第15話


 翌朝。

 この部屋は、太陽の光が入ってくるのが少し、遅いみたい。旅の疲れもあったのか、少しだけ、寝坊してしまったようだ。

 ノックの音で、目が覚めた。


「お嬢様。起きておられますか。朝食をお持ちしました」


 慶珂の声だ。


「今、起きた……」


 何とか声を出し、もぞもぞと、寝起きの眠気を覚まして起きようと努力する。そうこうしている内に、扉を開けて慶珂が入ってきた。


「お嬢さん、珍しいな。やっぱり、部屋が変わると寝にくいか?やっぱり枕ぐらい持ってきても良かったんじゃないのか」


 かちゃかちゃと、何かを置く音がする。


「う~ん、疲れが出たかなぁ」


 ようやく、被褥ふとんを押し上げ、上体を起こした。大あくびをし、伸びをする。


「なんだろう、甘い匂いがする」

「食欲があるのは良いことだ。ほら、朝粥ちょうしょく


 ようやく、ベッドから抜け出し、立ち上がる。卓子の上に、慶珂が朝食を用意してくれていた。丸いつやつやの盆の上には、木の器。ボウルのような皿の中に、トロトロのおかゆが入っていた。ふとただよう、花の蜜のような、果物のような甘い匂いは、この器の中から出ているようだ。


「ありがと。何が入ってるのかな、この甘い匂い」


 慶珂がセットしてくれた朝食の前に座る。カラフルな小さな実と、穀物が、お粥の中に浮いていた。これ、前世で見た事ある気がする。フルーツグラ……いや、お粥だし、全然違うか。


「なんでも、こういった実には薬効があるらしいぜ。元気になるそうだ」

「ふぅん? いつも食べてるのかな。それとも、私がお客だから?

それなら、気を使わせてしまったみたいで、申し訳ないわね」


 申し訳なくなりながらも、有難く、これまた木の、大きな匙のようなものですくう。口に含むと、優しい甘さと、口溶けだった。風邪の時とか、消化によさそう。


「お嬢さんは、やっぱり変わってんなぁ。よその家の使用人にまで、気を使わなくて良いんだぜ。貴族の娘なんだから」


 慶珂が、私の寝具を片付けてながら、そう声をかけた。私は手に持った匙を、ゆっくり置いた。


「ねえ、慶珂」

「ん?」


 慶珂は、私を振り返らず、そのまま仕事をつづけていた。


「もし私が、前世の記憶があって、それは貴族の娘じゃなくて普通の庶民で、今の暮らしに慣れない。って言ったら、どうする?」


 少し、深刻そうな声で、言ってみる。慶珂は、仕事の手を止め、やれやれと言った風に私を振り返った。


「まぁた出た。お嬢さんの、前世、発言。そんなに今、貴族であるのが嫌か? 贅沢だなぁ」


 呆れた風に言う慶珂に、ハッとした。

 そう、まさに今の私は、贅沢だ。慣れない、慣れないと言いながら、きっちりその幸運を享受している。贅沢、そう、贅沢なのだ。

 少し、落ち込んで反省してる私に、慶珂はいつものように、苦笑した。


「ま、お嬢さんが変わってんのなんて、小さい頃からずっと知ってるし、気にすんなよ。ああ、でも、ここの人達はお嬢さんが変わってるって事知らないからな。せいぜい、普通の貴族の娘のようにした方が良いぜ」


 最後は説教めかして言う慶珂に、わざとらしく真面目くさった顔で、頷いた。そして、一瞬後に、同時に噴出したのだった。






 朝食を終え、慶珂が食器を片付けに行っている間に、夜着から余所行きの服に着替える。

 城に行った時よりはシンプルな、ひらひらの服だ。せいぜい、貴族の娘らしくしないとね。

 着る順番さえ覚えていれば、一人で何とかなるので、夜着を脱ぐ。

 この時代にも下着という概念があるので、下着一枚になり、下のスカートのようなものから着付けていく。胸下で紐を結び、今度は、上のひらひらを着ようと手を伸ばした瞬間、


 ギィ


 扉の開く音がした。慶珂が戻ってきたのだろうか。慶珂がノックせずに入るなんて珍しい、そう思いながら後ろを振り向くと、


「?!」

「す、すまん!」


 あの男が、居た。

 バタン! と勢いよく扉が閉まったが、ちょっと待って、待って、思考が追いつかないんだけど……えええ!?

 み、見られた?! 下着だけとはいえ、見られた!? 

 軽くパニックに陥り、どうして良いかわからない。思わず両手で胸を隠す仕草をしてしまうが、もう遅いのはわかっている。

 と、その時、ノックの音がした。


「お嬢様。支度は終わりましたか」


 扉の向こうから、いつも通りの声が聞こえる。


「ま、待って! まだ!」

「かしこまりました。終わりましたら、お声がけください」


 慶珂の声でようやく我に返り、急いで、だがいつもよりきつく、上の服の紐を止め、さらにその上から薄い上着を羽織った。


「終わったわ」


 声が少し震えていたかもしれないが、なんでもない風に取り繕う。

 慶珂は、丁寧に扉を開けて入ってきた。


「お嬢さん。外出するんだろ、相手が待ってるそうだぜ……どうした? なんかあったか?」


 慶珂が、何かを察したのか、不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 なんでもない、と言おうと思ったが、口から出たのは、


「もう最悪! あいつ、着替える時ノックもせずに入って来たのよ! 半分見られたぁ~!」


 うわーん、とみっともない声が出た。涙は出ないが、愚痴は出る。


「もうお嫁に行けない~! 瑞のお家に恩返しできない~」


 もうやだ! と何回言ったかわからない。慶珂は心配そうな顔をしてたが、だんだん、何言ってんだこいつ、みたいな顔になってきた。


「……お嬢さん、大丈夫か」

「大丈夫じゃない! あいつ嫌い!」


 自分でも、精神年齢が下がりきっている事がわかるが、制御できない。これが、若さ……!


「……どうする、お嬢さん。失礼があったから、こんな所にはいられないって直訴して帰るか、犬にかまれたと思って我慢するか」


 慶珂が、このままでは埒があかないと思ったのか、二択を出してくる。

 その二択は悩ましいようで、実質、一択でしかない。


「……我慢する。ただ、ここには居たくないから、宿を探して。あと、黄さん……意見を聞きたい人がいるから、ちょっと外で一人になりたい」


 思ったより、冷静な声がでた。

 そう、そんなにお金を持ってきたわけでもなく、知り合いもいないこんな所から、自力で帰るのは、難しい。

 関所のような所も、どうやって通ったのか私にはわからない。

 ならば我慢して、正式に帰れる日を待つしかない。

 幸い、向こうはこちらを客人扱いしている。そんなに無碍むげな対応はされないだろう。

 慶珂は、私の判断に頷いた。


「わかった。宿は探しておく。外で一人になるのは難しいだろうが、まあ、何とかしてみる」


 そして、いつものあのニッとした笑い方をして、


「心配すんなって。もしもの時は、俺が貰ってやるからさ」


 そう、冗談めかして言った。その言葉に、私も自然に笑みがこぼれた。


「なぁに、それ。大丈夫よ、もしもの時は、一人で生きるわ。慶珂にも迷惑かけないようにする」

「おいおい、男の告白にその返事は、ひど過ぎやしないか?」

「そう? だって、慶珂、環に良い人いるんでしょ~。知ってるんだから。噂になってたよ」

「はあ?! 誰だよそれ!」

「誤魔化したって無駄よ~。厨房長が、間違いないだろうって言ってた」

「あのおっさん……」


 慶珂の盛大な溜息に、くすくすと笑みがこぼれた。胸のつっかえと、恐怖が、少し薄れた。

 少し、想う。男性経験とやらがあれば、あんな事ぐらい、と笑い飛ばせたのだろうか。あっても、やっぱり好きな人以外は、無理。となるのだろうか。わからないけど。ないからね! 仕方ないね!

 今は、とりあえず、平静を保つしかない。ああ、早くお家帰りたい。


「っと、向こうが待ってるんだった。今日は、遊船に行くんだろ?……本当に、大丈夫か?」


 そうだった。あの男と、至近距離でまた向かい合わなければいけないんだった。

 心の底から、溜息が出た。

 が、溜息を吐いたら、なんだか腹が座ってきた気がした。


「うん、大丈夫。行ってやろうじゃないの。そして、これ以上は関わらないようにする!」

「その意気だ」


 慶珂の笑顔と、さっき言ってくれた言葉に、感謝しかない。

 さっきくれた言葉は、本当に嬉しかった。

 慶珂に恋愛感情は持っていない。弟のようだというのが本音だ。

 でも、私を主人としてだけじゃなく、心配してくれているのがわかって、嬉しかった。その気持ちが、有難い。

 本当に、政略結婚しない未来があるなら、慶珂と穏やかに老年を過ごすのも悪くなさそうだ。

 その想像に、ちょっとだけふふっとなった。


「さ、そうと決まれば行きましょう。さっさと舟乗って、ご飯食べて、せっかくだし買い物とかしよう」


 ぐっと拳を握り、天に突き上げる。慶珂の、呆れたような安堵したような笑い声が聞こえた。

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