休暇用レコード11:二階堂鈴編「二階堂鈴の食卓〜野菜嫌いの神語りとこれからのお話を〜」

十二歳の秋、だったと思う


学校に行かなくなってから、一年が経ったから・・・自分の年齢も、今日が何月の何曜日なのかも曖昧だけれど、それでいい

僕の世界は、小さな六畳一間の小さな部屋だけ

・・・お母さんと、二人で一緒の世界

僕は悪い子だから押し入れの中にずっと入れられているけれど、たまにこうして、お母さんは僕を外に出してくれる

いい子だったら、ずっとここにいられるのかな


その日は、お母さんは少し明るかった

いつもはしないお化粧に、綺麗なお洋服を着て・・・台所に立っていた

この日は、お母さんにとって特別だったことを知るのは・・・僕が三十一歳になった時だ


「・・・あら」

「・・・お、はようございます」

「・・・どうしたの?少し、顔色が悪い?」

「・・・へ?」


いつもなら挨拶をして、ご飯をお願いするのだが、今日のお母さんはやっぱりどこか違う

逆に機嫌が悪いのだろうか・・・

ビクビクしながらお母さんの動向を伺っていると、お母さんは僕の頬に手を添えて、叩く・・・かと思いきや、頬に手を添えたまま、お母さんは小さく笑う

しかし、その目は僕を見ていなかった

僕に似た誰かを思い浮かべるように、笑い続ける


「・・・具合、悪かったらすぐに言うのよ?貴方、すぐに体調崩すんだから」

「・・・は、はい」

「今日の貴方はやっぱり変。どうして、目を開けないの?目が痛い?目薬、いる?」

「・・・大丈夫、です」


僕の瞳は、青い色・・・「お父さん」と同じ、青い色なのだ

お母さんはこの目の色をとても嫌っている

けれど、髪の色は凄く好きだって言ってくれる。だから、あんまり頭は叩かれない

その代わり、顔とお腹はいつも青くて痛い何かができるぐらい叩かれるけど・・・

全部、僕が悪い子だから仕方ない


「ほら、早速朝食にしましょう?今日は貴方が好きなもの、作って見たの。まだ、練習作だけど」


そう言ってお母さんはいつも僕を座らせてくれないテーブルの方へ向かわせてくれる

椅子の上に座るように促されて・・・いつもとは違う食器を並べられる


・・・元より、僕は自分の食器というものを持ち合わせていない

食器は、人が使うものだからとお父さんが言っていた

悪い子の僕には使う権利がないとも・・・


お父さんと離れ離れで暮らすようになっても、お母さんは僕に食器というものを与えなかった

きっと、僕が悪い子だから

どうしたら、食器でご飯を食べられるようないい子になれるんだろう・・・と考えていた僕の前にあるのは紛れもなく「自分の食器」

成人男性が使うような、大きめのお椀にお箸だけど、それでも僕は嬉しくてそれを宝物のように持ち上げた

お母さんは僕に食器を用意してくれた

こうして、ご飯を用意してくれた

きっと、僕はいい子になれたんだ


「ありがとう、ございます。お母さん。僕、いい子になれましたか?」

「・・・あ」

「・・・お母さん?」


その瞬間、お母さんの目に光が戻る

今度はちゃんと、僕を見てくれているけれど・・・呆然と僕を見つめて動かなくなる


「・・・私、何してたんだっけ」

「・・・?」

「こんなものまで用意して・・・あの人が帰ってくるわけでもないのにね。それに・・・とんでもないこと、しちゃってた」

「・・・?」


当時は何も意味がわからないまま、悲しげなお母さんの表情だけが僕の記憶の中に残り続ける


「・・・ご飯、食べる?」

「食べて、いいんですか?」

「ええ。少し待っていてね」


その日は、お母さんが初めて手料理を振る舞ってくれた日のこと

苦しそうな笑顔を浮かべたお母さんが持ってきたのは、白いお皿に盛り付けてある真っ黒な何か

焦げ臭い・・・これ、食べても大丈夫な・・・

ううん、食べなきゃ

食べなきゃ・・・食べなきゃ、叩かれる。また、痛いの、されるから

それに、お母さんが作ってくれたものだから


「・・・頑張って、作ったの。ごめんね、下手くそで。また、腕落ちちゃった」

「・・・いただきます」


後に、僕はこのメニュー名を知ることになる

かぼちゃの、カイロ煮

カイロの中に入っていた塊のようなものな形状で、炭の味しかしないそれは・・・

何年経過しようとも、俺に虐待以上のトラウマを刻み付けるとんでもない代物だと断言していいだろう


・・


元々、好き嫌いが多い人だとは思っていた

特殊な環境だし、子供みたいな野菜嫌いを発動させることもしばしばあったが「私が作ってくれたものだから」と、嫌いなものでも頑張って食べてくれていた

それだと言うのに・・・!


「・・・鈴、これは?」

「これはかぼちゃの甘露煮だよ」

「・・・母さんの得意料理?」

「?」


母さん、確かに彼はそう告げた

その瞬間、彼は光が差し込まない目を浮かべてこう、呟くのだ


「・・・食べたくない」

「え?」

「食べたくない!」

「今なんと?」

「怒っても食べない!これだけは嫌だ!」

「我儘言わないで。ほら、ちゃんと食べる!」

「嫌だ・・・鈴、やめてくれ。それだけは、無理、やだ!」


全力で拒絶した彼は子供みたいに駄々をこねてから全速力で二階に上がり、寝室の中に篭ってしまう

昔なら和室に私の布団があったからいいけれど・・・今はそうはいかない


「出てきて夏彦。好き嫌いはよくないって前から言ってるよね!ちょっと!夏彦!開けて!私今日寝るところないんだけど!」

「知らない!」

「むうううううううううう!」


寒くなった秋の中旬

前の家から、夏彦の野望と理想がつまった一軒家に住み始めて一ヶ月ほど経過した頃

私と夏彦が出会った正確な日は外して、二十九日に籍を入れようかと話をしていた幸せ絶頂の巽家に・・・大きな亀裂が入った瞬間である


・・


次の日


今日も元気に夏彦は引きこもる

私の目がないうちに、お風呂や朝食・・・それから食材の備蓄を済ませたらしい

喧嘩した時は絶対に私に遭遇しない様に動き回るのが夏彦の特徴

行動がワンパターンすぎてむしろ呆れてしまうと言うかなんというか・・・

まあ、私もワンパターンな行動をしているのでそれを指摘することはないのですが


「まさか、かぼちゃの甘露煮が幼児退行を起こすほど嫌いとは・・・」

「今まで気がつかなかったけど?普通に食べてた印象があったし」

「僕も、夏彦はよくかぼちゃコロッケとか食べていたし・・・かぼちゃがダメだということはないと思うけど・・・」

「それならなんですかあの拒否り様は!覚と東里は何か心当たりは・・・」


私が自宅に呼び出したのは、彼の同僚であり同じ立場にいる巳芳覚と卯月東里

二人とも私の呼び出しに快く応じてくれて、今、こうして夏彦を部屋から出す方法を考えているのである


「・・・鈴、一つ僕からいいかな」

「なんでしょう、東里」

「話を聞く限り、かぼちゃの甘露煮が夏彦のお母さんの得意料理だから・・・夏彦は嫌がっているんだよね」

「そうですね」

「・・・鈴、忘れちゃ困るけど、夏彦って自分のお母さんから虐待受けてたんだよ?」

「しかも情報だと料理は練習したけどメシまずの部類なはずだ。味覚が愉快なことになっていた夏彦父・・・山吹尊にとっちゃあ美味しかったみたいだけどな?」


そういえばそうだった。神語りの影響で夏彦の母親にはいい印象しか最近は持っていなかったからうっかりしていた

改めて思い出す感じで振り返ろう


巽夏彦は少し特殊な能力と家庭環境を持つ

神語りと呼ばれる、神様を初めヒト成らざる者たちと対話できる能力と

そして、育ての父親と生みの母親に十二歳になるまで虐待を受けていた過去を

最近は記憶を取り戻し、その過去にも向き合っていたはずなのだが・・・本当に嫌なことに対面すると軽く幼児退行を引き起こしてしまう


「そんな母親がまともなご飯を作れたと思うかい?夏彦、何かと聴き間違えたんじゃないかい?」

「その可能性があると、東里は言いたいのですね?」


私がそう聞くと、彼は無言で頷く


「・・・仕方ない。事情は俺が聞いてきてあげるから、鈴はご飯でも作ってあげたらいい。かぼちゃとかな」

「少なくとも夏彦がかぼちゃが嫌いというわけじゃないから安心して作れると思う。僕はこれから・・・家の事情で外出しないといけないからお暇するね。覚、頼んだよ」

「おー。また馬越のお嬢様か?大変だな、お坊ちゃん」

「うるさい!じゃあね、鈴。夏彦にもよろしく!」


慌ただしく帰宅する東里の背中を見送り、私と覚は笑顔で手を振る


「大変だな、あいつも」

「風花さん。いいお嬢さんだと思うのですが・・・」

「世間的にはな。東里の前じゃ愛が重いから・・・」

「そうですか?普通ではないですか」

「・・・お前も愛情重い方だったな、鈴」


それからげんなりする覚が二階に向かい、夏彦と話をしに行ってくれる

その間、私は改めて食事の準備を開始することにした


・・


鏡の中から声がする

最近、うちの神様はこんな曲芸も身につけたらしい


最愛の鈴と同じ姿

俺に憑くまで彼女と一緒だったからか、その姿も鈴と同じものになっている

しかしその髪色は鈴の様に新芽の様な青緑ではなく、桜のように艶やかな薄ピンク

翡翠色の瞳ではなく紫色の瞳もより神秘さを感じさせる

乳白色の角を側頭部から生やし、大きな竜の尾を揺らすそんな癒しの龍神「竜胆」は、鏡の中から俺の様子を伺うが、退屈になったのだろう

鏡の中でゴロゴロと猫の様に転がり始めた


『ぬなー・・・』

「どうしたんだ、竜胆」

『また鈴と喧嘩なんて、お主、本当に三十二歳か?十二歳の間違いではないか?あまりにも子供すぎて溜息すら出ないぞ?』

「・・・うぐ」


正論すぎて反論なんてできやしない

そんな俺に竜胆は呆れた視線を向けつつ、その状態をゆっくり起こした


『・・・母親の得意料理と言ったな?過去に何かあったのか?』

「そう、だな。・・・竜胆もとんでもないものを口にしたくないだろう」

『・・・「甘露煮」じゃろう?甘くて美味しいのだぞ?』

「待ってくれ。鈴は、「カイロ煮」って言わなかったか?」

『甘露煮じゃ。聞き間違えか?それにしても・・・なんか食えそうにもない料理じゃが、そんな料理が存在するのか?食えるのか?』

「・・・聞き間違えか。鈴には申し訳ないことしたな」


カイロ煮と甘露煮を聞き間違えるとは・・・疲れているのか

しかもそれだけのことで鈴には酷いことをしてしまった


『まあ、お主の誤解が解けたのはいい。後で鈴に土下座するのじゃぞ?』

「ああ。絶対に・・・」

『しかし、お主の母親、とんでもないものを作っているのぉ・・・』

「ああ。母さん、料理下手だったから。それが、俺が唯一食べた母さんの手料理だ焦げは酷いし、同じ食卓に出た卵料理は殻が一緒に混ざっていて・・・」

『お主よくそれで生きてたな!?』

「妙に丈夫なものですから・・・誰の遺伝だろうね」

『お主の父親である山吹じゃろ。神様ネットワークでも有名な男ぞ?』


まさか神様視点から見た父さんとは・・・

竜胆は呆れた視線を俺に向けるけれど、対称的に俺の視線は少し、輝いていたと思う

生まれる前に殺された本当のお父さんのことを、知る機会なのだから


『気になるのか、夏彦』

「気になるさ。だって、父さんのことだし・・・」

『お主は本当に父親のことが好きよのぉ・・・まあ、気持ちはわからんでもない。あの男はこちら側から見ても面白い男でのお・・・神語りの力が弱かったのが、難点だったな。話してみたいという神は多かった』

「父さんは、神語りだったのか?」

『お主、忘れておるな?神語りというのは直系の血から血へ受け継がれる能力じゃ。お主が神語りであるならば、お主の両親のどちらかが神語りというのは当然の話じゃろうに』


竜胆は呆れながら答えをくれる

まさか神様や幽霊、動物と話せたり、神様を憑けたり、堕としたりする能力が父さんからの遺伝だったとは

小さい頃は怖くて泣くことぐらいしかできなかったけれど、鈴のお陰でこの能力と向き合い、この力で出来ることを知り、彼女を救えたことで好きになることができた

けれど、今回の話でもっと神語りのことが好きになったと思う

知らないところでも、繋がっていられるから


「じゃあもし、俺と鈴の間に子供が生まれたら」

『長子が神語りになるの』

「逃げられないんだな。この力からは。小さい頃は苦労させそうだ」

『逃げられんよ。神語りも、憑者の運命も・・・そう簡単に逃げられるものではない。しかし、お主が特段異常なだけで、お主の父親並みがこの時代の平均じゃ。だから、生まれてくる子供も・・・って待て。もうそこまで意識しているのか』

「そりゃあ、まあ・・・鈴が早く家庭が欲しいっていうから。竜胆は二百年以上一緒にいたんだから彼女の気持ちもわかるだろう?」

『そりゃあ、わかるが・・・』


二階堂鈴は、元神様な人間だ

江戸時代で生まれた彼女は特殊な家庭環境で生まれ、孤児として幼少期を過ごした

俺の、ご先祖である花籠雪霞に出会うまでは


それから数年後。ある事情で神様を・・・彼女の場合は癒しの龍神である竜胆をその身に宿し、龍の力と、癒しの力、そして不老不死の運命を背負った

それから彼女はある使命を持って、時代の中を歩いて・・・俺の元に辿り着いてくれた


『お主は、鈴に付き合っているように見えるが・・・』

「・・・そう、だろうか。けれど、彼女は二百年も頑張ったんだ。彼女の願いを叶えたい。側にいてくれると誓ってくれた彼女に、報いたいんだ」

『・・・幼児退行を起こした本当の原因は「そっち」か。母親の料理が怖いのもあるが、根本的には・・・鈴が母親になるのが怖いんだな?』

「・・・・」

『・・・お主の境遇も理解しているから、わからないこともない・・・が、一人で思い込む癖はそろそろ直せ。馬鹿者』


竜胆の言葉が重くのしかかる

沈黙は肯定・・・それを理解した竜胆は静かに、鏡の奥へ消えていく

静かな部屋の中にまた一人

いつもどおり、暗い場所に意識を落としていく


・・


「・・・鈴、聞いたか?」

「ええ。竜胆から二階に上がってこいと言われた時には驚きましたが・・・」

「・・・後は二人で話し合いなよ。俺は立ち入ったらいけない領域だ。だから」


覚が扉を指差して「いいか?」と問いかける

新築ですが・・・この際致し方ありません

大事にしたい終の住処の予定だったんですけどね・・・でも、ここに一緒に住む人がまた一人でうじうじ悩んでいるから


「ええ。構いません。思いっきり、やってください」


仕方ないけれど、その扉を、彼の意識を壊してあげないといけません

覚の蹴りでその扉は勢いよく外れ、寝室の中に飛ばされる


「・・・意外とお強い」

「まあこれも憑者スペックの賜物ということで・・・ほら、俺は帰るから後はお二人でね」

「ありがとう、覚」

「いいってものよ。うちのご先祖様も、可愛い異母妹の幸せを祈っているだろうからね。お手伝いぐらい当然だよ。それじゃあまたなー夏彦。鈴。ごゆっくりー」


異母兄の子孫にあたる彼を見送った後、私は寝室の中へ入り込んでいく


「おはよう、夏彦」

「す、鈴・・・」

「・・・ご飯、食べよう?お腹すいたでしょ?ご飯を持って行ったのは知ってるけれど、食欲、なかったんだろうし」

「・・・」

「全部聞いてたから。安心して欲しい。その話し合いもちゃんとしよう?ね?」

「・・・」


手を差し伸べても、彼はその場に座り込んだまま動こうとしない

怖い、のだろうか

出会った当初に、料理の件で揉めた時も・・・私の顔を見てこんな表情を浮かべていた

一年前のことなのに、遠い昔のことだったかのような感覚

けれど今回の彼はその場から逃げることはない

・・・逃げ場所がないからかもしれないけれど


「相変わらず面倒くさくてごめんな」

「いつものことだからもう慣れた」

「・・・」

「・・・もう、頭からきのこを生やす勢いでジメジメしないで」

「ムギュ・・・ふ、ふふ・・・、ほお、もふもふしはいへ・・・」

「夏彦が面倒くさい性格してるから。いつもは深く考えないくせに、大事なことだけは自分の中で抱え込んで・・・深く考えるんだから」


頬を挟む手の力が弱まると同時に、目から何かが零れ落ちる


「・・・泣くつもりはなかったんですよ。ただ、貴方が不器用すぎて呆れているだけです」

「すまない、鈴・・・」

「まずは部屋を出ましょう?それから、お話ししよう」

「・・・ああ」


非常に不器用な彼の手を引いて、一階へ向かっていく

・・・少しでも、ちゃんと話をしよう


・・


「・・・話は聞いていたから。ごめんね、盗み聞きして」

「いや、俺こそ・・・聞き間違いなんて」


私は彼を椅子に座って待つようにと伝え、料理を温め直してお皿に盛り付ける

彼が私のことを考えて追加注文したらしいキッチンは、とても動きやすくて、快適に料理ができる

それでいて以前の台所のようにスペースの問題で苦しむこともなく・・・楽に取り掛かれるのも花丸ポイントですね


「別に気にしなくていいからね。聞き間違い程度、あるあるだから」

「・・・」

「しかし夏彦は相変わらず、自分一人で抱え込んで・・・いくら私に相談しろと言ったって聞いてくれない。もう何回目?」

「・・・すまない」

「謝る前に行動に移して。そういうの、夏彦らしくて嫌い。そろそろきちんと話す癖をつけて。一人で、抱え込まないで」

「・・・はい」

「次やったらお灸を据える。背中にちょちょっとね・・・」

「表現じゃなくてガチのお灸か・・・わかった。今度こそ、約束だ」

「誓約書、後で書いてね?」

「・・・わかりました」


夏彦がこうして一人で悩んで抱え込んで、うじうじするのは珍しいことではない

むしろ三ヶ月に一回程度の頻度で引き起こしている気がする。大体だけれども


「しかし、カイロ煮って・・・どんなものだったの?」

「あの冬になったら使うカイロってわかるよな?あれの固形みたいな感じの色で、炭の味がする」

「なるほど。完全なる失敗作・・・」

「そういうことだ。俺にとってかぼちゃのカイロ煮は母さんの得意料理で、殴られるよりも命の危機を感じた一品でな・・・今でも思い出すだけで鳥肌もので」


そう言いつつ夏彦は長袖をまくってその腕を見せてくれる

傷だらけの腕の上に走る鳥肌は、彼の恐怖心が完全に現れていた


「・・・そんなに恐ろしい代物なんだ」

「・・・魔界の料理だぞ。当時は何をされても母さんのことが大好きだったんだけど、流石にあれを食べた時は、母さんが悪魔に見えたな」

「そりゃあそうだろうね・・・夏彦、料理できたよ」

「運ぶの手伝う。それぐらいしか、できないから」

「ありがとう」


鍋からお皿に盛り付けて、全ての品をテーブルの上へと運んでいく

去年は、私がテーブルを破壊してからずっと食事はこたつテーブルだった

けれど、引越しをしてから新たに立派なダイニングテーブルを購入し、「今」は二人で使っている

・・・ああ、そうか。この事も話し合わないと

・・・できれば、話したくないけれど。今の夏彦が望まないのなら、私は


「冷める前に、食べよっか」

「ああ。そうだな」


まずは、お腹を膨れさせてから

落ち着いた状態で話し合おうと思う


「かぼちゃの甘露煮、チャレンジしてくれる?」

「勿論だ・・・って鈴?」


いつもは反対側の席に座るのだが、今日の私は夏彦の隣に腰掛けて食事を取り始める

自分のお箸でかぼちゃの甘露煮を掴んで、それを彼の口元へ運んでいく

野菜嫌いの神語りに、甘露煮は美味しいと言わせるために・・・


「あーんは?」

「・・・あ、あーん?」

「うん。いいこ」

「・・・甘露煮は美味しいな。昨日はもったいないことをした」

「まだまだあるから、無理しない程度に食べてね。他にもきのこのソテーとか、栗ご飯も作ってみたんだ。統一感はないけれど、秋の味覚をたくさん盛り込んだメニューにしてみたの。デザートもあるからね?」

「デザートまで・・・ありがとう、鈴」

「当然!」


美味しそうにご飯を頬張る夏彦の横で、私も食事を一緒に摂っていく

いつもは楽しい食卓だけど、今日は少し、気分が重かった


・・


食事を終えてから、夏彦が洗い物を全て済ませてくれる


「いいんだよ、ゆっくりしてて・・・」

「これぐらいはさせてくれ。鈴には、してもらってばかりだから」


全ての洗い物を終えてから、ソファに二人揃って腰掛ける

暖かいお茶も用意して、完全にリラックスしているが・・・これから、まだ話さないといけないことがある


「鈴、聞いて欲しいんだ。今回の幼児退行の理由」

「・・・うん」

「正直さ、聞き間違えとはいえ、カイロ煮を作ったって言われて、鈴も母さんみたいになるのかなって、あり得ないのに、そんな想像しちゃったんだ」

「そんな!?」

「あり得ないのに、だ。鈴の料理に対する情熱は身を持って知っている。鈴が食材を無駄にしないような人だということも、俺は知っている。それなのに、そんな想像したのは、なんでだろう。そこまでは、俺もわからないや」


複雑そうに、いつも通りの笑顔を浮かべた夏彦の顔に、自分の頭を押し付ける

少し驚いていたけれど、それを受け止めてくれた彼に私は体をゆっくりと預けていく


「・・・いつになく、ネガティブ思考」

「マリッジブルーかもしれないな。冗談だが」

「あり得ない話ではないと思うけどね・・・女の人だけじゃないんだよ、それ。雑誌で見た。それに、立夏も言ってた。彰則もだったのよーって」

「最近の鈴の情報源はたくさんだな。そうか、彰則さんという身近な既婚者が・・・」


今は行方不明になっている、自分の同僚である青年のことを思い浮かべているのだろう

・・・今、どこで何をしているかわからない。同じ職場で働く東里と夏彦は特に心配している様子だ。もちろん、立夏も・・・その行方を追い続けている

無事だといいんだけれど


「だからね、不安なら先延ばしに・・・」

「先延ばしにして、ずるずると引きずるのは・・・な。鈴と一緒になれるのは凄く嬉しい。人生最大の幸福だって言ってもいい。でも、これからのことに不安がないわけじゃないんだ。今日みたいなことで、鈴とすれ違うこともあるだろうし・・・最悪」


最悪、離婚とか、離別とか言いたいのだろうか

そんなことはない。そう、約束したから

だからと言ってそうとは言い切れる根拠はない。これから、長い時間を生きる中、私と夏彦の間に何があるかなんてわからないのだから

人生設計の決定書なんてものがあれば生きるのは簡単だっただろうけど、そんな都合の良いもの、人生には存在しない

設計図は、私たち自身で書いて行かなければならないのだから


「最悪はないだろうけど、私も、少し不安なことがある」

「聞かせてほしい」

「・・・私が母親になるのが怖い。それは、本当?」

「・・・少し。正確には、俺が、親になるのが怖いだけど・・・。カイロ煮で鈴が親になったイメージが消えたのも事実だ」

「聞き間違いの効力すごいね」

「自分でも、そう思う」


夏彦はそれから腕を私の方に伸ばしてくる

それを私も手を伸ばして掴んで、床へと下ろす

それから少しだけ震えた一回り大きな手を安心させるように握りしめる


「・・・鈴、俺はさ「これから」が欲しいのに「これから」が怖いんだ」

「うん」

「不安なことをこれからも並べ続けて、うじうじして、鈴を怒らせるかもしれないが・・・それでも、一緒に歩いてくれるか?」

「もちろん。二人で、歩いていくんだよ。これからを」

「ありがとう」


色々話したいことがあったと思うけれど、これからに前向きになった

その事実があれば、先ほど話さないといけないなって思っていたことは話す必要がないものに変わっていく

これでいい。今はこれでいいのだ


「あ、そうそう。デザートを持ってきていいかな?」

「ああ。お願いするよ」


私は冷蔵庫の方へ向かって、それを二つとスプーンを手に彼のお膝の上に戻っていく

去年より私は一回りほど体が大きくなったので彼の膝の上に座ると少しだけ窮屈になる

けれどその密着感もどこか心地がいいものだ


「今日のデザートはお芋プリン」

「なんだか懐かしいな」

「懐かしいって?」

「覚たちと初めて会った日。なぜかプリプリしてた鈴にプレゼントしたのもお芋プリンだったな」

「そ、それは・・・」

「そういえばなんであんなにプリプリしてたんだ?」


今の私はかつての私のように頬を膨らませているだろう

けれど、両方ではなく片方だけ

精神も姿相応だったあの時とは違う。私はもう、立派な大人だ

子供っぽい振る舞いは彼の前ではしたくない。一人の大人として、女として見て欲しい


「・・・具合が悪そうだったのに、無理して動いたから。まあ、覚や東里はダメダメだったし、夏彦しか動ける人がいなかったのも確か、だけど・・・あまり無理して欲しくないのに、無理するから、少しきつく当たっちゃった自覚は、今もある」

「そうか。しかし、なんであの時の俺は具合が悪かったんだろうな。朝は健康だったはずだが・・・」

「・・・今だからいうけど、夏彦、あの時覚にお酒を飲まされて二回、酔ったんだよ。そんな状態だったから、かなりキツかったと思う」

「・・・醜態、晒してるのか?」

「うん。ニコニコしながら私の頭を撫でて、東里の耳を掴んで、子供みたいに振る舞って・・・可愛かったよ」

「あああああああああああああああ・・・・」


流石に一年越しとはいえ、醜態を晒した事実を受け止めるには結構重かったらしい

まあ、覚や東里、そして私だけならともかく、恵さんに見られているんだから当然といえば当然だろう


「・・・恵さんから「先輩は可愛い」なんて言われたのはそういうことか」

「事実ですね」

「そうか。酔って醜態を晒してたのか。辛いなぁ・・・」

「可愛いからいいじゃない。夏彦だから許された」

「鈴ぅー・・・・」

「はいはい。ほら、プリン食べて元気出そうよ。ね?」

「んー・・・」


少し複雑そうに顔をしかめつつ、プリンを口へ運んでいく

その瞬間、複雑そうな心もあっという間に甘さでほぐれて、彼の表情が柔らかくなった


「ん!我ながらいい感じにできてる!」

「美味しいな、鈴」


ふにゃんと緩んだ笑顔を浮かべて、私の顔を覗き込む

優しい笑顔はいつだって、側にある


「いい笑顔、いただきました」

「そうか?」

「うん。一番見れて嬉しい顔」

「そうか」


彼は笑いながら、自分のプリンから一口分スプーンで掬って、それを私の口で運ぶ


「むう!」

「やっぱり・・・笑顔な鈴の方は世界一可愛い」

「む・・・そんなこと言ったって、何も返って来ないよ?」

「そうなのか?」

「期待、した?」

「してないといえば、嘘になる」


じゃあ、ここは期待にお応えして・・・返ってくるものを提示しよう


「じゃあ、私が返ってくることにする」

「鈴を褒めれば、鈴が返ってくるのか?」

「うん。さっきの私以上に、夏彦が好きな私が返ってくる。だから覚悟してたくさん褒めてね。可愛い可愛いと言われて、可愛くなるんだから」

「じゃあたくさん可愛いって言わないとな。心がこもった可愛いをたくさん鈴にあげるんだ」

「むうううう!すぐに夏彦はそういうこと言う!」


私は彼に抱きついて久しぶりに全力で甘えていく

互いのお芋プリンがあるのに、食べさせあいつつデザートを堪能し、その日は過ぎていく


「夏彦、もうすぐハロウィンだけど、子ども会でハロウィンのお家まわりするんだって。十月の最終日曜日は空いてるから是非にと思って・・・ね?」

「参加の方向で?」

「うん。引っ越してきて数日だし、せっかくだし早く馴染むためにはイベント参加が一番でしょう?」


うちは、つい数ヶ月前に引っ越してきた言うなれば「新参者」だ

同じ市内に住んでいたが、今の一軒家があるのはかつて住んでいたマンションから少し離れた場所にあるニュータウンの中に存在している

新興住宅地ということもあり、基本的に皆引っ越してきたばかりな感じなのだが・・・早く馴染んでおくのも必要なことだと思う

地域の情報を集めるのも、ご近所付き合いも、夏彦の奥さんとしての役割ですからね!むむん!


「うちの鈴は本当に色々考えてくれているな・・・いいよ。参加しよう。俺もちゃんと手伝うから。生地、混ぜるところとか」

「ありがとう、夏彦。二人でお菓子たくさん作ろうね〜」

「ああ」

「コスプレもしてね!夏彦は東里お手製の吸血鬼衣装!私は魔女っ子!」

「もう用意されてるのか!?参加する気満々じゃないか鈴ぅ!?」


これからの約束をしつつ、私たちは次の龍之介の法事、その翌日の町内ハロウィンイベントのこと、そして自分たちが夫婦になる日のことを話していく

色々あるけれど、彼らしい部分。直して欲しいけれど、見られなくなるのは少し寂しいかもしれない

そんなことを考えるのも、彼のそんな面倒くさい部分に慣れた影響だろうか・・・それは、わからないけれど悪いものではないかな、とふと思ってしまう

なんせ、それはある意味、彼が誰にも見せないような一面をたくさん見せてくれたことと同意義だと私は思うから


秋も深まり、そろそろ冬が近づいてくる

しばらくしたら私と夏彦の、神様を巡る新婚旅行という名の冒険が幕を開くのだが、それはまた別のお話になる・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る