第14話

「いや、そうだろ。あんた、いや……瑞のお嬢さん、この街、知らねえだろ。船着き場まで行けるのかよ?」


 凄い考えて私への二人称を言ったのが、伺える。あの周という人みたいに、慣れ慣れしくなくてよかった。

 だが、明日も一緒なんて、気が重い。

 明日は、何とかして慶珂を連れていけないだろうか。でも、慶珂も使用人だからと引いてしまい、結局自分で何とかしないといけなくなる気がする。しかし、予約をしているという事は、ドタキャンしたら迷惑よね。困った。


「まあ、評判良い所だから、楽しめると思うぜ」

「ど、どれくらいの、所要時間ですか」

「あ? そうだな、朝遅く出て、昼過ぎぐらいには終わるな。その後は飯店めしやも予定してるが、まあ、無理そうなら中止しても良い」

「そう、ですか」


 これも、私へのおもてなし、の一環なのだろうか。ここまでされると、本当に恐怖しかないんだけど。何か、裏があるんじゃなかろうかと、身構えてしまう。っていうか……


「あの、もう一つ良いですか」

「なんだ?」

「ふ、二人だけ、ですか? あの、使用人を連れて行きたいんですが……」

「使用人を乗せて遊舟するのか? そこまで離れたくないって、なんだ、あんたら付き合ってんのか?」

「付き合ってないです! 違います、その、幼い頃からいるから、姉弟みたいな感じというか……」


 そうか、こういうのってやっぱり使用人、というか部外者を連れていかないものなんだな。

 これって、あれでしょ、デートっていうか、取引先の人と食事みたいなものでしょ? そうよね、この時代の使用人の人達の人権と言うのは軽く見られがちだけど、見られたり聞かれたりしたら、やっぱり気まずいよね。今までこういった事ってなかったから、こっちの常識というのがわからないのよね。まあ? 前世のそういった事の常識も別に知らないんですけど?特に困らなかったし??

 男は、またよくわからない顔で、私を見つめた。思わず目を逸らし、床の板材の汚れを見つけてしまった。


「……まあ、そこまで俺に信用が無いってんなら、使用人も連れてきていいぜ。別に、舟はいくらでも変えられるからな」


 視線を下にしたままなので、どんな表情で言っているか推測しかできないが、これは、たぶん、不機嫌。

 面倒くさい男だなあ、と正直思ったが、それを口に出して事態が良くなる事はなさそう。一生懸命、何とか頭を回転させてみる。

 

「あの、信用が無いわけではないんです。ごめんなさい、私、いつも家にいて、身内以外の殿方と二人で出かける事が無かったから。緊張してしまって、何か粗相をしてしまうのではないかと」


 頑張って、喉元まで視線を上げて、訴えてみた。

 これは、ちょっと言うのが恥ずかしいが、本当の話だ。この時代の、これぐらいの年齢の貴族の子女なら、これでも全然許される、ハズ。だって、向こう隣のあんの家の女の子もほとんど男の子と喋った事無いって言ってたし!

 沈黙。

 男が、沈黙している。

 なんだろう、私、また何かしてしまったのだろうか。

 チラッと、視線をさらに上げる。すると、


「……そうか」


 口に手を当てて、視線を逸らしていた。え? 何その反応? 馬鹿にされるか、逆に困るかのどちらかだと思っていたのに。


「明日は、船頭もいるから、別に二人だけじゃない。安心しろ」


 思戯の反応に固まっていると、視線を逸らしたまま、そう言われた。

 え? え? 何、こんな展開想像してなかったから、どうして良いのかわからないんだけど?


「そう、ですか。ありがとうございます。明日は、よろしくお願いします」

「ああ」


 その後は、微妙な雰囲気のまま、二人とも無言で食事を続けた。

 なんとか無言の(味がしなくなった)食事が終わり、お暇しようと席を立つ。思戯は、まだ酒を呑むようだった。


「今晩は、ご馳走様でした。それでは、失礼します」


 軽く頭を下げ、扉に向かおうと背を向けた。


「ああ。外にいる使用人がいれば、客坊まで戻れるだろう。……おやすみ」


 まさか、夜の挨拶をかけられるとは思ってもみなくて、ちょとびっくりして振り返った。男は、こちらを見ているような、杯を見ているような微妙な視線をしている。

 挨拶は、返さないと失礼だろう。


「おやすみ、なさい」


 私が振り返り、そう言うと、男はまた視線を逸らした。自分から挨拶したのに、こっちの挨拶を無視するとは、まさかこの人もコミュ障なのでは……? コミュ障なら、仕方ない。コミュ障のよしみで許してあげよう。ふふん。

 もう一度軽く頭を下げて、今度こそ、その建物の扉を開け、渡り廊下に出た。





「お疲れ様でした、お嬢様」


 外には、慶珂がいた。やさしい明かりの提灯を持っている。とたんに、安堵で溜息が出た。


「ただいま、慶珂。部屋まで道案内、よろしくね」

「かしこまりました」


 慶珂は、私が溜息を吐いただけで、歩き出そうとした事にちょっとホッとしたようだった。どれだけ心配かけたんだろう。

 慶珂はそれだけ言うと、よけいな事を言わず、提灯を掲げて先に歩きだした。その後を、歩く。

 そのいつもの事に、全く知らない景色の中でも、なんだか安心感があった。


「戴のお食事は、いかがでしたか」


 私の緊張が薄れたのを察してか、振り返らず慶珂が聞いた。


「うん、環には無い味付けとか、魚とか、いっぱいあったよ。帰ったら、試しにいくつか作ってみたいなあ。ねえ、慶珂、ここの使用人の人たちに、ここにしかない調味料とか、作り方とかあったら、聞いておいてくれない? あの子たちにも、父上にも食べさせてあげたいなぁ」


 喋っていたら、なんだか急に寂しくなってきた。

 夜は、いけない。寂しいとか、悲しいとか、不安とか、そんなものを、大きく膨らませてしまう時間だ。前世では独りで生きていたっていうのに、弱くなったなあ。


「戴の料理は、滅多に食べれるものじゃないですから、当主様も喜ぶ事でしょう。明日にでも、聞いてみます」


 ふと暗くなった心の内を察してか知らずか、慶珂はことさら声を明るくして、そう言った。慶珂のそういう聡い所に、本当に救われている。


「うん。……ありがとう、慶珂」

「とんでもありません。いつもの事じゃないですか」


 そこでようやく慶珂は、後ろにいる私を振り返り、ニッと笑ったのだった。





 特に何事もなく渡り廊下を歩き、元の客坊まで戻って来た。

 部屋の扉を開けると、すでに寝具が整えられていた。

 戴も、環と一緒で、ベッドを取り囲むように細い柱が立ち、天蓋がかかっている。被褥ふとんは春用の物みたいに薄手だ。

 よく見たら、柱も柔らかくうねり、曲線を描く飾りが取り付けられている。天蓋は薄く、蚊帳の役割があるようだ。

 川床に出る方の大きな扉ではなく、月が見える方の窓が薄く開いている。そこには細い木で柵がしてあり、そこから侵入が出来無いようにしている。窓には、可愛らしい赤い飾り紐で、小さな鏡が下げられていた。

 これが、この国の夜のスタイルなのだろう。なかなか、快適そうだ。


「それでは、お嬢様。失礼致します」

「慶珂は、どこで寝るの?」


 部屋に灯された、ランプのような置物の火を消し、慶珂は私に挨拶をした。

 私の言葉には、月明かりでもわかるぐらい、笑っていた。


「この客坊を管理する従僕しようにんが、近くに部屋があるそうで。そこにお邪魔する事になりました。大声を上げれば聞こえる距離ですので、遠慮なくお呼びください」

「私が、大声を上げるのが得意では無い事ぐらい、知ってるでしょう」


 慶珂のちょっとした意地悪に、頬を膨らませる。その様子を見て、苦笑する慶珂。


「でしたら、これをお使いください」


 渡されたのは、部屋の卓子の上に置かれていた、太いベルのような物。鈴なんて可愛らしいモノじゃない。私の手のひらぐらいあるけど。


「き、聞こえる、のよね」

「この部屋を管理している者は、そう申しておりました」

「そう……わかった。じゃあ、おやすみ、慶珂」

「おやすみなさいませ、二姐お嬢さん」


 そう言うと、慶珂は頭を下げて、出て行った。

 月明かりだけが照らす部屋で、夜着に着替え、そっとベッドに横たわる。優しい、花の香の匂いがした。

 こんな知らない土地の知らない部屋だけど、その心遣いだけで、なんだかゆっくり眠れるような気がした。

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