餃子(3)

「もう食べられぬ……ナナセ殿に出会ってから、旨いものばかり食べさせてもらっているな。本当にありがたく思うぞ」


 大量に作った餃子は、すでに私たちの腹の中に納まっていた。残るのは、明日のアーサーの分にとよけておいた餃子のパックと、ビールとおつまみとして買ってきていたベビーチーズのみだ。


 忘れないように、餃子のパックを明日用にと言って渡しておいた。


「こういうものもありますよ」


 残っていた皮に、ベビーチーズを包み焼いたものを差し出すと、お腹がいっぱいだと言っていたにも関わらず、フォークで刺してパクリと食べた。


「これはいかん……いかんぞ、ナナセ殿……皮はパリッとしていて、中はクリーミーで、とろりとしていて、ほんのりと塩気があって、私の知っているチーズとはまた異なるうまさだ……ワインが欲しくなる味だ!」


「ワインは買ってないんですよ。ごめんなさい。お好きなんですか?」


「ああ、私は渋いのが好きだが、弟は甘いワインが好きでな。よく甘くするための器を選んでいたよ。しかし、このビールもギョウザに合うな」


 ベビーチーズの餃子包みはビールと共に、アーサーと私のお腹の中に収まっていった。


「ふふふ、おいしいでしょう。これが、異世界の力ですよ」


「異世界の……力……」


 ビールの酔いも相まって、アーサーはいい具合になっていた。


 このままなにもかも忘れて、楽しいままでいられたらいいのだが、明日はそれでもやってくる。


 自分の無実を証明するためとはいえ、上司の行いを録音して上に言いあげたのだ。この程度の指導で録音して人事部に言いあげる奴だという評価がつくかもしれない。


 槙田課長から報復されるかもしれないし、仕事に戻ることになったときに社内の人たちに噂されるかもしれない。


 そんなことを考えて、手に持っているビール缶に視線を落とす。


「ナナセ殿。今日は、酔わねばならぬほどお辛いことがおありだったか?」


 急に黙ってしまった私に気を使ってくれたのだろう。気づかわし気な様子のアーサーが、私の顔に視線をよせる。


「ただ……アーサーさんと楽しく飲みたかっただけですよ。アーサーさんと一緒にいると、いつもはあまり進まない食が進むんです。ほら、今日もこんなに食べちゃった」


 笑顔はうまく作れているだろうか。


 空の皿を見せて、笑う私に、アーサーは何か言いたげな顔をして、何も言わずにぐっとビールを煽った。


「アーサーさんには感謝ですね。ほら、私、上司に穀潰しって言われてたじゃないですか。だからいつの間にかご飯食べられなくなってたんですよ。でも、アーサーさんと出会って、すごくお腹を空かせていて、ご飯食べさせなくちゃって思って料理して、食べてる姿を見ていたら、私まで食べたくなってきちゃって」


 一息に話して、残ったビールをぐっと飲み干す。


「それで、だんだんご飯食べれるようになってうちに気が付いちゃったんです。私の上司は、私のことを思って厳しく接していたわけじゃないんだって。これでもね、私、学生時代は勉強できるほうだったんです。親にも先生にも認められていて、すごいって言われてて。だから、今の上司の下でだって頑張れば報われる。努力すればあんな上司とだって理解しあえるって思っていたんです」


 でも……と息を吐いて続けた。


「どんなに努力しても、認めてもらえないことがあるんだなって思うと、悲しくなってしまって……」


 キッチンに立って、アーサーと向かい合いながら愚痴をこぼす。


 学生時代なら、決してやらなかったことだ。


 アーサーと話すことで、自分に許せたことでもあった。


 ビールをもう一口口に含んで、苦味を口内中で味わってから飲み下す。喉元を通って胃の中に入っていったビールの味は、心の中の苦味を飲み下しているような味がした。


「わかる……わかるぞ……ナナセ殿」


 複雑な気持ちで感情を吐露していると、アーサーが身を乗り出してきた。


「私も似たようなものだ。民のためにと生をうけ、軍を率いて戦場をかけ、国のためにと私生活も犠牲にして駆けてきた。しかし、私に待っていたのは、王位継承権の剥奪と永遠に出られない牢への投獄だった。そして、形勢逆転を狙い、聖女召喚を行いもしたが、私の実力では、ナナセ殿の世界に繋がる小窓を一定時間召喚することしかできなかった。私を信じる者たちを差し置き、ナナセ殿の好意に甘え、衣食を与えられているだけの者になっている」


 私よりも重いアーサーの境遇に閉口してしまう。

 アーサーこそ、努力が実を結ばなかったと嘆いてもおかしくない境遇だろう。


「弟の心を掌握できなかった私が悪かったのか、それとも戦ばかりで国を留守にして、政治を弟に任せきりにしていてことがいけなかったのか……今となっては後悔ばかりだ。私を信じ、ついてきてくれた者たちも、今生きているのかどうかもわからぬ」


 そこまでいうと、アーサーは残っていたビールを一息に飲み干した。


 アーサーの境遇の重さに、思わず謝罪しかけた私はビールと共に言葉を飲み込む。


アーサーの境遇はアーサーの境遇で、私の境遇は私の境遇だ。


それぞれに辛いことがあって、どちらが辛いかなんて、比べてしまえば失礼にあたると思ったからだ。


「アーサーさん、ビール。まだありますよ」


 せめてなにかできることはないかと、冷蔵庫から冷やしておいたビールを取り出し、小窓越しに渡すと、笑顔で受け取ってくれた。


 お酒と、おいしい餃子が、アーサーの心の蓋を開けてくれたようだった。


「今宵は、いい酒を飲ませてもらった。我が人生で、ナナセ殿と出会った数日間の他に心許せて安らいだことはない。この人生を憎んだこともあったが、これまでの苦難は、今日の幸福のためにあったとすら思う」


 手渡そうとしたビール越しに、アーサーの掌が私の掌を包み、熱っぽい視線が私の瞳を捕らえる。


「我が苦難の時に現れし聖女、ナナセアユム殿。そなたとの邂逅に感謝する」


 アーサーの唇が、私の手の甲に触れそうになった瞬間、窓の外がいつもの神社の風景に戻った。


 日はすでに落ち、外は薄暗くなっている。


「え……ええー?」


 唇が触れそうになった手の甲を手に、私の口からは戸惑いの声が漏れる。


 アーサーの世界では手の甲へのキスくらい挨拶程度のものなのだろうが、これまで喪女として生きてきた私には刺激が強い。


 アルコールも回ったせいか、真っ赤に染まった頬をおさえながら、キッチンの床にへたり込む。

 そんな私を笑うかのように、窓の外からコンという鳴き声がうっすら聞こえてきた気がした。


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