第死話

 結論から言おう。


 少女は決められた"死"を避けようとはしていなかった。


 階段の下に転がっている死体は、やはりトラックに轢かれているはずだった。


 では、なぜそうではないのか?


 答えは簡単。


「お前がいくらと、あの少女の死は避けられない」


 この少年こそ、少女の"死"を避けようとした張本人だからだ。


 絶対である死を避けようとし、そして実際に避けてみせた。


 ……避けた先に、別の死があるとも知らずに。


「諦めろ、少年。お前じゃ彼女の"死"を変えることは出来ない」 

「おまえ……は……」

「俺か? 死神だよ」


 見れば分かるだろ。これだけそのまんまな格好してんだから。


「しに……がみ…………ならお前が……」


「お前があいつを殺したのかッ!!!」


 今にも死にそうな面で、俺に飛びかかってくる度胸は認めよう。もはや狂気だ。


「落ち着け。人間のお前じゃ俺には触れないし、そのまま飛べばお前もあの少女みたいになるだけだ」


 少年は階段の下に目をやり、やはり直視できずに目を逸らす。


「……なぁ、少年。何故そこまであの少女に固執する?」

「…………」


 少年は何も答えず、ただ階段を上った。


 最上段まで上りきり、さらに足を踏み出す。


 歩道橋の手すりに両足を掛け、まるで川のように流れる車の流れを見下ろした。


「おい、少年」

「……死神」


「俺は何度でもやり直す。あいつを"死"から救い出すまで」


「俺はこんな結末、絶対に認めない」


 少年は、川へ飛び込んだ。


 コンクリートと鉄の塊が渦巻く川へと。


 最後に見た少年の顔は、まるで死神のように不吉な笑顔だった。






「…………ここは」


 気がついた時には、俺は大量に積まれた書類に囲まれた、いつもの机に腰掛けていた。


「どうかしましたか死神さん。顔色が悪いですよ。死神にでも会いましたか?」

「ひ!? 秘書……!!」


 そうだ……俺、こいつに仕事押し付けたままだった……!!


 絶対殺される!!!


「何ですかその反応、私が死神とでも言いたげですね」

「いやいやいやいや!!! 滅相もございません!!!」


 椅子から飛び降りて、とりあえず最大限距離を取る。今は会話ができているが、謝罪なんて隙を見せようものなら大マジで骨粉にされる……


「…………ん? なんか秘書さん、怒っていらっしゃらない?」

「は? 私が? 別にいつも通り不機嫌ですが」

「やっぱ不機嫌じゃないですか!!!」

「それとも死神さんは、私に怒られるようなことをしたのでしょうか?」

「いつもより怖い!?」


 やはり何か変だ。俺がいつ死神界に帰ってきたのか覚えてないし、仕事を押し付けられた秘書が会話ができるくらい冷静なのもおかしい。


「……秘書、今日は人間界の暦で何月何日だ?」


「……ですが?」


 …………なるほど、これで理解した。


「まったく……厄介な男だ」


 それから何回も少女は死に続け、その度少年は自ら死を選び続けた。


「……はぁ、本当に厄介だ」


 何十回も、何百回も、何千回も。


「いや、厄介すぎない?」


 それはもう、途方もない回数の死をその身に受けた。


「そろそろ壊れるぞあいつ……」


 少女の方は時間のリセットと同時に記憶の方もリセットされるが、どうやら少年は俺と同じで前回の記憶を保持したまま。


 死に続ければ死に続けるだけ、精神が削れていくのは必至だ。


「なぁ、少年」


 そして何度目かの四月一日。


 俺は今日も、ビルの屋上に片足をかけた少年に声をかけた。


「お前がいくら死に続けようが、それはお前の勝手だ。だがな──」


 こっちの迷惑も考えろ。そう言いかけて思い止まる。


 これは確か前前前前前前前前前回くらいに言って、結局そのまま飛び降りられたんだよな……


 こいつがこのまま死ねば、時間は遡り、また死は繰り返す。


 そうしたら俺は、秘書の別パターンの悪口を聞く羽目になる。


「──あと少しだけ、俺と話さないか?」


 俺が取った作戦は、時間稼ぎ。


 何をしようにも情報がまだ足りない。この惨劇のループを回避しようにも、俺が明日を迎えようにも。


「どうせ俺が何しようとお前はここで死ぬ。なら少しくらい雑談に付き合ってくれてもいいだろ?」


 死神との雑談なんて、生きてる内にできることじゃないぞ?


「『俺が何しようとお前はここで死ぬ』か……」


 振り向いた少年の顔は、とても人間の顔とは思えなかった。


「なぁ……死神……教えてくれよ」


 ぶっ壊れた玩具のように力無く笑う。


 それは"まるで"というか、"やはり"というか、死神よりも死神に見えた。死神の俺が言うんだから違いない。


「お前にとって……命ってなんだ……?」

「…………」

「お前なら……数多の命を奪ってきたお前なら……わかるだろ……?」

「……言ったか言ってないか忘れちまったが、別に俺が人間の死を決めてるわけじゃない」


 全ては上が決めることだ。そこに俺の意思は必要ない。


「なら、なんであいつが死ななきゃならないんだ……死ぬべき人間なんか、腐るほどいるだろ……?」

「さぁな? 『フギリスト』に乗るような人間は善良で将来有望な少年少女って決まってんだ」

「それも上が決めることか……?」

「あぁ。その通りだ」


 俺達はただ書類とにらめっこして、魂を回収するだけの作業をこなしているに過ぎない。


「じゃあ……お前自身はどうなんだよ」


「お前は……何の罪もない、善良で将来有望な少年少女が意味も無く殺されるのを、なんとも思わないのか……?」


 少し考える。


「……別に、なんとも」


 やはり、この答えが出るな。


 今までその問いについて、考えてこなかったわけじゃない。ただ考える度にいつもこの答えにたどり着く。


「だって、所詮他人の命だろ?」


「自分以外の人間の命は、どこまで行っても自分以外の人間の命でしかない。それ以上にもそれ以下にもならない」


「結局みんな、自分の命より大切なものなんて無いんだよ」


「……だからさ、お前はお前の命を大切にしろ」


 多感な思春期の学制に人生を諭す教師のように、死神が少年に命を説く。


 ……戯言に過ぎない。


「お前があの少女を大切に思ってるのは十分分かった。だからもういいだろ?」


 色々頑張ったけど、神には勝てなかった。


 それで十分だろ?


「あいつは…………」


 虚空に向かって少年は話し出す。その目は何を見てるのだろう。


「四月一日の朝、俺はいつも電話をかけて、あいつが生きているかを確認するんだ。もちろん、あいつは電話に出る」


「朝イチだってのにバカみたいに元気でさ……俺から電話するなんて珍しいねって、すげぇ嬉しそうに言うんだ」


「直接会って……顔を見て……やっぱり、今までのは全部悪い夢だったんじゃないのかって、何回も何回もそう思った……」


「けど…………っ」


 少年はやっと俺の方を見た。俺の方を見ているはずなのに、その目は俺を映してはいない。


「死神、お前は人の命を数字で捉えている」


「それを仕事にしているお前には、仕方ないことかもしれない」


「でも、俺には無理だ……」


「俺も前まではお前と同じだった。自分の命より大切なものなんてない。他人は所詮他人に過ぎないって……」


「けど俺には……あいつの命を、単なる他人の命って割り切ることはできねぇんだよ……」


「世界は残酷で、平等だ」


「あいつ一人が死んでも、きっと世界は回って、数年後にはあいつの顔さえ思い出せなくなる」


「もう、あいつの最後の言葉まで聞こえなくなった……」


「俺は怖い」


「惜しい」


「惜しいんだよ」


「あいつの命が、今の俺には狂おしいほど……死に続けるほど惜しいんだ」


 それが今回の少年の、最後の言葉になった。


「…………秘書」

「はい? どうかしましたか?」

「今日は、四月一日か?」

「はい、そうですが……それが何か?」


 深くため息をついて、天井を見上げる。


 綺麗とは言えない、見慣れた景色だ。


「秘書よ」

「はい」

「そろそろ、終わらせてやるぞ」

「はい?」


 いい加減、死に続けるのも、死に様を見せ続けるのも疲れただろう。


 死は絶対だが、それと同時に平等でもある。


 一人だけ何度も死を迎えるなんて、不平等にもほどがあるだろ……っ!


「……どこに行くんですか、まだ仕事がこんなに……」

「悪い、後で埋め合わせするよ」

「ちょっと!」


 俺は秘書の怒声を後にして、また人間界へと降りていった。


 今度は見張りなんて無駄なことはしない。少年の話を聞けたなら、こいつの話も聞けるはずだ。


「ごきげんよう、お嬢さん」


「……もしかしてあなた、死神さん?」


 少女は目を丸くして、俺にそう問いかけた。

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