第5話 【ASMR】胸がドキドキ恋の物語
日由美
「はー……。まんぞくまんぞく。」
「満足したところで……んと、そろそろね、〝あれ〟の話したいんだけど……。」
「ん……そうそう。わたしが今書こうとしてる恋愛小説の話。」
「なんでか分かんないけど、湯者くんとじゃれてたらね、すっごいインスピレーションが湧いてきてるんだ!」
「 曖昧だったプロットがどんどん固まってきて、書きたいシーンも浮かんできたの!」
「でね、もっとイメージをはっきりさせたくて……いつもみたいに君に読んでもらいたいんだけど……。」
「あー、といっても、まだ文字には起こしてないから、わたしが朗読する感じで!」
「いいかな? いいよね! えへへ、ではでは、早速ーー。」
「全体のあらすじは、こんな感じ。」
「読書が趣味の女の子が、同じく本好きの男の子と出会って、初めての恋を知る。」
「彼女は彼に会うたびに惹かれていって、ついに、人生で初めての恋の告白を決心するの。」
「これは、そんな二人に訪れる様々な瞬間を、時に淡く、時に切なく描く恋の物語……。」
「ざっくりだけど、考えた三つのシーンを朗読してみよっかな。」
「恋愛小説だし、そもそも文字にすらしてないわたしの朗読だし、一語一句を追いかけようとしなくても大丈夫。」
「湯者くんは雰囲気を味わって、ぼけーっと聞いててね。」
「……へへ。自分の作品を初めて聞いてもらう瞬間は、やっぱり緊張するね。」
「それじゃあいくよ。」
「一つ目は出会いの瞬間。はじまりはじまり……。」
#以降、オーディオブックのような読み聞かせのイメージで。
日由美
「本に呼ばれる。たまにだけどそういうことがある。」
「静まり返った図書館。その奥まったところにある影に沈んだ本棚から。」
「どこか黴臭い古書店。軒先へ大雑把に置かれた100円均一のワゴンから。」
「彼らはわたしを呼んで己の存在意義を満たし、わたしは彼らを読んで自分の創作の糧を得る。」
「とても満ち足りた関係だが、ふと疑問に思うことがある。」
「果たして、この本というものが声をかけるのはわたしだけなのか、ということだ。」
「わたしは今、本に呼ばれて駅前の大型書店へとやってきていた。」
「一生かけても読み切れない本の山が、眩い白熱灯の明かりの元で私を出迎えるわけだが、その中でわたしを呼んでいるのは、たった一冊。」
「耳をそばだてて本の声を辿っていく。」
「人の間を縫い、ゆっくりと歩いていくと、次第に声は大きくなっていく。」
「『こっちだよ』『こっちだよ』」
「不思議と楽しげな声。」
「なんでだろう、と思う。わたしを呼ぶ本は、たいてい悲しげな声なのだ。それはたぶん、誰にも見向きされず忘れ去られそうになる恐れの叫び。」
「本棚の前に立つ。上から三段目の中ほど。淡い緑の背表紙で、かわいげのある子だ。」
「『ここだよ』」
「楽し気な声の主に向かって手を伸ばす。」
「『ここにいるよ』」
「わたしの指先が背表紙にかかる瞬間、横から伸びてきたのは誰かの指先。」
「とん、と触れ合った。」
「慌てて振り向くと、見知らぬ人が驚いたように目をぱちくりさせて立っていた。」
「その人はくすぐったそうに笑った。そして、どうぞ、と本を指して言った。」
「わたしも、どうぞ、と本を指して返した。」
「目が合うともう一度笑い合う。」
「胸がざわつく。理由はわからない。」
「一つわかることがあるとすれば、本が声をかける相手は、わたしだけではなかったということだ。」
#少し間。読み聞かせ終わり。
日由美
「……本との出会いも偶然だけど、人との出会いも偶然で突然だよね。」
「湯者くんと出会ったときは、うちの温泉に来てくれる日が来るなんて思いもしなかった。」
「そんな湯者くんと……こうして、二人きりで話してるんだもんね。」
「……ふふ。ちょっと懐かしい♪」
「でね、お話の続きなんだけど、このあとふたりは本の貸し借りを通じて仲を深めていくの。」
「常連になった喫茶店で楽しくおしゃべりして、その帰り。不意に振り出す雨。」
「寄せ合う肩に、少女のぼやけていた気持ちが少しずつ形になっていく……。」
「それでは。次は……告白のシーン……。」
#読み聞かせモード。
日由美
「雨の中、わたしは君とひとつの傘に入って、並んで歩く。」
「わたしの鞄の中には折り畳み傘。」
「でも、わたしは傘を忘れたふり。」
「君と肩が触れ合うと、そのたびにわたしの心は弾む。」
「感覚がいやに鋭くなって、心臓の脈動する音が、傘を打つ雨音に混じって響いてくる。」
「無言なのは、緊張しているから。」
「少なくとも、わたしはそう。」
「君の気持はわからない。」
「わからないから、踏み込まない。」
「多分、こうして恐れて距離を測っているうちに、人と人との距離は埋めがたいものへと変わっていくのだろう。」
「時が経てば雨は上がり、わたしたちは離れて歩き出すのだ。いつものように。何事もなく。」
「赤信号にわたしたちは足を止めた。」
「雨も、止んだ。」
「信号が青になったら、わたしは君の傘を飛び出す。」
「それで今日はさよなら。」
「また明日と、元気に言おう。」
「青。」
「飛び出す。」
「横断歩道を駆け渡り、振り返る。」
「君は柔らかく笑っていた。」
「わたしは言っていた。」
「『あなたが、好きです』」
「雨上がりの潤んだ気配に響くわたしの声は、君にどう聞こえたのだろう。」
#読み聞かせ終わり。
日由美
「ふぅ~……。なんか、胸がぎゅって締め付けられちゃう……。」
「告白って本当に緊張するよね。」
「自分の心と体だけじゃなくてさ、身の回りにあるもの全部が不安定に感じちゃうっていうか……。」
「でも、いろんなものが移ろうからこそ、たった一人でいいから繋ぎ留めたいって思うのかも。」
「そういう相手がいるってさ、とっても幸せなことだなって思うよ。わたしにとっての君がそうだから、わたしにもよくわかるーーって、ちがうちがう!」
「 今のは告白じゃないからね!?」
「あー、えっと……そうそう! 今更告白なんてしないよ! だってわたしたち、今日一日はとっくに恋人……みたいなもんなんだし!」
「こほん! さて、すでに恋人であるわたしたちはこうしてあまあまゆったりしてるわけですが、告白をした女の子は、彼の返事を待って気が気じゃない毎日。」
「数日たっても返事がこなくて胸が張り裂けそうになっていたある日、遂に男の子から連絡がきたの。」
「彼は女の子を連れて行きたいところがあるみたいで、自転車で迎えに来てくれるみたいなんだけどーー果たして、女の子の想いは伝わったのかな?」
「最後は、返事のシーン。はじまり、はじまり……。」
#読み聞かせモード。
日由美
「から回る、とはよく聞くが、この自転車の車輪はありがたいことにしっかりと回ってくれていた。」
「動力は君。わたしは荷台に座って悠々自適。夕焼けの土手沿いを、二人乗りの自転車が進んでいく。」
「告白して数日経ったけど、君からの答えはなかった。」
「多分、聞こえてなかったんだろうと思う。結構距離も離れてたし、わたしの声も小さかったから。」
「から回ったのだ。盛大に。」
「君が足を踏み込むと、力はしっかりと伝わって、勢いよく車輪は回る。」
「自転車がぐんぐん加速していくので、わたしは君の服を掴んだ。」
「それじゃあ危ないと君が私の手を取って腰に回すよう促したので、少し照れ臭かったけど、言われた通りにする。」
「腕を腰に回して、身を寄せる。」
「顔を背中につけると、君の心音。」
「あの雨の日に、わたしの体に響いていたのと同じ音。」
「見上げると、君の耳は赤くほてっていた。」
「これが君なりの返答なのだろうか。」
「だとしたらずるい。」
「わたしは声に出していったのに。」
「本ですら、求める相手に声をかけるのに。」
「ちゃんと口にしてくれるまで、わたしは君の気持に気づかないふりをするよ。」
「から回ってもいいから、その口で。」
「拗ねた気持ちとは裏腹に、君の心音につられてわたしの心臓が高鳴っていく。」
「願わくは、わたしの心臓の音も彼に伝わっていないように。」
#少し間。読み聞かせ終わり。
日由美
「ん、んんんん……………………!!! っぷはぁ~~っ!ドキドキしたぁ~!」
「はっきり言って欲しい、女の子としてはそんな気持ちもあるけどさぁ、ちょっと恥ずかしそうに態度で伝えてくれる……。」
「それはそれで、甘酸っぱくていいよねぇ~~……!」
「ちなみに、わたしもずっと待ってるんだけど……。」
「ん? んーん、なんでもな~い!」
「湯者くん、聞いてくれてありがとね。」
「いやー、やっぱり恋愛ものはこっぱずかしいね~~!」
「でも、こうして真剣に聞いてくれる人がいるから、わたしもスイッチ入れて頑張れるんだよね。」
「あ、感想はまだ大丈夫。しっかり文章の形になったら改めて読んでもらって、その時にお願いします!」
「君の感想、楽しみにしてるよ。」
「改めて読んでもらう時も、わたしすっごくドキドキしてるんだろうな~~!」
「でも、気にしないでね! えへへ~!」
《第6話へ続く》
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『ASMRボイスドラマ 温泉むすめ 南房総日由美とあなたのあまあま小説』(CV・徳井青空)
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