2-13 初めて見る怒り

 轟音が鼓膜に響く。

 それぞれの区画でアナウンスが流れる。四方で聞こえる声に、どれを聞けばいいのか迷いそうなものだが、錯綜することはない。不思議なものだ。


 六夏に連れられてやってきたのは空港だった。最寄りの空港ではなく、二つ隣にある県の大きな空港にやってきていた。

 これから飛行機に乗ろうとでもいうのだろうか。しかし、連れられてきたのは国内線ではなく国際線で、荷物はおろか、パスポートすら所持していなかった。騙されて気持ちになって六夏を見るが、彼自身も荷物ひとつ持っておらず、身軽さは変わらない。


 平日とはいえ、空港を利用する人は思いのほか多かった。仕事なのか、旅行なのかは、格好と荷物を見れば一目瞭然だ。そこにきて、渉と六夏の姿は異様に映っただろう。


 人をかき分けながら一目散にどこかへと向かう六夏のあとを必死に追いかける。いまだに目的はわからない。

 不意に六夏の足が止まった。あまりに急に止まるものだから、勢い余って背中に顔をぶつけてしまう。六夏は前を向いたまま、微動だにしなかった。


「こんにちは」

「あれぇ? 探偵さんだぁ。こんなところで会うなんて、すごい偶然!」


 六夏の背から顔を覗かせると、目の前には依頼人が立っていた。襟付きのシャツにくるぶし丈まであるスカートという格好は、依頼人のイメージに合わず、黒くなっている髪も相まって、口を開くまで渉は目の前の人物が誰なのかわからなかった。

 これから旅行なのか、大きなキャリーケースを持っている。


「どちらへ逃亡なさるんです?」


 どちらにご旅行ですか? とでもいうように口にしたので、言葉の衝撃はあとからやってきた。

 何を突拍子もないことを言い出すんだ、と渉は内心慌てていた。

 どうやってフォローしようかと悩む渉を尻目に、依頼人は変わらず笑みを浮かべていた。


「探偵さんおもしろぉい。逃亡って何のことですかぁ?」

「とぼけなくてもいいですよ。全部わかっていますから。まぁ、こんなところで立ち話もなんです。移動しませんか? ここは人目もありますから」

「すみませぇん、フライトの時間がぁ」

「搭乗予定の便まで、まだ時間はありますよね? えぇ、もちろん存じ上げておりますよ。乗る予定の飛行機の時間も、どこに逃亡しようとしているのかも」


 ほんのわずかに動揺を示した依頼人に、六夏は笑顔で「情報収集は本業ですから」と告げた。



 最上階にある送迎デッキに移動してきた。エスカレーターを降りて、左右両側にあるデッキの左側に向かう六夏について行く。人はほとんどいない。

 依頼人は大人しくついてきていた。初めて探偵事務所に訪れたときと見た目の雰囲気も違っていたが、一言も口を開くことがない状況もあのときとは大きくかけ離れている。


「楽しかったですか? 僕たちが自分の思い通りに動いている様は」


 穏やかな口調の中に怒気が含まれていた。六夏のそんな声を聞くのは初めてだった。

 依頼人は黙ったままだった。俯き、感情が見えない。


「どこからお話ししましょうか。 どこから聞きたいですか?」


 その問いは渉に向けられていた。ここで何も知らないのは渉だけなのだと突きつけられる。

 正直、全くといっていいほど何もわかっていなかったので、最初から話してもらえるなら、一から全部話してもらえることを所望したかった。なぜ空港に連れてこられたのかという理由も含めて。

 すべて顔に出ていたのだろう。もしくは初めからそうするつもりだったのか、六夏は静かに話し始めた。


「では、進藤さんが探偵事務所にやってきたところから話すとしましょう。進藤さんは『追いかけられる夢』を悪夢と感じ、相談にやってきましたね。夢だけでなく、現実でもあとをつけられているような気がすると。実はですね、一度あなたのあとをつけさせていただいたんですよ。正確に言うと、あなたをつけているストーカーらしき人物を追っていたんですがね。あれはあなたのお兄さんだった。妹が心配だからと供述されていました。警察からお聞きになったかと思います」


 依頼人はやはり黙秘を続ける。


「しかし、お兄さんが言っていたことは嘘ですね? あなたがお兄さんにお願いしていたんじゃないですか? ストーカー被害を受けていると偽装するために」

「偽装?」渉の口から驚きの声が漏れる。「一体何のために……?」

「自分が被害者側だとアピールしたかったんだよ」

「アピール?」

「そ。その証明に僕たちを利用したんだ。証明だけじゃないですね。あなたはあの日、自分をつけている警察の目を、少しでもいいから逸らしたかった。あなたはお兄さんに、僕たちに絡むよう伝えていたのでしょう。僕から話しかけたのは想定外だったでしょうけど。ただ、誤算もあった。それは彼です。まさか、僕の助手が武道に長けているとは思わなかったでしょう。僕も知らなかったことですから。けれど、時間を稼ぐには十分ではないにしても、不十分でもなかった。警察の目を盗んでさせるには、それだけで事足りたのでしょう。無事、任務を完了したあなたは、自分の無実を証明するために、今度は空き巣被害をでっち上げた。隠し場所であろう自宅に警察を入れ、には何もないのだと警察の目で確かめさせた。もし空き巣が本当で、警察が探しているものが盗られていたとなると、おおっぴらにできないまでも、あなたは相当焦るはずですからね。完全には疑いは晴れなくても、軽減することはできた。あなたはそのタイミングを見計らって逃亡を……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

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