悪の組織編

悪の組織と私の話 -誘拐-

 学校帰り、あかねとミミと別れた私は自宅に向かっていました。ブロック塀や生垣の続く住宅街の歩行者は私だけ、車は数百メートル後方を徐行している漆黒のワゴンだけです。そのワゴンはボディ色に徐行具合が相俟って、何とも不気味。これから何か良からぬ事が起きそうな、そんな不吉な予感さえしていました。


 ワゴンは私に近付くにつれ、徐々に速度を落とし始めました。歩行者がいるこの状況、それにこの狭い道では適切な判断です。

 しかし、私の横を通り過ぎたと思った途端、ワゴンは完全に停車したのです。


 訝しみ後退した次の瞬間、後部座席のスライドドアが開かれました。

 

 あ、これヤバいやつだ……。


 予感は見事的中しました。黒のスーツに身を包んだ成人男性が2人、車から降りて来たのです。


 私は逃げようと後ろを振り返ると、そこには同じくスーツを来た成人男性が待ち構えておりました。一体どこから湧いて出たのですか……。


 にこやかな笑みを浮かべた彼らは驚く私を囲いました。


「分かるよね」


 彼らの1人は呟きます。

 分かりますとも、大人しく車に乗り込めば良いんですよねと、ため息を零しながら、漆黒のワゴンに乗り込みました。ここで抵抗しても私が成人男性3人には勝てそうにありません。ここは一旦大人しく従う事が最善でしょう。

 乗り込んだ私は真ん中に座るよう案内されました。左右をスーツ姿の成人男性に挟まれ、後ろを振り返っても、同じくスーツ姿の成人男性、運転手もまた以下略。助手席は綺麗な成人女性でした。


 完全に包囲されていました。これは逃亡させないためか、丁重に扱われているためか、今のところ分かりかねていますが、後者ならまだ希望はあります。危険な状況に変わりはありませんが、少しでも気を紛らわそうと、後者だった場合を想像することにしました。

 きっと、このような事があったに違いありません。



 ――とある大富豪が街で見かけた私のプリティーさに心を奪われ、夜も寝付けずにいたのです。


『あぁ、あぁ、あの子に会いたい。俺の部屋で一緒にお喋りしたいなー』


 導入直後に虫唾が走りました。これは違います。こちらですね。気を取り直して再び想像を巡らせます。



 ――とある大富豪が私の落としたハンカチを拾いました。大富豪は声を掛けようとしますが、ふと思い至りました。

 いきなり男の人に話しかけられたら不愉快な思いをさせてしまうかも知れないと……。

 それではどうするか、大富豪は考えます。

 同性の方にお願いしてみるのも手です。

 警察に落し物としてお届けするのもありでしょう。


 そして、大富豪は決心しました。


『僕が貰おう』


 自分が貰ってしまえば、あれこれ考える必要もない結論に至ったのです。


『こんなにプリティーな子のハンカチを貰えるなんて僕は幸せ者だぁ』


 途中までは優しい方でしたが、最後はやはり虫唾が走りました。ハンカチは想像の中で差し上げました。



 こんな状況のどこに希望がありましょうか。現状が私を蝕んでいるようです。やはり、誘拐されているのですね……。

 そんな車内は話し声の1つもなく、エンジン音とその振動だけが静寂を破っています。


「ところで、あんた誰?」


 その中、助手席の成人女性はマニキュアを塗りながら突然訊いて来ました。


「それはこちらの台詞です」


「あら、随分と強気なのね。この状況が理解出来ていないのかしら」


 誘拐されていること以外全く理解出来ていません。


「まあいいわ、ボスにお会いすれば分かるもの。今しかゆっくり出来ないわよ」


 少なくとも実行犯とボスの併せて7人、それが今分かっている敵の総数。ボスの側近や警護人を数人と仮定しても10人以上は確実にいます。それに搭乗者の大人たちは皆、至って健康体に見えます。清潔感もあり、パワーも漲っていそうです。コンディションを調整するまとまった収入源があるのか、それとも表向きは本業があり、その傍らでこの活動しているのか……。

 あ――ダメ。ひと握りの情報ではこれくらいが限度でした。

 ただ、1つだけ分かるのは組織的な犯行ということです。



 というか、話変わりますがあのマニキュア臭い。鼻を押さえられずにはいない刺激臭がします。


「おい、それやめろ。嗅覚がイカれる」


 運転手の男は言いました。隣であるため相当臭いに違いありません。


「うるさいわね、そういう男だから結婚出来ないのよ」


「それはこちらの台詞です」


「この子と同じ事言うのね」


「いいから窓開けろ、開けるぞ」


 やり取りの末、運転手の男性は窓を開けました。臭いが次第に薄れていきます。


「まあいいけどさ、ねぇあんた今いくつ?」


「俺は三十路だ」


「あんたに訊いてない。そこの小娘よ」


 運転手の男は苛立ちを表し、大きな舌打ちをしました。


「だってよ小娘、答えてやれ」


「17です」


「おい聞いたか!」「あぁ聞いたぜ! ピチピチじゃねぇか」「息子と同い歳だ。お見合いしてやってくれ」「誕生日いつ?」


 私を囲う成人男性4人はまるで人が変わったように興味津々です。先ほどまでは目的遂行のために動くロボット然としていましたが、今はただの変態誘拐犯です。

 

「おい、お前ら静かにしろ」


 マニキュアの女性はイラつきを顕にすると、4人の男どもは、聞き分けの良い子供のように大人しくなりました。


「そこの小娘、名前教えろ」


「……」


 マニキュアの女性が訊くも、私はぷいっと顔を右に背けました。


「なんだよ」


 右隣の方と目が合ってしまいました。

 

「いえ、別に」


「おい、誕生日いつだ」


 この男はなぜ執拗に誕生日を訊きたがるのでしょう。まあ大体の予想はつきます。どうせプレゼントでも渡して、良い雰囲気になりたいだけだろうと思いますが、非常に浅はかな考えです。こういうのは関わらない方が身のためです。

 私が前方に視線を戻そうとした時、男は私の顎を指先で引き上げました。所謂、顎クイです。


「えっ……」


「俺の女になれ」


 その欲求不満な愛を囁く台詞に、少しもときめきを抱きはしませんでした。それどころか虫唾が走りました。


「触らないでください! この変態!」


 べチン!!


 痛々しい音が車内に響き渡りました。男の頬は真っ赤に染まっています。


「なっ……」


「振られたなお前」「いきなりはダメだ。ゆっくりが望ましいんだよ」「まずは友達からだな」


 他の3人から哀れな視線を向けられていました。


「小娘、そいつらはどうでもいいが、私の質問には答えろ」


「嫌だと言ったらどうしますか?」


「拷問だ」


「ちなみにその内容をお尋ねしてもよろしいですか?」


 私は興味本位で訊いていました。よく一般的に知られている電気ショックや水責め、石打ちとかでしょうか?


「そんなに気になるならボスに直接訊け。何されるか知らないけどね……おい、そこ右だ」


「あ、すみません」


「しっかりしろ運転手」


 マニキュアの女性は私と話したり、ナビの代役を務めていたり、未だにマニキュアを塗っていたりと忙しない方でした。


「あの……どこに向かっているのですか?」


 私はマニキュアの女性に訊きました。だって、右折したらそこは……あの入口です。


「はぁ……」


 名前じゃねぇのかよ……そんな心の声が表情から滲み出ていました。


「とりあえず高速乗る」


 やっぱり高速ですか……。


 いやいや、とりあえずってどういう事ですか!? 行先不明で私を誘拐したのですか? こういう時は根城に連れて行かれる展開が王道ではなくって? 大丈夫かなこの組織……と、なぜか犯罪者集団を心配してしまう私がおりました。


 あぁ、お家からどんどん離れて行く……。


「今ボスからの指令待ちだ。大人しくしていろ小娘」

 

 ――うぅ、お家帰りたい……。


 ――こいつさっさと名前教えてくれねぇかな……。


 車内はお家に帰りたい被害者と名前を知りたい女性、被害者に好意がありそうな男性4人、最後に三十路の運転手。

 少しだけゆるっとした誘拐犯との物語が幕を開けました。

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