3-12 仮説実証

 すぐに夢の中へと誘われた。

 微かに雨の音がする。窓を叩く音がしっとりと冷たい。


 制服を着た男子高校生が雨の中、傘を片手に走っていた。依頼人だ。

 見るからに急いでいるようだった。走っている様だけでなく、表情も加味すると、慌てているといった方がいいだろうか。何かから逃げているようにも見える。

 ローファーが水溜まりに飛び込む。勢いのよさに水が跳ね、ズボンの裾にも泥がつく。制服が汚れていくことを気にする様子もなく、泥だらけになりながらも依頼人は走り続けていた。

 傘もその意味を成しているのかすら定かではない。


 依頼人が過ぎ去った後ろの方から、水を蹴る音が聞こえた。

 その人は傘もささずに、依頼人が走ったあとを駆けていく。まるで追いかけているかのようだった。

 近くまで来て、顔がはっきりと認識できるようになると、依頼人のあとを追っている人物が稔だと気づく。

 二人は雨の中、追いかけっこを続けていた。永遠に終わりの見えない追いかけっこのような気がした。


 依頼人は速度を緩めることなく走り続けていた。後ろから追いかけてくる稔にチラチラと視線を向けながら。相変わらず顔には怯えが映る。

 走っているところは道ではあったが、他に人影はなかった。建物もほとんどなく、更地に道が広がっているようなところを二人は駆けていた。


 不意に明かりが依頼人を照らす。

 依頼人は驚いたように足を止めた。前を走っていた依頼人が止まったことで、稔との距離が縮まる。

 稔は明かりの存在に気づいていなかった。気づかないままそこを飛び出し、依頼人の手を掴もうと手を伸ばそうとして、盛大なクラクションを浴びた。


『危ない!』


 咄嗟に出た声に、稔が渉の方を向いた。

 刹那、拘束を解かれたように身体の自由が効くようになり、それまで音を通していた耳でさえも、そこで初めて能力を開花したかのように、そこにいないはずの祖母の声を渉の中に届けた。



 ——決して話しかけてはいけないよ——






 ***





 目が覚めると知らない場所にいた。

 服装もいつもと変わらないものではあるが、寝る前に着ていたものではなかった。

 辺りを見回す。が、場所を特定できるようなものはなかった。

 先ほどの夢の続きかと二人を探すが、人の気配はない。人どころか何もなかった。渉は暗闇の中にいた。

 暗闇といっても完全な暗闇ではなく、視界が微かに働く程度にはうっすらと明るい。

 一体どこに来てしまったのだろうかと、渉は立ち上がり、何かしらの糸口を探す。

 一歩足を踏み出した瞬間、渉はハッとした。


 ——動ける!


 その辺を歩いたり、飛んだりしてみた。足だけじゃなく、腕も動かせる。

 ということはここは夢の中ではないのか?

 そう思った矢先、ぼんやりと光る人影が目の端に入り込む。人影の主は見知った人物だった。稔だ。

 稔は廃人のようにフラフラと歩いていた。依頼人の姿はもうない。

 ここは夢の中だ。稔がいることがそれを証明している。

 にもかかわらず、身動きが自由にできる。これはどういうことだ?


 自分が置かれている状況に思考を働かせる。考えられることはひとつだった。仮説が正しかったということ。

 今、渉は夢に閉じ込められているのだろう。ゆえに、身体の自由が効くようになったのだ。つまり、夢の中で動けるようになるには、やはり閉じ込められる必要があったということだ。

 渉は両手を上げたい気持ちになった。


 ——やった! 成功した!


 そんなことを六夏の前では口が裂けても言えないが、六夏がいないこの場でも心の中にこぼすだけに留めておいた。

 しかし、夢の中に閉じ込められることに成功したところで、これがゴールではない。

 渉は自由に動けるようになった喜びを噛み締めるように走り出した。だが、歓喜の興奮をぶつけているわけではない。目的は忘れてはいなかった。

 時間はない。閉じ込められた夢の中で出口を探るには、夢を見ている間しか時間はない。つまり夢の主が眠っている間だけだ。


 急ごう、時間は有限だ。

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