第8話 停戦交渉じゃないんですから!!

 3月第3週がはじまった。


 今日は、気持ちよく登校していた。


 先週、カリンとは激しいやり取りがあったとはいえ、最終的に仲直りをすることができた。カリンに対する不安も払拭できた。


 それに、19万円まで拡大してしまった損失も、10万円を取り戻し、総資産120万円まで残りは9万円だ。


 あと、2週間と少し。


 不可能な金額ではない。


 ただ、ここにきて問題が起こった。


 ウクライナとロシアの停戦交渉が再スタートしたのだ。


 放課後は、パソコンのヘッドニュースをずっと追いかけることになった。


「停戦交渉、進展しそうだね」


「ですね。ほとんどの通貨が上がってきています。ドルも、全然下がらないですね」


「円売りも出ているみたいだよね」


「有事の円買いが終わったってことですね。完全に、停戦を織り込みにいってますね」


 停戦交渉は始まっているが、経過の発表もない。


 あまりにパソコンに近づいてモニターを注視していたため、気づくと目が赤くなり、血走ってしまっていた。カリンも、同じだ。


「これは、目に悪いです……」


「うーん、そうだね……」


「それにしても、ここまで上昇してきていますけど、こわくてさわれないですよね」


「もし、停戦したら、さらに爆上げだろうし、決裂したら下がるだろうしね」


 結局、日が暮れるまでパソコンとにらめっこした。しかし、続報は出てこない。


 とそこへ、


「えっ、なんだこりゃ?」


「なっ、なんなんですか、これ?」


 ようやく、ニュースが出た。


 そこには、技術的な問題により、交渉は翌日へ持ち越し、とある。


「技術的ってなんだよ。オンラインで交渉してたんだろ? 回線切れたのか? そういうことなのか~!?」


 カリンがパソコンをグラグラ揺らす。


「カリン先輩、落ち着いてください」


 カリンは、うわーっと頭を手でくしゃくしゃする。


「なんか、期待持たせて、決まらないですね」


「停戦するする詐欺じゃないかぁ」


 その日は、ポジションを取れずに終わった。


 しかし……


 翌15日、16日も停戦交渉は進展しているのかどうなのか分からずに終わる。


 交渉がはじまると、停戦への期待から株や為替は上昇するが、結局深夜帯に戻してしまう。


 17日には、二人の疲労は限界にきていた。


「うう、ぜんぜん停戦が前に進まない……」


「ニュースでも、停戦できるようだって言ってるものだから、織り込まれてしまってますもんね。ここから停戦になっても、それほど上がらないかもしれないですね」


「だよねー。なんか、どの通貨を売買すればいいのか、分からないよ。ドル円は119円抜けてきてるし……」


 10日の金曜日に117円20銭まで上昇したところで、ドル円は手放してしまった。


「あの時は、土日を挟みたくないから切りましたが、持っていたら、もう120万円達成できましたね」


「うう、アヤノ、それってあてつけ?」


「そんなつもりで言ったんじゃないですよ。それに、ここまで利確できたのも、あんな高値で、買いだ、って言ってくれたカリン先輩のおかげなんですから」


 ふう、と二人は息を吐いた。


 パソコンとにらめっこしていても、埒が明かない。


「早いけど、今日は帰る? ちょっと頭を休ませようか」


「来週もありますしね……」


「あと2週間で、5万円ずつとっていけば、かあ……」


 週末が近づくと、気持ちが沈んでくる。


 本当なら、3連休を控えた週末は、ウキウキなのだろう。しかし、期限のある投資をしていると、気が気ではない。


 今週は、まったく相場に入ることができなかった。


「大丈夫です。来週と再来週で、なんとかします。停戦には近づいているんですから」


 自分で言ってから、不安が襲ってくる。


 本当に、どうにかできるものなのだろうか……


「アヤノ、今日は早いし、ちょっとウチきなよ。コーヒーとおやつ奢るよ。この前は色々悪かったしさ」




 カリンの家のコーヒー屋は、数人の客が来ていた。


 商談をしているサラリーマン風の男性、ゆっくりとコーヒーを飲みながら本を読んでいるおじいさんもいる。


 いぜん休みの日に来た時には、店には誰もいなかった。ここは、休日よりも平日にお客さんがくる店らしい。


 店の奥には、アヤノたちと同じ高校の制服の女子生徒がいた。一人でコーヒーを飲んでいる。


 学校帰りに一人で来る人がいるんだ、と顔を見る。


「カエデ先輩だ!」


 カエデもアヤノたちが入ってきたことに気づいたようだった。


 カリンは、店の入り口で、硬直している。


「カ、カリン先輩」


「う、うん」


 明らかに、カリンを待っていた雰囲気だ。


 カリンは、意を決したように、カエデの座っているテーブルに向かう。


 アヤノも、くっついていく。


「早かったじゃない。投資部って、結構遅い時間まで活動してるんでしょ?」


 テーブルの前までくると、カエデから声をかけてきた。


「カリンの家に来るの、久しぶりだわ……」


 少し沈黙する。


 カリンとカエデは幼馴染だ。中学校の剣道部で、カリンがカエデの彼氏を殴ってしまい、それ以来、口をきいていないらしい。


 同じクラスなのに、よっぽどのことだ。


「あ、あの、二人だけでゆっくりと話すこともあると思いますし、私は失礼しますね」


 自分がいてはいけない雰囲気を悟り、帰ることにしたが、


「ううん、アヤノちゃんがわたしにきっかけをくれたんだから、いい機会よ。一緒にいて」


 カエデから引き留めた。


 カリンとともに、カエデの前に座る。


「あの、なんていうか、申し訳なかったって、思っているわ……」


 座るなり、カエデから謝罪の言葉が出た。


「わたし、あの時、カリンにひどい言葉ばっかり使って。カリンがみんなに何も言わないのをいいことに、わたしだけがのうのうと剣道続けて……。カリンの名誉まで傷つけた。今の状況、よくないと思っている」


「別に、わたしはそれでいいけど……」


 カリンが冷ややかに言う。


 すぐに、カエデが、カリンが話を続けられないように口をはさむ。


「あの、本当に、悪かったと思ってるの。昔の剣道部の子たちにも、本当のこというわ」


「今言ったら、カエデも、居心地悪くなるよ」


「わたしは、昔みたいに戻れないにしても、他の子からカリンが悪者扱いされるのは、よくないと思うのよ」


「わたしは、それで構わないと思ってるよ」


 二人の話が食い違う。


 険悪な空気が流れ始めているのを感じたが、アヤノは、二人を見ていて、どうしていいか分からない。


「わたしが、それじゃあ嫌だと思ってるの。このままじゃ、わたし、きっと後悔するわ」


「それって、カエデのワガママだよね? ずるくない?」


「ずるいのは分かってるけど、それでも、私はみんなにちゃんと話すわ!」


「だから、いいって!」


 二人の声が大きくなってきて、店内のお客さんも、ただならない様子に気づいて視線を向けてくる。


 カリンのお父さんが、咳ばらいをした。


 カリンとカエデは、少し落ち着いたようだった。


 しかし、今度は二人とも無言になっている。


 このままじゃ平行線だ。


「あ、あの!」


 思わず、割って入ってしまった。


 カリンもカエデも、アヤノを見てくる。


 割って入ってしまったからには、仕方がない。


「えーと、お二人の話を聞いていると、話が食い違っています。それに、意地になっていますよ。えーと、つまり、ロシアとウクライナの停戦交渉じゃないんですから!!」


 おかしなことを言ったと思った。


 カリンもカエデもきょとんとしている。


 少し沈黙が流れたが、


「あっ、ははは」


 カリンが大笑いした。


 つられて、カエデも、笑った。


「ちょっと二人とも、そんなに笑わなくても……」


 なんだか、恥ずかしい。


「いや、アヤノ、ごめん。ちょっとおかしくって」


 カリンが、涙まで出てきた目をこすった。


「アヤノちゃん、面白いこと言うわね」


 カエデも、気持ちが緩んだようだ。


「そうね、たしかに、そうね……」


 カエデが言った。


「わたしは、とにかく、みんなから悪者扱いされるカリンが見ていられないのよ。だから、昔の剣道部の子にはしっかり言うわ。それがわたしのけじめ。それだけは、許可してほしい。もちろん、別にカリンには迷惑かからないことでしょ?」


「まあ、別にいいけど……」


 カリンも、妥協した。


「だけど、そんなことして、カエデの立場が悪くならない? どうして今まで黙っていたのって」


「それはそうだけど。でも、カリンもカリンよ。格好つけて、自分だけ悪者になって。昔から、そういうところあるわよ」


「うう、なんだよ。あの時、さんざんなこと言ったのカエデだろ」


「うん、そのことについても、本当に悪かったと思っているわ」


 カエデが悪い言葉でカリンを罵ったということは、聞いていた。


「わたし、ほんとうに嫌な子よね」


「まあ、いいんじゃない。ロマンスが絡む話なんだから」


「ちょ、カリン!」


「カエデが、男が絡むと、あんなに人が変わるなんてねぇ」


「ううっ」


 カエデは、恥ずかしがった。


 また険悪なムードになってしまうのかと心配したが、そうでもないらしい。


「とにかく、話せてよかったわ」


「まあ、ね」


 ただ、二人はまだどこかぎこちない。


 幼馴染であれば、もっと言いたいことを言い合えるのではないのだろうか。


 何か、二人で共通の目標を持つことができると、よいのだが。


 ふと、二人で一緒に何かできることはないかと考えた。


「あの、ちょっと提案なんですけど」


 自分でも、おせっかいとは思うが、これで二人の関係が修復できるのなら、安いものだ。


「昔の剣道部の方に集まってもらって、お二人で話したらいいんじゃないでしょうか。きっと、出場辞退になって、相当残念だった人もいると思います。だから、当事者の二人で」


 カリンとカエデは顔を見合わせ。


「そうだね」


「そうね」


 と、同時に口にした。


「当事者同士で、謝ろうか」


「ううん、謝るのはわたしよ。ここで、カリンの信頼を回復させるわ!」


「だから、信頼とかはもう、どうでもいいんだよ」


「ううん、だめ。ここまで来た以上は、わたしの方が悪かったってこと、みんなに伝えなきゃ」


 また、二人の言い争いがはじまる。


 さっきもカリンのお父さんにそれとなく注意されたのに、また声のトーンが上がっていく。


 まったく、この二人ときたら、もっと仲良くできないのだろうか。


 バタン!


 思わず机を両手で叩いてしまった。


 カリンとカエデは、驚いてアヤノを見る。


「だから、そんなことだから話がまとまらないんですよ! 二人とも、ちゃんと誠意をもって交渉してください!」


 カリンとカエデは、顔を見合わせて、また「アハハ」と笑った。




 話は、昔の剣道部員に集まってもらい、カリンとカエデとで、どうして暴力問題が起きたのかを全て話す、ということで決着した。


「えーと、アヤノちゃん、ありがとう。アヤノちゃんと話さなかったら、わたし、きっとこのまま、嫌な気持ちで過ごさないといけなかったと思う」


 カエデが感謝をのべた。


「アヤノには感謝しないといけないよ。アヤノにカエデが話したって聞いて、わたしアヤノに当たっちゃったんだからね。アヤノは本当に迷惑だったんだからね」


「なにそれ? 最低ね。それに、カリンが自慢することじゃないわよ」


「そもそもカエデが悪いんじゃないかよ」


 少しずつだが、冗談を言い合えるようになってきているようだ。


 二人の会話を聞いていると、関係が修復されてきたことが分かった。本当に良かったと思った。


 もしかすると、幼馴染の二人には、もっと親密な関係もあるのかもしれない。ただ、それはこれから時間をかけて、取り戻していくことだろう。


「えーと、それで……」


 しばらくして、カエデが話題をかえる。


「アヤノちゃん、その後はうまくいっているの?」


「うう……」


 カエデには、年度末までに総資産120万円にしなければ進級できないことを伝えている。


「あまり、かんばしくはないです」


「そうなんだよ。ちょっと見てよ」


 カリンが、アヤノのデモトレード口座の情報をカエデに見せる。


「えーと、総資産111万円。9万円足りないのね……」


 カエデが、スマホをいじっている。


「えーと、この棒が今の価格を示しているのね。ランド? ペソ? はじめてきいたわ。どこの国のお金なの? 売りと買いでは、売りが先頭に表示されているのね。分かりづらいわね」


 そんなことを言いながらスマホをいじっているカエデをよそに、カリンが思い出したように、


「そういえば、アヤノにコーヒーとおやつ奢るんだったよね。食べようか」


「はい、ありがとうございます」


 カリンは、カリンのお父さんに注文を伝えに、席を立った。


 カエデは、興味津々でスマホをいじっている。


 しばらくしてカリンが戻ってきて、席につくなり、


「あっ!」


 とカエデが大声を出した。


「ちょ、カエデ、お店では静かにしてよ」


「えーと、ちょっと、あの」


 カエデが、スマホを握ったまま、あわてている。


「ちょっと、カリン、これ、どうなってるの? 見て?」


 カエデがカリンにスマホを見せる。


「評価損益ってところに数字が出てきて、動いている。変なところいじっちゃったかしら?」


「え、カエデ、何やってんの! ドル円の売りで入っちゃってんじゃん。え? 何、100Lot!! 何やってるの!」


「だって、ボタンいじってたら、勝手に……」


「す、すぐに決済しないと! えっ? なに?……」


「棒が下に行っているわ!」


「え、5銭動いて、5万円!! と、とりあえず決済ボタン!」


 何が何だか分からないが、カエデがボタンを間違えてタップしてしまったことは分かった。


「あ、あの、ど、どうなったんですか……」


 気が気でない。100Lotという単語が出てきて、その後にカリンが5銭動いて5万円と言ったのも聞こえた。大惨事になったのだろうか。


 アヤノの顔を見て、カエデも心配になったのか、


「ご、ごめんなさい、ちょっと、まずいことしたかしらね……」


 おどおどしている。


 カリンは、決済注文をしたらしいが、ずっと画面を見つめている。


「ちょっと、カリン、何か言いなさいよ。どうなったの? わたし、とんでもないことやっちゃったのかしら?」


「えーと」


 カリンがゆっくり言葉を発する。


「5万円……」


 ほんのわずかな時間なのに、ずいぶん長く感じる。


「もうかっちゃったみたい……」

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