モノと会話できる私の話 -6-

 とある日の学校帰り、私はお気に入りの傘を差していました。大降り程でないが、小降りには程遠い、ちょうど良い雨脚でした。バチバチ、パラパラと雨粒が傘を打ち付けては地面へポタポタと滴り落ちます。 

 こんな時や直射日光が厳しい日にご活躍する傘は、降り注ぐものから私を守ってくれます。感謝しかありません。


 傘を差した日の私は、大抵大通りを進み交差点で信号を待ち、横断歩道を渡ります。そして、家とは逆方向に進むのです。

 詰まるところ、遠回りをしています。

 こんな天候の中は家路を急ぐ方々が大多数だろうが、お気に入りの傘との時間を過ごしたくて私とおんなじ行動を取る方々もいると思っています。


 そんなお気に入りの傘と地域のゴミ収集場の前を通りかかった時でした。


「俺はまだ、使えるぞ……」


 その嘆きはゴミ収集場に捨てられた傘から聞こえてきました。特段壊れていないにも関わらず、そこに無造作に置かれているところを見ると、忘れ去られただけか、意図的に捨てたかのどちらかだろうと思います。


「……ご主人様、聞こえましたか?」


「はい、聞こえました」


「私もあのようになる日が来るのでしょうか?」


 傘さんは雨に打たれながら私に尋ねます。


「そうですね。私は手放したくないです。ですが、生まれ変わりたいとお望みになれば、私はそれを尊重しますよ」


「いえ、私の気持ちはご主人様とこれからもご一緒することです。空の刺客からご主人様をお守りすることが私の生きる理由であり仕事ですから」


 傘さんからは、強い意志の感じられる大変嬉しいお言葉をいただきました。


「ありがとうございます。理由とかあればお訊きしたいところです」


 私は傘を見上げて尋ねました。


「私を大切に扱ってくださっているところと……」


 傘さんの理由はいくつかあるようでしたが、1つ目を言葉にした後、何故か黙り込んでしまいました。

 それに私が小首を傾げていると――


「ご主人様がぁ、めっぽうプリティーなところです!」


 突然口調が変わった傘さん。今までの落ち着いた口調からデレデレに照れた甘ったるい口調へと変わりました。まるで人が変わった、いや傘が変わったようです。


 それにしても少し意外な理由でした。めっぽうプリティーとか面と向かって言われると至極照れます……。


「具体的に述べてもよろしいですか?」


 そんな私に追い討ちをかけるように傘さんは具体的な理由を話そうとしていますが、私の身が持ちそうにありません。私が止めるようお願いしようとするも――


「私はご主人様を四方八方から見ています。仕事中は上から、休憩中は下からと様々な角度から見ています」


 既に話し始めていました。それにしても導入がかなりホラーです。


「まずはその艶やかなゴールデンブロンドの長髪です。ご主人様は私を体に近付けて使う癖があるため、髪から漂うシャンプーの香りが鼻孔をくすぐるのです。次に私を見上げる時の上目遣いです。これはもうダメですね。一撃で頭の中空っぽになります。それにその琥珀色の虹彩が大変美しゅうございます。そして、休憩時間中に見れるご主人様の全体像は完璧です。上は白のワイシャツにベージュのブレザー、胸元の赤いリボンタイが可愛さを引き立て、下はブレザーと同色のプリーツスカート。華奢な体躯とお行儀の良い姿勢がお嬢様感を醸し出しています。完璧としか例えようのない容姿――」


 傘さんの熱弁は留まること露知らず、滔々と話し続けていました。この調子ですと小一時間くらいは喋り倒されることでしょう。

 しかし、これでは私の顔から火が吹き出してしまいます。雨が降っているというのに私だけ真夏日和みたいです。


「あ、ちょっとその辺で勘弁してください……もうこれ以上は……」


 私は俯きながら言いました。これ以上は危険だという意思を込めて。


「分かりました。まだお話したいことは軽く数十数百程度ありますが……ここまでに」


 軽く数十数百あるのが恐ろしいですが、この場は一旦胸を撫で下ろしました。危ないところでした。

 

「あっ! 最後にその照れ顔もプリティーで素敵です!」


「……っ」


 ぼふっ……私の顔から火が吹き出しました。


 ダメ押しの一撃……うぅぅ傘さん、酷いではありませんか! こうなったらお返しです。


「傘さん、少し思い出話をしてもよろしいですか?」


「えぇ喜んで」


 了承を得られたところで、私は傘さんとの思い出を振り返り始めます。これは傘さんも知らない私の思い出話です。


「あれは……雨の予報ではなかった日です――」


 綿飴のようなふわふわもくもく雲が優雅に漂う青空を眺めながら歩いていました。降水確率10パーセント台の天気予報。


『雨とはほぼ無縁そうですね』


 こんな良い天気に降るものなどないでしょうと、私は能天気でいました。



 しかし、予報とはあくまで予報。低確率でも外れるときは外れるのです。


 ぽたっと頭に水滴が当たりました。ふと頭上を見上げると、次は頬にぽたっと水滴が当たりました。まだ青空が大半を占めている最中の出来事でした。


『天気雨……?』


 えぇ……嘘ですよね。嘘だと言ってくださいと内心思いながら、近くにあったショッピングモールへと入りました。


 これからの行動はこの雨脚を鑑みてですね。


 それから暫くショッピングモール内をうろうろとしながら、時々外を気に掛けていましたが、雨脚は強まるばかりでした。


『傘買いますか』


 仕方なく傘売場に移動した私は、陳列された傘を端から見て回りました。子ども用傘に始まり、折り畳み傘、そして大人用傘の並びです。


『落ち着いた雰囲気の傘が良いですね……色は青系かな』


 大人用から青系の傘を1本ずつ手に取っては開いて見ていきました。


 そんな中、紺色の傘を開いた時、私の中で優しい電撃が走りました。

 外側だけ見ると紺色のシンプルな傘に見えますが、内側にワンポイントで三日月とうさぎの絵柄がありました。これはきっと、夜空に浮かぶ月とその中で餅つきをしているうさぎをデザインした傘かも知れません。傘全体で1つの作品となり、開くことで発見できる可愛さに魅了されたのでした。

 詰まるところ、一目惚れしたと言えました。


「――これが傘さんとの出会いの思い出話です」


「そ、それは私に恋をしたと捉えてよろしいですか?」


「そうですね。恋しましたね」


 傘さんは急にカタカタと震え始めました。そして突如パサッ! と身を閉じました。その影響で傘が乗せていた水滴が顔や肩に飛び散ります。


「うぅ……」


 と、私は唸ります。


「大変嬉しゅうございますご主人様。ですが、こんな公共の場で告白など恥ずかしいではありませんか……身が持ちません」


「うぅ……ちょっと、開いてください」


 勝手に閉じた傘を開き直す私。それに応じようとしない傘さん。傍から見れば、雨の中、傘を閉じたまま掲げている変人さんです。最悪の場合、傘の差し方すら分からない娘なのかと思われてしまいます。それは真っ平御免です。私は再び傘を開き直そうとします。


「やめておくんなまし。恥ずかしいではありませんか」


「こっちの方がよっぽど恥ずかしいです。それに私、濡れているんですけど……」


 若干の怒気を込めた声色で言いました。


「申し訳ございません」


 傘さんはすんなりと開いてくれました。


「分かればよろしいのですが、先ほどから口調が不安定ですよ」 

 

「それは、ご主人様のせいです。私のことをこれほどまでに好いてくださっていたことが嬉しくて、私が私ではないみたいでした」


「どういうことですか?」


 私は頭を抱えます。


「要は夢の中にいるみたいと言うことです」


 なるほど、そういうことでしたか。


「それは私もおんなじです」


「えっ?」


「私と一緒にいたいと仰ってくれたこと、嬉しかったですよ」


 好きな相手から一緒にいたいと言われたら、それはもう両想いで、嬉しくない訳はないですよね。


「ご、ご主人様ぁぁぁあ!」


 その時です。ポタ、ポタと私の頬に水滴が当たりました。何故でしょうか? 傘はちゃんと差しています。もしかして……と嫌な予感が私の脳裏を過ぎりました。


「えっと、もしかして雨漏りしていますか?」


「いえ、これは私の嬉し涙です」


「あ、頭から濡れたら傘の意味ないじゃないですか!」


「嬉し涙でもですか?」


「嬉し涙もです。嬉しいですけど、濡れたら傘を差している意味がなくなってしまいますので……」


「確かにそうですね。承知しました。外側に涙を流します」


「器用ですね」


「いえ、このくらいできませんとご主人様を空の刺客からお守りできませんから」


 ありがたいですが、恥ずかしい時に勝手に閉じられるのが一番困ります。途中、空の刺客から私を守れていませんでしたよ。おかげで傘を差しているのにも関わらず肩周辺はぐっしょりと濡れてしまっております……。


 そう忠告するのは止めておきましょうか。


 今の傘さんは心が弾んでいるのか、鼻歌を歌いながらその大きな体躯を開いています。

 

 しとしとと雨は未だに降り続いていますが、私の周りだけは、雨上がりの虹が一足早く掛かっているかのようでした。

 少し遠回りした帰り道は、いつの間にか愛を確かめ合った一時となっていました。

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