休暇用レコード9:エドガー編「技師と娘の、始まりの「花束」」

「ねえ、お父さん。天国は空の上にあるの?」

「は?」


夜も更けた頃、娘のシエルが「天国に行く方法」というある意味物騒なタイトルの本を抱き、目を輝かせながら椅子に座って本を読んでいた俺に唐突に聞いてくる


正直、天国なんてあるわけがないと答えたいが、流石に子供の夢を壊すような真似はあまりしたくない

しかし、なぜシエルはこんな質問をしてきたのだろうか?


「どうして、そんなことを聞くんだ?」

「もしも空の上に天国があったら、お母さんに会えるから?」

「何で疑問に疑問を返すんだよ」

「だってお母さんが天国に行ったって限らないじゃない。地獄に行ってしまったかもしれないし、魂自体がなくなってしまったのかもしれない」


息継ぎなしで夢に溢れた答えを述べるシエル

その光景は、遠い昔にあいつに自分の夢を、「空を飛びたい」と語っていた時の俺に一瞬だけ重なり、懐かしさを感じさせた


それと同時に、もう二度とあんな風に無邪気に夢を語れる相手がいないということに寂しさも覚えさせられた


「シエルはアイリスに・・・お母さんに会いたいのか?」

「会いたい。あの写真に写っている私に似ているあの人がどんな人だったか知りたい」


シエルは机の上に飾られている写真立てを指さしてそう言う

その写真の中には、赤子を抱いた、銀髪の女性が微笑みながら写っている

・・・シエルは本当に、アイリスに会ってみたいんだな


でもそれは、俺の力では叶えられないことだ。どうやっても死人を生き返らせることができないように、死人に会うことはできない

そんな事はわかっている


「そうか。じゃあさっきの質問に答えてやろう。答えは「わからない」だ」

「わからないの?」


でも俺は、わかりきった質問の答えを曖昧にして返す

この行為が「夢を壊したくない」というだけではない事は自分の中ですでにわかっていた

きっと自分も後少しだけこの夢物語の中にいたいのだろう

もう一度アイリスに会えるかもしれないこの優しい夢の物語の中に


「あるかもしれないし、ないかもしれない」

「曖昧だね」

「その通りだな。だってこんな事は誰も調べようとはしない」


俺たちが生きるこの時代は、つい最近初めて空を飛ぶ手段を見つけた時代だ

熱エネルギーを利用して空を飛ぶ「気球」よりも、さらに長く、遠くそして速く空を飛ぶ手段を人類は探している。空の上に何があるのか、そんな事を調べる余裕など今はないだろう


「誰も調べないなら、私たちで調べようよ」

「俺たちで?」

「うん」

「・・・具体的にはどうするんだ?」

「空に行って、天国を探す?」

「それは大まかな流れだろう?お前はまずどうやって空に行くんだ?」


「空に行く」というのはかなり難しい問題となる・・・シエルはどう答えるだろうか


「うーん・・・・そういえばお父さん、今「小型飛行盤」を作っているよね?」


案外早く出てきた予想外の答えに俺は座っていた椅子から転げ落ちる


「何でお前がそのことを知っているんだよ!?」

「そりゃあ・・・毎晩のように叫びながらバーナーを振り回していればうるさくて起きるよ」

「振り回しとらんわ!それに叫びながら作業した記憶もない!」


「実はハイネおじさんに聞いたんだよね。「エドがシエルちゃんに内密にしていることだから、知らないふりを続けておいてくれよ」とも言っていたよ」

「そんなノリで内密にして、と頼んだことを話したのかあの口軽。今度会ったら殴ろう」

「暴力は反対だよ。でもまあ、そんなこんなでお父さんが小型飛行盤さえ完成させてくれれば私たちは空に行けるね」

「・・・そうだな。完全に人任せのような気がするが」


俺は深く溜息を吐く・・・これからかなり忙しくなるな


「だってそれしか手段がないもの」

「そうだな。でも作るとしても、これだけは聞いておきたい・・・小型飛行盤にミスがあり、それで引き起こされる事故で大怪我する可能性があるかもしれない。お前は、飛べるか?」


俺は椅子に座り直りながらシエルに問う

これは、誰も試したことがないことを俺に頼んだ客に対していつも聞く質問だ


「飛んでみせるよ」

「こうなるかもしれないとしても?」


俺はズボンの左裾を持ち上げて、左脚を露出させる

そこには本来ある人間の脚は存在しない

鉄で支えられた支柱に、ケーブルに繋がれた空気管、人間の肌以上の熱を放出しているそれは、俺の脚の代わりを果たしている


「前にも言ったが、俺は数年前の実験で左脚を失った。今回の小型飛行盤を飛ばす際もこれと同レベルか、それ以上の危険の可能性がある。それでも、やるか?」


先ほどの質問で「やる」と意思を表明した客にはさらに脅しという名の質問をする

毎回、よっぽどの客じゃない限りこの義足を見せた時点で依頼を断る

が、シエルはすぐに二つ目の質問に答えた


「私の意思は変わらないよ。私は空を飛ぶ!」


シエルはしっかりと俺の目を見て、自分の変わらない意思を語る

そんな風に変わらない意思を見せてくれた客には、俺も誠意を払わないといけない


「シエルの「空を飛ぶ小型飛行盤」の製作依頼は引き受ける。最低一年で完成させてやる」

「本当に!?」

「本当だ。俺は客の前では嘘を吐かない」

「そうだね。「お客さんの前では」嘘は吐かないね」


その言い方だと俺が基本嘘を吐いている嘘吐きのように聞こえる

まあ実際間違っていないから何も反論はしないが


「・・・とりあえず、俺は工房に行く。今日はもう夜も遅いから寝ろ」


俺はシエルの頭をポンと撫でて、工房への近道である勝手口のドアの方へ向かう


「わかった。でも今回は私も手伝いたい。道具運びとか簡単な事でいいから・・・お願い!」


両手を合わせて頼み込むシエル。手伝うと言う言葉を初めて聞いた気がする


「わかった。じゃあ明日の朝七時に工房に来い。一秒でも遅れたら何もさせないからな」

「やった!」

「まあ、頼むのは買い出しとか道具運びとか簡単な事だけだけどな」

「私は金槌ぐらい使えるよ!」

「手先が不器用すぎて紙飛行機すら折れない人間が何を言っているんだ」


シエルはとんでもなく手先が不器用だ。一体、誰に似てしまったんだろうな・・・・

それから俺はシエルに明日の事を大まかに話してから、寝室に寝かしつけ、いつも通り完全に寝た事を確認してから工房に向かった


工房の中に入ると、内側の鍵をかけて中に誰にも入れないようにする

防犯対策は大事だからな・・・作業中に寝落ちしてその間に泥棒にでも入られたら大損害だ

もちろん、七時の三十分前になったらちゃんと開ける

そうしないと、シエルが中に入ってくることができないから


そして俺はきちんと整理された道具箱から必要な工具を取り出し、目の前にあるそれに被せてある布を勢いよくはがす


「さて、始めようか」


まだ作りかけの「小型飛行盤」は、まだ足場しかできていない

小型飛行盤の完成の見込みは予想では三年だった

それをなんの間違いか、一年で完成してみせると言ってしまった


「・・・どうして、見栄を張ってしまったんだろうな」


娘の前ではかっこいい所を見せたいと思ってしまうのだろうか・・・?

これで一年以内に完成できなかったらシエルから責められるんだろうな

約束したじゃない!ついに客にも嘘を吐くようになったの!?とか言われそうだ


「・・・一年間、三徹ぐらいは頑張るか」


そう呟いて俺は、いつものように作業に入った

いつもより目的がある分、集中して作業することができたと思う


・・


そうしているうちに、季節は四回巡ってあっという間に一年が経った

宣言した一年から数日は過ぎたが、無事に小型飛行盤は完成した


「どうだ、シエル・・・これで空を飛べるだろ・・・・」


シエルがいつもの時間に工房に来たので、意識がもうろうとし、床に寝そべったままの俺はシエルに出来立ての小型飛行盤を見せる

飛行盤というと円盤を連想させてしまうが、その円盤に楕円型の翼を左右につけて、動力装置をつけ、円盤の上に取手をつけることにより立った状態で操縦することができる


最後に、円盤の下につけた小さなタイヤ

これを出し入れするように作るのはかなりの時間を要したが、これにより地面を走り、その勢いで離陸、そしてタイヤの柔らかさで着陸時の衝撃が少なくすることができた

ああ、これを全て解説しているうちに俺の意識が飛んでいきそうだ


「そうだね、凄いね、飛べるね。ところでお父さん何徹目?」


シエルは俺の体を起こし、支えながら問う


「五・・・」

「五とか普通の人ができる徹夜じゃないって!体壊す前に寝てよね!もう!」


シエルは俺の体を支えるのをやめる

すると俺の体は後ろに勢いよく倒れ、背中を思い切りぶつけてしまう

凄い音はしたが・・・・・・もう痛さすら感じない

とにかく今は、寝たい


「シエル・・・眠い」

「わかった、もうここで寝ていいからとにかく寝て」


シエルから許可を貰って俺は返事を返す間もなく眠りについた


「・・・本気出し過ぎだよ。お父さん」


シエルは立ち上がり、小型飛行盤を眺め始める

そして手を触れてみる

飛行盤を構成している鉄はとてもひんやりとしていたが、どこか熱を帯びている気がした

父の情熱が籠っているからだろうか・・・いや、そんな事はないだろう

情熱が本当に熱を帯びるなんて聞いたことがない


「お父さんが起きたら、さっそく飛んでみたいな・・・と、言うわけで準備をしに行こう!」


シエルはかつての父と同じように、眠った事を確認して工房を出て行った

すぐに身支度を整えて、必要なものを持って街へ繰り出した


そんな風に動いているうちにあっという間に夜となった

その頃には五徹目の疲れも取れて、俺は目覚めることができていた

一度、家の方に戻りシエルが起きているか見に行く

幸いシエルはまだ起きており、俺はシエルと共に飛行する日程を決めた


「飛行は天気の事も考えて、明後日が一番いいだろう」

「確かに新聞で風が少ないと予想されているし、何より天気がいいみたいだね」


もちろん予想だから変わるかもしれないが、よっぽどの事がない限り天気予想が外れることはない・・・と思う

そうして明後日に飛ぶという予定を立てた俺たちは、各々やるべきことをしていた

俺は小型飛行盤の最終調整をして、その日は眠った


そして、すぐに時間が経ち、気が付けば明後日が今日になっていた

朝早くから、街外れにある割と広い平野まで小型飛行盤を運ぶ


「うわあ!お父さん、見てよ!朝日が昇っているよ!」

「そうだな」

「・・・で、なんで俺まで手伝わされてるのかね」


流石に俺だけでは運搬ができないので、今回は助っ人を呼んだ

シエルに飛行盤の存在を伝えたハイネ。パン屋の主人と言うこともあり早起きは得意だろうと思って呼び出した


「うるせえハイネ。パン焼いてる暇があるなら運搬手伝え」

「本業を蔑ろにしろと」

「ハイネ、シエルにこれをバラしたツケはどう払う?」

「・・・運搬で払う。だからもう蹴らないでくれ。痛いから」

「よし」


返事を返しながら、俺は荷台に積まれた小型飛行盤を地面に降ろす

そして運搬中に何かが変わっていないか素早く念入りに確認した


「よし、異常はない。助かったよ、ハイネ」

「どういたしまして。今から飛ぶのか?」

「ああ。俺とシエルで飛ぶから載せられないが・・・見ていくか?」

「そりゃ見ていくよ。貴重な瞬間に立ち会えるんだからさ」


昔から付き合いのあるハイネにまともな発明品を見せるのはなんだかんだで初めてかもしれない

いつもは既存品の修理だけだったから


「そうか。シエル、飛行盤の上に乗れ」

「うん!」


シエルは荷台の上に乗り、自分のそれを持って飛行盤に乗る

その後に俺も飛行盤の上に立ち、動力装置の起動準備を行う


「・・・シエル「それ」を持っていくのか」

「当然だよ。でも、これを持つのはお父さん」

「なんでだよ」

「私は落ちないように棒にしがみつくから、それを持つ余裕はないの」

「・・・わかった。よし、そろそろ行くか。シエル、しっかりしがみついておけよ」


シエルは無言で頷いて、取手と本体を繋ぐ棒にしがみつく

それを確認したと同時に動力装置を起動させる。すると周囲に轟音が響いた。とてもうるさい

そして徐々に飛行盤が前進する

前に前に、どんどん風を切る音がするようになったら俺は取手を上に引っ張り、走らせていたタイヤを足場に収納させると、飛行盤は宙に浮かび、どんどん空に近づいていく


「わあ!お父さん!空を飛んでるよ!凄いね!」

「ああ。そうだな・・・」


俺はまっすぐに空を見て、目の前に広がるこの光景を目に焼き付ける

とても綺麗な、空色の海。それを見ようとする俺の目には涙が浮かぶ

これが、俺が来たかった「空」

この瞬間、俺は長年思い描いていた夢を叶えることができた


「いやー!空は広いね!天国がどこにあるか全然わからないよ!」


俺は急いで涙を拭って、シエルに気が付かれないようにいつもの調子に戻す

感激している時間は終わりだ。ここには俺の夢のためじゃなくてシエルの目的のために来たのだから


「飛んでいられるのは三十分だからな。あまり遠くには行けない」

「わかった!頑張って探すね!」


シエルは言いつけを守りながら必死に身を乗り出し、存在しない天国を探す

しかし、シエルから預かっているこれはどこかで見覚えがあるんだが、なんだったか?

とても馴染みのある物だと思うんだが・・・・


「お父さん、全然見つからない」

「そうか・・・もう少し飛んでいたいが、下に降りないといけない頃だ。ごめんな、シエル」

「ううん、いいの。それとさ、それをばらまきながら飛んでくれない?」

「はあ?花束を?」

「うん。その花は「アイリス」の花。花言葉は「メッセージ」とからしいよ。これを残していけば、お母さんがここを通った時に気づいてくれるかもしれない」

「そうだな。きっと気が付いてくれるだろう」


俺は手に持っている花束を自分の顔に近づける


「トーレイン姉ちゃんの匂いだ・・・」


うっかりアイリスを昔の呼称で呼んでしまうほど懐かしい香り。初めて出会った時の香り

この香りがアイリスの花の香りだとわかったのは最期の方だったな

色とりどりのアイリスは風に揺れ、花弁が空に舞う


確か、まだアイリスには花言葉があったはずだ・・・なんだったかな

俺が考え事をしている下側で、シエルは棒に捕まりながら顔を真っ青にさせていた


「トーレイン姉ちゃん?それってまさか・・・」

「気にするな。それよりも下に降りるぞ。しっかり捕まっておけ!」


俺は花束を降下と同時に手放し、空にばらまく

花は宙に舞い、空には花道ができあがった


「ちょっと待ってよ、お父さん!トーレインってまさかお母さんの旧姓!?お父さんが地主トーレインに喧嘩売ったって噂は本当だったの!?って、ギャー!!」


これ以上シエルに余計な事を喋らせまいと思い俺は急降下を始める

シエルは絶叫するが、俺にとっては好都合だ


「喋るな。舌噛みたいなら喋っていいぞ」

「噛みたくない」

「おお、それなら黙っていろ」


そして俺たちはたった三十分の空の旅を終えて地上に戻る

そこに帰ったら約束の日以前の、なにも変わらない日常が来る


「ねえお父さん。また空に行こうね!」

「・・・・ああ。今度は長時間飛べるように作って見せるからな!」


どうやら、地上に帰っても俺の日常は変わらないみたいだ

俺の夢は叶ってしまったが、また新しい夢ができてしまった

それは「もっと長く空を飛ぶ方法を見つける」

きっとそれが叶う日は遠いだろう


気が付けば飛行機は地上へ辿り着こうとしていた

着地点の近くでハイネが大きく手を振ってくれている。彼にぶつからないように着陸しないと

慎重に着陸すると、一瞬だけ周囲が無音になる

そして耳元で、誰かが囁くような声がした


『大丈夫よ。あの街で最高の技師であり、私をあの家から連れ出した「エドガー・ユークリッド」なら、どんな不可能も可能にできるでしょう?』

「!?」


俺は後ろを振り返る。そこには誰もいない

代わりに飛行機と共についてきたであろう小さな蕾のついた一輪のアイリスの花があった

声といい、まるでそれらは天国からの贈り物のようだった


「お疲れ、エド、シエルちゃん」

「ただいまハイネおじさん!ね、お父さん!・・・お父さん?」

「・・・」

「どうしたの、お父さん?アイリスがどうかしたの?」


先に飛行盤から降りていたシエルは、なかなか降りてこない俺に声をかける


「いいや、何でもない。ただ、メッセージは届いていたということかな」

「本当?お母さんから返事は来ていた?」

「ああ。これから先、その「希望」を持っていてほしいだってさ」


俺はアイリスの花をシエルに手渡し、飛行盤から降りる

メッセージの内容は思いっきり捏造だが、喜んでくれてよかった

喜ぶシエルの様子を見ながら、俺は遠くの空を見上げる


次にあの場所へ、あの場所の先へ行ける日はいつだろうか

何となくだが、近いうちにまたあの場所に行けるだろうと

そんな気がした

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