九時間目 ブラッドの手紙

 それから一週間後の夕食で、リディアとブラッドは初めてジョーンズ夫妻と一緒に食事を摂っていた。

 リディアがブラッドの父親に、一度時間を作ってもらい一緒に食事をしたいとお願いしたのだ。父親は、少し考え込むような素振りを見せたが善処すると言ってくれて今日の日を迎えた。


 カチャカチャ


 ブラッドが、テーブルマナーの練習を初めたのは半月ほど前。やっとカラトリーの扱い方を覚えた程度なので、手元がおぼつかずに音が出てしまう。

 それでも、何も知らなかった半月前よりはちゃんと形になっている。それに、本人に綺麗に食べようという意識が芽生えていることが素晴らしいことだった。


 ブラッドの両親も、彼が食べ始めてから以前とは比べ物にならない所作に驚いているようだった。ブラッドは、一生懸命食事と格闘しているのでそんな両親の表情に気づいていない。


「ブラッドは、ちゃんとナイフを使えるようになったんだな。偉いじゃないか」


 ブラッドの父親が、食べていた手を一旦止めてブラッドを誉めてくれた。


「リディア先生が教えてくれたから……」


 ブラッドは、普段褒めない父親に褒められたのが嬉しいのかちょっと照れている。


「本当に、お母さんもこんなにちゃんとできるようになっているなんて思わなかったわ」


 ブラッドの母親も、素直に驚いていた。いつも怒られることが多いブラッドだが、二人から褒められてまんざらでもないようで口元が緩んでいる。


「そこまでじゃねーよ」


 照れ隠しなのか、母親の顔を見ずにそっぽを向いてしまう。


「そう言うところは相変わらずなのね」


 母親が、ふふふと微笑ましいのか笑っている。ブラッドは、ちょっとばつが悪そうに顔を曇らせる。


 リディアは、楽しそうに会話を交わす三人を温かい目でブラッドの横に座りながら見ていた。リディアがこの屋敷に来てから初めて見にする光景だった。

 この屋敷に来てから一カ月半ほど経っているが、忙しい両親なのでブラッドに構っているのを見たことがなかった。

 初めて目にする家族団欒の一幕は、ブラッドも凄く嬉しそうで、リディアはブラッドの父親にお願いして良かったと心から思っていた。


 そして、食事が終わって食後のお茶が各自に配られた。ブラッドだけ、まだ幼いのでホットミルクを淹れてもらったようだ。美味しそうに飲んでいる。


「では、最後にご両親にブラッドからの手紙があります。ブラッドが自分で書いてきた手紙を読むので聞いて下さい」


 リディアは、三人が飲み物に手を付けていて会話が止まったところで話を切り出した。


「いいわ。聞かせてちょうだい」


 ブラッドの母親は、興味津々と言ったように目をキラキラさせている。父親の方は、「ほー手紙か」といった具合に感心していた。


 ブラッドが、緊張した面持ちでポケットから手紙を出すと、椅子から立ち上がって一度深呼吸をした。


「じゃー、読むよ」


「ええ、お願い」


 リディアが、頑張れと視線を送って返事をした。


「おとうさま、おかあさまへ さいしょは、べんきょうなんていやだったけど、いまはすこしたのしいです。でも、あそぶのもたのしいから、りょうほうがんばります。ブラッド」


 ブラッドが読み終えると、食堂内はシーンとした。少しの間をおいて、ブラッドの父親が口を開いた。


「そうだな。わかった、両方頑張りなさい。その手紙は、貰ってもいいのか?」


「うん」


 ブラッドは、父親の方に駆けて行って手紙を見せている。リディアがブラッドの母親を見ると、思うところがあったのか自分の息子を愛おしそうに見ていた。


「ブラッド、お母さんにも見せて」


 ブラッドと父親が、手紙を見ながら「上手に書けてるじゃないか」「まーな」と話しているところに母親が割って入る。

 すると父親が、今度はブラッドの母に手紙を見せてあげていた。


「凄いぞ。なかなか上手に書いてるぞ」


「あら。本当に、凄いじゃないブラッド」


 ブラッドの母は、今まで見たことがない嬉しそうな笑顔だった。家族三人、とても楽しそうに手紙を見ながら会話をしている。リディアは、良かったと胸をなでおろす。


 本当は、直前までブラッドがどうしても二人の前で手紙を読むのを嫌がっていたのだ。二人の前で読むなんて、恥ずかしいとずっと言っていた。

 それならばと、リディアは一か八か勝負を持ちかけた。じゃんけんをして、もしブラッドが勝ったら読まなくていい。その代わり、負けたら有無を言わずに黙って読むことを約束した。


 そして、運命のじゃんけんタイム。正直、リディアはかなり緊張していた。胸はバクバクしていたし、手に汗もかいていた。

 手紙を書いて渡すだけでもいいと思ったが、読んだ方がやっぱり喜んでくれるのでは? と思ったからだ。だからどうしても負ける訳には行かない勝負だった。


「「じゃんけんポン」」


 一度目の勝負はあいこだった。


「「あいこでしょ」」


「よし! 先生の勝ち!」


 リディアが拳を突き上げて喜ぶ一方、ブラッドは膝から崩れ落ちてとても悔しそうにしていた。その場面を思い出して、リディアは笑いが込み上げる。


「クラーク先生」


 リディアが、思い出し笑いを堪えていると向かい側に座るブラッドの母親から声がかかった。

 今まで、一緒にテーブルを囲っていたが全くリディアに話しかけてこなかったので驚て顔を上げた。


 瞳に入ってきたブラッドの母親は、今までリディアに向けたことがない穏やかな表情で自分を見ていた。


「はい。ジョーンズ夫人」


 リディアは、できるだけ落ち着いた声で返事をした。


「今まで、悪かったわ。これからもブラッドのこと宜しく頼むわね」


 ブラッドの母親が、リディアにちょっと気まずそうながらもきちんと謝罪をした。その表情が、ブラッドが良く見せる表情と被る。やはり親子なのだと改めて感じた。


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 リディアは、椅子から立ち上がって勢いよく頭を下げた。


「これからは、最低でも一月に一回はブラッドと夕食を共にしよう」


 ブラッドの父親がそう言って、息子に笑顔を向ける。ブラッドも嬉しそうに「うん」と答えている。

 そして、その日の夕食はお開きとなった。ブラッドの両親は、まだ二人の時間を楽しむのか退出はしなかったので先にリディアたちが部屋を出た。


 ブラッドと、部屋に向かって歩いていたらとても嬉しそうな顔で彼が話しかけてきた。


「なあ、先生。今日は凄く楽しかった。父さんと母さんが、あんなに笑顔なの初めてみたかも」


「良かったわね。先生も、三人で楽しそうに話しているところを見れてとても嬉しかったわ」


 リディアもにっこり微笑んで答える。


「また一緒にご飯食べてくれるって。俺、もっと上手に食べられるように頑張るよ」


 ブラッドが目をキラキラ輝かせていて、その表情を見ると相当嬉しかったのがわかる。リディアも、自分のやり方が間違っていなかったと感じ女家庭教師ガヴァネスとしての仕事に喜びを感じた。

 次の時までに、リディア自身ももっとブラッドが上手になれるようにサポートを頑張ろうと思える。


「じゃあ、先生もブラッドがもっと上手になれるように頑張って教えるわね」


 リディアは、一度止まって右手の拳をブラッドに向けた。


「先生、これなに?」


「ブラッドも同じように、拳を出して」


 そうリディアが言うと、ブラッドは大人しく拳を付き出す。そこにリディアが自分の拳をコツンと優しく当てる。


「一緒に二人で頑張ろうの約束よ」


 リディアが、ちょっと挑戦的な瞳でブラッドを見た。


「いいぜ。俺、もう嫌だとか言わない」


 ブラッドもリディアと同じように挑むような瞳を向けた。そして、もう一度コツンと自分の拳をリディアのそれにぶつけた。

 お互い、ふふふと笑って顔を合わせると今度は前を向いて部屋に向かって歩き出す。


 二人で廊下を歩きながら、リディアは初めての充足感を感じていた。教えることってこんなに楽しいことなんだ。子供の成長をまじかで見られて、その手伝いができる女家庭教師ガヴァネスという仕事の醍醐味を味わった。


 初めての生徒が、ブラッドで良かった。一年という短い間だけだけど、自分の精一杯で授業をしよう。ブラッドが、楽しくて明日が待ち遠しくなるそんな授業を!!

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