
「それは無理だ」
「すぐそんな事を言う」
けれど、それほどまでに十六夜鈴音という女を愛し、彼女を迎えに行く日を心待ちにしていたのだろう
「私の幸せは、君ありきのものだ」
「私だけ?娘のことはどうでもいいの?」
「いや、だって・・・」
「一月、お父さんこんな事言ってるよ?酷いよね。娘のことを蔑ろ!」
「いやいや、だって僕は一ノ宮とは一緒に暮らしていないし、親子だって把握し合ったのもつい先日!」
まあ、先日と書いて三年前なのだが
その程度の嘘は母さんにはばれないだろう
「彼が父親だって認識も無ければ、向こうも娘だってあんまり思えないかと・・・」
「そんな事ないわ。刻明は貴方が産まれるのをとっても楽しみにしていたんだから」
「・・・まあ、そうだな」
「だからね、一ノ宮なんて言わずに、一月もお父さんって呼んであげてね。刻明は無表情だからわかりにくいけど、とっても嬉しがっているわ」
「・・・頑張る」
「いいこね、一月ちゃん。口は随分悪くなっているようだけど、昔からいい子。お母さん安心ちゃったわ」
「前の一言余計では?」
ノリのいい母さんに引っ張られながら、親子三人で道を歩いていく
ふと、風の中に塩っぽい香りがした
なぜここで塩なのだろうか・・・まさか
「ついたよ。ここが目的地」
月と星を反射した黒い世界。漂う音は若干不気味さを掻き立てるそれが僕らの目的地
海、なのだろう
母さんや一ノ宮だけではない。僕も初めて見る場所だ
「今は怖いけど、太陽が昇れば・・・きちんと綺麗に見えるからね」
しばらくすると、東から太陽が昇ってくる
優しい陽光に照らされた海は、徐々に暗闇に青をさし、水の揺らめきは光を乱反射してキラキラと煌めいていた
「ここに来るのが夢だったね、刻明」
「ああ。そうだな・・・こんなにも広かったとは」
かつては当たり前だった海がある世界
しかしこうして世界が滅んで、人が外界でまともな生活を営むことができなくなり・・・地下に籠もった今。海を見られる機会というものは、滅多なことがない限り存在しない
白箱の中では「お伽噺」の中にしか出ないようなその場所に、僕もまさか来られるとは思っていなかった
「夢は、叶えられた?」
「ああ。君とここに来る夢。そしてその夢を進化させた・・・親子でここに来る夢は叶えられた。ありがとう、鈴音。一月」
「こちらこそ、ありがとう。私をここに連れてきてくれて」
母さんの幻は、一ノ宮の顔に両手を添えて、顔を近づける
逆光で何をしたか見えなかったが・・・何かをした後、母さんの幻はスプーンの形に戻ってしまった
載っていた灰は風に乗り、海ではなくて空に舞い始めていく
「・・・実に、非科学的な現象だったな」
「そうだな」
「それで、その小瓶は手はず通り、君の毛髪とともに海へ流すのか?」
「もちろん。けれどもう一つ」
彼は自分の毛髪を少しだけ切り、両方、小瓶の中に入れる
そして靴紐でスプーンと瓶を結んだ後、それをおもいっきり海へと投げた
「なぁ!貴重な物を!」
「もしも」
「なんだ」
「もしも、あのスプーンが私と鈴音にとっての「幸せ」を掬い取ってくれるのなら」
いつか生まれ変わった時、もう一度家族になれるだろうか
彼の小さな声から発せられる、何よりも大きな切実な願い
それは波の音と共に消えてしまうが、僕にはしっかり届いてくれた
ふん。夫婦じゃなくて親子でいいのか
その願いだと・・・僕がもれなくついてくるぞ。それでもいいのか
なんて無粋な質問はしないでおこう
答えはわかりきっているのだから
本当に、面倒くさい男が父親になったものだ
潮風に白衣を靡かせながら、僕は海に流される小瓶を眺めるお父さんを静かに見守る
その呼称はまだ使ってやらない。本人も呼ばれたいとか思っていなさそうだし
なんなら、忘れているようだし
けれど、いつか・・・そうだな
この壊れた世界を救えたその日に、呼んでやらないこともないかな
「一月」
「おー・・・理一郎。どうしたその怪我」
「気にするな。そうそう、あのスプーンなんだがな、少し法則がわかった気がする」
「法則ねぇ」
なぜかボロボロの理一郎は、どやどやしながら自分が立てた仮説を披露してくれる
現物はすでに海の藻屑だが、理一郎の仮説を最後に聞いておくか
「それは何だ?」
「あのスプーンの起動条件ってさ、三つあると思うんだ」
「媒体が消耗品ではないこと。本人の思いが強いこと」
「その媒体が一癖あって、その人物にとっての「幸せ」に近しいものじゃないと媒体として認められないんじゃないかなって」
ふむ。確かに理一郎がスプーンの上に僕の髪を載せて光った理由も説明がつくな
彼にとっての幸せもまた、僕とお兄さん・・・家族であること
しかし理一郎の時は「本人の願い」が曖昧だった
幸せの象徴は確かなものだが、理一郎自身の願いが不確定だったから、スプーンは起動するに至らなかった
しかし、一ノ宮の場合は幸せの象徴も願いも具体的であり、正確だった
だからこそ正しい形で力を引き出し、彼にとっての「幸せ」をあのスプーンは母さんの幻という形で叶えてきたということか
「なるほど。起動条件が明確になった今、検証をしたいところなのだが・・・生憎とスプーンはあの海の中なんだ」
「どうして」
「一ノ宮が母さんの遺灰とともに投げ捨てた。だからその仮定は・・・そうだな。僕の来世が証明してくれるだろうさ」
もしもその起動条件が確かで、母さんの幸せもまた同じであれば
僕は将来またあの二人の子供として生まれ変われるだろう
記憶には残っていないだろうけど、検証はできる
「・・・続きは来世」
「そういうことだ。さて、朝食休憩をした後、今日の探索を進めていこう。お兄さん、朝御飯!」
「もう準備できてるよ」
笑顔のお兄さんはすでに野営の準備を進めてくれており、そこにはホカホカの朝食が用意されていた
「一ノ宮」
「・・・」
「一ノ宮!」
「あ、ああ、どうした」
「朝御飯だぞ。ほうけている暇があったらさっさと詰め込みたまえ」
「わかった。今行く」
不可思議な一晩。夢のような時間は過ぎ去り、現実へ戻っていく
今日もまた元気に探索を進めていこう
もう手元にあのスプーンはないが、いつか僕にとっての幸せに
この世界を救う礎になると信じて、今日もまた前へと進んでいく
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