第122話
いくつかの書状を書き終わったのは、深夜、いやもう明け方近くになっていたと思う。
時間をかけたかいあって、結構よく書けたんじゃないかと思うが、一回ちょっと寝て見直さないと不安だ。
ちょうど、扉の外で物音がしたので、廊下にいた早起きの
疲れていたようで、私はすぐに眠りに落ちていった。
約束通り女僕さんが起こしにきてくれて、無事、私は余裕を持って起きる事ができた。ちょっと眠いがそうも言ってられない。春陽達との待ち合わせにはまだ時間があるとはいえ、やる事がある。
持ってきてもらった朝(昼)餉を食べながら、昨日書いた自分の書状をチェックしはじめた。
……うん、大丈夫そうだ。
あとは、足りなさそうな事を注釈として付け加えて、書状を畳んだ。
父上には、今置かれている事実として欲しい事と共に、会えなくて寂しいと情に訴える。
環姫さまには、これから起こり得る脅威と、それの証拠に私が見聞きした事、そして黄を巴に行かせれば全て理解してもらえるという旨を、とても丁寧に描いた。
そして、綜の劉家や他に思いつく所数か所に向けての手紙。これは、正直届かなくても仕方ないと思っているが、届いていると少しだけ有利になるかもしれないという、ちょっとした布石。
ふーっと、溜息を吐く。
今ようやくこの時間、この身体に戻って、一息つけたような気がする。
椅子の背に深くもたれかかり、目を閉じ、今までの事をかいつまんで想いだす。
……大丈夫。思い出せる。
あの出来事も、あの人の動きも、あの時の……絶望も。あの子のことも。
ふと思う。あの子の名前が、だんだん思い出せなくなっていることに。だけど、存在は思い出せる。意地でも忘れないからと固く一人誓う。
フーッと鼻から息を吐いて目を開き、私は自分の両頬をペチペチと叩いた。よしっ。
私は書状を懐に忍ばせ、飛燕を呼んでもらって、色邸から外に出かけて行った。
道すがら、飛燕に話しかける。ぼんやりした顔の、飛燕に。
「飛燕。昨日の事、覚えてる?」
「珠香さん、それは」
困った顔の飛燕に、ドヤ顔で答える。
「色さんの言質、取ったわよ」
「えっ?!」
その飛燕の驚き様といったら、過去いちかもしれなかった。大声を出してしまった事に気づいて、慌てて口を覆う様も良い。
「う、嘘でしょう」
「嘘じゃないわ。飛燕、もうちょっとあのおっさ……叔父さんに、心開いてあげても良いんじゃない。飛燕の事、心配してたよ」
私の言葉に、飛燕は何とも言えない嫌そうな顔をした。頭では理解しているが心が嫌なんだろう。可愛いなあ。
「だからね、飛燕。一緒に、外に行こう。飛燕が何をしたいか、探そう」
だけど今度は、悲しそうな顔をする。
「でも、僕は……」
飛燕の言葉の続きを、待ってみる。何を考えているのか、知る必要がある。この子は、あまりにも自分を語らなさすぎる。
私が、言葉の続きを待っている事に気づいたのだろう、ますます眉を下げて困った顔をした。……虐めてないよ、いじめてないったら。
「ぼくは?」
「……僕は、そんな風に気にかけてもらえるような価値、無いよ。ここで、母様の面倒を見て、おっさんにこき使われて、一生を終えるのがお似合いなんだ。わかったでしょう。僕は、こんなにもどうしようもなくて、つまらなくて、弱い奴なんだ。珠香さんにそんな風に言ってもらえるような」
「そんな事ない!」
今度は私が大声を上げてしまった。飛燕はビックリしたような顔をした後、周りを気にするように見回した。
私は、そんな余裕ない。飛燕の襟首に手が伸びかけたが、ぐっと堪える。
「飛燕に価値が無いなんて、誰が言ったの?! あのおっさん? お母さん? それとも、自分?」
自分の事じゃないと、こんなにも怒りが沸いてくるんだ。と、怒っているのにどこか冷静な自分がいた。そしてそれが、最大級自分に返ってきている事も頭のすみっこでは、理解していた。
「価値なんて、誰が決めるのっ。自分以外の他人? 違うよ、飛燕。違うんだよ、自分の価値を貶めているのは、下げて安心しているのは……自分に、他ならないんだよ」
そう。
自分なんて、と言っていたら、楽なんだ。自分を貶めて、卑下して、羨んでいると、自分の事を考えずに済むから楽なんだ。そこから一歩も動けなくなるとしても。
だけど、人は変われる事を知っている。実体験として知っている、今なら。
「だけどね、飛燕。自分、は変われるんだよ。価値が無いって思っていても、変えられるんだよ。少なくとも、今の私にとってあなたは、どんなに金や宝を積んでも得られないぐらいの価値を持ってる。誰にも代えられない。それだけは、知っていて」
飛燕の顔が驚愕に見開かれて、そして、ついに泣きそうに歪んだ。
「っつ」
我慢するように、唇を噛み締める。一回も、泣こうともせずに諦めていた子が。
「なんっ、で」
片手でグーをつくって口に当てながら、飛燕は私を見る。その顔には、恐怖も入り混じっているようだった。まあ、そうだよね。こんな、会って数日しか経ってない女に、そこまで重い想いを言われるなんて思いもしないよね。
「なんで、か。……飛燕、私、ちょっと先が見えるって言ったよね。先に、私の為に自分を犠牲にしたのは、飛燕なんだよ。そしてその結果、戦にも出る事になって、諦めたまま飛燕は死んでしまう」
しんどい。あの流れを思い出すのは、こんなにも私の心を切り裂く。
「だから、絶対に、今度は死なせないのっ。笑って暮らしていけるようにするのっ。……飛燕は、前の私を見ているようだから」
飛燕の前では、自分の気持ちを取り繕えなくなってしまう。飛燕から視線を外して、地面を見る。私達の影だけが見える。
「勝手に、自分が出来なかったからって代わりにするなって、怒ってくれていいよ。飛燕には、その資格があるから。でも、本当に、私が後悔している事と、あなたの幸せを願っているのだけは、信じて欲しい……」
震える両手を、ぐっと握る。こんな所で、まごまごしている場合じゃないっていうのは、理性ではわかっているのだが、心が追いつかない。
無言だけが流れて行く。
が、やがて。
ふと、息を吐いた音がした。
「……珠香さん」
思ったより、落ち着いた柔らかい声が聞こえて、恐る恐る顔をあげた。飛燕に罵倒されるのは、さぞしんどいだろうと覚悟しただけに、その口調は、表情は、拍子抜けだった。
飛燕は、少しだけ微笑んでいたのだ。目は、まだ泣きそうなままだったけど。
「僕は、急には変われない。今までもこうだったから、自分を犠牲にする事しか知らないんだ。だから、あなたがそう言うなら、僕はあなたの為に自分を囮か何かにするんだと思う。その為に今、あなたが怒っているというのなら、僕は謝罪したい」
「謝罪なんてっ」
私の言葉に、飛燕はふるふると首を横に振った。そして、にこりと笑った。
「自分が変われるなんて、信じられないけれど。でも、あなたが僕に怒っている事だけは、わかるから。……だから、僕は、あなたを信じるよ」
「えっ」
思わず飛燕をマジマジと見ると、困ったように笑っていた。
なんで、私が怒ってたら、私を信じる理由になるのか。わけがわからなくて、キョトンとしてしまった。それで、飛燕はますます困ったように笑った。
「あのね、倭都さまの父上、前の頭領がね、言ってたんだ。お前の為を思って、お前に怒る奴を大事にしろって。倭都さまは、僕に怒るんだ。あなたも、僕に怒ってるから。信じようって、思う」
そしてその後、どうしたら許してくれる? と、首を可愛らしく傾げた飛燕を見たら、もう色んな事がどうでもよくなって。
私も、つい眉を下げたまま笑ってしまっていた。ここが、お互いの落とし所だろうな。
「……一緒に来てくれたら、許してあげるよ」
「わかった。おっさんが許可を出したのなら、もう、僕からは何も言う事は無いよ。あなたと一緒に、行くよ。出航は、明後日なんだっけ?」
今まで見た中で、一番軽やかな笑顔を浮かべる飛燕を見て、心の底から、あぁ良かったなぁ、と思った。
口からも出たみたいで、飛燕がまた笑っていた。
――――――――
飛燕「珠香さんは、もしかして僕が好きなの?」
珠香「ちがっ、くも、無いけど! 恋愛感情ではないよ!」
飛「ふぅん?」
珠「私、本当に助けたい人が……好きな人が、居るの。その人の為にも頑張ってるのよ。飛燕の事は、人として好きだよ」
飛「そうなんだ。僕も、珠香さんの事好きだよ。ありがとう」
珠「うっ」
可愛いこからの好きだよ発言に、心臓がジャンプした。飛燕はただニコニコとしていた。小悪魔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます