学校編

学校での私の話 -朝-

 爽やかな朝の空気をたっぷりと吸い込み、そっと吐き出す。

 毎朝玄関の前で行う私のルーティンです。それから徒歩30分くらいかけて学校へ登校しています。過ごしやすい季節は散歩気分で歩けますが、真夏や真冬は歩くだけで疲労困憊です。嫌になっちゃいます。

 だから、私は1限目開始までの朝の時間を大切にしています。私にとってのエナジーチャージの時間だからです。


 教室に入ると、仲の良い友達がバタバタと私に駆け寄ってきました。耳上で整えられたツインテール、お目目はぱっちり二重、太陽のような眩しい笑顔で私を出迎えてくれました。


「おはよっ!」


 この挨拶もまた私にとってのエナジーチャージです。


「おはよう、あかね」


 あかねの挨拶を皮切りにみんなが私に挨拶をしてきます。一人ひとり丁寧に応えながら、私は自席に着きました。


「昨日のドラマ見た?」


 あかねは私が一息付く間もなく会話を切り出し始めました。あかねはそういう人です。コミュニケーション能力が高くて、誰とでも打ち解けられる能力の持ち主。おまけにかわいい。


 そして、昨日のドラマというのは、毎週月曜日21時から放送されている恋愛ドラマの事だと思います。かなり有名なドラマな上、昨日が最終話ということも相俟って展開もかなり衝撃的でした。もう一度気持ちを落ち着かせてから観たいと思ってしまうほどではありました。


「見たよー、21時からのドラマだよね」


「そうそう面白かったよね。特にぷにぷにしてるところ!」


 あかねは嬉しそうに顔を綻ばせていました。


「ぷにぷにしてるところね! もうかわいくて何回でも見ていられるよ私」


「あっ、やっぱりそう思うかー。ぷにぷにしてるときの照れ顔とかその後の満面の笑みがもうサイコーで――」


 あかねは次々とその時の思い出を話し始めました。


「うんうん」


 頷きながら聞いていると、あかねは思いもよらない事を仰いました。


「もうかわいくて自分で試しちゃったもん」


「…………」


 私は一瞬沈黙してから訊き返しました。


「えっ、自分で試したの? どうやって?」


「どうやってって、腕を上げてぷにぷにって……」


 いや、でもそれは自分のほっぺたをぷにぷにしてるだけで、ドラマの展開とはかけ離れ過ぎています。あれは2人1組となり、1人がもう1人のほっぺたをぷにぷにする展開。1人でやってもあの展開と比較すると物足りないように思えてなりません。

 だから私は不思議で堪りませんでした。


「そ、そうなんだ…… 」


「う、うん……」


 あかねは大変訝しみながら頷いていました。

 後でやってみよう。それが普通なのかも知れません。


「もしかして、そこまで好きじゃなかった? 私はあの展開に遭遇したらやりたくてしょうがないけど」


「えっ、やりたい派なの?」


「うん、もしかしてやられたい派?」


「そうだけど」


「自分に自信がある感じなのね」


 自信はありますよ。なんたってプリティーですから。きっと、やられたらもっとプリティーになる気がしています。

 ですが、いざ口にするとやはり恥ずかしいものです。こういうのは言うより言ってもらいたいです。恥ずかしさの度合いが天と地ほど違います。


「私で良ければいくらでもやってあげるよ?」


 これは思いもよらない展開です。少し恥ずかしいですが、お願いしましょう。1度でいいからやられてみたいのです。


「じゃあお願いしようかな。あんなセリフ言われたら、多分私惚れちゃうよ」


「惚れちゃうの! どういうこと?」


「だってかっこいいから普通に言われたい」


 あかねは小首を傾げながら遠くを見つめていました。


「あー、まあ確かにかっこよかったかも……」


 納得が言っていないのか、言葉に覇気がなく、あんまり乗り気ではないようです。そこまでかっこよくなかったのかも知れません。私はかっこいいと思ってしまったのですが……。

 

「じゃあ言うよ……」


 あかねは左腕を上げ、力こぶを見せつけるような体勢を取りました。

 いきなり何をやっているのでしょうか? 私はほっぺたをぷにぷにしてもらう前の、衝撃的で照れ隠しもままならないあのセリフを待っているのですが……。


 何か違うような……?。



「刮目せよ! このぷにぷに上腕二頭筋を!」


「……………………」


 かつてないほどの沈黙が私を支配しました。ある意味衝撃的なセリフでした。


「どう? どうだった?」


「…………」


「あれ? 違った?」


「全然違うよー! 私はこう言って欲しかったの!」


 私は深く息を吸い、真面目な顔に作り替え、あかねのほっぺたに人差し指を添えました。

 驚くあかねを無視して、私は続けます。


「俺らもう付き合ってんじゃん」


 急に顔が紅潮したあかね。あわあわとしどろもどろになりながら、自然と一言が零れ落ちていました。


「……かっこいい」


 私はさらに人差し指をあかねのほっぺたに押し込み、そのままぷにぷにしました。ぷにっとしていました。


「……私たちってそういう関係だったの?」


「えっ? 違う違う! ドラマのあのシーンだよ!」


「……えっ?」


「……えっ?」


 お互いに驚いた後はなかなか次の会話が続きませんでした。

 結局、あかねが反論するに至りました。


「何言っているの? あのシーンはさっきの上腕二頭筋だよ」


「あかねこそ何言っているの? ヒロインの告白に主人公がまさかの返答をするシーンだよ」


 ここで私たちは全く別の事を言いました。


 そうです。話が食い違っていたのです。


 あかねは驚いたように目を開き、それから詮索するように小声で言いました。


「えっとー、もしかして、私たち違うドラマの話を……していたとか?」


 同感です。私も薄々勘づいていました。


「そうかもしれない」


「タイトルは……」


 あかねの仰る通り、確信を得るためにはタイトルで答え合わせをするのが手っ取り早いでしょう。

 私の掛け声に合わせて2人で言いました。互いに観たドラマのタイトルを。


「せーの」



「ぷにぷに上腕二頭筋で世界征服」「噛み合わない2人の恋愛模様」


 見事に揃いませんでした。


「えっ、なにそれ?」


「なにそれって、ドラマのタイトルだけど……あかねの方こそ、なにそれ?」


「私だってドラマのタイトルだよ」


 確信を得られました。やはり別々のドラマを観ていました。

 

 というか、あかねは一体どんなドラマを普段見ていらっしゃるのでしょうか。なかなか独創的です。21時台に斯様なドラマは放送されていなかったと思います。


「分かった。私たちもしかしてだけど……」


「きっとそのもしかしてだけどだよ……」


 私たちが互いにもしかしてだけど、と思っているとき、クラスメイトの1人が突然話しかけてきました。


「2人とも何の話をしていたの? すっごく盛り上がっているように見えたけど」


 まるで『私も会話に入れてー』と言わんばかりです。

 しかし、今この状況で会話に入って来られてもクエスチョンマークのバーゲンセールになることでしょう。


 だって、私たちがお話しているのは――


「噛み合わないぷにぷにのお話」


 という私たちですら噛み合っていなかったお話でしたから。


「えっ、なにそれ?」


「私たちのドラマのタイトルだよ」


 あかねはそう言いました。

 確かにそうですね。私たちのドラマのタイトルです。


「そうなんだ……面白いね」


「あはははっ」「ふふふっ」


 キーンコーンカーンコーン――


 その鐘の音がまたちょうどよいタイミングでした。これ以上、お話を続けられる自信が私にはありませんでした。


 ドラマのお話をするときは、さり気なくタイトルの確認はした方が身のためです。今日、私は学習しました。


 さて、次のエナジーチャージの時間はお昼です。それまで頑張りましょうか。

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