第16話
屋敷の庭にある、小川の上に造られた渡り廊下を歩き、玄関というかエントランスというか、幅広い建物についた。
そこには、あの男が待っていた。
「……よう。準備はできたか」
「はい。本日はよろしくお願いします」
あの男も、気まずいとは思っているのか、微妙な顔をしていた。私は頭を軽く下げるとすぐに視線を逸らし、下を向いた。
促され、開け放たれた扉をくぐる。
石段を降りて、土を踏んだ。
「よう! 珠香ちゃん、昨日ぶり~」
この微妙な空気をへともしない、陽気な声が聞こえた。思わず、聞こえた方を向くと、
「周、さん」
「昨日はよく眠れた? 美味しいモノ食べさせてもらった?」
普段のニヤニヤというより、挨拶のような爽やかな笑顔。思わず、緊張を解かれる。
「ええ。環では、食べた事の無いような料理をいただきました」
「そお、よかったね。今日は、遊船するんでしょ? 俺もあの辺に用事があるし、途中まで一緒に行きたいんだけど、良いよね」
よく喋るこの人の申し出は、むしろありがたかった。
あの男と二人きりなんて、息が詰まるっていうか、横にいたくない。舟は覚悟したが、道中の事は覚悟できてなかった。
自然と、周の横に移動した。その様子に、おっという顔をした後、ニヤニヤしてあの男の方を向いた。
「なになに、思戯、また珠香ちゃん怒らせたの~? ダメダメじゃん」
無言で殴り掛かってくるあの男のパンチを、今度は避ける。二人はいつも、遊んでいるようなやり取りをしている。仲が良いことだ。
「お、珠香ちゃん機嫌直してくれた? それじゃ、ゆっくり歩いて行こうぜ。俺も、珠香ちゃんに聞きたい事色々あるし」
「え、お話できるような事は特に何もないですが」
苦笑して応えると、周が人懐っこそうな笑顔で、私に近づいた。顔が近くなったので、思わず後ずさったら、それ以上は踏み込んでこなかった。うーん、発言はともかく、基本的に紳士なんだよねえ、この人。
周が歩きだしたので、その横に並ぶように歩く。すると、すかさず周は中央側に立った。
こ、これは、都市伝説にある車道側を歩く男性…! なんとスマートな。
相当遊んでいるのだろうか。
ちらりと後ろを振り返ると、慶珂が存在感を消して着いてきていた。ちょっと、ホッとした。
あの男は、周の更に外側を歩き出した。
三人並んで歩くのって、結構道幅とるよね。
でも、この街ではあんまり馬車を使う人がいないみたいで、馬か、徒歩の人ばかりだった。
道幅も、そんなに広くないし、舟で移動するなら、置いていかないといけない乗り物より、自分で歩いたほうが良い、ってなるのかな。
一人でそう納得していると、急に周が声をかけてきた。
「ねえ、珠香ちゃん。珠香ちゃんはどんな男性が好み? 俺みたいな、おしゃべりが多い男? それとも、思戯みたいに、変に寡黙な男?」
ニコニコと顔を覗き込まれながら、そんな質問をされたので、慌てて視線をそらした。こんな質問急にされても、困る。
「あ、あの、あえて言うなら、やさしい、人、とか?」
「ふぅん、優しい男が好きなんだね〜。戴ではさあ、でかい魚を自分で取れるような、強い男がモテるんだよ~。だから、俺みたいなおしゃべりなだけの男って、あんまりモテなくてさあ」
けらけらと笑いながら、周は言う。
ぜったいウソだ。
この対人スキルの高さで、モテないはずがない。顔だって、悪いわけではない。
ニヤニヤ顔をせずに、心配そうに見つめられたとき、思わず胸が弾んだ(事故)し。
「そんな風には、見えませんよ」
「本当! 俺、強そう?」
「強そう、というのとは、ちょっと違うかも」
だよな~、と茶化して言う周に、思わず笑ってしまった。お調子者で、おしゃべりで、親切な人。悪い人では無いと思う。
「こんな弱っちい俺とは違って、こいつはモテるんだよ~。天は不公平だと思わねえ?」
今度は、周からあの男にパンチを仕掛ける。だがそれは、軽くはたかれて、阻止された。いつもの事のようで、不機嫌そうな男は眉をしかめた。
「お前の方が、最終的にモテてるだろうが」
「そんな事無くねえ? 声かけられるのは、いっつもお前が先だろ~」
男子高校生の会話かな?
それにしても、本当に仲がいい。同年代っぽいが、それでも、貴族の子息であるあの男と、この、どう見ても庶民出身みたいな周が、友達のように接しているのは、不思議だ。
「ねえ、ねえ、珠香ちゃん。珠香ちゃんから俺って、どう見えるん? 環の女性って優しい人が好みなら、俺にもモテ期きちゃう感じ?」
屈託の無い笑顔で、そんな事を言われてもすごく困る。というか、男性側からこんな事を聞かれるのはじめてだから、どう答えていいのか、わからない。
あ。でもそうか、これ、からかわれてるって事もあるのか。
「ええと、環の女性もそれぞれなので……一般論で言えば、たぶん戴と同じで、強い人が良いんだと思います。周、さんの事は、思ってたより良い人だなって、思います」
考えて、思った事を言ってみた。
一瞬ビックリした顔の後、周はあちゃー、とでも言わんばかりの苦笑をした。
「そっかー、良い人か~。そうなんだよなあ、俺っていっつも、良い人、ってフられるんだよなあ」
「周さんが振られるんですか? 意外です」
「そう? なんだろうね~。あと、その周さん、っていうの固いからさ、
急に、良い笑顔で顔を覗き込まれた。
「え、えと」
「俺も、珠香ちゃんて呼んでるから、これでおあいこ」
「あの、私は別に」
「ほらほら~、燎でも、燎くんでも、燎ちゃんでも良いからさぁ~」
めっちゃ、ガン見される。
この人、私みたいなタイプの扱いを知っている。
強敵だ。勝てない。
この人、たぶん、私が呼ぶまでずっとこうできる人だ。潜在的Sの人だ。
「ううう」
「燎、その辺に……」
あの男に、助けられるなんて、屈辱だ。自分で何とかしないと。
と、腹を決めて、口を開いた。
「り、燎、さん」
「おー、いいね! その調子その調子」
けらけらと笑いながら、ようやく視線を移動させてくれた。ふとその視線の先をたどると、不機嫌そうな、あの男の顔。ますます楽しそうにする、燎。
「ねえねえ、思戯、うらやましい?」
「うるせえ」
軽くじゃれあいながら歩く二人。
すれ違う、主に女性達の熱い目線が、眩しい。
二人とも見た目は割と良いから、注目の的なのだろうか。まあ、でも、双子といる時より、玉雲といる時より、居心地の悪さは無い。
これぐらいなら(物理的)被害が無ければ、なんてことない。……兄弟といるのが居心地悪く感じるのって、なんだかなあ、とは思ってる。
「二人とも、仲良いですよね。友達みたい」
あんまりにも、男子高校生的なやりとりを微笑ましく見過ぎたせいで、ついポロっと口がすべった。
「ん? 珠香ちゃん、俺たちの事、なんか聞いた? 戴の誰かが、ナニか言った?」
笑いながらも、目がスッと、細められた。この燎という人、能天気に笑っているだけの人じゃない。背筋が、ちょっとヒヤッとした。
「いえ、あの、環では二人は、武将とその部下って聞いたから、その」
私が言い訳がましくそう言うと、燎は細めた目をニコッと閉じた。そして、いつものニヤニヤ顔になった。
「環で、そう聞いたんだぁ。なあ、思戯、俺たち環でも有名だって」
「いや、違うだろ、普通。あいつが俺たちをそう説明したんだろ」
「あ、そっか~。あいつって本当、陰険野郎だよなー」
「それな」
やっぱり、友達だ。しかも、長い付き合い系のやつ。気を許しているのがわかる。
「ま、というわけで、俺たちって友達なんよ~。ビックリした?」
「いいえ、そうだろうなって思ってました」
ひょうきんにそう聞く燎に、さっきちょっと怖いと思った事すら忘れて、ふふっと小さく笑ってしまった。
燎も、ニヤッと笑っい、あの男の肩に手をまわした。あの男もまんざらではなさそうに、振りほどく事はしなかった。
「やめろって。お前、ガキの頃から俺より腕短いだろ」
「はあ? そんな事ねーし。……っていうか、珠香ちゃんにはそれ言っても良いのか?」
「別に……」
「あの、込み入った話になるなら、私は」
急に、シリアス感出してきた二人に、面倒臭くなるアンテナが反応した。咄嗟にその話題を避けようと思ったが、二人は、何やら昔を思い出しているようで、遠い目をしていた。
「苦労したよなー、俺たち」
「そうだな」
「でも、あの時の方が楽しかったよなー」
「そうかもな」
「あ、でも、今は珠香ちゃんと一緒にいるから楽しいよな」
「そうだ……は?」
してやったり、という風に高らかに爆笑する燎。
それに一瞬止まった後、乱暴に手を振り払い、燎に向かってあの男は怒っていた。手も足も出ていた。なぜか、耳の先を真っ赤にして。
「あーはは! 面白かった! じゃ、俺、この向こうに用事あるから! またね、珠香ちゃん」
その思戯から逃げるようにして、大笑いしたまま手を振り、人混みの中に華麗に消えて行く、燎。
そのあまりの鮮やかさに、手をちょっと上げてこたえる事しかできなかった。いろいろ凄い人だった。
思わず顔を見合わせ、なんだか、二人とも毒気が抜かれたようになってしまった。
思戯が、疲れたようにため息を吐いた。
「うるさくてすまんな。昔からああいう奴なんだ。悪気があるわけじゃないんだが」
苦笑するようにそう言って、ある方向を向いた。
「あの、
思戯の視線の先には、三階建ての、豪華な建物。
派手な色、飾り付けられた提灯。
舟遊びって、もっと質素な船着き場から舟に乗るものだと思ってたけど、どうやら違うみたい。
思戯が、私を待つように立っている。
歩み寄ると、歩き出した。その後ろを、はぐれないように、歩く。
この男に対して、許せない事が二つに増えたけど、歩み寄るくらなら、別にいいか。
後ろを歩きながら、ふとそんな事を思った。
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