休暇用レコード23:穂積砂雪編「おしゃけさんの秘め事」

「お兄ちゃん、本当にやるの?」

「ああ」


噂をしたらなんとやら。ファンシーキャラクターで財を築き上げた「メルティランド」の社長令嬢こと白鷺三依しらさぎみよりは俺達が待つ部屋へとやってきた


「さゆさゆ、頼まれていたものを持ってきた」

「サンキュー、三依」

「・・・お兄ちゃん、その呼び方は失礼だよ。ごめんなさい、三依様。兄が失礼を」


確かに、ここはそういう場所だ

俺と三依の立場は異なる。俺の対応も本来なら失礼だと糾弾されているものだ

しかし・・・本来なら失礼に相当する行為を、三依は咎めることはなかった


「のんのん。雅日さん。ここは公式の場ではないし、三依はあくまでも友達のさゆさゆのお願いを聞いているだけだから。ここに法霖のルールは通用しないよ」

「そういうことだ、雅日。だから今回ばかりは気にしないでくれ」

「わかった。けど聞かせて。二人はその、どういう縁で出会ったの?今ならともかく、私とお兄ちゃんは三依さんと同じ世界の人間じゃなかったしさ・・・」

「それこそこれだよな」


持ってきてもらったそれが、俺と三依の始まりでもある

もう四年前か。時間が経つのは本当に早い


「そうだね。うちの会社のイベントで、さゆさゆがアルバイトに来ていて、これじゃないけどきぐるみを着てビラ配りをしてたの」

「で、俺は終わったら終わったで社長令嬢が来てるから挨拶に行けって言われて・・・」

「「そこからこうなった」」

「変な縁だね・・・」

「自分でもそう思う」

「それにまさかこんなところで再会するなんて、微塵も思っていなかった」

「俺もだよ。奇妙な縁でびっくりだ」


俺と雅日はかつて借金だらけの家で過ごしていた

親が俺達に借金を押し付けて消えた後、雅日は瀬羽家に借金を肩代わりすることを条件に引き取られて、充実した生活を送れている

そして俺は、自分自身で借金をチャラにする為、ある人物の使用人としてここまでやってきた

そこで俗に言う「社長令嬢」の肩書を持つ三依や、住む世界が別になった雅日と再会出来たのは本当に奇妙な縁としか言いようがない


「でもこの不人気で何をする気?」

「うちの咲乃お嬢様はこいつが大好きなんだよ」


まあ、急におしゃけさんが自宅に現れて、一晩を過ごして・・・朝になったらおしゃけさんが俺になってる悪戯をやりたいだけだけど

最近根を詰めているし、たまには息抜きも必要だ

こういうの、お嬢は嫌いそうだけど・・・たまにはなってやつだ

多少、やりすぎかもしれないけれど


「そうなの・・・?このリアリティしかない生き物を・・・?」

「ストーリーも無駄に濃くてね、メインターゲットは寄り付かないし、その親世代も取り込めなかった。今じゃうちの倉庫番。むしろ処分に困ってる」

「マジで?」


そうだろうなとは思っていたけど、実際にその会社の人間から聞かされると複雑な思いだ

俺はこの不人気きぐるみのキャラを熱心に追いかけて、応援している人をそばで見てきたから


「咲乃様が気に入られてるならあげるよ、さゆさゆ。三依からの贈り物ってことでポイント稼いでおいて。この学校で上級生に気に入られるメリットは大きい。二回生ならともかく、三回生なら尚更」

「ちゃっかりしてるな・・・」

「当然。お嬢様だって生存競争が激しいんだよ。高等部三回生の後ろ盾があれば多少は息がしやすくなる。けれど縁を作るのは難しい・・・」

「けれど、その縁を結べる可能性がある縁がそこにある」

「そう。さゆさゆは大事な友達。だけど、今は生き残るために必要な一手と見ている。そこは申し訳なく思う」

「いいよ。気にすんなって。俺はお前らより二年早くこの学校を見てきた分、その行動の重要さを理解してる。出来なかった人間の末路も、知っている」


俺達が今いる法霖学院は由緒正しいお家柄のお嬢様たちが通う女子校だ

幼稚園から全てエスカレーター式のこの学校は、生存競争が激しい女の世界

これまで何人も退学した人間を見てきた


無事に卒業できた人間なんてほんの一握り

三回生に上がれても、油断は出来ないほどに卒業への道は険しく、困難だ

それでも俺とお嬢は前へ進み続ける

厳しい道を二人で支え合いながら歩く。それがこの学校のお嬢様と使用人の生き方だ


「うちのお嬢は二人のことを気にかけてる。だから、きちんと頼れよ」

「あのさ、お兄ちゃん」

「どうした、雅日」

「咲乃様の厚意はとても嬉しい、です。これからもきっと、頼らせてもらうところが出ると思う。けどさ、その、お兄ちゃんはどうしてここまで咲乃様に付き従うの?」

「それは思ったかな。あくまでもバイト、なんだよね?それなら三依も雅日さんも雇えるお金は出せる」

「借金だって、返済可能だって話はしたよね。それでもお兄ちゃんは咲乃様に従う」

「こんなキグルミを着て、お嬢様を喜ばせようなんて人は始めてみた。ねえ、聞かせてよさゆさゆ。貴方をここまでさせる咲乃様って、さゆさゆにとってどんな人なの?」


改めて問いかけられると、どうしてなんだろうな

俺はお嬢をどう思っているのか

もうただの「雇用主」として見ていないのは自覚しているが・・・


「答えは帰ってきてから。考えておいてくれ」

「む、はぐらかされた気がする」

「いいよ。わかった。帰ってきてから聞かせてね、さゆさゆ」


答えることから逃げて、俺はそのままキグルミの中に隠れこむ

このキグルミが少しの間でもいいから、俺「穂積砂雪ほづみさゆき」の中で出た答えを表に出さないようにしてくれる事を

同時に出てしまった答えを隠してくれることを、祈りながら


・・


「砂雪さん、遅いです・・・」


寮で自主学習に取り組んでいた私「岩滝咲乃いわたきさくの」は、未だに帰ってこない彼のことが心配で上手く勉強に集中できていませんでした

・・・いえ、ここで砂雪さんを言い訳にするのはいけません。私自身の心が脆いからです


「・・・妹さんと無事に再会できましたし、そちらの時間の方が大事ですよね」


親の都合で引き離されるまで、互いに寄り添って生きていた兄妹

今まで離れていた分、一緒にいたいですよね

なんならそれが彼らにとって当たり前

・・・それに対して、羨ましがったり、寂しがってはいけませんよ、咲乃

砂雪さんとは後一年でお別れです。使用人のお仕事の条件は後一年なのです・・・

借金を返済できれば、砂雪さんは普通の暮らしに戻る。そういう雇用条件だったでしょう

忘れては、いけません


同時に覚えておきなさい

彼を引き止めてはいけないと・・・

引き止めたいけれど、彼には彼の人生がある

それを、私が引き止めることなど許されないのです


「はっ・・・砂雪さんですかね」


インターホンが鳴り、慌てて玄関へと向かう

自分でも「彼だろう」と思って浮足立つのはどうかと思う

まずはここから改善しないといけないけれど

・・・そう簡単に、改善はできなさそう

それに、こんなところを砂雪さんに見られていては「不用心だ」と言われるかもしれない


しかしこの場所で犯罪なんて起こらない

その手の問題を起こしたら一発退学

他のお嬢様も、たとえ世間知らずであろうとも・・・それはきちんと理解している

同時にまた彼女たちは肝に命じている

家名に泥を塗るような真似をしてはいけないと

だからこそ、疑うことなく安心してドアを開けられるわけなのだが・・・


「大丈夫か、お嬢さん」

「さゆ・・・あれ?」

「怪我はねえか?」

「・・・おしゃけさん?」


扉の先にいたのは、私が愛してやまない鮭のマスコット「おしゃけさん」

リアリティを追求した光沢のある瑞々しいお体に抱きとめられた私は、目を白黒させながら目の前のおしゃけさんと対面した


・・


うっへ、お嬢急に飛び出てくるなんて思わなかった

この場所じゃ不審者もいないだろうし安心してドアを開けるのはわかるけどさ、もうちょっと用心してくれよ。将来心配だよ俺は・・・

ええっと・・・確か事前に勉強してきたおしゃけさんだと、こういう場合は・・・


「俺のこと知っているんだな。社長のとこの娘に聞いてはいたが、俺の大ファンらしいじゃねえか」

「はい!私、おしゃけさんの大ファンでして!サイン頂けますか?」

「えっ・・・サイン?そんなものあんの・・・?鮭の分際で?」

「・・・?」

「い、いや・・・すまねえな。勤め先の都合で、サインの譲渡が禁止されちまっててな。書きたいのは山々だが、そういうことだ。勘弁してくれねえか」

「わかりました。おしゃけさんも大変ですね」


事情をすぐに飲み込んでくれるこの優しさ、身体に染みちゃうね!

同時にこういうところが漬けこまれやすいんだよね。うちのお嬢

優しい人だ。俺もそれに救われて今ここに立っている

優しすぎる人だ。その優しさを行使するために、彼女は色々なものを削いで、落として、俺達に幸を分け与えてくれている

自分が傷つこうが、何かを失おうが関係なしに


「なあ、お嬢さん」

「はい」

「俺に、何かしてほしいことはねえか?」

「おしゃけさんに?そうですね。添い寝、ですかね」


添い寝・・・?え、そういうのは予想外なんだけど・・・

てっきり一緒にご飯食べて、勉強して、きぐるみらしくギュッと抱きつくぐらいを想定していたのに・・・いきなり添い寝?


それに俺はここに来る前におしゃけさんショーの台本だって暗記してきた

もう絶対に公演しないおしゃけさんショーだって再現できる

なんなら一人でおしゃけさんを独り占めだぞ・・・現役時代も独り占めだったと思うけど

それなのになんで添い寝チョイスするの?お嬢は本当にしゃけリストなの?

もっと他にやるべきことあるでしょ


「大胆すぎやしねえかい?俺だってオスの鮭・・・いきなりお嬢さんと添い寝なんて」

「ダメ、ですか?」

「・・・どうしてもか?」

「どうしても、なんです」

「・・・わかった。寝間着に着替えてくる!お嬢さんも着替えておきな!もう寝るぜ!」

「はい。寝室でお待ちしていますね」


狼狽えつつ、一度部屋を出て・・・慌てて三依に連絡を取る


『緊急事態かい、さゆさゆ』

「・・・至急、用意をお願いしたいものが」

『なにかね』

「おしゃけさんの、寝間着セットはあるか?」

『・・・さゆさゆは、弊社が金にならないきぐるみに着せ替えを用意していると思うのかい?』

「思わんな」

『まああるけどね』

「あるんだ。焦らすなよ・・・」

『多少緊迫感欲しいじゃん』

「いらねえよ無駄な心労なんざ・・・用意、頼めるか?」

『もちのろん。一度外に出てね。うちと雅日さんのとこの使用人がお着替えで待機してるから』


色々な人を巻き込んでいるらしい。まさか今の雅日についてくれているあのメイドさんまで手を貸してくれているなんて・・・

なんだか、申し訳ないな

・・・こんな、落ちこぼれの世話をしてもらうなんて


・・


寝間着に着替えたおしゃけきぐるみを装備して、俺は滅多に立ち入ることがないお嬢の寝室へと足を踏み入れる


「お待ちしていました、おしゃけさん!」

「ああ、待たせ・・・ひょげぁ!?」

「せっかくおしゃけさんが来ていただけるのです。パジャマも気合をいれました!」


・・・うん。凄く気合が入っているな

お嬢の寝間着はいつもの高級ブランドのロングワンピース型ではなく、どこで売っているのか、どこで買ったのか聞きたくなるプリントパジャマだった

もちろん柄は全ておしゃけさん・・・リアル鮭の顔が怖さを引き立ててくる


「それは・・・」

「おしゃけさん十周年で抽選販売されたおしゃけパジャマですよ、おしゃけさん。まさか私に当たるなんて思っていなかったので、ここぞという勝負で着ようかと」

「そ、そうかい・・・」


こんなのを買う為に抽選応募をする存在がいるとは思えない

キモい、怖い・・・子供向けのキャラクターとは思えない


「なあ、三依。ちなみにこのパジャマ・・・」

『枠は一応百は用意したはず。けど、応募者は三十人ぐらいだったかな。応募者全員が買えたんだ』

「だろうなぁ・・・」


こんなパジャマを好き好んで買うような物好きは俺もお嬢ぐらいしか知らない

むしろ三十人もガチ勢がいることがびっくりだよ


「おしゃけさん。こちらどうでしょうか。似合って、いますでしょうか」

「・・・ふっ、俺としては嬉しいが」

「お、おしゃけさん?」

「もう少しレディらしい服が見たかったぜ」

「・・・」


壁ドンでドキドキ作戦。これで油断を誘う!

しかしお嬢は俺を黙って見上げるだけ。なんとも思っていないらしい


「・・・何か、変なことを言ったか?」

「いえ、恥ずかしくないのですか、砂雪さん」

「恥ずかしいけど・・・って今なんて?」

「だから、恥ずかしくないのですか・・・と」

「その後だよ。その後」

「砂雪さん」

「・・・いつから気がついてたの?」

「最初から。おしゃけさんが来て嬉しかったことは事実なのですが、その後、冷静になって観察したら・・・玄関の鍵を閉める所作が砂雪さんでしたから」


どんなところで判別されてるの?それに鍵を閉める所作なんて・・・キグルミだからむしろ手間取ったほどだぞ?


「・・・とってつけた言い訳っぽいのはなんだろう」

「そうですよ。とってつけましたもの」

「なんでそんなこと」

「どんなお姿でも貴方のことはわかります。私の相棒ですもの」


期限付きの、ですが・・・という表情は、視界の悪いきぐるみ中でも理解できた

寂しそうで、申し訳無さそうで

・・・俺は、あんたにそんな表情をさせるためにこのキグルミを着たわけじゃない


お嬢には笑っていてほしい

三回生に上がってから前以上に笑わなくなった

無理するようになった。それを隠すようになった

前は俺に色々と相談してくれたじゃないか

これからのことを、この学校で生き残るためにどうするかって


「・・・相棒なんて笑わせるなよ。最近のお嬢は俺に何も話してくれないじゃんか」

「それは・・・」


底辺で落ちこぼれで、姉の残り滓なんて言われていた岩滝咲乃はもうどこにもいない

彼女はこの学院で、彼女だけが持つ力を示した

険しい環境で地盤を築き、ここで咲き誇っている

彼女はもう、一人で咲けるのだ


「・・・そうだよな。後一年で用済みだもんな。目的の場所はもう近い。その場所へはもう俺なしでも、一人で到達できる。それが成されれば後は俺が望む報酬を与えておしまい。元の場所に帰して、自分は快適になった暮らしをしたらいいもんな」


それで俺達の関係は終わりだ

所詮俺は雇われたバイト。お嬢の卒業の手伝いと、彼女の三年間を使用人として支えることを条件に、借金を肩代わりしてもらった人間だ

・・・それが終われば、俺達は住む世界の違う他人に戻る

雇用主と雇われ人の関係も、そこにはなくなるのだ

ガチャリ、と耳元で何かが音をたてた気がした


「・・・お嬢?」

「今の砂雪さんは酷い人です。なんでおしゃけさんの姿でそんな事を言いに来たんですか」

「ちがっ・・・」


三依からこのキグルミは一人で着脱可能と聞いていたので、慌ててキグルミを脱いで、俺として弁明をしようとするが、キグルミの金具が動かない

まさか、さっきの音は・・・


「キグルミのジッパーに南京錠をかけました。お仕置きです」

「やりすぎだ」


お嬢がいいと言うまで脱出できない

こんなことで水分補給も何もかもが許されないのは無情すぎる

そこまでのことをした覚えはない


「・・・砂雪さんなんて、おしゃけさんの中で蒸し鮭になっちゃえばいいんです」

「そこまで言われるようなことはしていないだろ」

「砂雪さんは、自分が何をされたのか気がついていないのですか?」

「おしゃけさんの姿でお嬢をびっくりさせようとしたことは」

「そんな些細なことはどうでもいいのです。気づかないのですか、そのキグルミの視界では見えませんか」

「視界、悪いから」

「だったら特別に開けてあげます。今の私がどんな顔をしているのかしっかり見てください」


意外と早く鍵が開く

そのままお嬢はキグルミのジッパーを開けてくれたらしい

久々の眩しく開けた視界の先には


「見えますか?」

「・・・見える」


キグルミに入ったのは、軽い息抜きをさせるためだった

喜んでもらって、驚かせて

たまにはこんなのもいいだろう?って言って、終わるだけの予定だった


決して、お嬢を泣かせる為ではなかった


予定を狂わせたのは、俺自身の焦り

後一年。住む場所が違う彼女と一緒にいられるのはそれだけの時間

これからを望むのはおこがましい

だって俺は・・・所詮ただのバイトなんだから


きちんとした使用人の教育も受けていないし、礼儀作法も付け焼き刃

この二年間、お嬢に負けないように・・・使用人として側に立てるよう頑張ったとはいえ、やはり周囲と比べたら見劣りをする

・・・そんな人間を、今のお嬢の側に置いていていい理由はない

今だって新入生から「あんなのが」って言われている始末なのに


これ以上はもうついていけない

けれどついていきたい

そんな我儘と、ついていけない力量に対する焦りが今回の事態を引き起こした

わかっている。手に入れたくても手に入れられないことぐらい

だからといって、八つ当たりをするのは・・・ダメだったな


「砂雪さんは酷い人です」

「・・・かもな」

「けれど、同時に言わなかった私も悪いです。貴方がそこまで悩んでいたことに気が付けず、申し訳ありません」

「・・・俺が悪い。八つ当たりをするような真似をして」

「お気になさらず。貴方の気持ちは痛いほどわかりますから」


お嬢は俺の頬に手を添えて、額を当ててくれる

目を閉じて、そのままお嬢の声だけに全てを委ねていく


「おかしい話ですよね。かつては落ちこぼれ同士お似合いと言われたのに、今じゃ砂雪さんだけが落ちこぼれ扱い」

「・・・お嬢は元々できる子だったじゃんか。俺はほら。育ちがよくないから」

「そうかもしれませんが、そんなことは関係ありません。私は知っています。砂雪さんが誰よりも頑張ってきたことを」

「そんなのは関係ない」

「関係ありますよ。貴方が頑張っていたから、私も頑張ろうと思えましたから。今、私がここにいるのは砂雪さんのお陰です。同時にここにいられるのは、砂雪さんがいたからです」

「・・・お嬢」

「貴方が側にいてくれるのなら、私はこれからも頑張れます。どうですか?この三年が終わったら、契約を更新しませんか?今度は、正規雇用の方向で」


それは嬉しい話だ

これからもお嬢の使用人として頑張れる

けれど・・・俺は


「・・・落ちこぼれだし、流石に正規雇用は」

「最初から何でも出来る人間はいませんよ。もちろん出来ないから出来るように努力を重ねることが出来る人間もそうそう見つかりません」


額が離されて、彼女の目と視線が混ざり合う

穏やかで慈愛に満ちた海のような目は、まだ涙できらきらと不安とともに揺れていた

けれど、その目は嫌いじゃなかった


「砂雪さんはそれが出来る人なのです。もう少し、自分を誇ってください。練習はいくらでも付き合います。それに、使用人歴二年にしては、かなりのやり手だと私は思っていますよ」

「・・・優しいね」

「よく言われます」

「雇用の件はまた今度答えを出していいかな。せめて、落ちこぼれを脱するまで」

「いくらでも待ちますよ。それと、一つ」

「何かな」

「私が怒っていることを一つ伝えておきます」


お嬢はそのまま顔を近づけて、俺の耳元である事実を告げる

お条が泣いた理由、お嬢が怒る理由の全てを・・・


「私の好きなもので、私の好きな人に一番言ってほしくないことを言わないで」

「・・・」


また、視界が暗くなる

どうやらキグルミを再び被せられたらしい。もちろん、南京錠付きで


「え、ちょっとお嬢?これはもう許される流れじゃ」

「許すとは言っていませんよ。一晩その中で反省してください」

「そんな!せめて水分の補給は!」

「添い寝ならしますから」

「嬉しいけど嬉しくないよ!」


わちゃわちゃしながら、俺とお嬢は同じ部屋で一晩を過ごすことになる

もちろんそれは思っているような、時間じゃない

キグルミに閉じ込められた事、尿意と水分の欲求・・・ついでに軽い腹痛とちょっとだけ痛い心臓と戦いながら、俺は休まらない一晩を過ごすことになる


・・


次の日

キグルミの鍵とジッパーを開けて、彼の様子を見ることにする


「おはようございます、砂雪さん」

「・・・すう」

「キグルミの中で寝るなんて、そうそうできないと思うのですが・・・」


させたのは私ですけど。

しかしなんというか、どこでも寝られるのですね

環境がそうさせた。どこにでも、どんな環境でも寝られる砂雪さんを作り上げた


「砂雪さん、私は昨日嘘は何一つ言ってません。私はこれからも貴方に使用人として・・・できれば、それ以上の関係で貴方に側にいてほしいのです」


世界で一番好きなものはお金と断言するような人が、誰かを好きになることはあるのかわからないけれど


「私は貴方の欲しい全てをあげられる存在に必ずなります。手始めにノブレスフルールを手に入れて、貴方とここまで駆け抜けた証明を、貴方との誇りを、手に入れてみせます」


この学院で誰よりも優秀な卒業生に贈られる称号「ノブレスフルール」

かつての卒業生や私のお姉様も手に入れたこの称号を、私は家の為に取る気はない

私の可能性を信じて、私の為に研鑽を積んで、私の為に頑張って、悩んで、一緒にいてくれる彼のために

私はこの学院の頂点で咲き誇ってみせます


「・・・」

「すう・・・」


頬に軽く口をつけておく

・・・決して、マーキングではありませんよ


「この話の続きは貴方が目覚めて、目指すべき場所に到達してから」


それまで一緒に頑張りましょうね、砂雪さん

それまで貴方に好きになってもらえるように頑張りますからね、砂雪さん


眠る彼が目覚めたら、最初に何と言おうか

昨日の話を軽くして、おしゃけさんのサインを教え込もうか

なんて考えながら、私は朝の身支度に入っていこうとする


「・・・さくの」

「あ、起こしてしまいましたか?おはようございます。砂雪さん」

「・・・おはよ」

「まだ寝ぼけていますね。もう少しゆっくりされていてください。今日はお休みなのですから」

「んー・・・」


「キグルミはどうしたら・・・」

「三依が気に入っているのならあげるって言ってた。咲乃、おしゃけさん好きだろ?世界に一つだけだし、貰っちゃおうぜ」

「それは嬉しいのですが・・・。しかし、砂雪さん。なぜ名前を・・・?」


いつもはお嬢、お嬢と呼んでくるのに、今日はなぜか名前呼び

嫌な気はしないのですが、なんというか・・・いつもと違って照れくさい、です


「・・・へ?」

「へ?」

「あれ?これ夢の地続きじゃない?現実?」

「何を言っているのかわかりませんけど、今は現実ですよ?」

「・・・お嬢、忘れて。主に俺が起きてから数分の出来事」

「いやいや忘れられませんよ。どういうことですか。砂雪さん。それにキグルミ、早く脱いだらどうですか」

「・・・恥ずかしくて脱げない」

「どこに恥ずかしくなる要素があるんですか」

「もう一回、俺をキグルミの中に閉じ込めて。南京錠付きで」

「まさかのお仕置き再希望!?」


その後砂雪さんは本当にキグルミの中に引きこもってしまい、一日出てこなかった

砂雪さんがその時見ていた夢の話をしてくれるのは・・・ここから半年後の話になるのはまた、別のお話

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