第9話 和解の後の緊張

「え、あの、もうかっちゃったって、どういうことですか!!」


 急いで聞く。


 カリンの言った意味が、まだよく分からない。


「アヤノ、5万円の利益確定だよ!」


 カリンが、スマホを持ったまま、バンザイのポーズをとる。


「利益確定……プラス5万円ってことですか!?」


「もちろん!」


 それを聞いて、ほっと力が抜けた。


 と、同時に、もしこれが反対方向にポジションが取られていたら、大変なことだったと、すぐに恐ろしさで、ぞっとした。


 頭を働かせる元気もなくなり、少しぼんやりとした気分になる。


「それにしても」


 と、カリンがカエデに向かって言う。


「ちょっとカエデ、勝手にあちこち触らないでよね」


「うっ、でも、色々といじらないと分からないじゃない」


「これには、アヤノの進級がかかっているんだよ。良い方にいったからいいけど、悪い方にいってたら、どうする気?」


「ううっ」


 カエデは、恥じ入ったように縮こまった。


 上目使いでアヤノを見る。


「アヤノちゃん、ごめんなさい。悪いことしたわ」


 カエデに謝られて、すぐにアヤノは我に返った。


「いえ、結果オーライですから、別にいいです。かえって、助かりました」


「でも、逆方向っていうの? そうなってたら、逆に5万円取られていたってことでしょ?」


「そうなりますね……」


「本当に、ごめんなさい。たまたま良い結果の方に行ったからよかったものの、取り返しのつかないことになっていたかもしれないわね」


 カエデが頭を下げる。


「いえ、そこまで謝らなくても……」


「えーと、それじゃあ」


 カエデが言う。


「アヤノちゃんには、今後色々サービスしてあげないとね」


 サービス、と聞いて、いまいちピンとこない。


 妙な表現を使うものだと思ったが、


「サービスって、えーと、そんな、深く考えないでください」


「それじゃあ、ダメよ」


 カエデも、なかなか引かない。


「分かりました。それじゃあ、そういうことがあれば、お願いします」


 それを聞くと、カエデはほっと一息ついた。


 ちょうどその時、カリンのお父さんが、3人分のコーヒーとアイスクリームを運んできた。


 テーブルにおいしそうなアイスクリームが置かれる。


「わたしの分まで、たのんでくれたの?」


 カエデがカリンに聞く。


「まだ、コーヒーは残っているのだけれど?」


「うん、でももう冷めてるでしょ?」


「これがいいんじゃない。ゆっくりと温度の変化も含めて味を楽しむって、昔カリンに教えてもらったのよ」


「なんだよ、そんなこと覚えていたのかよ」


「まあ、いいわ。話疲れて喉もかわいちゃったし」


「でも、おごりじゃないからね」


 そうカリンに言われて、カエデは少しむせた。


「店の子が、お客さんに聞かずに食べ物持ってくるって、どういうことよ」


「居酒屋だって、お通しって文化があるんだよ?」


 またカリンとカエデが言い争っている。


 ただ、そんな二人の言い争いを聞いていると、二人の関係が修復されている実感がわいた。


 悪い気持ちはしない。むしろ、清々しい気持ちだ。


 アイスクリームを一すくい口に入れる。甘くて冷たい。氷のシャリっとする触感もよくわかる。


「勝ちに不思議の勝ちありって、野球の野村監督の言葉だっけ?」


 5万円、思いもがけず手に入れることができたのだ。まだ、残り4万円を手に入れなくてはならないが、とにかく、ほっとしたのは事実だ。そうした気持ちも相まって、今日のアイスクリームの味は、格別だ。


それに、仲裁に入ったことで、カリンとカエデは、関係の修復に向かっているのもまた、うれしいことだった。


「ロシアとウクライナも、早く関係が修復されたら、いいのにな……」


 そんなことを思う。


 甘くて冷たいアイスクリームの向こう側では、カリンとカエデがヒートアップしてきている。もう二人に割って入るのはやめて、アイスクリームの味をかみしめることにした。




 3月18日、ついに週末の金曜日だ。


 投資部の部室では、いつものようにパソコンに表示されたチャートとのにらめっこが続く。


 昨日の、カエデの誤発注が幸いして得ることができた5万円のおかげで、120万円まで残り4万円まで迫っている。


「よし、いまだ!」


「ドル円、ショート」


「よし、下がった、そろそろ」


「はい、約定! すぐにロング」


「よし、1銭上がった」


「約定です。ああ、だめだ。タイミング悪くマイナス100円です」


 当初の目的通り、スキャルピングで狙っていく。


 数十秒から、長くても数分で売買を繰り返していく。


「なんか、目がしょぼしょぼします」


「うん、休憩しようか……」


 結果は、芳しくない。


 数時間、パソコンの前で売買を繰り返してはいるが、数百円の利益しか乗らない。


「ドル円、118円後半から119円かぁ。さすがに天井だと思うんだけどね。なかなか下がらないね」


「でも、120円目指しそうで怖いですよね。さすがにないと思いますけど」


「だよね~。でも、万が一を考えるとね」


「来週に持ち越しましょうか。残り4万円ですし、トレンドができてから入っても、遅くはないでしょうから」


「言うようになったね。でも、そうだなぁ。来週にしようか……」


 二人は、一週間投資部の活動では、パソコンに釘付けだった。


 今週は、ロシアとウクライナの停戦合意を期待して、いつそのニュースが出るのかを心待ちにしていたのだ。


 しかし、なかなか決定打が出ないまま、時間だけが過ぎてしまった。


「それにしても、アヤノ」


 ふとカリンが言う。


「カエデとのこと、ほんとうにありがとうね」


 カリンの顔を見ると、なんだか清々しさがある。


「アヤノのおかげだよ。もう二度と、カエデと楽しく会話なんてできないと思っていた」


 カリンは、しみじみとしている。


「今日、クラスではどうだったんですか?」


 カリンは、ふふっと、思い出したように笑った。


「それが、朝教室に入るなり、カエデにおはようって、大声であいさつされてさ」


 カリンは、嬉しそうに話す。


「クラスのみんな、驚いて、こっちを見てさ。中学の時のこと知らない子は、わたしとカエデのこと、相当仲が悪いと思っていただろうし」


 想像するとおかしくなった。


「その後も、授業の合間や、移動教室の時にはカエデから駆け寄ってきてさ。クラスのみんな、夢でも見ているんじゃないかっていう顔をしていたよ」


 カリンの楽しそうな話を聞いていると、心がホカホカしてくる。


 今までの、失われた時間を、取り戻そうとしているのだろう。


 そこまで言って、カリンは急に笑顔からまじめな顔になった。


「3連休中の月曜日にさ、中学校の剣道部のみんなに集まってもらうことにしたよ」


「ついに、言うんですね」


「うん。わたしとカエデのせいで、みんな大会に出られなくなっちゃったんだから。カエデは相変わらず、自分が全部謝るって言ってたけど、もちろん、わたしも一緒に、みんなに謝ろうと思ってる。どういう反応されるか分からないけどさ」


 カリンは、不安そうだ。無理もない。ずっと裏切者扱いされてきて、そう思っている側の人たちと、対峙しないといけないのだ。


 カリンは責められてしまうかもしれない。心無い言葉を浴びせられるかもしれない。カリンの辛さを思うと、アヤノまで、心がキュッと締め付けられた。


「あの、カリン先輩」


 カリンが、まじまじと見てくる。


「わたしは、カリン先輩の味方です。何があっても、今のカリン先輩は、投資部っていう、戻ってくる場所がありますから」


 カリンに、少し笑顔が戻る。


「アヤノ、ありがとう」


 とそこへ、


「お疲れさま、投資部の戦士たち!」


 突然部活のドアを開けて、カエデが勢いよく入ってきた。


「え? カエデ? 剣道部は?」


「早退してきたのよ。どう、調子は?」


「今日はもう、トレードはせずに、来週にしようって話をしていたところ」


「そう」


 と、カリンは動き続けているチャートに目を向ける。


「本当、難しそうなことしてるわね……」


 カエデはモニターを遠目に見るだけだ。昨日の誤発注を引きずっているのかもしれない。


「で、一体何しにきたんだよ?」


「けっこうな言い方ね」


「そりゃ、突然くるんだから……」


 カエデは、ふうっと息を吐いて、


「投資部の活動が終わるまで、待たせてもらうつもりだったの。さすがに、月曜日に昔の剣道部に集まってもらって、どう話をつけるかって、戦略を練らないといけないでしょうから」


 カエデは、剣道部の腕前は相当なものだが、その中には、事前にしっかりと戦略を練っているところにあるのかもしれない。


「もう、活動終わったのなら、話できるかしら?」


「うーん……」


 カリンはアヤノを見る。


「アヤノ、今日はもう、部活は終わりってことでいい?」


「はい、今週は疲れてしまって、これ以上やるとヤケドしそうですし、構いません」


「でも、チャンスだと思っても、ポジったらダメだよ。アヤノ、結構熱くなっちゃうから」


「ちょっ、カリン先輩!」


 カエデもいる前で言われると、恥ずかしくなる。


「冗談冗談。でも、月曜日も日本の祝日が狙われて何が起こるか分からない。火曜日までは投資は控えるってことにしよう」


「はい。もちろんです」


 カエデはそんな二人のやり取りを見ながら、


「なんか、先輩後輩ってよりも、戦友って感じね」


 と言った。


 カリンは顔を見合わせる。


 なんだか、恥ずかしくもあり、うれしくもあった。


「じゃあ、わたしは帰りますね」


 急いでカバンをとる。


「え、別に一緒にいてもいいのよ?」


 カエデが慌てて言う。


「そうだよ。わたしもカエデも、アヤノには本当に感謝しているんだよ。いまさら聞かれてまずいこともないし」


 カリンも引き留める。


 しかし、二人だけでゆっくりと話すこともあるだろうと思う。二人がそれを意識していなくても、きっと二人だけになれば、出てくる話もあるだろう。


「いえ、今日は二人で、時間を取り戻してください!」


 カリンとカエデは顔を見合わせて照れたような顔になった。


「それじゃあ、月曜日、頑張ってください!」


 カリンとカエデは、月曜日に大きな修羅場に立つのだ。


「きっと、すごいプレッシャーだろうな……」


 健気にふるまっているカリンもカエデも、かなりの緊張状態にあることが理解できる。


 カエデが投資部までやってきたのも、おそらくは、月曜日の不安からだろう。


「わたしも、残り4万円。不安だけど、打ち勝たないと!」


 自分自身も前向きな気持ちになっていることが、よくわかった。

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