第41話 獰飆

「アァ、ガッ、ハァァァ!」


 彼は必死になって血止めにかかる。しかし、身から出る流れをやすやすと塞くことは叶わずじまいであった。


 神は一呼吸置くと、可視化された空気の塊を患部に当てた。するとみるみるうちに血流が止まっていき、ついには一滴の雫さえもこぼれなくなった。


 彼は怒り心頭であった。


「こんの蛆虫がぁ! 肉片飛ばしたぐらいでいい気になってんじゃねぇぞクソがぁぁぁ!!」


 彼は両手にカッターを形成すると、再び足を加速させた。


「いいか畜生。俺はてめぇを惨殺する。寸分違わず斬り刻んでやるよ!!」


 奴はどんどんと近づいてくる。咄嗟に私は両手の平を合わせた。


「殺られるのはそっちの方よ! くうを濫せし外道の権化。朽ちて還りは花と変せん。創乱!!」


 途端に眼前が輝きだす。光の中からは手斧が出てきた。右手に確かな重力を感じながら私は雄叫びを上げた。


「ヨッシャァァァ!! 雲子!」


「わかってるわ」


 私と雲子は彼に向かって走り出した。


 さっきの氷塊は恐らくあいつに一掃された雲を集めて作ったものだ。だとするとまだ氷塊を打てるかもしれない。


 私は隣を走る雲子に話しかけた。


「雲子! あの氷塊まだ出せる?!」


「出せるけど数分かかる!」


「了解!!」


 私は彼の急所に狙いを定めると、振り被りながら跳びあがる。


「ハァァァァァ!!!」


 だがしかし、それはいとも簡単に受け止められると、突風で遥か向こうへと吹き飛ばされてしまった。


「俺も舐められたものよ。猿が滑稽な真似を」


「別に下に見ているわけじゃない。あなたの視線を釘付けにしているだけよ」


 私が少し口角を上げた時、背後から右拳を雲で覆った雲子が現れた。彼女は勢いのままに振り抜いていく。


魯凪驢ロナバ!!」


 彼女は神の頭部を狙った。だがそれも虚しく、あえなく可視化された気圧によって防がれてしまった。


「俺を侮辱するのも大概にしろよてめぇらぁぁ!!」


 青筋を立てた彼は両腕を天に掲げると、さっきの教室の方角へと腕を一気に傾けていく。


空晶くうらことわり、獰飆!!」


 彼の両腕が地を向いた反動で恐ろしい風が生み出されると、私達はなす術もなく流されていってしまった。

 気が付いた時には既に床の上を転がり込んでおり、ほどなくして机に衝突して体は停止した。


 上から下にかけて身が削られたかのような激痛が淀みなく駆けていく。潤む視界には同じく倒れ込む雲子の姿があり、指を数本痙攣させていた。


 い、今……私何をされたの……一瞬すぎてごくわずかな過程しか観ることができなかった……御紋が胸部にあるのはわかっている。だけど……あんな奴、一体どうやって倒したらいいんだよ……。


 頭だけでも上げようともがいていた時、教卓の上で腕を組みながら座る神の容姿が目に入ってきた。


「グジャバガハハハ!! なんて爽快な壮観なのだろうか。俺を嘗め腐った罪は重いぞぉ? 恐怖に抱かれて堕ちやがれ! 空晶の理、絶界!!」


 彼が目に力を籠め、白部がどんどんと赤になるにつれて呼吸が苦しくなってきた。やがて視界は朧になっていき、体に動かなくなっていった。


 こ、れは……酸素? いや、空気そのものを抜き取られているのか……! このままじゃ窒息死してしまう。

 だけど、いくら心中で叫んでも何も起きやしない。行動を試みても細胞の一つも働きやしない。本格的にマズい。神経が抉られていく感覚がして寒気が止まらなくなってきた……。


 次第に耳もまともに機能しなくなってきていた。虚空に足蹴にされている気分であった。

 いよいよ意識が途切れそうになった時、かすかに何かが割れる音がした。それは徐々に大きくなっていき、ついには今の私でもはっきりと聞こえるほどの轟音が鳴り響いた。

 かと思ったら今度は外から瓦礫が大量に飛来してきた。瓦礫は雨あられと部屋中に降り注いでいく。その内の一つが私に当たりそうになったると、突如として眼前に大きな雲が現れた。


「雲の楯間たてまに。サリナ、平気?!」


 声の主は雲子だった。彼女は若干疲れた顔持ちをしながらこちらを駆け寄ってきた。外からは少しずつではあるが、空気が流れ込んできていた。


「う……ん……平、気……この瓦……礫は……?」


 この台詞を言った時、私の視界には連鎖状に続いていく丸い雲の隊列が映っていた。


「さっき飛ばされた斧を経由して飛ばしてきたの。雲の操作には苦労したけどね。それよりも早く態勢を整えて。直に大気の大移動が始まるわ」


「え……?」


 雲子にそう言われ、直感的に神の方を見る。彼は、止まらない残骸の雨に対して守りの一手を取っていた。


 つまり、空間の操作を停止していたのだ。


「ナッ、ガッ、ッ……!! いい加減鬱陶しいんだよゴミ共ガファァァ!!」


 彼が何かほざいていると、瓦礫の中でもひと際大きいものが腹部に衝突した。

 崩落は留まることをしらず、氷塊の影響で脆くなっていた天井が火を吹くかのようにどんどんと勢いを強めていった。


 私達が頭上と側面に雲の盾を張って耐え忍んでいた時、突然窓の方角から突風がなだれ込んできたのだ。

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