第31話 利益が出ても現実は……
妙なもので、生徒会選挙に敗戦したことで、イロハは平穏な日常を取り戻した気がした。
肩の荷がおりたのだ。
週末は、ここのところ、参議院選挙の出口調査のアルバイトや、生徒会選挙で仕事ができなかった本田さんの店でのアルバイトを再開した。
書籍のパソコンへの入力作業は、はかどった。
はかどったというよりも、生徒会選挙のことはあまり考えないように努めた結果だろう。
ノンストップで仕事をするイロハに、本田さんは、何度も休憩するようにうながした。
週末はあっという間にすぎていった。
7月25日、さっそくスズメとシホが、新生徒会の会長と副会長として活動を始めている。
スズメは、公約どおり、まず週末に、体育館で一曲披露すること電撃決定した。
イロハのクラスのみんなは、新しい生徒会長の決断力に満足し、週末のライブを楽しみにしているようだった。
しかし、そのことを、手放しで喜べないようで、
「アヤノ先輩、残念だったね」
「イロハちゃんも、副会長になれるとよかったのにね」
などと、同情の言葉を述べてくるのには辟易した。
放課後は、久々にアヤノが投資部にきている。
アヤノは、パソコンの前で悶々としている。
「あのぅ、カリン先輩……、アヤノ先輩、やっぱりショックだったんでしょうか?」
「うん、キラキラスパロウが立候補するまで、勝算はあったわけだし。第一、
「あの、アヤノ先輩……」
「よし!」
アヤノは突然立ち上がった。
「今って、日経に資金の半分を入れているんですよね?」
「は、はい」
「先週、ついにドル円はピークアウトしたみたいだし、ここで一気にショートしてみない?」
「ええっ! それって、危ないんじゃ……」
「ううん、生徒会選挙中、時々為替をみていたんだけど、やっぱり140円の壁は厚くて押し戻されて、もうアルゴリズムも上方向から撤退したと思うんだ」
「アルゴリズム、ですか」
「ここから、一気にショートに反転すると思うの。今週は、FOMCの政策金利発表も、アメリカのGDPの発表もあって、たぶんそこから、一気に下目線だと読んでいるの」
みんなは、アヤノの意見に言葉を失う。
「どうかな……」
アヤノはみんなを見回す。
「あの、アヤノ?」
カリンがアヤノに近寄る。
「生徒会長選挙に負けてイライラしているのは分かるけど……」
「うーん、イライラはしてないんですよね。むしろ、頭が冴えているっていうか。なんというか、自分の力量を思い知りました。でも、投資はまた別物です」
「うーん、でも、確かに、円高になってきそうだよね。花子はどう思う?」
「うむ、わしも、このあたりでさすがに円安は一度終わるのではないかと踏んでおる。次のFOMCあたりが山場じゃな」
「よし!」
カリンがパンと手を叩いた。
「ここは、傷心のアヤノの勘を信じてみようか!」
「ちょっとカリン先輩、傷心ってなんですか……。それに、勘じゃなくて、きちんと考えた結果ですよ」
「えへへ、悪い悪い。でも、久々に、みんなで投資の話ができて楽しくてさ。よし、それじゃあ、今のキャッシュポジションは、ドル円のショートに入れてしまうってことでいいかな?」
みんなは、うん、と一つうなずいた。
「よし! それじゃあ、復活の上下高校投資部の第一歩だ!」
ドル円のショート136円50銭、30lotのポジションがとられた。
「けっこう、大きいよね」
「もし、逆方向に行くようでしたら、損切ですよね」
イロハも、久々の投資議論が、何よりも楽しかった。
26日、27日のドル円は小動きだった。
日経は堅調に上昇していき、含み益が増えていく。
空運株こそ上がってこないが、投資部には、安堵感が広がっていた。
チャートを見ながら、みんなで話すのは楽しい。
イロハは、不謹慎ながら、アヤノが生徒会長にならず、こうして日常が続くのが、かえってよかったのではないか、と思ってしまった。
高校も、今週末から夏休みだ。
みんな、部活の話や、趣味に打ち込む話に花を咲かせている。
27日の夜も、FOMCがあるとはいえ、緊張せずに眠ることができた。
(チームで投資をするのは、みんなで相談しながらできるから、安心できていいな)
イロハは、かつてドル円で損失を被ってしまった時の、ひどい心境を思い出していた。
(あの時は、みんなにあたっちゃったな……)
あらためて、チームで動くことの重要性が分かってきた。
(責任を分散するっていう方法も、時には、いいんだよね)
28日の朝、FOMCの結果を見る。
0.75%の利上げ……。
FOMCが利上げを決めたことにより、ドル円は瞬時に上昇はしたが、その後は上げ幅を戻している。
休み時間にもスマホで為替をチェックする。
「うわ、すごい!」
利上げはしたものの、昼過ぎまで一気に相場は下落し、135円50銭をつけている。
「1円も取れている!」
放課後、投資部に集まる。
「すごいですすごいです! 1円も取れましたね! まだガチホですか……」
しかし、投資部では、みんなが腕組みをしていた。
「あの、こんなに利益が出ているのに、どうしたんですか?」
「あ、イロハちゃん、ちょっと問題が起こってね……」
アヤノが言う。
「問題って、投資で、ですか?」
「ううん、投資は順調なの。問題なのは、吉良さんのこと」
「スズメ先輩が……」
「うん、吉良さん、明日、体育館でライブをするって言ってたでしょ。でも、それで体育会系の部活ともめているらしいの」
「ええっ!」
カリンとアヤノの話を聞くと、こうだ。
スズメは、週末の29日、体育館で公約通りライブを開催することを決定した。
それは、多くの生徒にとって喜ばしいことではあったが、そうではない生徒もいた。
夏に大会を控えた、体育館を使用している部活動の生徒達だ。
スズメは、こうした部活に話を通すことなく、ライブを決定してしまったのだ。
これには、もともとこの日に練習を予定していた部活は怒った。
夏の大会直前のこの時期、一秒でも練習時間を確保したい。
それを、ライブのために明け渡せと言うのは、暴論だ。
「そして、もう一つひどいことがあったんだ……」
体育会系の部活は、スズメと話し合おうと、生徒会室をおとずれた。
しかし、スズメは今週、芸能活動のために29日まで学校は休んでいて、そもそも話ができないということなのだ。
先生たちに言っても、民主的に行われた生徒会選挙の結果、こうしたことになっているわけだから、「自己責任」だと取り合ってくれないという。
さらに、シホに文句を言おうにも、シホの家は、この地域の名家で、商店街にも顔が聞く。
商店街で個人事業を行っている人たちの子どもが多い
「それって……」
イロハは、ぞっとした。
みんなは、うつむく。
「やはり、の。あのスズメと言う者、上下高校のことなど、おかまいなしじゃの」
花子が、はあ、とため息をついた。
29日は、前日の米国GDPが市場予想よりも低い-0.9%という結果に、さらにドル円が売り込まれている。
学校は、ようやく始業式が終わり、明日から夏休みだ。
そのおまけに、放課後には、体育館で、キラキラスパロウこと、
本来なら、両手を上げて喜びたいところだが、どうしても、そうはいかない。
投資部でも、今日ばかりは体育館が心配で、みんなで様子を見に行ってみた。
すると、体育館の入り口で、バスケ部やバレー部が、教員と言い争っている。
「どうして、練習できないんですか! 最初に体育館おさえていたのはこっちです!」
「夏休みに入ってすぐに大会があるんです! 3年生はこれで引退なんですよ!」
教員が、体育会系の部活の生徒は、体育館に入れないように、必死に押さえつけている。
一方で、体育館の中から、スズメの声が聞こえてくる。
導入の挨拶が響くと、一部の熱狂的な生徒の声が聞こえてくる。
「これって……」
イロハは愕然とした。
「うむ……」
花子がうなずく。
「学校が、二分されてしまったの……」
体育館からは、いよいよスズメのヒット曲が響いてくる。
投資部のみんなは、いまだ言い争っている体育会系の部活と教員の怒声とスズメのきれいな声という矛盾の前に、立ちすくんでいた。
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