茶粥(3)

始めはぽつぽつと、けれど相槌がうまい男のおかげで、気が付けばするすると今までのことを話していた。


 課長に仕事を押し付けられていること。気まぐれに怒鳴りつけられること。


早朝出勤も残業も賃金を発生してもらえないこと。しゃべり方やメイク、服装にいたるまで毎日のように細かくチェックされてはののしられていたこと。


 課長に便乗するかのように、周囲の人々が私を無視していること。


 なにより辛いのは、働かざる者食うべからずとしたり顔で言っては、私を穀潰しとののしり食事をとることに圧力をかけられていたこと。


 全てのことを言葉に出してすぐ、私は後悔した。

 こんなこと、異世界の、しかも戦や兵士といった言葉が日常にあるような体育会系の人に言ったところで理解されないと思ったからだ。


 もっとひどい扱いをうけている人など山ほどいる。だからお前も我慢しろ。


そんなことを今言われてしまったら、今度こそ崩れ落ちて立てなくなってしまうかもしれない。


「どこの世にも部下を潰す官はいるものだが、そなたの世にもいるのだな」


 勝手に男の反応を想像して絶望感に包まれていた私を迎えた言葉に、体中に走っていた緊張が解けた。


「なによりも、部下から食事を奪うような行動をとることが許せぬ。働かなくとも、食わねば人は死ぬ。それに、そなたは働いていたと言うではないか。それなのに圧力をかけるなど、間接的な殺人に等しい! 悪辣な」


「言いすぎですよ」


 私よりも私のことに怒ってくれたことにほっとして少しだけ笑ってしまった。


「いや、戦場でそのようなことをしたら、部下によっては後ろから斬られてもおかしくはないぞ! そなたも黙って言うことを聞かずにそっ首たたき斬ってやればよかっただろうに」


「こっちの世界でそんなことしたら捕まっちゃいますよ」


「そうだな、戦場外でそのようなことをすればこちらの世界でも捕まるな。せめて文句でも言ってやれ」


「文句なんて、言えないですよ」


 ガハハと笑った男につられて、私も笑った。


 笑ったのは、久しぶりだった。


 しばらく二人で笑っていると、男の腹がぐぅと音を立てる。


「いや、申し訳ない。いい匂いがするもので」


「そろそろできる頃でしたね。ごめんなさい、お話に夢中になっちゃって」


 コンロの火を止め、塩で味を整えたものを木椀に盛った。 


「はい、どうぞ。全部食べちゃってください。胃が弱ってそうでしたので、お粥にしました」


 お盆はなかったので、行儀が悪いがそのまま木椀とスプーンを差し出した。


 それを手に取った男は、不思議そうな顔でお粥の匂いを嗅いでいる。


「これは……ポリッジのような、違うような……」


 ポリッジとはオートミールを牛乳で煮た海外のお粥だ。


フルーツやハチミツを入れると聞いたことがあるので、甘いものなのだろう。


 ポリッジとは違うことを説明するため、片手鍋を持ち中身を男に見せる。


「これは、日本という私の国でとれたお米をほうじ茶というお茶で煮込んだ茶粥という食べ物です。ポリッジに比べると甘味はないですね」


 米と言ったとたん、男の顔色がさっと変わった。


「なんと、米とは馬の飼料ではないか! 落ちぶれても王子たる私にそのようなものを食べさせるなど、どのような了見か! 説明せよ!」


 突然怒り出した男を前に、反射的に謝りそうになった。


 上司に怒りを露わにされた時、いつも私は謝っていた。言いがかりに近いお説教にも、自分のミスではないミスを指摘されたときにも。周囲に波風を立てず、仕事をスムーズに進ませるために。


「ごめんな……」


「謝って終わらせようとするな。私は説明せよと言ったのだ」


 男から視線を外し、怒られたことに萎縮し、慌てて場を収めようとした。


それなのに、それすら必要がないと言わんばかりの男のセリフに腹が立ってきた。


 見ず知らずの相手に水を分け、朝から体調が悪く体が動かない中で、男に助けを求められ簡単とはいえ料理までしたというのにこの仕打ち。


 理不尽だ。


「米は、馬の飼料なんかじゃありません。あなたの国では米は馬の飼料かもしれませんが、私の国では大切な主食です。それにこの米は、私の家族が手間暇かけて大切に作ってくれたものです。馬鹿にするのなら食べなくていいですよ」


 萎縮していた体に怒りで力が入り、こちらを見ている男の目を勢いでキッと睨みつける。 


私の家族はサラリーマンとの兼業農家だ。毎日休まず働き、おいしい米を作れるように日々努力していて、今年とれた新米を私にと送ってくれていたのだ。


 その米を、馬の飼料などと言われたことに心底腹が立っている。いくら異世界人だとはいえ、あんまりだろう。


「なんだ、ちゃんと文句が言えるではないか。その域だ。不当なことにはきちんと何が不当かを説明し、意義を唱えるのだぞ」


「はい?」


 途端、男は上機嫌になりガハハと笑う。


あっけにとられた私は、持っていた木椀を落しそうになる。


 取り落しそうになった木椀を素早く支え、自らの元に持って行った男は、椀に口をつけそのまま中身を飲み干した。


「うまい! 香ばしい味と香りの中に柔らかく煮詰め、塩気のある米の味が空腹に染みわたる! おかわりをもらえぬか?」


 もぐもぐと嚙みながら空になった木椀を差し出す男にあっけにとられつつ、おかわりをよそう。今度は、スプーンを要求し、一口ずつ味わって食べている。


「戦場では食料とも呼べぬものも口にしてきた。今更馬の飼料を出されたとて怒るわけもなかろう。ましてやそなたのもてなし料理だ。まずいはずがない」


 お粥を口にかきこみながらフッと笑った男に、やられた。と思う。


「気弱そうになんでも言うことを聞きます然としているから妙な輩につけこまれるのだ。今のように気を強く持て」


 カッカと笑う男の姿に、体に入っていた力が抜けて、へなへなとその場に崩れ落ちた。


「怒ることがそんなに嫌か? 不平不満を言うことがそんなに嫌か? どれも人間ならば皆持っている感情だ。神が人を作った時に与え、産まれた時より備わっている感情に無駄なものなどあるはずがなかろう。当人の使いようだ」


「そう……かもしれません……ね」


 しれっとした顔でお粥をかきこむ男を見上げているうちに、私のお腹がグゥと鳴る。


「そなたは何も食わぬのか? 空腹ですという顔をしておるぞ」


「そういえば……今日一日何も食べてないですね」


「世界の異なるもの同士、顔を突き合わせたのも何かの縁よ。食事を共にしようぞ」


「それも、いいですね」


 私が作ったご飯なんですけどね。と言葉を飲み込み、長年使っていなかった茶碗を洗う。


 茶粥をお玉で掬うと、香ばしいほうじ茶と米の香りがした。


 ゼリー飲料以外のご飯を食べるのは、いつぶりだろう。


 いつの間にか、課長がいない所でも食欲が湧かなくなり、ご飯を作ることも食べることもしなくなっていた。空腹を感じることすら稀だったのに。今日はお腹が鳴っていた。


 美味しそうな茶粥の匂いのせいだろうか。おいしそうに食べる男を見ていたせいだろうか。空っぽの胃が、中身を求めるようにぎゅうぎゅう鳴り、口の中に唾が湧く。


「いただきます」


 箸を取り出し、一口お粥を食べると、口の中にお米の甘さとほうじ茶の香ばしい味が広がった。


 おいしい……。


 全身が口から流れ込んでくる茶粥を求めていた。


 口の中に放り込んで、咀嚼し、喉を通って胃に入る。全ての過程で体が喜びの声をあげているのを感じた。


 後はもう夢中だった。


 おかわりを求める男に次を注ぎ、キッチンに立ったまま自分もお粥を食べる。


 空っぽで冷えた胃に、温かなお粥が染みわたってゆく。


 冷え切っていた体が、茶粥を頬張るごとに温かくなっていく。


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