第2話 邪神、人間に育てられる
「男の子ならテオだ! 世界を救った英雄テオールからとった名前だ! 強そうだろう!」
「そうね。強い男の子に成長してほしいわね」
テオール。その名前に聞き覚えがある。私が討たれる寸前に聞いたものだ。
状況は理解できんが、こうして生きているのは幸運としよう。ならば、こんなところに用はない。
すぐにこの人間どもを殺してしまおう。が、しかし。
私は体をなかなか自由に動かせなかった。それどころか、動こうとしたら抱いている人間の腕から落ちてしまう。
「おっと! 危ない!」
「生まれたばかりなのにすごいわね……」
生まれたばかり、その言葉を聞いて私は自分の状態を見直した。
あまりに小さい手、足。話に聞いていた人間の赤子と瓜二つだ。
まさか私は人間として生まれ変わってしまったのか?
「お前は私達の大切な息子だ。あまり贅沢はさせてやれないが、立派に成長してくれよ」
父親らしき男が私にそう問いかけた。何か言葉を発したかったが、頭以外はろくに動かせない。
仕方ない。今はおとなしくこの人間どもを利用するとしよう。
それからの私は人間の男女ともう一人の使用人の女に育てられた。自分の身体を動かせないというのは本当に不便だ。
人間どもはろくに動けない私に何かの液体を飲ませてくる。あまりいい味ではないが生きるためと割り切ろう。
それはいいのだが、屈辱的だったのは排尿と排便だ。
前世では縁がなかったものであるだけに、人間にこれほど厄介な機能が備わっていようとは。後処理を人間どもは嫌な顔一つせずに行った。
こいつらは頭がおかしいのか? こんな手間のかかる生き物など殺せばよかろう。
それなのにどこか喜びを感じているようにすら見える。気のせいとしておきたい。
こんなことで快楽を得る存在など、いくら人間とてあり得ないのだからな。
そんなことが一年以上続いた。私はようやく自分の足で歩けるようになる。
ようやく人の身体に慣れ始めた。まったく、生まれ落ちてから一年も経たなければ歩くことすらままならないとは。
よくもこんな脆弱な生き物が地上を我が物顔で歩けるものだ。
しかしそんな私を男女が褒め称えた。たかが歩いたくらいで、本当に奇妙な者達だ。
「あなた。この子、あまり喋らないわ」
「人見知りをする子なんだろう」
私が二人を観察し続けて数年が経った。人間どもは相変わらず、私の世話をしようとする。
まさか食事まで与えられるとは思わなかった。人間というやつは食事をしないと空腹というものを感じて、どんどん体が動かなくなる。
だから私の体は食料を欲している状態となり、これがいわゆる食欲というやつだ。しかしこの空腹が満たされる瞬間がたまらなく心地いい。
生まれ落ちて五年が経った頃には私はこの食事というものが楽しみになっていた。
私に何の見返りを求めることなく、食事を与え続ける人間は相変わらず奇妙だったが。しかし悪い心地ではない。
六年目、私は少しこの体を試そうと考えた。そこで住んでいる場所から少し遠出をしようと思ったのだ。
屋敷から離れるとそこは森だ。地上はあまり見たことがなかったが、この空気がなぜかおいしいと感じてしまう。
「む……!」
「グルルルル……!」
森から出てきたのはどうやら魔物のようだ。見るからに下等生物の分際でこの私に挑むとはな。
久しぶりに私の力を見せて――
「危ないっ!」
「ぎゃうっ!」
飛び出してきたのは父親だ。剣で魔物を斬りつけて殺していた。
いったい何があったというのだ?
「森は危ないから入るなと言っただろうッ!」
男が私に怒鳴った。その覇気や波動、覚えがある。これこそが人間特有の波動だ。
怒りの感情ではあるが、私はこれに対してなぜか心が締め付けられる感覚に陥った。
この時はあまりわからなかったが、後に私がキッチンで包丁を手にとっているとまた同じように女のほうが怒った。
危ないと言うのだ。つまりこの人間達は私が危険を冒したことに対して怒っているのだ。
それは私を失いたくないという一心でしかない。人間というものは自分が生んだ存在に無償奉仕をする。
奇妙に感じられるものの、私はこれを不快と思わなかった。
この人間どもは私を守ろうとしている。私が命を失うのが怖いのだ。
月日が流れてまた四年、私が人間として生まれ落ちてから十年が経った。
この頃には人間の夫婦はあまり外に出歩かなくなる。特に女のほうがベッドに伏せて、男や使用人が看病していた。
どうやら病というものにかかったらしい。脆弱な人間はこれだからすぐに死ぬ。
そう思ったが、激しく咳き込む女を見ているうちに私は気がつけば濡れたタオルを持っていく。男女ともに驚いている。
「テオ……お前……」
「テオ、ありがとう」
男女は私に礼を言った。意味がわからぬ。私は何もしていない。病を治したわけでもない。
自分でもなぜそうしたのかわからないというのに。だがこの『ありがとう』がなぜか心地いい。
それに私はこの頃になると、人間というものについて考え直した。
人間は弱い。すぐに死ぬ。しかしそのくせ、自分が生んだ存在には無償の愛を注ぐ。これがたまらなく奇妙だった。
種を残す生存本能といえばそれまでだろう。
人間としての私は生まれ落ちた時にはろくに動けず、食事すら与えられるような弱い生き物だった。
そんな私がここまで成長できたのは紛れもなくこの人間達のおかげだ。
――俺達はな! 多くの人に支えられてここまで来たんだよ! 生きてるんだよ! お前にはわからんだろうがな!
「ここまで来た、か」
ふとあの男の言葉が思い浮かぶ。どういうわけか、この言葉だけが頭の中で反芻するのだ。
この言葉こそが人間が生き延びることができた理屈そのものかもしれない。
人間としての私とて、生まれ落ちた時に誰も手を差し伸べなかったらどうなるか?
考えるまでもない。今の私がこうして生きているのは他でもない人間のおかげなのだ。
よかろう。この私を育てた礼というやつをしてみてもいい。たまには戯れもいいだろう。
この日から私は見様見真似で看病というものをした。その度に男女はやはり喜んだ。
病は一向に改善するどころか悪化しているというのに。
「テオ、今日からお前はこの部屋に入るな」
二年後、男のほうが私にそう告げた。私の戯れが気に入らなかったというのか?
やはり人間というものは理解できない。そう憤慨してから間もなく、男女ともにこの世を去った。
使用人が言うには病は伝染するもので、二人は私に感染させたくなかったと泣きながら喋った。
私を生んだ男女が死んだ。あれほど私が奉仕してやったというのに。
下らん。実にしょうもない。だが、なぜだ? なぜ私は――
「テオ様、涙を拭いてください」
使用人のウテナがハンカチで私の頬を拭いた。私は泣いていたのだ。
どうしよもうなく胸が苦しく、涙が止まらない。こんな感情に支配されるほど、私はあの男女を気に入っていた。
あの男女、いや。父親と母親はそれなりに使命を果たしたのだろう。
弱いながらも自分を犠牲にして、何の見返りも求めず私を育てた。屈辱だ。今日に至るまで、私は手を貸してもらっていたのだ。
私はもう神ではない。二人の墓前で未だ涙を流している無様な私が神などであるはずがない。
今の私の立場で、あの二人と同じことができるだろうか?
神であれば弱い人間のやることなど、できないはずがない。しかし、今の私にはできない。
なぜなら弱いからだ。弱い身で自分以外の何かを守る。それができたから、私を討った男は邪神と恐れられた私に挑めたのだ。
「テオ様、かわいそうにねぇ」
「まだ幼いのに……これからこの領地はどうなってしまうのか」
「近頃は盗賊も出るっていうし、もう引っ越すしかないな」
墓前に集まった人間どもが囁いている。父親のシュタイトはどうやら領主という立場の人間だったようだ。
私を育てている余裕などあるはずがないというのに、それでも私への愛を注いだわけか。フン、下らん。
「この領地はもう終わりだよ」
「黙れ」
「え……」
私が喋ると人間どもはピタリと囁きを止めた。
「お前達はあまりに下らない。我が父……シュタイトの強さを何一つ理解していない。だから弱者のまま蹂躙され続けるのだ」
「な、なんだって!?」
「見ておれ。これよりこの領地とやらは私が支配する。貴様ら弱者は指をくわえてそこで見ていろ。それが似合う」
「テオ様……?」
私は墓前から離れた。使用人のウテナに話を聞いたところによると、どうやらこの領地は色々と限界を迎えているようだ。
しかも腐っているのは領地だけではない。先程の通り、人間もだ。父、シュタイトが果たせなかったことを私が成し遂げる。
面白い。生まれ落ちて十二年、ようやく邪神だった頃の力が湧き上がってきたところだ。この力、どう扱ってくれようか?
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