第33話 盆踊りと消費者物価指数

 夏休みに入った上下じょうげ高校では、ゆっくりと時間が流れていた。


 カリンは、大学進学を考えているそうで、さすがに学習塾の夏期集中講座へ通い出し、投資部へはなかなか顔を出せなくなった。


 イロハと花子、アヤノの三人は、静かな投資部で、ぼーっとチャートを眺める日が続いた。


 夏枯れ相場とは言うが、ここのところ、毎日のようにボラが発生している。


 ただ、このうだるような暑さの中、投資に精を出す気力もわかない。




「山の日の前日の10日、商店街の盆踊り大会なんだ」


 久々に投資部にやってきたカリンが言う。


「アヤノもイロハも花子も、商店街の盆踊り、来たことないでしょ? みんなで行かない?」


 カリンに言われて、イロハたちは、うんと大きくうなずいた。


「それにしても、盆踊りが10日って、ちょっと中途半端じゃないですか?」


「ふっふっふ」


 カリンはもったいぶって間を置く。


「実は、シークレットゲストがきて、盆踊りを盛り上げるんだよ」


「シークレットゲスト!?」


「うん、2年間、コロナの影響で中止していたからね。その間に貯めた積立金がそれなりにあったらしいんだ。それで、今年は奮発して、テレビにもよく出ている大物を呼ぶんだって。なんでも、その人の都合がいい日が10日しかなかったらしいんだ」


「大物ゲスト!」


 イロハ、花子、アヤノは顔を見合わせる。


「まあ、シークレットだから、商店街の偉い人達数人しか、誰を呼んだのか知らないんだけれど。10日のお楽しみだね」


 でも、そこまで言ったところで、急にアヤノが不安そうな顔をする。


「10日って、アメリカの消費者物価指数が発表されますよ。翌日は日本市場が休場ですから、ドル円とか、危ないんじゃないでしょうか?」


 みんなは顔を見合わせる。


「うーん、まあでも、指値も置いているし」


投資部では131円ちょうどでロングしている。131円50銭で置いている逆指値に刺さったとしても、15万円の利益なのだ。


「まあ、リアルでチャートは見られないのが心配ですが、損をすることはなさそうですね」


「うんうん、みんなでいこう!」




 ここのところ、大孫おおぞん先生に訴訟を取り下げるように言われたり、アヤノの生徒会長選挙立候補にともなう、副会長候補になったりとイロハにとって激動の日々だった。


 そんな中、盆踊りは、妙に楽しげだ。


 家に帰ってさっそく浴衣を引っ張り出す。


「なんか、お父さんとお母さんの想い出がよみがえってくるよ」


 あまり着ないものは、奥にしまい込んでいる。


 探そうとすると、今はこの世にいない家族の思い出がよみがえってくる。


「イロハよ……大丈夫か?」


 花子が心配そうに声をかけるが、


「うん、大丈夫」


 この作業を一人でしていたら、さみしかっただろう。


 しかし、今、家には花子がいる。


 そして、浴衣を着て、カリンやアヤノといった先輩。そして花子と盆踊りに参加できる楽しさの方が勝っていた。


「新盆に、ちょっと不謹慎かな?」


「いいや、盆踊りは先祖をこの世に招く意味もあるのじゃ。楽しめばよいのじゃよ」


 お化けの花子に言われると、なんだか安心する。


 それもまた妙なことなのだが、今のイロハにとって、救いのような言葉だった。


「そういえば、ハナちゃんは浴衣着ないの?」


「フッフッフ、実は持っているのじゃよ。学校のトイレの中にしまってあるからの。乞うご期待じゃ」




 いよいよ、10日がやってきた。


 本田さんの店でのアルバイトでなんとか時間はつぶせたが、待ち遠しい夜を思うと、時間の流れが遅かった。


 バイトが終わってからは時間があったので、投資部の一員として、家でチャートを見て過ごした。


 みんなとはカリンの家で待ち合わせをしている。


 花子は学校で浴衣に着替えてからくるというので、一人で向かう。


(それにしても、シークレットゲストって、誰なんだろう?)


 まだまだ蒸し暑いが、浴衣をとおして入ってくる風は心地よい。


「イロハ! こっちこっち!」


 カリンが、自宅のコーヒー店の前で手を振っている。アヤノもすでに浴衣を着て待っていた。


 カリンは、黄色の浴衣だ。ショートカットの髪に黄色の浴衣は、いかにもポップで活発な女子という感じでかわいらしい。


アヤノはグレーの浴衣だ。落ち着いた雰囲気の浴衣にポニーテールは、クールと清楚さを醸し出すとともに、暑さでうっすらとうなじに汗が垂れているのが見えてきそうで、どことなくセクシーささえ表現している。


「二人とも、かわいい浴衣ですね!」


「イロハちゃん、ピンクの浴衣なんだ。とってもかわいいよ」


「うん、いいじゃん! アヤノのグレーの浴衣は、ちょっと地味だよね」


「わたしはこれでいいんです」


 私服ともまた違う、みんなの浴衣姿は、お盆にぴったりだった。


 お互いの浴衣の講評をしていると、


「待たせたのう」


「ハナちゃん、ようやくきたんだね……って、その浴衣の着こなし……」


 花子は赤い柄の浴衣だったが、


「サスペンダー……」


 その浴衣の上から、いつもの赤いサスペンダーをつけている。


「うむ、このサスペンダーは、わしのアイデンティティなのじゃ!」




 商店街を盆踊り会場に向けて歩く。


 途中、カエデの家の前を通ると、どうやら繁盛しているらしく、割烹着姿のカエデが店の中を忙しそうに走り回っている。


「カエデも、後で浴衣に着替えてくるらしいよ」


 マキの家の前も通った。


 旅行代理店なのだが、今日は店の前で炭をおこしている。


「おう、焼き鳥食べていくか!」


 頭にねじり鉢巻きをしたマキは、お祭りのテンプレートのような格好だ。




 盆踊り会場の広場についた。


「ここって、七夕の時に短冊を書いたところだ」


 選挙のアルバイトのあとに、短冊を結び付けた場所だった。


「多目的広場みたいな場所だからね」


 広場には、木製の櫓が設置されている。


 もう組み立ての準備は終わったようで、法被を着た商店街の人たちが、早くもビール缶を片手に談笑している。


 その一方で、せっせと会場を右往左往している人もいた。


「あの人、商店街の会長さん。きっと、シークレットゲストの対応で、たいへんなんだろうね」


 そんな話をしていると、小型のバスが広場に入ってきた。


「あれに、シークレットゲストが乗っているのかな?」




 会場に、続々と人が集まってくる。


 名前は知らないが、顔は見たことのある上下高校に通っている生徒も多い。


 いつしか日が落ちて、あたりは暗くなっている。


「みんな、そろってるわね」


「おっす、今日は踊りあかすぞ!」


 カエデとマキが合流した。


「イロハちゃんは、商店街の盆踊りははじめて?」


「本田さんのところでアルバイトをしてるし、イロハも、商店街の一員だな!」


 そういわれると、照れくさいが、なんだかうれしい。




「みなさん、こんばんは!」


 いつの間にか櫓の上に上がっている人が、マイクで呼びかけた。


「これから、商店街の盆踊り、スタートです! 今日はお知らせしていたとおり、スペシャルなシークレットゲストに来ていただきました。素晴らしい美声で、盆踊りを盛り上げてもらいます!」


 会場から、「オー!」という声があがった。


「シークレットゲストって、歌手だったんだ。盆踊りの歌をうたってくれるなんて、気前がいいな!」


 マキが、ウキウキしながら言う。


 周りにいた、同年代の子たちも、「一体誰だろう?」などと言って、ウキウキして櫓の方を見ている。


 よく見ると、いまマイクを持って司会をしている人の後ろに、その人物がいるようだ。


「では、さっそく紹介しましょう。シークレットゲストは、いまをときめくアイドルで歌手の、キラキラスパロウさんです!」


 イロハはいままでの晴れやかな気分がサッと消えてしまったのがわかった。


 隣をみると、投資部のみんな。そして、カエデやマキも、唖然としている。


 会場からは、キャーキャー言う人もいるが、上下高校の体育会系の部活に所属している子たちは、なんとも言えない表情を浮かべている。


 しかし、そんなことはお構いなしに、カラフルな浴衣姿のキラキラスパロウのスズメは、この地域に数百年前から伝わるという盆踊りの歌を、その美声で歌い上げていく。


 しかし、イロハは、とても踊る気にはなれなかった。


 何も事情を知らない人たちは、歓喜して盆踊りの輪に消えていくが、一方事情を知っている上下高校体育会系の部活に所属していると見られる子たちは、輪の中から続々と出てくる。


「ちょっと、これは、まずいよね」


 カリンがつぶやいている。


 さすがにヤジを飛ばすような子はいないが、輪の外には、きつい目つきで睨んでいる子が多い。


 今をときめくアイドルのスズメのかわいらしい歌声が、数百年の伝統を受け継ぐ盆踊り歌を詠じていく。


 そしてそこには、長く住み続けているであろう人たちの子孫が、輪の外でたたずんでいるのだ。


「なんか、おかしな状況……」


「うむ、しかし、あのスズメとやらは、強心臓じゃの」


 しばらく、スズメの盆踊り歌と、輪になって踊る人たちを見つめていた。


 とそこへ、


「ズドン!」


 大きな音が響いた。


 すぐさま、「発砲だ!!」


 と、誰かが大声で叫んだ。


 あたりは一気にパニックに包まれる。


 会場にいた、全ての人たちの脳裏に、最近起きたばかりの、あの銃撃事件が浮かぶ。


 キャーキャーと言って、輪になっていた人たちが蜘蛛の子を散らしたように逃げだす。


 まさかと思って、櫓の上にいたスズメを見る。


 しかし、最悪の事態にはなっていないようだ。


 スズメは無傷で、やや戸惑いながら、櫓の上に立っている。


「よかった……うわっ!」


 イロハは、輪の外側へ逃げていく群衆に一気に飲み込まれた。


「イロハよ……」


 そんな花子の言葉が遠のく。


 イロハはその場に転がってしまった。


 上から、大勢の人に踏まれる。


(痛いっ! 痛いっ!)


 しばらくして、群衆はいなくなった。


「いてて……」


 浴衣がズタボロになっている。


「骨は、折れてないみたい……」


 周りを見ると、イロハと同じように、押し倒されて転がっている人がいる。


「イロハよ! 大丈夫じゃったか!」


 花子をはじめ、みんながかけよってくる。


「イ、イロハちゃん、頭から血が出てる!!」


「えっ?」


 手で頭を触ると、確かに傷口があるらしく、触れたところが痛かった。


 そして、そこを触った手をみると、赤い血がべっとりとついている。


「えっ、すごい出血……」


 出血しているのに、自分では妙に落ち着いている。


「イロハちゃん、医務室行こう! カリン先輩、医務室は?」


「えっ? そんなのないよ! えーと、救急車呼ぶ?」


 アヤノもカリンも慌てている。


 花子もオロオロしている。


 そんな時、みんなとは違う声が聞こえる。


「イロハちゃん……だよね?」


「スズメ先輩!?」


 そこには、スズメが立っていた。


「スズメは、どこに持っていたのか、消毒液と絆創膏を浴衣の中から取り出した。


 そして、自分の浴衣で、イロハの額の血をふき取る。


「あの、スズメ先輩、汚いですよ」


 イロハが言うのには答えず、スズメは取り出した消毒液をイロハの額に塗り付ける。


「いたっ!」


「傷は、それほど広くないみたいだけど、一応病院に行こう。女の子の額に傷なんて残ったら、たまらないからね」


「は、はい……」


「橘さん、だよね? 救急車呼んでくれるかな? 責任は私がとるよ」


「う、うん」


 アヤノはスマホを取り出して、119番に通報する。


「それと、えーと、ハナちゃんだっけ。君は、警察に連絡を」


「う、うむ」


 花子もスマホで、110番に通報したようだ。


 スズメはアヤノと花子が対応をはじめたのを見ると、立ち上がって、よくとおる大声で呼びかけた。


「みなさん、落ち着いてください! 発砲ではありません。走らず、ゆっくりと行動してください!」


 いつものアイドルのようなかわいらしい声ではなく、しっかりと芯の通った声だった。


 救急車を待つ間、アヤノが膝枕してくれた。


 アヤノの膝の上に上がった顔であたりを見回すと、スズメが大声で、落ち着くようにうながしている。


 そのうちスズメは、泣いている小さな子の近くに近寄って頭をなでたり、いためたところをさすったりしているのが見えた。




 救急車がやってきた。


 よくみると、会場にはイロハよりも重症の人がいたらしく、救急隊の介助を受けて、救急車に乗せられていく。


そのうち、イロハのところにも救急隊がやってきた。


「ご家族の方はいますか?」


「うむ、わしが一緒に住んでおる」


 みんなが心配する中、イロハが担架に寝かされて花子とともに救急車に乗り込んでいく。


 じゃあ、出発します。


 救急隊が救急車の戸を閉めようとしたところ、


「わたしも行きます!」


 急いで誰かが飛び乗ってきた。


「スズメ先輩!?」


「シーッ」


 スズメは口の前に指を立てる。


 救急車のドアが閉まる間際、車外で見送っていたアヤノ、カリン、カエデ、マキが驚いた顔をしたのが見えた。


 救急車は、大きなサイレンとともに走り出した。


 道中、花子とスズメは何も言わずに黙っていた。




 病院に着くと、急いでMRIに入れられた。


 傷がどうこうよりも、頭を打った可能性があるという心配をまず払拭させるためだという。


 MRIの結果が出るまでの間に、額からの傷の手当てを受ける。


 幸い、傷口は残らずに治るだろうということだった。


 そんなことをしているうちに、すぐにMRIの結果も出た。


 脳に損傷は見当たらないということで、このまま帰宅してよいとのことだった。


 支払があるからということで、待合室で待たされる。


 つけられていたテレビでは、今日のお祭りでの騒ぎが報道されていた。


 見出しは、「キラキラスパロウ参加の地域の盆踊りで発砲騒ぎ、多数の重軽傷者」というものだった。


 わざわざライブで中継されている。


「あ、カリン先輩とアヤノ先輩、まだいるんだ」


 映し出された映像には、投資部の二人の先輩の後ろ姿が映し出されていた。


 リポーターは、現場の様子をインタビューを交えて報じている。


 それによると、最近起きた発砲事件が多くの人の脳裏にある中、大きな音を発砲と勘違いしたことによる集団ヒステリーが起きた、という結論になっていた。


 そしてリポーターは、


「キラキラスパロウはすでに会場を後にしたという情報が入ってきています。ケガの有無に関する情報は入っていません。所属事務所によると、現在確認中とのことです」


 と言っている。


 その当本人のスズメは、今イロハのとなりにいる。


「あの、スズメ先輩、いいんですか?」


「うん、事務所には、無事だってメールはしておいたから」


「えーと、そういうことじゃなくて……」


 しかし、なんと言っていいか分からない。


「きっとマスコミが来ることは目に見えていたからさ。今回のバスは商店街が用意してくれたものだったから、そこに入っても、うまく逃げられないと思ったんだよ。だから、言い方は悪いけどイロハちゃんが運ばれるのを、利用させてもらったんだ……、いや、イロハちゃんが心配だったのは本当だよ」


「たしかに、マスコミがきたら、スズメ先輩を映しますよね」


「うん、ちょっと面倒になりそうだったから……」


 スズメは、そこで顔を伏せた。


「本当は、イロハちゃんと、少しお話ししたかったんだ」


「えっ?」


「わたし、少し反省したんだ。今回の音の後、発砲だって叫んでた人がいたじゃない」


「はい、聞こえました」


「わたしのこと、撃ったのかなって、一瞬思っちゃった」


 イロハは、不思議そうにスズメを見た。


花子も、横で静かに二人の会話を聞いている。


「アイドルって狙われるからさ。それとは別に、生徒会長選挙で、運動系の部活動の人たちに、恨み持たれちゃってるみたいだし。今回の盆踊りで、よく分かったよ。わたし、招かれざる者なんだなって」


「あの、それは……」


「ライブをやったら、みんな喜んでくれるって思ったんだけど、よく考えたら、多くの運動部の3年生にとって夏は最後の大会で、練習の方が大切なんだよね……」


 スズメは、ふう、と息を吐いた。


「わたし、自分が飛び級するために生徒会長選挙に出たわけだけど、自分のことしか、考えてなかったよね」


「…………」


 そういわれると、イロハは何も言えない。


 しばらく、沈黙が流れたが、そんな中、花子が声をかけた。


「まあ、それが自分で分かったのであれば、お主もまだ見所があるぞい」


「ハナちゃん、達観してるね」


「うむ。まあ、やってしまったことは仕方がない。次を考えるのじゃの」


「うん、そうだね」


 スズメは、少し笑顔を浮かべ、


「わたし、アイドルになったのはさ、お金のためなんだ。うちってけっこう貧乏だったから。わたしって結構打算的なところがあって、ちょっとナルシストなんだけど、この顔と歌声なら、売れるんじゃないかなって思ってさ」


 イロハは驚いた。こんなにストレートに、アイドルが自分の身の上話をするとは思わなかった。


「思ったとおり、仕事はすぐに軌道に乗って、一気にお金も手に入ったんだ。もう、今アイドルをやめても、一生食べていけるくらいには儲かったよ。でもさ、面白いことに、わたしの活動に勇気をもらったって言う人があらわれちゃってね」


「それって、ファンにとっては、普通のことじゃないですか?」


「うん、だけど、自分がそんな存在になるなんて、実感がわかなくてさ。最初は戸惑ったんだけど、そのうち、そう言うんなら、とことん勇気を与えちゃえ! って思っちゃってさ。それがモチベーションだったんだけど……」


 次にスズメが何を言うのか、イロハには想像できた。


「上下高校の運動部の子たちに、とても悪いことをしちゃったよね。勇気を与えるどころか、不運のどん底に突き落としちゃうなんて……」


 イロハは、スズメが横暴的にライブを敢行したと思っていた。しかし、こんな性格のスズメが、そんなことをするようには思えなかった。


「あの、スズメ先輩。どうして、ライブを敢行したんですか?」


「ああ。前にも言ったけれど、実は、生徒会長になった後のことは、教員とシホちゃんが全てやってくれるってことになっていて、安心して仕事に行ってしまったんだ。でも、体育会系の部活の人たちが、すでに体育館を予約していたなんてね。そういう予約制のシステムだってことすら、わたし知らなくて……。これじゃあ、生徒会長、失格だよね」


 それで、スズメがライブを敢行してしまったことに意味が分かった。


 むしろ、スズメは教員たちの傀儡となって、手の上で踊らされているのだ。


「わたし、前にイロハちゃんに、酷いこと言っちゃったよね。正攻法だけじゃダメだ。バレないように不正をしてもいいって……」


 イロハは、生徒会長選挙の投票日直前に、スズメに言われたことを思い出した。


「いまでも、その意見はかえるつもりはないよ。だけど、その時、上下高校の生徒は、幸せにするとも言った。その気持ちもかえるつもりはないよ」


「えーと、それって?」


「わたし、ちゃんと自分で生徒会長をするよ。この学校にとっても正攻法は、生徒会長を教員が仕切るってことだけど、それはこの学校の生徒が不幸になることだ」


「はい……」


「いまのわたしには、ある程度発言力があるからね。上下高校の先生達には不都合かもしれないけれど、飛び級も生徒の幸せも、全部かっぱらおうと思うんだ」


「かっぱらう……」


「それがわたしにとっての、バレないような攻撃方法、かな」


 スズメの言うことは難しい。


 これが、この年でトップアイドル歌手に上り詰めた人物の考え方なのだろう。


「まあ、まずは、信頼回復、からだよね」


「えーと、そう、ですよね。体育会系の部活の生徒は、スズメ先輩に不信感を持っているみたいですし」


「それもそうなんだけれど、まずは……」


 スズメは、しっかりとイロハの目を見た。


「ううっ、スズメ先輩?」


 ずっと大好きだったキラキラスパロウに、じっと目を見つめられるのは恥ずかしい。


「イロハちゃん、選挙の時には、色々ひどい言い方をして、ごめんなさい」


 スズメは、頭を下げた。


「えっ!? あの、スズメ先輩? 頭を上げてください」


「こんど、橘さんにも、謝らないとね。わたし、先生達の言葉をうのみにして、橘さんが悪い人だと思っちゃってた。イロハちゃんが信頼しているような人、悪い人なはずないよね。今日だって、イロハちゃんのこと、膝枕してたし。きっと、とても優しい人なんだよね」


 イロハは、スズメは、柔軟に考え方を変えられる人なんだな、と思った。


「スズメ先輩。わたし、もう一度、あなたのファンになります。キラキラスパロウではありません。上下高校生徒会長として、です。吉良きらスズメ生徒会長の、ファン第一号になります!」


「えへへ、それは、うれしいな」


 スズメは笑顔を向けてくれる。


 その笑顔を見ると、イロハもうれしくなる。


「コホン」


 隣を見ると、花子が咳ばらいをして、


「まったく、おぬしら、顔が近いわ。それに、もうそろそろじゃが、よいのかの?」


「もうそろそろって?」


 イロハは、花子が何を言っているのか分からなかった。


「あっ! そうだ! もう、9時半直前だ!」


 スズメが慌ててスマホを取り出す。


「イロハちゃん! CPIだよ! 消費者物価指数!」


「あっ!」


 イロハは、すっかり重要指標のことなど、頭から抜け落ちていた。


「9時半になった! って!!」


 スズメと花子は一瞬時がとまったようにスマホに釘付けになり、すぐに、


「ギャー!!」


 同じ声をあげた。


「ドル円暴落じゃー!」


「含み損が増えるー!」


 イロハはそんな二人を見ると、プーっと笑いを吹きだしてしまった。


「イロハよ! ひどいではないか!」


「そうだよ! 人の含み損を笑うことほど、悪いことはないんだよ!」


 しかし、イロハは、笑いを押し殺すことはできなかった。


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