第3話 アイドルオーディション
消毒の香りと、独特の静寂が当たりを満たす。
規則的な機械の電子音の響く白い病室で、美衣はいつ意識が戻るとも知れない母の手を握り続けていた。
……これから、私はどうすればいいんだろう。
美衣は、これからさきどうしていけばいいのかわからず、途方に暮れていた。
自分一人だけなら、母が言っていたように、イラストの仕事だけでもどうにか生活していけるだろう。
母が出した、イラストを描いて公開する条件。その中に、ある程度のお金をいただけるだけのクオリティーになること、というものがあったため、この点については胸を張ることができる。
……だけど、ママの入院費に治療費を賄えるかどうかはギリギリなところ。
ママの貯金を切り崩していけばしばらくはどうにかなるだろう。だが、いつか首が回らなくなる日が来るのは確実。
明確に退院日が決まっている入院とはわけが違うのだ。
しっかりと、具体的な将来設計をしなくてはならない。
……こういう時に、誰か相談できるひとがいればな。
美衣はそうできればどれほど良かったかと思う。しかし、それはないものねだりがすぎるというものだ。
……私は、今まで自分から他人との関わりを避けてきた。
それを今さら、どの面さげて、助けてくださいなんて言えるのか。
……唯一可能性があるとすれば、血縁者だろう。
しかし、親戚はまともな職につかずに絵ばかり描いている母をよくは思っていないため、金銭的な援助は期待できない。
そうなると、残りは実の父だけなのだが。
……私は、パパの連絡先を知らない。
生体認証を勝手に解除して、母のスマホの中を漁ってみたが、出てくるのは古い友人のものばかりで、それらしい連絡先は一つもなかった。
「はあ……」
美衣は、八方塞がりな状況に、大きくため息をつく。
あんなに毎朝鬱陶しいと思っていた母の声が、今は無性に聞きたい。
「そうだ――」
美衣は、スマホを取り出すと、動画投稿サイト〈チューブ・トーカー〉のアプリを開き、母のチャンネルにアクセスする。
そして、再生回数が一番多い、自分のデビュー決定告知の配信のアーカイブを開いた。
『今日は、うちの子を紹介したいと思います。じゃーん! どう、めちゃくちゃ力入れてデザインしたのよ。これでも、うちの子の可愛さを表現するには足りないくらいだけどね』
そこには、自分のことを世界で一番の宝物のように、嬉しそうに紹介する母の姿があった。
ここが病院だということも忘れ、イヤホンもつけず、美衣は画面の中に没頭していく。
……このまま、画面の中に入っていけたら、どれだけ楽だろう。
美衣がそんなことを考えていると、ちょうどいいところで邪魔が入った。
広告の再生が始まったのだ。
有料プランには入っているが、そのアカウントと連携しているのはパソコンだけであるため、広告が流れたのだ。
……邪魔だな。
初めはそのくらいにしか思わなかった。
しかし、その広告の内容を見て、美衣は目の色を変えていく。
その広告は、フルダイブ版〈チューブ・トーカー〉とも呼べる〈メタ・チューブ〉に関する宣伝だった。
画面中央に映し出される、まるで女神様のような一人のアバター。
「この子、ママが一週間もまともに休みをとらないで作ってたあの子だ」
何度も、細部について意見を求められたので、よく覚えている。
腰まで伸びたブロンドの髪に、赤色の右目と青色の左目。
三原色。新たな世界の始まりを象徴するようにデザインされた、フルダイブ・メタバース界初の、アイドルVtuber。
「アマネ・ミオン――」
その人気は絶大なもので、わずか一日で、チャンネル登録者百万人を達成した、メタバース界の生きる伝説。
……そんな彼女が一体何の宣伝をするのだろう。
気になって、美衣は画面を覗き込む。
すると、ミオンは高らかに宣言した。
『今回、私が所属する事務所〈エムライブ〉で、新しいアイドルを発掘するオーディションの開催が決定しました! この動画を見てくださっている皆様が、第二の私になることも夢じゃありません!』
「アイドルオーディション?」
『ぜひ、あなたの応募をお待ちしています。一緒に夢を見るのではなく、夢を見せるアイドルを目指しましょうね』
やがて、三十秒あった広告が終わり、母のアーカイブに画面が切り替わる。
しかし、その音は一切美衣の耳には入っていなかった。
「もう、これしかないのかも」
美衣は、思い詰めた表情で母の顔を窺う。
正直に言って、フルダイブ・メタバースの登場によって、これまで当たり前のように見られていたサイトは、全て過去のものとなった。
それは美衣が配信を行っているチューブ・トーカーも例外ではなく、利用人口は激減した。
……それはそうよ。画面越しに推しと交流するよりも一緒に遊べた方がいいに決まっているんだから。
フルダイブ・メタバースの台頭によって、バーチャルアイドルを画面越しに推す時代は終わりを告げ、会いにいけるバーチャルアイドルが主流となった。
そんな今、旧時代的なチューブ・トーカーでアイドル活動を続けても、伸び悩むのは目に見えている。
……どの道、いつかはメタ・チューブに活動の場所を移さなければならない。
それを実行に移すなら、今しかない。
……でも、コミュ障の私なんかにできるかな。
そんな一抹の不安が、美衣の脳裏を掠めていく。
前々からやらなければ、と思っていたのに、メタ・チューブに移行しなかったのには、それなりのわけがある。
……それは、緊張してしまうこと。
画面越しなら全く緊張しないのだが、フルダイブ型のバーチャル空間だと、どうしてもリアルとの境界が曖昧で、現実と同じようにコミュ障を発動してしまうのだ。
「でも、今の私なら」
母という大事なものを失い、腹を括らざるを得ない自分なら、できる。
美衣は、そう暗示をかけていく。
「どうせやるなら、目指すは一位。アマネ・ミオンも超えた、メタバース界のトップアイドル」
もう、誰かの七光や、二代目などと言われるのはこりごりだった。
……私は私。美衣は美衣。他の誰かと比べさせたりなんかしない。
◯
みっちりと、歌とダンスのレッスンを詰め込んだ一週間がすぎ、迎えたオーディション当日。
自室のベッドの上で、チョーカー型のフルダイブ端末を装着した美衣は、スイッチを入れる。
歌のレッスンや、ダンスのレッスンではいつも利用していたので、これが初めてというわけではない。だというのに、背中にはすでにじっとりと汗がにじみ始めていた。
「大丈夫。いつも通りやれば、必ずできる。こんなところで、緊張してたら、メタバース界のトップアイドルなんて、夢のまた夢。しっかりしなさい」
頬を平手でペシンと叩くことで、美衣は自分自身を鼓舞した。
そして、深呼吸をし、意識を一点に集中させると、仮想世界へと繋がる、魔法の呪文を唱えた。
「ダイブ――!」
直後、美衣の意識はゆっくりと闇の中に落ちていった。
目を開けると、そこには別世界が広がっていた。
それに浮かぶ城。逆さに生えた高層ビル群など、現実ではまずあり得ないような光景に、美衣は胸を高鳴らせる。
……今日、私はここで夢を掴むんだ。
そう覚悟を決めた美衣は、オーディションに応募した際に届いたメールに添付されているリンクをタップする。
すると、体は瞬時に転送される。
目を開けると、そこはたくさんの若く可愛い子で溢れた楽園のような場所だった。
……うわあ、ママが見たら鼻血出してぶっ倒れるだろうな。
美衣は、心の中で苦笑する。
こんな極度の緊張状況で、笑っていられるのだ。きっと、本番も大丈夫だろう。
「何あの子……いくらなんでも地味すぎない?」
「自分のことをシンデレラか何かと勘違いしているんじゃない?」
ほとんど手を加えていない、初期アバターでログインしている美衣を見て、ヒソヒソと陰口を叩き始める参加者たち。
いつものコミュ障の美衣なら、きっとそれだけで心が折れてしまっていただろう。
だが、今日の美衣は一味も二味も違う。
全ては、大好きな母のため。
そのためだったら、何だってできる気がした。
……そう、私はシンデレラ。
これから、とびきりの魔法がかかるのだ。
「いくよ、ママ――臆病な私に力を貸して」
美衣はそう呟くと、事前に取り込んでおいた、イラストデータを読み出す。
一週間考えに考え抜いた、最高のアバターデザイン。それを、アバターに反映させる。
瞬間、美衣は白い光に包まれた。
やがて、日曜の朝にやっている女児向けアニメのように、この世のものとは思えない煌びやかなドレスが生成される。
世界のどこにもない、美衣だけデザインだ。
母の考えてくれたアバターで出ることも考えたのだが、それでは母の背中を追いかけるだけ。これまでと何も変わらない。
故に、自分の足で一歩を踏み出すために、一からデザインを考え直したのだ。
「嘘、あのアバター、幾らかかってるの?」
「確かに、アバターについては何も制限なかったけどさ」
「あんなの、勝てるわけ……」
大きく変貌を遂げた美衣の姿を見た参加者たちからは、諦めまじりの声が上がる。全くの無名とはいえ、神絵師の娘が描いたデザインだ。
その輝きの前では、初期アバターに少し課金した程度の衣装では、到底太刀打ちできるはずがなかった。
『最川ミイさん、もうじき出番ですので、舞台袖にスタンバイしてください』
「はい!」
自分の出番を知らせるアナウンスに、ミイは大きな返事をする。そして、ゆっくりと落ち着いた足取りで、舞台袖へと向かった。
すると、腹を底から揺さぶるような、力強い声が聞こえてきた。
「百六番。イツキ・カグラ、高校一年生です。幼い頃に民謡や演歌の大会で賞をいただき、小学生の頃はアイドルとして、曲も出していました。よろしくお願いします」
そう挨拶したのは、ストレートの長い青髪を揺らした、凛々しい少女だった。
しばらくして、その子が歌唱を始める。
思った通り、とんでもなく上手だった。
「やっぱり、レベル高い子もいるんだな」
あまりの上手さに思わず怖気付いてしまいそうになっていると、ふわりとカールした金髪を顔の両脇で束ねた、見るからにギャルっぽい少女が声をかけていた。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ。ああ、私? 私はオオソラ・アキラ。これでも、読者モデルやってたりします。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
ミイは、しっかり九十度お辞儀する。
すると、アキラと名乗った少女は、嫌味のように言った。
「まあ、優勝するのは私だけど。どうやったら自分がいちばん可愛く見えるかも知らないような奴らに、私が負けるわけないじゃん」
キャハハ、と笑ったアキラは、余裕に満ちた歩みで、ステージに上がっていく。その途中で振り返ったアキラは、ウインクしながら言った。
「いいアバターだね。それ、欲しくなっちゃった」
「あ、あげませんよ!」
アバターの著作権は、最初に発表した人にある。
どんなに欲しくても、権利者の同意なく、それを手にすることはできない。そのため、意思表示はしっかりしておかなければいけないのだ。
「冗談だって。少しはいい顔できるじゃん。それじゃあ、また機会があればどこかでね」
バイバイ、と手を振ってステージに上がっていくアキラ。
直後、割れんばかりの拍手が、会場を埋め尽くした。
……みんな上手い。ちょっと不安になってきたかも。
場の空気に飲まれ、すっかり弱気になってしまっている自分に気づく。
……でも、私にだって強みはある。
母から受け継いだお絵描きの才能。それだけは、誰にも負けない。
やがて、ミイの順番が回ってくる。
熱いくらいにスポットライトの当たる壇上へ出ると、会場中の視線が、自分の元へと集まってくる感触がある。
普段だったら、緊張で胃の中のものを吐き出してしまっているだろうが、今日のミイは自信たっぷりだった。
「百八番。最川ミイ。得意なことはお絵描き。それを活かしたステージにしたいです。よろしくお願いします」
そう口にして、一歩前に踏み出した時だった。
「きゃあ!」
視界がぐらりと回る。慣れないヒールでバランスを崩し、足を滑らせてしまったのだ。
足を大きく開いたまま倒れてしまったミイは、露わになってしまった、スカートの中身を慌てて隠す。
一応、見られてもいいパンツだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
……どうしよう、頭の中真っ白だよ。
考えてきた演出プランは完全に飛んでしまった。
それでも、慌てず急がず、ミイは立ち上がる。
そして、マイクを持つ右手とは逆の手に、お絵描き用のペンを握った。
……始めるよ。大好きなお絵描き!
音楽が流れ始めると同時に、ミイは自信満々に、勢いよく空中に線を引き始める。
もう失敗など許されない、一発勝負のスタートだった。
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