休暇用レコード6:八坂浩一編「喫茶夕暮の穏やかな定休日」
ここはとある街にある丘の上に存在する喫茶店「夕暮」
数年前に事故死した両親から受け継いだ「あの世」と「この世」を繋ぐ駅前の喫茶店
最近は幽霊だけではなく、生者も相手しているので大変だがこの忙しさも最近は楽しくなってきている
うだるような暑さが厳しい夏場の事
日が昇って間もない時間から、俺の一日は始まっていく
今日の夕暮は定休日
両親が経営していた時代は祝日だけ休みだったらしいが、俺の場合、祝日だけではなく水曜日も定休日にしている
「んー・・・」
今日、俺は店の隣に存在する自宅のキッチンで、喫茶店の新作メニューを作っていた
冷たいものを三品ほど、と思いながら計画を練っていたのだが、未だに納得のいく物が作れていない
そんな状況で夏を迎えてしまった。心の中で少し焦りが生まれていることもあって、良いアイディアが浮かばないのかもしれない
気分転換が必要かもしれない。そんなことを考えていると、二階から階段を降る足音が聞こえてくる
どうやら彼女が起きたらしい
リビングのドアが開かれて、彼女が部屋に入ってくる
寝癖だらけの金色の長髪。うっすらと開かれた藤色の目はまだ眠いらしくてぼんやりと俺の方を見つめていた
俺の奥さんこと「
それから足りない何かを補給するように、俺の背中に抱きついてきた
正直邪魔なのだが、新婚時代からそれは毎日変わらずされていることもあって、既に慣れたというか、諦めたというか・・・まあ、そんな感じだ
「おはよう、浩一。今日も早起きだね」
「おはよう、心乃実。起きたのか?」
「コーヒーの匂いで起きた。今日もいい香り」
「ああ。メニュー作り、頑張らないとだからな。コーヒーで考えているんだが、なかなか難しくて」
「あまり根を詰めるのも良くないよ」
「わかってるよ。朝食はどうする?」
「いつもので!」
「はいはい」
いつも通りパンを焼いて、サラダを少しお皿に盛る
この季節だから熱すぎず、それでいて冷たすぎないスープは作り済み。それもつけて、テーブルの上に広げていたランチョンマットの上に置いていく
最後に目覚めの一杯。何代も続いている喫茶夕暮の味を守ったコーヒーを、付き合った時から使っているお揃いのマグカップに淹れたら、いつもの朝食風景の完成だ
「ありがとう、浩一」
「いえいえ。ほら、完全に冷めないうちに」
「うん。いただきます・・・」
彼女を席に案内し、作業しつつ朝食の様子を見守る
いつもならパンをかじり始めるのに、今日は何故かじっと朝食を眺めているだけ
何か、気になることでもあったのだろうか
「どうした?」
「浩一は季節関係なく朝はホットコーヒーだなって思ってさ。何か理由があるの?」
「なんとなく」
「なんとなくなんだ」
「今日はアイスコーヒー入れようか?それは俺が飲むからさ」
「じゃあ、お願いしてみていいかな」
「少々お待ちくださいませ、お客様?」
喫茶スペースではないし、開店もしてないけど・・・いつも通りに振る舞いながら、いつもとは違う方法でコーヒーを淹れていく
「ここに、昨日試作品を作る為に予め淹れていたコーヒーがあります」
「コーヒーアイスかき氷を作ろうとした名残だね。冷蔵庫に入れていたし、いい感じに冷えてそうだね」
心乃実の言葉にうんうん頷きつつ作業をこなしていく
・・・我ながら何を作ろうとしていたんだろう。アイスクリームならともかくかき氷って狂っていたとしか思えない
「これを予め氷を入れたグラスの中に注いだら、完成だ。夕暮オリジナルブレンドアイスコーヒーだ」
「これが夕暮印のアイスコーヒー。いただきます」
グラスにそっと口をつけて、冷たいコーヒーを口の中に注いでいく
これで問題なければ、満足感たっぷりの笑顔を浮かばせてくれるのだが、今日はそうはいかないらしい
「うーん」
「何か引っかかる事があるのか?」
「そうだね。夕暮・・・八坂家のコーヒーってさ、基本的に濃いよね?」
「ああ」
元々、夕暮は人生を終わらせた者が旅立つ駅の前にある喫茶店という事で、基本的に利用者は年配者ばかりだった
その為、好まれる味が濃い味で・・・俺の爺ちゃんたちはこの味を追求する為に日夜試作品を作り続けたそうだ
そんな先代たちの努力のおかげで、今の八坂家の・・・喫茶夕暮のオリジナルブレンドであるこの味が出来上がり、代々継がれていった
「私個人的の意見を言うと、味が濃くてきついかな。温かい時はむしろこれがいいんだけど、冷たくなると一気に渋みが出て・・・次はいいかなってなっちゃう」
歴史のある味。俺もその味が出せることに誇りを持っている
しかし、これからはそれだけではいけない
これからは、生者・・・様々な年代のお客様のニーズに答えられる商品を提供しなければならないのだ
元々、夕暮の常連だった心乃実は、俺が作るコーヒーよりもさらに濃い親父が出していた濃いコーヒーも笑顔で飲むほどのコーヒー好き
そんな彼女の言葉はとても無視できるものではない。むしろ身近な大きな意見と言ってもいいだろう
「俺にも少し」
「うん。はい、どうぞ・・・ん?」
不意打ちで一回。グラスから飲むのは少し面白くない
最近はご無沙汰なのだ。二人っきりの時ぐらい、いいではないか
「うむ。結構苦いな。それに渋みが強い・・・心乃実のいう通りだな」
「・・・浩一、アイスコーヒーのグラスはこっち。さっき試食したのは私の口」
久々のことだからか。彼女の瞳が困ったように細められる
睨んでいるわけではない。不服なだけ。不意打ちに対して、怒っているだけだ
「不意打ちは謝る。でも、こういうの、たまにはいいじゃないか」
「まあ、うん。そうだね。こういうのも・・・たまには、ね?」
気がつけば、昇りきっていなかった陽が完全に見えるほど時間が経過していたらしい
窓から朝日が差し込み、彼女が持つ金色がキラキラと輝きを帯びる
整えられていなくても、それは自然と目を引いてしまう
出会った時から、そうだった
「・・・」
「どうしたの?」
その髪を掬い、手で束ねて愛しむ
驚いたように目を見開いた心乃実の頭から、頬へ手を伸ばしていく
少し前ならその先まで、けれど今は続きをする時間も余裕も存在していない
だからここまで。今はここまででいい
額と額をつけて、彼女のビー玉のような藤色を覗き込む
俺の空色と混ざり合って、少し見惚れてしまうが・・・まあ、それは彼女も同じらしい
「なかなか言葉にしないけど、俺はやっぱりお前が好きだなぁって」
「好きで足りてる?」
「世界で一番愛してるでも足りないぐらい」
「急に言われると心臓に悪い・・・」
「足りてる?なんて発破をかけるからだ。なあ、心乃実、そろそろもう一回・・・」
「だめ。もうそろそろ・・・」
そんな俺たちの関係は、時が緩和させてくれた
未練だらけのお客様たちの影響もあるかもしれない
その中でも・・・一番は、俺を慕ってくれた「石川千歳」
臙脂色の髪を持つ少年は中絶で水子になった子供の霊。俺が夕暮の店主になってから初めて話をした幽霊でもある
幽霊の状態で成長し、この世を彷徨い、夕暮に辿り着いた
今の俺を作ってくれた大事な存在でもある
「あ、そろそろか」
「階段降りる音が聞こえてきたもんね。切り替えようか」
耳を澄ませば、階段を拙い足取りで降りる音
時刻はもう七時。少し前まで起こしに行っていたのだが、最近は「一人で起きられる!」と言い出したので、その言葉を信じてギリギリまで待ってみている
なんでも一人でやりたくなる年頃なのだろうから、その「やりたい」意志を尊重して、俺たちは待つだけだ
今日もまた、きちんと一人で起きられたらしい。ここに来たらたくさん褒めてあげないと
しっかり手すりを掴んで降りているだろうか。そこだけが不安だけど・・・きっと大丈夫
リビングのドアが開かれる音がした
そこから入ってくる、臙脂色の髪を持つ俺たちの息子・・・「
石川千歳と瓜二つの容姿を持つ彼は俺と心乃実の姿を見て、嬉しそうに笑いかけてくれた
「おはよう、お父さん、お母さん!」
「おはよう千歳。今日も一人で起きられたな、偉いぞ?」
「えっへん!」
「えらいえらい。ほら千歳。ご飯食べて幼稚園行く準備しよう?」
「ん!」
夫婦二人っきりの時にしか出さない甘い空気から、親の空気に切り替えて、千歳の朝食準備に取り掛かる
心乃実の分よりも少なめに用意して、牛乳をグラスに注ごうと食器棚の方に向かうと二人の会話が聞こえてきた
「お母さん、これなあに?」
「アイスコーヒーだよ。お父さんが作ってくれたんだ」
「お父さんが作るの、美味しいよね。僕も飲む!」
「ダメ。これ苦いよ。千歳にはまだ早いって」
「飲む!飲むの!飲むー!」
心乃実の抵抗虚しく、彼女すら苦いと言ったアイスコーヒーは千歳の口の中に
俺が千歳のグラスを手に戻ってきた時には既に遅かった
「あー・・・」
「おとーさん、苦いぃ・・・」
涙目の千歳が俺の足元に駆け寄ってきて、苦い苦いって云々うなされている
俺はグラスを平らなところに置いて、半泣きの千歳を抱き上げた
「千歳。お母さんは言っていたじゃないか。苦いって。飲んだらいけないって」
「ん」
「これからはちゃんとお父さんとお母さんのいうことを聞いてから、な?コーヒーはまだ千歳には早いから・・・」
「わかった。う、口の中苦いぃ・・・」
「千歳、今だけはイチゴジャムだけもぐもぐしていいから口の中から苦いのを消そう」
「んー!」
瓶の中の自家製ジャムをスプーン一杯分、心乃実に用意してもらう
それを受け取って、俺は千歳の口の中に入れ込んだ
半泣きだった千歳も、甘いジャム、大好物のそれを食べたら見る見るうちに笑顔になった
「甘いねぇ」
「お母さん、千歳よろしく」
「任された」
上機嫌の千歳を預けて、その隣に朝食を展開しておく
それから、俺は朝食を食べずにある作業に取りかかった
まずは冷蔵庫へ。いくつかあるアイスコーヒーの素。その中でも味が薄いと思っていたボトルを手に取って、再びキッチンへ
先ほどの手順通りにアイスコーヒーを淹れて、今度は砂糖水を少し加える
スプーンで一杯、グラスの中に注いだコーヒーを試飲する
これなら、彼女の要望にも答えられているはずだ
まずは一本。それからボトルの残りを、千歳の牛乳を入れるはずだったグラスの中に注ぐ
ほんの少しのコーヒーに、たっぷりの牛乳
カフェオレでも、コーヒー成分が少ない部類であるそれに、さらに砂糖を加えてみる
こちらもスプーンで試飲をしておく
俺には甘すぎるが、千歳にはちょうどいいだろう
「二人とも、少しだけいいか?」
「どうしたの?」
「改良版。千歳にはいつもの牛乳とは違うものを用意してみた」
「本当?」
新たなアイスコーヒーを心乃実へ、カフェオレを千歳へ渡す
それを二人は早速飲んでくれる
「・・・うん。これならスッキリしてるし、行けると思う!」
「お父さん、これ、さっきのコーヒー、入ってるの?」
「ああ。でも甘くしたから千歳でも飲めるようになっている。怖いかもしれないが・・・」
「飲む」
「「え」」
千歳はカフェオレを一気に飲んで、一息吐く
まさか一気に行くとは思ってなくて、俺も心乃実も心配で気が動転してしまうが・・・そんな心配は杞憂だったらしい
千歳もまた、自分が想像していた味ではなかったことでかなり驚いていた
「さっきの入ってるの?甘くて美味しいよ?」
「入ってる。お父さんが千歳にも飲めるようにしてみたんだ」
「明日もこれがいい!」
「そっか。じゃあ明日もこれを作るよ」
「ありがと、お父さん!」
喜んでもらえるのは、美味しいと言ってもらえるのは素直に嬉しい
笑顔を浮かべた千歳の頭を撫でる
そんな千歳の隣に立つと、それに引っ張られるように俺たちも感情を動かされ、自然と笑みを浮かばせる
「・・・これも新商品に出す?」
「いいや。これは千歳専用だから。うちだけの特別だ」
「そっか」
千歳に聞こえないように耳打ちされる商売の話
商品として用意するのは、心乃実に出したアイスコーヒーだけになる
カフェオレは、今は千歳だけのものにしておこう
「お父さん、朝ご飯食べよ!」
「ああ。そうだな。家族皆で食べようか」
「そうね」
自分の分の朝食をテーブルに用意した後、家族三人で食卓を囲んだ
何気ない日常しかない日々。少し前まで考えられなかった穏やかな日々
これからも、こんな優しい日常が続きますように
そう願わずには言われないほど、俺にとって幸福な日々はまた、今日も始まっていく
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