第121話

 部屋に入り、丁香に椅子をすすめ、自分も座る。

 丁香は少し困っていたが、椅子にごくごく浅く腰掛け、いつでも立てるような、綺麗な姿勢で座った。この人の座った姿はじめて見たかも。

 立ち居振る舞いが良く訓練されていて、綺麗な人だ。宰相の家の女僕メイド長として、どこに出しても恥ずかしくない女性。

 しかし主人しきとの関係は複雑。当人同士の問題とはいえ、気になる。


 とりあえず、丁香が喋りやすいように、私から用件を話しはじめる。


「実は故郷に、過労気味の先生が居るんですけど、何か滋養のつくものを差し上げたいんです。尹の国では、そういう人に何を贈りますか?」


 私の言葉に、丁香は少し考えこむように目線を斜め下にし、手を顎に当てた。が、すぐに目線を戻す。


「そうですね。先生という言葉から察するに、学者の方でしょうか。眼精疲労に効き、そもそもの体力を上げるような物がございます。貴重なきもなのですが、当家に少し在庫がありますので、ご主人様に分けてもらえるよう、相談してみましょうか」

「本当ですか、助かります! 先生には、是非とも元気でいてもらわないといけないのでっ」


 もう、倒れたなんて聞きたくない。

 そういえば、風伯先生あの時なんで倒れたんだろう。やっぱり、未来を見た心労なんだろうか。おいたわしい。そんな未来、先生に見せないように私頑張りますっ。

 私の熱意のこもった返事に、丁香の頬が少し緩んだ。

 さて。


「……丁香さん。私に、何かお話があったりとか、しませんか?」


 決めつけは良くないけど、ここでやんわりいきすぎても、このメイドさんは引き下がってしまうと思う。だから、ちょっと決めつけて言ってみたけど、どうかな?

 丁香の表情を伺うが、少しの動揺しか見えなかった。流石だなあ。私だったら、きっと狼狽えたと思う。

 そんな鉄仮面を脱げないでいる、丁香の様子を辛抱強く見守っていると、ふと、息を吐いた。


「話し、というほどの事では、無かったのですが……」


 ちらりと、丁香が私の顔を見た。この、平々凡々な私の顔を。産まれてこのかたずっと美人であったであろう人が、少しだけ、羨ましそうに。


「お嬢様がいらしてから、ご主人様が、楽しそうにしておられて……その、もし良かったら、私にも珍しい料理を教えていただけないかと、思いまして」


 うーん、私、恋愛に関してはダメ男しか引いてないから、何とも言えないんだけど、丁香の本心は、本当にその言葉なんだろうか。言い難そうにしているのは、私に言い難いのか、自分の心に言い難いのか。

 ちょっとだけ、首を傾げてしまった。


「それは、構いませんけれど……あの、間違っていたらごめんなさい。丁香さんは、色さんの事がまだ好きなんですか?」


 丁香は今度こそ少し驚いた顔をした。あと、目を伏せた。何やら考えこんでいるようだ。

 私はただ黙って、じっと待つ。

 やがて、丁香は目線を上げないまま、ぽつりと呟いた。


「わかり、ません。最初はちゃんと好きで、お仕えできて嬉しかった筈なのに、今は、わからない、です。……あ、ごめんなさい。こんな事お客様にお聞かせする話では」

「良いんですよ。逆に、居なくなる人間の方が、話しやすくないですか? 私は、貴女の話、聞きたいです」


 単純に好奇心もある。が、それは黙っておく。

 私の言葉に、丁香はハッとしたような顔をした後、困ったように眉を下げた。

 なんだろう?

 けどそれは一瞬で、ちょっとだけ表情が緩んだ。少しは心を開いてくれたのかな?


「そう、ですか」

「はい。良かったら、色さんとのこと話してみませんか?」


 私の即答に、丁香は困ったように苦笑した。

 そして、ふーっと自分を落ち着けるように深く息を吐いて、膝に置いた手に目線を落とした。


「ご主人様は、本当に凄い方です。若くして色家を継ぎ、尹侯いんこうの親戚とはいえ、その実力もあって高い地位に就かれました。私は、そんなご主人様にお仕えして、才能と容姿を褒められて、本当に誇らしかった。だけど、私の容姿は衰えていくし、飽きていく。そんなのわかりきっていましたが、心のどこかで、ずっと私を好いていて下さると、信じて、いたのです」


 自嘲するような笑いが、丁香から漏れる。

 口は挟まなかったが、私はふるふると首を横に振った。こんなに美人で、才能もある女性を、あれだけぞんざいに扱えるのは逆に凄いと思うのだ。


「あの方は、情が深い。だけど、それを独り占めする事はできない。側にいれば居るほどわかる事実です。もちろん、家柄的に正妻になれない事はわかっていましたが、側室ぐらいにはしてもらえるものと、どこか期待しておりました。今にして思えば、なんと浅薄なことかと思いますが。……実は一度、聞いてみた事があるのです。私を、どうしたいのか、と。そうしたら、そのままこの家を取り仕切って欲しい、女僕長しようにんとして、と、真面目な顔で言われました。まるで、自分に心を求めるな、言われたようでした」


 丁香が自嘲したまま、顔を上げる。無理矢理にでも笑っていないと、今にも泣いてしまいそう。そんな顔で。

 だから、私は。

 

「貴女は、美人です。賢いし、空気も読める。そんな貴女が、色さんに拘るのが、私は逆に不思議です」


 少し首を傾げながら、思った事を口にする。と、丁香は頑張って笑顔にしていた顔を、ついに歪めた。


「わ、私は……私は多分、まだ、ご主人様をお慕いしている、いえ、したがっているのです。でも、応えてくださらない想いを抱き続けるのは、もう、疲れ、ました」


 泣いてしまうかも、と思ったが、丁香は最後の最後まで踏ん張って笑ってみせた。こんなに強い女性でも、迷ってしまうのが恋ならば、私に理解したり完遂するのが難しいのもわかる気がする。


「……疲れたら、休めば良いと思います。丁香さんの代わりは、誰もいません。このお屋敷の話じゃないですよ。丁香さんが疲れて、ある日倒れたりしたら、嫌です。丁香さんの事を心配してくれる家族に、一回、相談してみた方が良いと思います」


 私がゆっくり語りかけると、丁香の眉間から力が抜けていくのがわかった。

 追い詰められて、結局逃げてしまった私が言うのは、説得力が無いかもしれないけれど。万が一にも同じ道を進んで欲しくないから。


「丁香さん。私がこんな事を言うと、何を世間知らずな小娘が、と思われるかもしれませんが、聞いてください。人間疲れると、判断力が、心が弱くなります。その状態で先の事を考えると、とても憂鬱になります。だから一回休んで、元気になってから、これからの事を家族の人と考えた方が良いと思います。疲れた末に考える未来なんて……最悪な事しか、思いつきませんよ」


 最後、ちょっと自嘲っぽくなってしまった。いけないいけない。

 確か、使用人の人には、通例的にある程度の里帰りが許されているはずだ。この人の事だから、ろくに故郷にも帰ってないんじゃないかな。良い機会になればと思うんだけど。

 どう思ったかなと丁香を見ると、微妙な顔をしていた。

 思戯の時も見た、こちらに憐憫を寄せるような、複雑な顔。

 しまった、何だこいつと思われたかな。ちょっと言い訳しようとあわあわと口を開きかけると同時に、丁香が言葉を発した。


「お嬢様は……お嬢様だと、思っていましたが、何やらわけありのご様子ですね。申し訳ありません。私が、そのように辛い事を思い起こさせてしまったのなら」

「それは違いますっ」


 コミュ障特有の、人の話を最後まで聞かないが出てしまった。だけど、私は構わず言葉を続ける。


「これは、私の一部です。私が捨てられないもので、これから先、この記憶があるから、進めるんです」


 自分で言って、不意に理解した。自分が、そう思っていたという事を。

 辛いだけの記憶なんて、転生するときに全部消してもらえば良かった筈なのだ。だけど、私、はそれをしなかった。この記憶も私の一部だと知っていたから。これがあるから、より良い方向を目指そうとするのだと、理解していたからなんだって。

 ちょっと、泣きそうになった。泣かないけれど。涙は最後までとっておく。

 私の勢いにちょっとビックリした様子の丁香が、不意に苦笑した。


「本当に、不思議なお嬢様。貴女様は、何故そのように強くなれるのですか?」


 今度は、こっちがビックリした。今まで完璧超人の強い女性だと思っていた丁香から、そんな言葉をかけてもらえるなんて。途端に恥ずかしくなって、俯いてしまった。


「わ、私、強くなんて……強くなんて、ないです。今もそう、強がっているだけ。でも、私のこの強がりで、何とかなる事があるなら、私はいくらでも強がります。いくらでも、頑張ります。私の事を応援してくれる存在が居るって、本当に信じられるから」


 俯きながら、首を横に振る。そして、あの子の事を思い出して、笑顔で丁香を見た。丁香は、何やら眩しそうにその目を細めていた。


「その自信が、羨ましいです」


 自信。それは、前世でも今世でも圧倒的に私に足りないもの。だけど、私じゃない人が信じてくれた私、だから信じようと思えた。昔なら否定していたかもしれないその言葉に、また、笑顔で応えた。


「私を信じてくれた人が、居たからこそです。……丁香さん、私は、貴女が自信を取り戻す未来を選んで欲しいと、思います。だって貴女たは、素敵な人だから。見た目だけじゃない、中身もこんなに素敵だから」


 困ったように丁香が笑う。困った、という事は、迷っている、という事だと思う。

 未来は決して、二択では無い。

 だけど、望む方向に進める事はできる、と私は信じている。強く、強く信じる。


「難しく考えるのは、また今度で良いと思います。まずは、ゆっくり落ち着ける所で、休んでみてはいかがですか? きっと、気分転換にもなりますよ」


 私は、前回のこの人の行く先を知らない。大筋には関わりなかった、つまり比較的平和に過ごせた可能性が高い。だから今回も、平和に、そしてこの人にとってより良い未来に進んで欲しいと思う。

 ふと、苦笑していた丁香の顔から、スッとつき物が落ちたような感じを受けた。スッキリした、と言って良いのかわからないが、普通の表情、になった気がする。


「そう、ですね。一回、ご主人様にお休みをいただいてみようかと思います。里にも、長い事帰っておりませんので」

「それが良いと思います。丁香さんの故郷は、どんな所ですか?」

「お嬢様が面白いと思うような物は何もない、ただの田舎でございます」


 苦笑する丁香だが、その口ぶりはどこか懐かしさを含んでいて。


 その後、少しだけ丁香の故郷の話を聞いた。尹では珍しく山林の方であること、田舎が嫌で出てきた事、妹が居る事。

 懐かしい話をする丁香は、ここで見たどの時よりも生き生きとして見えた。


「あら、申し訳ございません。長々とお嬢様のお時間を取ってしまいました。流石に、この辺りで失礼致しますね。本日はお話いただき本当に……本当にありがとうございました」


 楽しく丁香の話を聞いていたのだが、やはり気が引けたのだろう、丁香が立ち上がった。そして、深々とお辞儀をされた。私が慌てて手を振ると、もう、いつもの女僕長の顔に戻って居た。だけど、少しだけ決意のようなものが見えた。


「いいえ。私もこちらで、丁香さんには色々助けてもらっているので。少しでも恩返しができたなら、嬉しいです」


 一瞬だけ驚いた顔をしたが、女僕長の顔をした丁香はスッと表情を戻した。流石だなあ。


「とんでもございません。お嬢様をお助けするのは、私どもの役目。それでは、失礼いたします。おやすみなさいませ」

「はい。おやすみなさい」


 完璧なお辞儀をして、丁香はスマートに部屋を出て行った。

 お休み、貰ってくれると良いなあ。




 ぼんやりそんな事を考えながら、部屋の中の灯りを少し強めていく。

 そう。

 私はこれから、書き物をしなければならないのだ。

 お父様と、環公に対する書状と、あと幾つか。

 丁香ももう大丈夫そうだし、これで書状にも集中できるというものだ。


 私は早速書き物の準備をして、そのまっさらな紙に筆を下ろしていった。

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