第32話 ある夏の投資とお化け

 学校は夏休みに入った。


 土日はこれまで通り本田さんの店でアルバイトをした。


 月曜日からは、投資部の活動だ。


 花子とともに投資部に向かって校舎に入る。


 学校の中は、部活のために登校している生徒が多い。


 しかし、どこかギスギスした雰囲気だ。


「おはようございます」


 投資部に入ると、カリンもアヤノもきていた。


「あの、気のせいでしょうか? 部活にきている人たち、感じが悪くなっているような気がするんですが」


 カリンとアヤノは複雑そうな顔をした。


 イロハは、なんとなく、理由が分かった気がした。


「スズメ先輩のライブ、ですか?」


 新生徒会長になったスズメは、金曜日に体育館でライブを敢行した。


 ただ、金曜日は体育会系の部活が、すでに体育館の使用の予約を入れていたにもかかわらず、突然ライブをねじ込んできたのだ。


「うん、実はそうなんだ。生徒会長権限で、体育館使用の予約を反故にするなんて、横暴だってね。でも、吉良さんに文句を言おうにも、アイドルの活動のために、金曜日もライブが終わってすぐに帰っちゃうし、夏休み中は登校しないみたいで……」


 カリンは、ため息をはいた。


 アヤノが話を引き継ぐ。


「シホちゃんに文句を言おうにも、商店街の子たちは、シホちゃんの家に目を付けられたら商売をやっていけないから、何も言えないそうなの」


 たしかに、シホの家は、商店街を代々取りまとめている名家とのことだ。


「うーむ、これは、厄介なことになってきたの……」


 花子も、腕組みをして考えている。


「生徒会長は選ばれると任期は一年じゃ。学校にしても、スズメを傀儡として立てておいて、黄金の一年としようとしているのじゃろ」


「うん、どうやら、今回のことで、体育会系の部活の人たちも、よく分かったみたい」


 カリンが、もう一度ため息をした。


「これまで、学校と生徒会は対立構造で、うまくやっていたんだけれど、これで、学校と生徒会が手を組んだようになっちゃったからね。みんな、こんなはずじゃなかった。学校と手を組むんなら、事前に教えておいてよって、不満が出ているよ」


「うむ、しかし、選挙は不利なことを言うと負けるしの。ある意味、アイドルであることを武器に戦ったスズメは、正しい選挙戦を繰り広げたということじゃな」


 みんなは、何も言えなくなってしまった。


「まあ、それはそれとして」


 カリンはパソコンの画面に表示させた画面を指さして、


「投資部としての活動も、していかなくちゃね」




 ドル円は、大きく利益が乗っている。


 136円50銭で30lotのショートをしたのだ。


 8月1日時点で、132円50銭まで下がっている。


 含み益は、120万円だ。


「アヤノの読み、すごかったね」


「さすがに、120円台はないと思いますので、131円を下抜けてきたら、利確しましょうか。週末は雇用統計で、それまでにはポジションを解消しておきたいですし」


「うん、じゃあ、130円50銭で指値を指しておこうか」




 その時は、すぐにきた。


 翌2日の朝、早くもドル円は130円50銭を下回るまで下落したのだ。


「すごいよ! 180万円の利確!」


「やりましたね! もしかして、けっこう上位に入っているんじゃないでしょうか!!」


 そして、大会の規定から、すぐに再投資しなければいけない。


 アヤノの目が光る。


「ここは、雇用統計に向けて調整もきそうですし、ドル円をドテンロングでしょうか?」


「うそ、いっちゃう? 130円台って、よく考えたら、結構高値だよ」


「今なら、129円下抜けを合図にして、すぐに損切りすることもできます。ここは、ロングで大きく狙っていくところだと思います」


 イロハも花子も、異論はなかった。


 131円ちょうどで、ドル円を30lotロングだ。


 そして、すごいことに、その効果は翌日すぐに出た。


 日本時間の夜に、ドル円は急上昇。


 投資部のみんなが集まった頃には、133円台に突入していた。


「アヤノ先輩、冴えてる……」


 投資部には、安心感が広まった。




 カリンは、さすがに受験生でもある。


 夏休みの夏期講習もはじまるそうで、部活にも参加できたりできなかったりすることになるそうだ。


 イロハはというと、本田さんのお店での、書籍情報をパソコンに打ち込むアルバイトを、進めるチャンスだった。


とりあえず、週末まで、このポジションを注視しながら保有することに決まった。




(うーん、今日は遅くなっちゃったな)


 本田さんの書店から帰る道は、すでに暗くなっている。


(ちょっと、張り切って作業進めすぎちゃったな。本田さんにも、まだいたのかい、なんて驚かれちゃったし)


 商店街から住宅街に出ると、人気がなくなる。


(今日は、蒸し暑いけど、なんでだろう、ちょっと肌寒いなぁ。風邪でもひいたかな……。コロナだったら、いやだな……)


 そんなことを考えながら、イロハは家へと向かう。


 道は、等間隔に並んだ白い蛍光灯で照らされている。


 蛍光灯と蛍光灯の中間あたりの道路は、暗いアスファルトに光が吸収されているような闇で、どことなく不気味だ。


 遠くで、犬がずっと吠えているのが、かすかに聞こえる。


 それ以外は、音という音は、イロハの足音だけだ。


(なんか、不気味っていうのかな……。この前は、盗撮魔にもあったことだし、なんか、こわいなぁ)


 ふと、路地を曲がった先の蛍光灯の下の自販機の前に、マスクをつけた誰かが立っている。


(女の人、かな。背が、高いなぁ)


 女の人の前を通り過ぎようとする。


「ねえ、あなた……」


 イロハは、女の人に呼び止められて、びくっとした。


「わたし、ですか?」


 女の人の方を向くと、長い髪で顔が覆われている。


(なに、この人……)


 イロハは、全身に鳥肌が立つのを感じた。


(この感覚、ちょっと、まずかも!!)


 イロハの本能が訴える。


 この、女の人は、関わってはいけない人だ。


 女の人が立ち上がる。


「ねえ……」


 女の人は、顔を覆っていたマスクを取った。


「わたし、キレイ?」


「うっ、うわー」


 イロハは全速力で走った。


 後ろから女の人が追いかけてくる。


 イロハは全速力で走っているのに、イロハと並走して、ずっと顔をイロハの横顔に向けているのが、チラと横目で見て分かった。


(なに、これ、世界記録出した時のウサイン・ボルトみたい……って、そんなことを考えている場合じゃない)


「ねえ、わたし、キレイ?」


 女の人が再び呼びかける。


「うわー、マスクとってしゃべらないで! 飛沫感染する! ソーシャルディスタンスー!!」


 イロハが叫ぶと、女の人は突然立ち止まったのが分かった。


 しかし、イロハは家に向かって全速力で走った。


「ハナちゃんハナちゃん! 不審者に追いかけられたよぉ!!」


 家に帰ってすぐに花子に言う。


「なんじゃって!? 不審者!?」


 イロハは花子とともに、女の人のいた場所にいく。


「うー、ハナちゃん、やっぱり怖いよ」


「なにを言うか。わしはこれでも、日本のほこる伝統的なお化けじゃぞ。わしより怖い者はいまのところプーチン大統領くらいじゃ」


「いた!」


 女は、先ほど突然立ち止まったのと同じ場所に立ちすくんでいた。


「おぬし、いったいだれじゃ……うん? おぬし、口裂けではないかの?」


「うん? 花子か。久しいのう」


「おう、こっちの娘はイロハじゃ。わけあって、イロハの家に居候させてもらっているのじゃ」


「おお、そうか、この娘は花子の獲物だったのか」


「獲物、というわけではないが……。それにしてもイロハよ、よくポマードと唱えるということを知っていたの」


 イロハはポカンとした。


「え、ポマードって唱えるって? なに、それ?」


「なに、知らなかったのか? 口裂けはポマードと言わないと、追ってくるのじゃぞ。口裂け、おぬし、どうしたというのじゃ?」


「うむ。どうやら、その娘、わたしの顔を怖がったわけではなかったようじゃから、やる気をなくしたのじゃ」


「なに? どういうことじゃ?」


 花子がイロハを見る。


「えーと、だって、マスクをはずして近づいてくるから、コロナだったらどうしようかって思って……」


 沈黙が流れる。


「うーむ、口裂け。今は、時代が悪かったの……」




 5日に、投資部のみんなは集まった。


 金曜までに、ドル円は134円台に突入することもあったが、133円まで戻すところで安定した。


「雇用統計、どうする? 数字次第では、リセッション懸念が広まって、ドル円急落もありえるよ?」


「逆指値置きましょう。131円50銭にしておけば、下がっても15万円の利益です。結局、いま利確しちゃっても、すぐに再投資しないといけないわけですから、このまま保有できれば、ルール上はかなり有利になれますし」


 アヤノは、生徒会長選挙を経て、かなり成長したように見える。


 実際、今週のアヤノの読みは全て的中した。


 雇用統計の数字は、市場予想を大きく上回る好結果で、ドル円は135円台にまで上昇したのだ。


 上から下。そして、下から上を取ることができているということになったのである。


 それに、空運株も、いよいよ上昇をはじめている。


「アヤノ先輩、神がかっているってやつなのかな?」


 イロハは、久々の、投資漬けの一週間が、何よりも楽しかった。


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