餃子(アーサー視点)
かつての同胞であったウィリアムが牢に訪ねてきた。
私の部下だったものは処刑されたものが多かったと聞くが、彼は身分が高く、家族も国の重鎮であったため処刑できなかったのだろう。
見張りに賄賂を渡し、この場に来てくれたようだ。
牢に訪ねてすぐ、牢内に漂う花の香に驚き、私の身なりが整っていることに驚いていた。そして、おそらく痩せているであろうと予想していた私の姿が健康的だったことに更に驚いていた。
これも神の思し召しだと、聖女召喚のことを伏せて言えば、やはりこの国の王はアーサー様以外にはおられない。と、涙を流していた。
ウィリアムから聞いたのは、弟王の非道だった。
はじめこそ善政を敷いていたようだが、自堕落で酒と女に溺れ、民への税も王の遊びのために重くなっているらしい。この数年で不満は溜まっているようだ。
話の合間にウィリアムに食べさせたホットケーキに、舌を巻いていた。
このような牢内でどうやってこんな上質な甘味を手に入れたのかと聞いていたが、神の奇跡だとしか伝えずにいた。
ナナセ殿のことを伝えたら、是が非でも会ってこの世界に連れてきたいと言うだろうからだ。言うべきタイミングは選ばねばならない。
ナナセ殿を何の準備もなくこの世界に連れてくるわけにはいかない。その存在は秘されているべきだ。
そして、彼女を私の事情に巻き込むことも望まなかった。
はじめこそ起死回生の一手として聖女召喚を行ったが、ナナセ殿のように自らの世界で懸命に生きている者をこちらの都合に巻き込むことに罪悪感を覚えたからだ。
光の女神に、ナナセ殿の世界の神が憤っていることを聞きようやく私は、聖女召喚とは、慣れ親しんだ世界から聖女を切り離すものなのだということに思い至ったのだ。
聖女が望んで来てくれるならば許すと言っていることが救いだ。
ナナセ殿には、こちらの世界に来てほしい。
こちらの世界の美しい景色や素晴らしいものを見てほしい。
しかし、今の私には、美しいものだけを彼女に見せていられるだけの実力が無い。
今、ナナセ殿の存在をウィリアム達に知られてしまえば、彼らが計画している血なまぐさいことに巻き込まれるだろう。
隠さねば。
ホットケーキはチャガユの時ように食べても減らないということはなく、ウィリアムの腹に収まった。
貴重な私の食料を奪ってしまったことを詫びて、代わりに乾燥したパンと肉と果物を大量に置いていった。私の食料事情が貧しいことを事前に知っていたのだろう。
帰る際、私のことを神の恩寵に包まれた時期王と呼び、頭を垂れ、全ての準備は整ったと耳打ちする。
肌がぞくりと粟立つ。戦い前の興奮が私を包んだ。
できるだけ生かして捕らえよ、と言った私に対し、難しそうな顔をしたウィリアムは返答をせず、頭を下げて去っていった。
残ったのは、やつの香水の香りだけだった。
弟を殺そうと思ったことはない。ただ、自分の手にあったものを返してもらうだけだ。
動きがバレてしまえばすぐに殺されるだろう。しかし、処刑を待つばかりの身だった私にとって、この話は僥倖だった。
弟を捕らえ、王位を取り戻したら、ナナセ殿を聖女として何不自由ない環境で招くことができる。
私にできることは、ウィリアム達が事をなすまで、生きていることだ。
寝藁に横になり、床に書いた魔法陣を眺めた。
どれだけ時間がたっただろう。うっかり眠っていた私は、魔法陣からもたらされる光に瞼を焼かれて目が覚めた。
いつものように小窓が現れた途端、ガラリと開いて、いつも以上に機嫌のいいナナセ殿が現れた。
ナナセ殿は、酔っていた。
また、何かあちらの世界で嫌なことがあったのだろうか。
それにしても、楽しそうに酔っている。
長かった髪がバッサリと切られていたのには驚いたが、先日に比べ、髪の艶が増し、より美しくなってたいたので、思ったまま伝えたら照れていた。
ビールという飲み物を飲むよう渡されて、少しわくわくしながら口にする。酒を飲むのは本当に久しぶりだ。
以前は部下たちと浴びるように飲んでいたというのに、すっかり肝臓が休まっている。
ビールという飲み物を口にすると、上質なエールであることが分かった。
ひんやりと冷えたビールは、苦味が薄く、のど越しもよく、これほど上質なものは飲んだことがないと感嘆する。
着る物まで与えてもらい、情けない限りだったが、好意に甘えることにした。ボロボロの服を着替えると、軽いのに肌触りがよく温かかった。
新しい服に着替えた私を見て、ナナセ殿がイケメンとつぶやいていたが、イケメンとはなんのことであろう。
ご機嫌な様子で、ギョウザという食料を焼いているナナセ殿を見ながら無理に明るくしているのではないか心配になる。
それでも、彼女が自らの意思で話始めるまでは聞かないことにした。
彼女はおそらく楽しい酒を所望しているのだ。
それならば、精一杯盛り上げよう。
ナナセ殿と共に食べたギョウザとビールは、これまでにないほど旨かった。
酒に飢えていたこともあるだろうが、異世界の旨いつまみに美味い酒を与えられたら、こちらとしては抵抗する気力もなくなるというものだ。
彼女の世界で、問題は徐々に解決に向かっているようだった。
良かった。と内心息をつく。
ナナセ殿は、理不尽な上の元で苦労していたようだが、上の上はまだ話が通じるようだ。
理不尽な者は早々に切り捨て、自分の心身を労わり生きてゆけばいい。と思っているのだが、ナナセ殿はそうはいかないようだった。
理不尽な者相手にも、まっすぐぶつかっていき、相手に認められようとしてきたそうだ。努力が実を結ばなかったことが辛いという彼女の様子に、慰めよりも先に、自分の感情が出てしまった。
努力が実を結ばないのは、私も同じことだった。
酒のせいか、ナナセ殿の嘆きの質が私と同調したためか、私は、いつになく弱音を吐いてしまっていた。
焦った彼女が、ビールを渡してきたので、一気に飲み干す。やはりうまい。
王太子たるもの、何人にも弱音を見せることはかなわなかった。
ウィリアムに時期王と呼ばれたとき、自分か弟の命がないだろうと察した。
自分が死ぬか、弟を殺すか、二択に挟まれた私の心は外には見せないようにしたが千々にちぎれるようだった。
以前のように弟が私の下に着くというのであれば、それで許してもいいと思っていたのだが、ウィリアム達は許さないだろう。
王として立つものは常に一人なのだ。
ささくれ立っていた気持ちがナナセ殿と酒を共にしていると安らいでいく。上質な酒のためだろうか。それとも、ナナセ殿と飲んでいるからだろうか。
普段はほっそりとした瞳を丸くして私を見ている姿が愛くるしい。
ふと、もっと愛らしい反応を引き出したくなって、片手をとり、唇を手の甲に触れさせようとした。
途端、コンという鳴き声が聞こえ、暗く冷たい牢内で一人になっていた。
ああ、邂逅の時間が終わったか。と寝藁に寝転がり、体中に充満している心地よい酔いを味わった。
目いっぱい瞳を大きくさせて驚き顔を赤くしているナナセ殿の姿がまだ瞼の裏に残っている。
愛らしかった。
酒のせいでも、聖女への憧れに魅せられているわけでもなく、彼女が欲しいと思った。
ウィリアムたちの作戦が上手くいったら、告白しよう。
頭の中まで痺れるような酔いに身を任せ、着心地のよい異世界の服に身を包み眠りに落ちた。
明日の命も知れぬ身なれど、心地よい思いができる今をくれた聖女に感謝の念を送りながら。
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