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 7月初め。学校を休み、母には黙って、電車に乗った。

 旬過ぎるほどのシーズンの海だった。車窓から少しは見えていたが、肌で感じる海は全く別物だった。

 雨が降っていたからか、海水浴に来ているような人はいなかった。

 一応持ってきた折り畳み傘が役に立った。

 砂浜に着くと、吸い込まれるように海浜の洞窟に入った。もう私はこの頃には取り戻していたのかもしれない。失くした一つのピースを。

 洞窟に入ると、ボロボロの段ボール箱が一つ置いてあり、貝殻や朽ちたどんぐりや松ぼっくりが入っていた。

 全てに懐かしさを感じた。

 そして、その下に一冊のノートが入っていた。

 表紙には『青』と書かれており、名前欄には彼の名前が漢字で書かれていた。

 見た瞬間、鳥肌が立ち、涙が出てきた。

 

 中を覗くとき、覚悟した。

 これは、人の墓を掘り起こす


 以下、文を書き写す。

 頭の中に叩きこむ意味でも、分かりやすく読み返す為でもある。

 でも一番は、これを書いているときの彼の気持ちが、少しでもわかるように、だ。


『7月28日。家から離れ、おじいちゃんの家にお泊まり。やっとあの堅苦しい家から離れられた。ずっとこの時を楽しみにしていた。兄ちゃんと比べられる毎日にうんざりしていた。まだ背中と頬の跡は付いている。叩かれた場所よりも心が痛い。でも、隠さないと。僕は『良い子』で母さんは『良いママ』でいないといけないから。


 7月30日。おじいちゃんに連れられ海に来た。

いつも人がいない浜辺に1人の女の子が立っていた。見て見ぬふりをしていると、あちらから声をかけてきた。可愛くて明るいほんのり色黒の女の子だった。僕の生きてきた中で1番輝いて見えた人だった。名前は【私の下の名前】ちゃんと言うらしい。実家は山の方らしいが、夏休みの間は、海側の親戚の家に来ているらしい。僕と一緒だ。


 7月31日。やっぱり、僕とは全然違った。

 おじいちゃんと、【私の下の名前】ちゃんの親戚は、漁業組合で知り合いだったらしく、家にお邪魔することになった。おじいちゃんには、「一緒に宿題でもしときんさい」と言われたので、持ってきた問題集を広げると、【私の下の名前】ちゃんに止められた。


 

「こんなに晴れた日に宿題なんてしてたら、神様に怒られちゃうわよ」


 そう言って、彼女は僕の手を引いて外へ連れて行ってくれた。初めてだった。

 家では言われた事をやるだけの生活だったから。

 おじいちゃんへの申し訳なさを感じる反面、肩を縛りつけていた鎖が解けた気がした。


 海に行った。「大人のいない海は危ないよ」と、注意する私を横目に彼女は先に海に入った。


「良いのよ。ここで何年遊んでると思ってるのよ」と言って彼女はこっちに水をかけてきた。


 冷たくて、水が目に入って痛かった。でも、気持ち良かった。


「ほら、一緒に遊ぼうよ!」


 彼女は手を差し伸べて、その手をひらひらとこまねいた。

 駄目だという気持ちを押しのけて僕はいつの間にかその手を取っていた。

 そこからは、小さい魚を手づかみしたり、いろんな貝を拾ったり、カニを取ったり、新鮮な気持ちでいっぱいだった。

 空が青かった。家からでも見えるのに、そんなことに気づいたのは初めてだった。

 海も青かった。魚も青かった。

 彼女も青かった。


 自分でも何を書いているのか分からない。でも、自分もこの青に染まれたらとは、気持ちの中で感じていた。


 家に帰ると、やっぱりおじいちゃんは心配して僕を怒鳴った。彼女の方もお母さんに怒鳴られていた。でも、それに言い返す彼女を見ているうちに、何故か僕は笑っていた。心がおどった。

 「楽しみ過ぎて寝れない」という言葉の意味が初めて分かった気がした。


 8月2日。

 楽しかった。また彼女は僕を連れ出してくれた。今度は山の方に行った。また怒られることはわかってたけど、好奇心と彼女への憧れは止められなかった。

 どんぐりとか、松ぼっくりとか、蝉とかカブトムシとか。

 いろんなものを拾って、捕まえた。彼女のおてんばさに驚かされることも多かったけど、笑顔は絶えなかった。

 やっぱり彼女は青かった。僕自身すら、青になっているような気がした。


 8月15日。

 お爺ちゃんに勧められ、村の夏祭りに行くことになった。彼女も一緒だった。

 浴衣を着ていた。『美しい』というより、『可愛い』と言う言葉がよく似合う、鮮やかで緩い着こなしだった。

 花火が綺麗で、それを見る彼女の笑顔も同じくらい綺麗だった。


 8月20日。

 お別れの日がやってきた。彼女は家に戻るらしかった。

それだけなら良かった。同じ県にいればいつでも会いにいけるし、そうでなくても、また夏になれば会える。

 そう思っていた。しかし、それは違うみたいだった。


「お父さんの仕事で今度は東京みたい。もうちょっとここの空気、味わっておきたかったんだけどな」


 昼ごはんの後、僕を浜辺に連れてきて彼女は言った。彼女の家はお父さんの仕事柄、何度も引っ越しを繰り返していて、こちらで仕事があって2年間はこっちにいたらしいけど、もう時間切れだったらしい。

 いつの間にか泣いていて、彼女が慌てて慰めてくれたのを覚えている。


「でもほら、これで私達の思い出がなくなるわけじゃないわ。私はこの思い出を絶対忘れないし、君も絶対に忘れない。そうでしょ?」


 彼女は、僕の手を両手で包み込んでそう言った。温かかった。

 心の芯から温度が上がっていくのを感じた。

 溢れる思いを抑えるので精いっぱいだった。

 「うん」って僕が頷くと、彼女は今度は空を指さした。


「あの空あるでしょ? あの大きな空は世界中のどこにでも繋がってるの。だから、寂しくなったら思い出して。私も、同じように青空の下にいるってことを」


 彼女は笑った。

 指さされた空の色は何よりも青く感じた。

 

 確かに寂しいし、あの家に戻るのはちょっと嫌だけど、そのときは空を見ることにしよう。

 今はまだ、僕の歳では家に立ち向かえないけど、いつか、自由になる時が来たら。そして、彼女とまた巡り合えたら。

 想いを伝えよう。

  

 今は耐えよう。

 その希望を胸に閉まって。』



 夏の初めに、夏の終わりを思い出す。

 写し終える頃には雨は止み、雲が消えていた。まるで、海の青が、空に滲んだようだった。

 雨は止んでいて、洞窟では雨漏りも無かったのに、手紙は濡れていた。移し終えるまでにどれだけ泣いたのかは覚えていない。

 荒れた海に許しを請うが、その答えは返って来ない。


 波が揺れていた。私の心も一緒に揺れていた。

 

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