第43話 お前は……!!

 途端、世界が湾曲の渦に浸り始める。平衡感覚が歪んでいき、自分が今どこにいて何をしているのかすらわからなくなってきていた。

 気が付けば私は地面に倒れ込んでおり、雲子は隣で額を押さえながら片膝をついていた。

 一方で奴は倒れるとまではいかないものの、手を合わせたまま振り子のようにふらついていた。


「ハァ……ハァ……酸素が吸えん気分はどうかいな……ハァ……ハァ……」


「ガ、ハ……」


 な、なんなんだこれは……! 空気は吸えるのに体調が一向によくならない。立つことさえままならなくなってきた……さっきの真空とはわけが違う……これは……ッ!


 足掻きが取れないでいると、前方から余裕のない笑い声が聞こえてきた。


「グジャ……バガハハハ……この技はまだ完全に制御できない……俺もダメージを受ける……だが、分は俺の方にある!」


「ハァ……ハァ……」


 痛みが私の頭を襲い始めた。上下左右もわからなくなってきた。このままじゃ死ぬ。本当に死んでしまう。


 一体何をすればいい……何をどうすれば打開できる……手元にはゴムチューブと落ちているガラスや木片とかしかない……賭けるしかない!


 私は辛苦を堪えながら仰向けの態勢になると、両手を腿の上に乗せる。


「悲し……き……聾啞の……セレ……夜曲ナーデ……ハァ……ハァ……趨勢に……身を委ねぇ……ハァ……ハァ……聖夜の鐘を……鳴らせ……創……乱ッ!」


 辺りが黄金色に輝きだす。そして私の手の内に現れたのは鉄の定規だった。


 ……はぁ? おいおいおいちょっと待て。なんでこんな状況下でこれが出るんだよ。おかしいだろ!

 ……いや待て。まだいける。諦めるのは早い!


 途端、私は震える手でポッケからゴムチューブを取り出すと、精一杯の力でチューブの先端に定規を括り付けていく。


「ハァ……ハァ……」


 何とかして付けることができた私はチューブの末端を持つと、頭と尾の間が曲がらないように配置する。


 そして、ゴムチューブを竿を振るようにしならせながら全身全霊で投げつけていく。

 定規はチューブが外れながらも直進していく。しかし方向は歪で、御紋とは反対の道へと舵を切っていた。


 あぁヤバいヤバいヤバい! あれが外れたらおしまいだ……望みが潰えてしまう……頼む、何か起きてくれぇぇぇ!!


 焦燥感と圧迫感で気が狂いそうになった時、突然定規が宙で跳ね返った。なんとそこには雲が浮かんでいたのだ。


 こ、これは……雲子!


 すると隣からかすかに声が聞こえてきた。


「ゼェ……ハァ……任せ……なさい……ッ! 反乱雲!」


 どこからともなく複数の雲が現れると、それらはバケツリレーのように定規を標的へと運んでいく。

 向きが変わるたびにそれは勢いを増していき、呼応するように雲が定規を跳ね返すまでの間も少しずつ長くなっていった。


 定規が動きを目で追えなくなったのと同時にそれは奴の御紋に深く突き刺さった。


「ウッグォォォォォ!!!」


 相当な激痛なのか空気の神は叫びだす。私は、捻じれまくっていた視界や聴覚が徐々に正常な機能を取り戻してきていることを感じ取っていた。


 しかし、戻る速度は本当にゆっくりで、まだ完全に安心できる状況ではなかった。


 術が解け、ある程度自由が利き始めていると、雲子は漏電を吸い込んでいるばかりか発射の用意までを既に済ませていた。


「ハァ……ハァ……もう……お終いにしましょう……ッ! え、雷澱舂らいでんしょう!!」


 放たれた雷雲は真っすぐに彼を目掛けて直進していく。そして、痛みで動けぬ彼は雲子の攻撃をなす術なくもろにくらってしまっていた。


「ヌゥウォォォァァァァァ!!!」


 迸る稲妻と共に鼓膜を切り裂くような咆哮が辺りを驚愕させる。今の攻撃で応急処置をした傷口が開いたのか、右二の腕からは多量の血が流れ出てきていた。


 そして、空気の神は動かなくなった。


 私はぽつりと呟く。


「や……っと……倒……した……ハァ……ハァ……」


 すると隣から雲子の声が聞こえてきた。


「ハァ……ハァ……このまま置いておけば萎んでいくわ……向こう数か月はまともに動けない筈よ……」


 地に這いつくばりながら聞いていた私は小さく拳を握ると、心中で勝利を確信した。


 やった。倒せたんだ。空気とかいう概念の塊を倒すことができたんだ! それに今回ので5体目だ。やっと……教えてもらえる……忌まわしき朽鎖を取っ払う方法を!


 腕に力が入るようになった私は、体を震えさせながら態勢を正座にまでもっていくことに成功した。


「ッ…………!!!」


 そして思いっきし深呼吸をしふと空気の神を視ると、なんと首から上が無くなっていたのだ。


「え……まさか……あなたがやったの?」


 私は直感的に雲子の顔を視る。彼女は大きく首を横に振っていた。


「わっちがこんなことやるわけないじゃない! 見る限り彼自身の仕業ではないのは確かよ」


「じゃぁ誰が……ッ!!」


 直後、廊下の奥から不気味な足音が聞こえてきた。私達は反射的に傾視する。

 段々と近づいてきて、瓦礫が引き起こす陰から本体が現れた。


 一瞬私は信じられなかった。なぜなら、右手には空気の神の首を、背後には残る4人の首を浮かせていたのだから。


 何より、見覚えしかない顔でもあった。


「スルメとアタリメの違いはわかるかな? 正解はスルは縁起が悪いから当たりと変えて呼ぶようになったからでしたぁ~!! こんなこともわからにのかなぁ? プンプン!!」


 耳にこびりつくような煽り声を発しながらこちらへと向かってくるそいつは……白谷であった。

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