モノと会話できる私の話 -3-
はわわわぁ、と呑気な声を上げ、ベットから体を起こした私。朝は一番苦手です。
起床後、平日であればプリティーなパジャマから学校の制服へと、休日であれば私服に着替えます。
残念なことに今日は平日です。お休みしたい……そんなことを毎日思いながら渋々と制服に着替えます。
白いワイシャツに空色と白のチェック柄プリーツスカート、その上からベージュのブレザーを重ね、首元にコバルトブルーのスクールリボンを着ければ完璧です。最後に姿見で容姿を確認します。
「今日もプリティーですね」
寝ぼけているのか、本心で言っているのか、私は良くそのような事を口にします。
それから洗面所へ向かい、パシャパシャと冷水で顔を洗って、歯磨きをします。
ここまでやっても未だにパッチリと目は開きません。二度寝したい欲求に駆られながら朝食のパンを口に運びます。
特に今日は疲れがどっと降り掛かっていました。降り掛けるのはふりかけだけにして欲しいところです。
朝食も食べ終わり部屋へ戻ると、時刻は午前7時過ぎ。まだ少しだけ時間に余裕はありそうです。私は再び姿見の前に立ちました。やってみたい事があります。
「かがみよ、かがみ。私はこの世で一番プリティーですか?」
「いいえ、違います」
何を仰っるかと思えば、随分と不躾なことを吐き捨てましたね、この姿見は。おまけに即答です。その濁った表面を磨いて差し上げますよ。
と、思いましたが、毎日鏡を磨いている事を失念しておりました。ですから、今も新品以上にピカピカでした。
私のバカ……日頃の善行が仇となりました。数日に1回、いや1週間に1回で良かったです……。
はぁといつ振りかの溜息が零れてしまいました。
「この世で一番プリティーなのはあたしです」
「…………」
突然の事で私は沈黙しました。彼女はいきなり何を仰っているのでしょうか? この世で一番プリティーなのは私に決まっています。今ですら彼女の表面にはプリティーな私が映っているというのに。
「すみません。私まだ寝ぼけているようで、あなたの仰る意味が理解できかねています……」
「ええ、そうでしょう。寝ぼけた顔のご主人様がこの世で一番プリティーな訳ないでしょう。なんですか? その姿は」
「ね……ねっ、寝ぼけたー!」
これにはさしもの私も朝から怒りの感情に身を任せておりました。自ら寝ぼけたと言いましたが、それは現実を受け止めたくなかったからです。これでは私が本当に寝ぼけているようではありませんか!
「なんですか一体! あなたの方が寝ぼけているのではありませんか?」
「ご主人様、言って良い事と悪い事の判別がついていないようですね。もう一度小学校からやり直してみては?」
「それはこちらのセリフです。あなたが寝ぼけたと言い出したのでしょう!」
「それはあたしが映したままの状態をお伝えしたまでです!」
「それがおかしいのです。寝ぼけている訳ないでしょう! こんなにもプリティーなんですよ! 見てください、モデルにも引けを劣らず着こなされたこの制服を!」
「ご主人様は意外と自信過剰なのですね……」
もう口論に疲れてしまったのか、溜息混じりに言いました。
「事実ですから」
一方、私はぷんすか怒っていました。
「そうなんでしょうね。だからその寝ぼけた姿を映さないでいただけますか?」
カチン――私の中で何かが切れる音がしました。
「もういいです!」
私はそれだけを言い残し、ベットの上に座り込みました。隣のリュックサックに筆箱やら何やらを詰め込みます。もう学校に行きましょう! 少し早いですが、ゆっくり歩いて気分転換です。
そんな時です。別のモノが私に話しかけてきました。
「良いのかい? 俺のご主人様はいつだってプリティーだ。そんなもやもや気分で行くのはどうかと思うぜ」
それは櫛でした。なんかキザな事を仰っています。こんな事を言う櫛を買った覚えはありませんし、これは私のモノではありません。
そして、また別のモノが申し訳なさそうに話しかけてきました。
「あ、あの、わたしで、髪を映してみてください……」
今度は手鏡でした。ちっちゃくてかわいい手鏡ちゃんでした。これは私が買いました。けれど、また鏡……と思いました。しかし、手鏡ちゃんはその揺れる瞳で私を見つめてきました。
そ、そんな瞳で私を見つめないでください……。私は手鏡ちゃんの瞳の誘惑に負け、仕方なく自らの髪を映しました――
すると、なんとです!
耳上でぴょこんと髪の毛が跳ねているではありませんか!
それは寝癖という名の朝のラスボスでした。最悪です。プリティーな私がこんな寝癖に気付かなかったなんて……寝ぼけていたのでしょうか?
寝ぼけて……。
寝ぼけていた……。
姿見を一瞥する私。
そこでようやく理解できました。姿見が映さないで欲しいと言ったその真意を。全く分かりづらいことこの上ないですね。
私は手鏡ちゃんで自らの髪を映し、見ず知らずの櫛で寝癖を整えました。ぴょこんと跳ねていた髪の毛は、すっかり落ち着きを取り戻しました。私とおんなじですね。
そして、姿見の前まで移動しました。
先ほどの口論の空気が嫌なほど私にまとわりつきました。これは気まずいです。もういいですなんて明言しておいて自らこの場に足を運んでいるのですから……。
「あ、あのー姿見さん?」
「…………」
「ごめんなさい。あなたに寝ぼけた姿を映してしまったこと、反省しています……」
「…………」
「えっとー、姿見さん?」
「もう一度言ってください」
「何をですか?」
「あの言葉です」
あの言葉……? ごめんなさいであれば今の言葉になるでしょうし、寝ぼけたなんて言っても意味なさそうですし……。やはり姿見さんの考えていることが分からない私は小首を傾げるに至りました。
すると、見兼ねた姿見さんが口を開きました。
「……かがみよです」
そこでようやく理解した私。姿見さんの言い回しは遠回り過ぎです。
「かがみよ、かがみ。私はこの世で一番プリティーですか?」
「いいえ、違います」
「だから何なんですかあなたは!?」
これには櫛も、手鏡ちゃんも姿見さんの名前を呼ぶことしかできないでいました。
「姿見……」「姿見、さん……」
「私は本当の事を言っています。ご主人様は
この世で一番プリティーではない……そうであれば、私は今までとんでもない事を豪語していました。嘆かわしいです。
姿見さんはカタカタと私と距離を縮め、深呼吸を1つされました。
「ご主人様は
「えっ……」
「そうです」
まだ何も言っていません。
「ですから、ご主人様は唯一無二のプリティーだと言っています」
そうなれば、先程までの情けない想いは取り越し苦労だったということです。
それは良かったですが、いざ言われると照れますね。だったら聞くなって話ですけど、鏡を見たら誰だって聞きなくなりますよね。私は一度でいいのでやってみたかったんです。
と、まあ個人的なお話はここまでにします。それよりも姿見さんは先ほどからカタカタと小刻みに動いておられました。どうなされたのか尋ねようとしたとき――
「あー、言っちゃった言っちゃったよ! これって告白になるのかなー」
急に人が、いやモノが変わりました。姿見さんってこんなキャラでしたっけ?
やはり鏡を磨き過ぎたのかも知れません。そう思ってしまうのは致し方ないでしょう。
「これは告白だな。愛の告白だな」
見ず知らずの櫛は謎の発言をされました。なぜ姿見さんが私に愛の告白を?
「寝癖のついたご主人様もレアでプリティーでした。ですが、いつもしっかりしているプリティーなご主人様の方が私は好きです」
自分で言いながらきゃっきゃうふふと小躍りし出す姿見さん。
やはり磨き過ぎたのでしょうか?
「これはあれだ。好きな人には意地悪したくなる衝動」
見ず知らずの櫛は納得したように頷きます。
「ご主人様はいつも無言で容姿を整えるか、素通りするかです。私寂しかったです。ですが今日は話しかけてくれた。これはチャンスと思いました。だから少し意地悪したくなったんです。なのでこれまでの発言は冗談ですよ」
いや、少しどころの意地悪ではありませんでした。どちらかが謝るまで口を利かない、泥沼の喧嘩一歩手前でした。勿論、喧嘩なんてしたくありません。私も姿見さんが必要ですから。
「私もあなたが必要ですよ」
今までお話していなかった分、次からは寄り添ってお話してみます。そんな意味を込めました。私も遠回しですね。
しかし、姿見さんは予想の斜め上の解釈をされているようでした。
「えっ、あっ、ご主人さまぁー! それは私以上に意地悪ですよー! 不意打ち不意打ちー」
えっとー、どこがでしょうか? 意地悪した覚えありませんし、不意打ちとは?
「良かったなご主人様」「素敵、です」
何が良かったのか分かりかねますが、1つ気になったことがあります。いやずっと気になっていました。
この櫛は一体どこから湧いて出たのですか!? 私のモノでないことは確かです。
「あなた一体誰ですか?」
「ご主人様の母君のモノだ」
だそうです。通りで見覚えがない訳です。
「私はあなたのご主人様ではありません」
「ご主人様の娘であればご主人様だ」
「何を訳の分からないことを仰っているのですか? 帰りますよ……」
呆れながら私は櫛を持ち、自分の部屋を後にしました。
「いやだー! 若いピチピチの髪の毛と戯れたい」
手の中でバタバタと暴れ出す母の櫛。私は言ってやりました。至極真っ当な思いを。
「ど変態じゃないですか……」
そんな忙しない朝を演出し、今日も学校へと向かいます。もう既に疲れているところですが、プリティーな私を待ってくれているみんながいます。ここはご期待に応えるべきです。
姿見さんとはまたお話したいと思います。他愛もないお話では、かつてない盛り上がりを見せることだろうと確信しています。
玄関でローファーを履き、私はドアを開けました。眩い光が私を朧気にしました。
さて、今日も学校へ行きましょうか。
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