とりあえずどうぞ

 金貨一枚。人が一人一か月暮らすにはそれほど不足でもない。


 でも、今更そんな暮らしができるかどうか。


「……」


 俺は能力で生み出したチーズを口に運ぶ。


 塩味がきつい。涙の味だろうか。

 でもまあ、疲れた時には塩味がいいって言うしな。

 ああ、本当力が湧いて来るよな。


 そう言えばアックーも、仕事の前にはいつも俺のチーズを食ってたな。少しでも腹ごしらえになればって。


 とにかく、あのいい思い出なんかほとんどない、いやたった今まったくなくなった村に戻る訳にも行かない。


 俺は、ひとりでまったく知らない方へと歩き出した。







 元荷物持ち、と言うか雑用係と言うのは、一人旅には案外具合がいい。

 地図を書いていたと言うか書かされていたせいで、この辺りの地理にもちょっと詳しくなっていた。


 あの二人、いや三人は東へと向かったんだろうか。ずっと常宿にしている町で。

 あんな大きな宿で眠れるほど、俺は神経が太くない。そう言っていつも遠慮がちにしていたけど、アックーは全く平気そうだった。ひと月で金貨十枚だなんて、それこそ庶民の暮らしじゃない。こちとら、村にいた時は毎月銀貨一枚しかもらえなかったのに。まあその代わりのように食事はもらってたけど。ああ銀貨十枚は金貨一枚と同じ価値で、また銀貨一枚は銅貨百枚の価値がある。


 とにかくこの一枚の金貨しか持ち物のない俺は、あの三人とも故郷とも全く別の方角へ向かった。

 離れるように、離れるように。餞別のようにほっとかれた茶色のマントをまとい、腰には古ぼけた剣を差しながら。正直、うまく振る事はできない。一応努力はして来たけど、村の力自慢の連中にはよくても2勝5敗。そんな俺が持ってる剣は、あのアックーの払い下げと言うか草原に投げてよこしたやつ。古ぼけたって言うか文字通りのお下がりの代物。一応軽くて使いやすいけど、切れ味はない。ほとんど包丁扱い。いや、包丁だってもうちょい切れるだろう。


 そんな剣でも、使えない事はない。


 例えば、目の前の魔物をやっつけるとか。


 


「ハァ、ハァ……」


 荒い呼吸が聞こえている。


 犬のような尻尾を生やした、二足歩行の生き物。

 って言うか魔物。


 そう、コボルトだ。

 コボルトが興奮している時の声は、かなり遠くまで届く。


 ——————————そして。


「ウギェェ!」



 その興奮のあまり他の相手に気付かない!



「ア、アガ、アガガ……!」

 コボルトはそのまま倒れ込んだ。

 棍棒を地面に投げ出し、そのまま消える。慣れたけど奇妙な話だ。


「あっと!」


 とにかく戦利品を拾おうとすると目の前から剣が迫って来た。あわてて後方の飛びのくと、また「ハァ、ハァ……」と言う荒い呼吸がする。

「何者だ!」


「ああ、すまない、つい、反応してしまって……ああ、イタタタ……」



 魔物ではなく、人間の女の人だった。

 俺とはものの違う銀色の鎧を身にまとい、剣もかなりいい物だ。

「あなたは」

「私は、ミナレと言う、騎士だ……イタタタ……」


 頭を押さえながら、ミナレさんと言う人は立ち上がった。

 すごく背が高くて立派そうだけど、とても厳しそうな顔をしている。と言うか、ものすごく頭が痛そうだ。

「ああ俺はノージって言います」

「ノージか、礼を言う……とりあえず、うう……」

 ミナレさんは荒い呼吸のまま、俺に銀貨を渡す。

 じかに、俺の手に、落としてくれた。

「えっいいんですか!」

「命の恩人に、これしか出せなくて……」

「いや違います、これまでずっと投げ付けられていたんで!」


 これは本当だ。旅に出てから、いや旅に出る前から転がしても構わないような代物とかはほとんど投げ付けられていた。その度に笑われていたけど、正直もう慣れてしまっていた。

「相当ひどい扱いを受けていた、のだな……わかった、私もしばらくそなたに付き合おう……」

 俺の身の上を心配してくれたミナレさんだったが、いきなりひざまずいてしまった。やっぱり、相当に頭が痛いようだ。




「あの、とりあえずどうぞ」


 そんな人を前にして俺ができる事は、チーズを出す事だけ。


「これは!」

「俺にはこれぐらいしかできないんです」

 

 あわててチーズを作り出したんでミナレさんの手が震えだし、余計に頭が痛くなってしまったようだ。どうもいけない、この力を人様の前で見せるなってアックーは言ってたけど、実際その通りだよ……。

「申し訳ありません!」

「いや気にするな、とにかく礼を受け取らねばならぬ……」

 俺がチーズを差し出すと、ミナレさんはひったくるように口に運んだ。

 俺は頭痛になった事はないが、これまでの冒険で頭痛で悩んでいる人はたくさんいた。ある人は殴られたようだと言い、ある人は頭の中から外側を突き刺すように痛むとも言う。

「まるで頭の中に、とんでもなく悪い物が住みついているようだ……これまでたくさんの医者や僧侶にも見てもらったのだがどうにもならない……」

 こういうタイプの頭痛は俺にとって初めてだった。そんな人に俺のチーズが効くのだろうか。

 これまでいろいろな打撃、毒とか火傷とかはいろいろ治せて来たけど、頭痛が治るのかどうか……。



「うっ……」

「ダメですか!」

「いや大丈夫だ、大丈夫です!なんだか急に頭が軽くっ……!」


 —————チーズを口に放り込んだミナレさんが、急に立ち上がった。


「ああ、ああああ……!」

「ミナレさん!」

「はあ、はあ……こんな気持ちは久しぶりだ!」

「どんなですか!」


 ちょっと固めなチーズをミナレさんが噛んで行くたびに、顔がほぐれて行く。

「こんな、さわやかな、気持ちはっ……!!」

 そう言えばこのチーズは三日前、うかつに墓地に入ってしまった後に使ったチーズだ。あの時スケルトンたちに勝ったけどその後みんなして体がだるくて、その時に使ったチーズ……。


 そのチーズが喉を通ったのが、はっきりと見えた。




「大丈夫ですか!」

「ああ、大丈夫だ!本当に大丈夫だ!」


 ……ミナレさんは、ものすごく、美人になっていた。


「……………………」


 病気を治すだけで、女の人ってこんなに美人になれるんだなあ。なんて、俺は柄にもなく感心していた。

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