茶粥(アーサー視点)

起死回生を図って、残された力をふり絞り聖女召喚を行ったのは、私を処刑しようとする動きがあると知ってのことだ。


 二年前、国境に隣国が攻め入り戦争状態になった。


 軍を率い、隣国と戦い、勝利を収め、王都に帰ってきたとき、私は王太子ではなくなっていた。


 隣国との戦争は、戦争の功をあげたい私の自作自演だとありもしない罪をでっちあげられ、身分を堕とされ城の地下牢に投獄されてしまう。


 裁判もろくに行われず、年老いた父王は、私を追い落としたい弟の言うがままだった。


 戦争の功労者は、あっという間に反逆者にしたてあげられたのだ。


 投獄されたときは、現実感が湧かず、父王や仲間たちが私を助けてくれるはずだと信じていた。


 しかし、月日が流れるほど、その考えは甘かったと思い知らされる。


 食事が差し入れられるだけの幅しかない戸口からは、見張りの兵たちの噂話が漏れ聞こえてくる。


 私に付き従っていた仲間たちは、国を売った裏切者としてある者は身分を剥奪され奴隷に落とされ、ある者は処刑された。


 私が処刑されずにすんだのは、王族だからだったと思い知る。


 夜な夜な、誰々が処刑されたという話を、誰に話すともなく独り言のように呟く見張りの兵によって、泣きぬれた夜を過ごす。


 処刑される人間の名前を聞かなくなったころ、父王が死に、弟が王にたったことを知った。


 私は裏切られたのだ。


 腸が煮えくり返りそうな思いに毎夜苛まれ、幼少期を共にした弟を恨み、うかつだった自分を呪い、命を失った仲間たちを想い涙した。


 いつかはこの牢を出て、無実を証明し、仲間たちの無念を晴らす。


 その一身で、牢生活を生き抜いた。


 はじめのうちは、質素ではあったが日に三食あった食事が、次第に二食に。数か月まえからはとうとう一食に減らされるようになっていた。


 週に一度与えられていた体を拭く布も与えられなくなり、体のかゆみと臭いに呻いた。


 牢の床は冷たく、寝床は積んだ藁しかない。その藁も、牢に入れられた時から変えられることは無かった。


 陽の光があたらず、窓もなく空気のよどんだ牢内は暗く、精神を蝕んだ。


 日ごとに劣悪になっていく環境に、このまま汚泥にまみれて朽ち果てるのかと思っていた時、牢に入る際、唯一とられなかった指輪が熱を持って光りだしたのだ。


 指輪は、ユーダリル王家に伝わるもので、王太子になった際、父王から受け継いだものだった。


 国が危機に陥った時、かつて聖女が異世界から召喚された。聖女は国を救い、時の王と婚姻を結んだ。


 指輪は、その時の王が聖女召喚の媒介に使い、婚姻の証にと聖女に渡したものだと伝えられている。


 幼い私と弟は、聖女伝説に夢中になり、いつか聖女を嫁にするのだと言い合ったものだった。


 そんな私に、いつか王妃となるものに譲るといいと父王が譲ってくれたのがこの指輪だった。


 舞い込む縁談を、いつか聖女を王妃に迎えたいからと夢のようなことを言い断って、聖女に見合う自分になれるようにと学問と鍛錬にあけくれた。


 本気で聖女と結ばれるとは思ってはいなかった。

 ただ、聖女を娶った王のように、国の危機に立ち向かえる自分になりたかったのだ。


 鍛錬に煩わしい女関係を遠ざける言い訳にもなっていた。


 私とは対照的に、弟は早々に聖女伝説に見切りをつけ、女遊びに目覚め鍛錬を怠るようになっていた。


 そんな弟に注意をしたこともあったが、弟は聞き入れず、私を馬鹿にする始末だった。


 この指輪がとられなかったのも、この状況で縋れるものなら、聖女に縋ってみるがいい。と聖女伝説に傾倒していた私を嘲笑ってのことだった。


 聖女召喚などができると本心から信じていたわけではない。


 だが、私の処刑が決まりそうになっていると独り言を呟く見張りの兵の言葉に、このまま散るわけにはいかないと強く思ったのだ。


 私の想いに応えるように、指輪が魔力を持ち熱く光った。


 もしやと思い、幼少期から繰り返し読んできた聖女召喚の手順を倣い、己の血で魔法陣を書き、体中の魔力を総動員させ召喚を行った。


 魔法陣は光り、手ごたえを感じた。


 なのに、召喚されたのは、見たことのない素材でできた何かだった。


 絶望した。


 所詮、自分の人生はこんなものなのか、と。


 しかし、何かの外側で、弱くはあるが人間の気配を感じたのだ。


 食料をろくにとれず、痩せた体は魔力まで失い、どんどん熱を失っていく。


 聖女召喚の呪文を唱えた喉は、日に一度しか与えられない泥水を求めて乾いていた。


 恥を忍んで助けを求める。


 求めに応えるように現れたのは、ほっそりとした体つきに、長い黒髪を腰まで伸ばし、大きな黒曜石の瞳をした乙女だった。


何かを開いた手首は細く、握ったら壊れてしまいそうで、ガラス細工のような印象を受けた。


 伝承通りの聖女の姿に感動し、祈りを捧げたが、引かれてしまったようだった。


 みたことのない物質で作られた何かは、乙女の部屋の台所の小窓だという。


 なぜ、聖女ではなく小窓が召喚されたのかは謎だった。


 助けを求め聖女としてこちらの世界に来てほしいと頼んだが、無理だとすげなく断られた。


 私が求めていた聖女がこんなに冷たい乙女であるはずがないと自棄になりはしたが、乙女はすぐに、私に清らかな水を与えてくれた。


 変わった入れ物に入った汲み立ての清水のように透き通った水を飲むと、失われていた魔力が体中に満ち溢れる。


 生き返る心地がすると言うが、本当に死の淵から生き返ったのだ。


 それから、乙女はナナセアユムと名乗り、私のために食事を作ってくれていた。


 途中、幾度も辛そうにしていたので、話を聞いた。


 ナナセ殿の様子は、戦場に出ていたことのある兵士が時折おこすひきつけのような症状に似ていたので、極力負担をかけないように、心にあるよどみを吐き出させた。


 聖女であると思っていたナナセ殿は、異世界で当たり前のように生活して、悩み、苦しんでいる一人の人間だった。


 何か力になりたくて、話を聞いて励ました。

 言葉を内にため込みすぎて、相手に文句も言えなそうだと一計を案じ、彼女の口から文句を引き出した時は、してやったりと笑ったのは秘密だ。


 話をして、内に秘めた言葉を出せたナナセ殿は心なしか食事を作る前よりも楽そうな表情をしていたことに胸をなでおろす。


 女性に泣かれるのは、見ているだけで辛い。笑顔を引き出せて嬉しい限りだ。


 話がひと段落して、チャガユという食べ物を口に含む。


 これまでろくなものを食べてこなかったのだ。どんなものでも栄養になりさえすればいいと思っていたのだが、口に含んだチャガユは香ばしい香りが鼻に抜け、柔らかく煮詰められたコメはほんのり甘く、絶妙な塩加減が全体の味を整えていて、弱り切った体に染みわたる味わいだった。


 考えるより先に口が動き、次へ次へと匙を口に運びチャガユを平らげる。


一椀では足りず、恥ずかしながらおかわりを所望してしまったが、ナナセ殿は快く注いでくれた。


 空腹で腹の皮と背中の皮がつきそうだった胃に、優しい満腹感がやってきた。


 ナナセ殿も空腹だったようで、ゆっくりとだがチャガユを食していた。青かった頬に赤みが刺し、初めてあった時よりも元気そうな顔つきになっている。


 礼を言い指輪を渡した。


 大切な指輪だったが、私の命を救ってくれたナナセ殿に渡したかった。


 聖女との邂逅はこの一回で終わってしまうのだろう。聖女としてこちらの世界に来てほしいと言って断られたとき、私は私の運命を受け入れた。


 大切な指輪を他の誰かに奪われるくらいなら、私を助けてくれたナナセ殿に持っていてほしかったのだ。


 指輪を手渡し、戸惑う彼女の姿が召喚陣の光が薄くなっていくとともに遠くなっていく。


 小窓ごと姿が消える前に、小鍋に入れたチャガユを渡されたときは、ナナセ殿の心遣いに感動したものだ。


 まだ温かいチャガユを膝に置き暖をとる。


 明日の楽しみが出来た。


 粥なので、時間がたったら内容物が水分を含みふやけてしまうだろうが、一日一食しか支給されない牢食よりはマシだ。


 久しぶりに満腹になり、じんわりと熱を放ってきた体を抱いて、藁の上で眠る。


 聖女としての助けは得られなかったが、数日を生き延びるだけの水と食料はもらうことができた。


 それだけのことでも、暗い牢内に閉じ込められた私にとって希望となった。


 処刑が決まるまでの間、せいぜい生きてやろう。

 弟は、本来の跡取りである私を処刑することを忌避していたはずだ。


 生かしておけば私派の人間に担ぎ上げられ弟の玉座を脅かす存在ではあるが、処刑してしまえば弟が玉座についたことが簒奪として見られる可能性がある。


 だから、私は今まで生かされてきて、牢内で自然に死ぬことを求められていた。


 食事量を減らされ、自然死か自死することを求められていることを悟った私は、何が何でも生き抜いてやると二年近くに及ぶ暗い牢内での孤独と不安に耐えていた。


 聖女召喚でひと時だけ得た灯りと食事は、私にとって、これから先も続くであろう暗闇への希望になっていた。

 決して弟の希望通りには死んでやらない。せめて、弟の意思で処刑され弟の王座に不信感という染みを残すまでは。


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