第14話 一緒に帰りたかったなぁ……

「な”……に”……」


 も、問題が変わっている! どういうことだ……まさか……。


 私は目を横に向けた。視線の先にはニヤッと笑いながら鉦鼓を鳴らし続けるおじさんがいた。


「あ”、あ”んだ!」


「頭痛は辛かろうサリナ殿。音が濁るほどに辛かろう。案ずることはない。すぐに気絶らくにさせてやろう」


 直後、おじさんは鉦鼓を鳴らす間隔を短くし、打ち付ける力も強くしていく。


 こ、こいつ、不公平通り越して理不尽じゃないか! これテストだよね? 考査だよね?! なんで命掛けなのよぉぉ!!


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 弱音を吐いている暇はない。何とかして戦況を変えないと。考えならさっき思いついた。鍵は雲子だ!


 私は、視線を雲子に向ける。


「雲子! おじざんが少し前にあだたのごど馬鹿野郎の怠け野郎っで嘲笑っでいだわよ!!」


「!! 何ぃぃぃ!! 本当かお前ぇぇ!! この前からわっちのことを馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿言いおって!! もう許さないからなぁぁ!!!」


 雲子は、腕を振り回し始めた。おじさんは、大慌てで言葉を連ねる。


「ままま待て。儂はそんなことは言うとらん。出鱈目じゃ!」


「じゃかましい!! いいから殴られろ! そして猛悔しろぉぉ!!」


「ま、待ってくれぇぇぇ!」


 雲子はおじさんに殴り掛かった。彼は、それを両手で防ぎながら必死に逃げ回っている。雲子の勢いは凄まじく、おじさんは防御に徹するのに精一杯なのか、鉦鼓から手を離していた。

 乱闘の間隙に彼は苦し紛れに机や椅子を蹴ってくるが、私はそれらを固定することで妨害を無効化していく。

 同時に私の耳から金属音が消え去り、頭痛は先程とは比にならないほど緩和された。

 私は利き手でシャーペンを握ると、超スピードで問題を解き始めた。再びゾーンに入った私は、光に近い速度で解答用紙を埋めていく。


「や、止めるんじゃ!!」


 途中、おじさんが物を投げたり音を鳴らそうとしたのが視えたが、すぐさま雲子に攻撃されて失敗に終わっていた。


 万事、この上なく順調なり。


 ただ我武者羅に筆を滑らせていく。そして遂に、残る問題は1つだけとなった。時計の長針は、終了予定時刻の数字に乗りかかろうとしていた。


 この調子だったら行ける!!


 そう思った瞬間だった。利き手に張り巡らせていた緊張を少し緩めてしまったのだ。咄嗟に手を伸ばしたが手遅れで、シャーペンが無音を切り裂きながら床に落下していく。


 一瞬の気の緩みであった。怠慢だった。ゾーンが切れるとともに深い焦燥感が精神を支配していく。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、マズい。マズいぃ!!


 幸い、落下時の音を聞きつけた先生が拾いに来てくれたが、時間はそんな私を見捨ててどんどんと前へと進んでいく。

 瞬時に机の端にある予備のシャーペンを使おうとしたが、なぜか壊れていた。いや、壊されていた。


「こ、これは!!」


 そう反応した時、近くからおじさんの笑い声が聞こえてきた。


「ボギャラファファファファァァ!!! 試験が始まった時に破壊しておいた。もう書くものは残っておるまい。儂は勝利への道を歩むんじゃぁぁ!」


 おじさんが高らかに叫んだ時、私の手元に落ちたシャーペンが戻ってきた。直後、時計の長針が終了予定時刻に到達した。おじさんは未だに笑い続けている。


 その瞬間、私はニヤリと笑うと、筆を光速で動かし始めた。シャーペンが解答用紙の上で舞い踊る。

 おじさんは驚愕していた。


「な、何をしておるのだ! 終了時刻はとうに過ぎておるぞ! 早うその手を止めん……」


 私は、おじさんの言葉を遮るように言葉を発する。


「おじさん。ここの時計は少し早いんですよ」


「なっ!!?? そ、そのようなことは初耳じゃぞ!!」


「言ってませんからね」


 おじさんはの顔は、みるみるうちに青ざめていった。私は、自分の口角がみるみるうちに上がっていくのを感じた。


「ま、待ってくれ。勝敗の内容はお主が望むように変更する。じゃから待ってくれ、頼む!」


 彼は必死に両手を合わせて懇願してきた。が、私は知らんぷりをしてひたすらに筆を走らせていく。

 それでも彼は懇願を続ける。


「た、頼む! ここで敗けたら儂の神様生命に関わるんじゃ! 何でもする、筆を止めてくれ!!」


「はぁ……そんなに言うなら止めてあげますよ」


 そう言って私はシャーペンを机の上に置いた。置くと同時に、おじさんの顔がどんどんと赤色に変色していく。


「よくぞ筆を止めてくれた。儂は感激しておる。戦に勝てたことが。誠に残念じゃが、ルールはルール。変更はせん! お主は終わりじゃぁぁぁ! ボギャラファファファファァァ!!!」


 おじさんは再び喚きだす。私は、なんて馬鹿なのだろうと思った。私は、止めていた口を動かし始めた。


「ただし、もう解き終わった後ですけどね。不公平を重んじる神様さん」


 憎ったらしい口調で言った直後、試験終了のチャイムが鳴った。雲子は大きな溜め息をつくと、大急ぎで採点を始めた。

 一番後ろの席の人が私の解答用紙を集めた辺りには採点が終わり、雲子が口を開いた。


「満点だよ。おめっと」


「え? ほんと?! マジで?!!」


「ほんとよ。これ以上は言わないわ。面倒臭い」


 雲子はまた溜め息をついた。普段ならここでひと悶着あったのかもしれない。だけど、今の私はとても気分が良い。極めて良好だ。だから嚙みつくようなことはしなかった。


 ふと目を横にやると、そこには体を小刻みに震わせるおじさんの姿があった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、嫌だ。儂はまだ生きたイバダガフェラァァ!!!」


 次の瞬間、おじさんは白い光を発しながらサッカーボールほどの大きさまで萎んでいった。耳からは、テストが終わって教室を出ていく同級生の足音が聞こえてくる。


 戦いは終わったのだ。私は右手で口を押さえる。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……疲れた~。初めてだよ、考査に文字通り命を懸けたのは。ねぇ雲子、何でおじさんは急に萎んだの? 御紋に触れてもいないのに」


「あぁ~それはねぇ、あいつが自らに戒めを掛けたからだわ。あれでも一応神様。もし自分が敗けたら自動的に御紋を著しく傷つける。みたいなギミックをつけたって、やつ自身が言っていたわ。あの時までは公平を守っていたようね」


 雲子は、さらに深い溜め息を吐く。


 私は少々放心していた。極度の疲れと言葉にはできない思いがただひたすらに交錯していた。


「おーいサリナ」


 ボーっとしていると、突然後ろから声を掛けられた。振り向いてみると、そこには白谷がいた。


「一緒に帰らないかい?」


 彼は右手で指を鳴らし、左手の中指で自分の額を押さえながら言ってきた。声には若干裏声が入っている。


「あ、え? あ、うん。いいよ」


 私は少し俯きながら答えた。眼前には彼の足が視える。かと思ったら、突然雲子が視界に入ってきた。思わず体が強張る。

 彼女は波無語で話しかけてきた。


「なぁにちょっと顔が赤くなってんの? 帰らせないわよ。まだ残り香の処理が終わってないんだから」


「うっさい!! なんで私がまた残り香を処理しないといけないのよ。あなたがやってよ!!」


「いやだめんどくさい。簿記の授業の難易度がバカみたいに高くなっても知らないわよ。じゃ、わっちは帰るね~」


「ま、待って! それは困る! わかったわよ。行けばいんでしょ?!」


「素直でよろしい」


 雲子はそう言うと、一度私の視界から消えた。私は顔を上げて白谷の顔を視ると、口を開いた。


「ごめん白谷。学校でやることがあるから帰れない。本当にごめん。また誘ってくれるとうれしい」


「オッケィ。了解した。じゃ、また明日会おう!」


 と、笑顔で言うと、両方ともの指を鳴らしながら彼は走って部屋を出ていった。私がそれを見届けていると、雲子が話しかけてきた。


「じゃ、わっちらも行こうか」


「だね」


 こうして私達は教室を後にした。

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