2-11 お菓子と蟻と嘘と
「あの蟻の話はなんですか?」
「何というと?」
漠然とした質問に対して、六夏は決まって疑問で返した。本当はわかっているようにも思うが、彼のお決まりの返しだった。
「市販のお菓子を食べていたというのは別にいいんですけど、あなたが何を食べようが俺が知ったことではないですからね。でも、それを放置するなんて絶対しないでしょう? してませんよね? それに、いくらここが田舎だとはいえ、ここじゃ家の中まで蟻が
「何だ、バレてたかぁ」六夏は悪びれもなく言った。「いや、ちょっと蟻の話をして彼女がどんな反応を示すか見たくてね」
「蟻? どうして蟻なんです?」
「え? それ、本気で言ってるのかい? 夢だよ、夢。ピョン吉くんが見た依頼人の夢に蟻が出てきたでしょ?」
「あ! そうでした! ……ん? でも、それなら、特に目ぼしいことは得られなかったんじゃ……蟻の匂いが関係してるんですか? そういえば、俺も蟻の匂いって嗅いだことないな」
「まぁ、うん。それでもいいんだけどね」
忘れていたことを誤魔化すように早口になる渉に対し、六夏は静かにため息をついた。
「夢といえば、依頼人の悪夢についてですけど……依頼人の悪夢は消えたのかもしれませんが、俺はまだ何というかこう……納得できてません」
「そうだね。ピョン吉くんの意見に僕も賛成だよ」
それにしてはあっさりと依頼人を帰したようにも思うが、驚くことに六夏が渉に同意を示した。
「実は、依頼人の職場の人に話を訊いたんだよ。彼女からストーカー被害に遭っているという相談を受けたことはないって。それに、僕たちには警察にも相談に行ったと言っていたけれど、そんな事実は一切なかった」
「え、でも、警察は何もしてくれないって言ってましたよね? 嘘だったってことですか? じゃあ、ストーカー被害に遭っているっていうのも、嘘……?」
実際は、依頼人の兄が妹を心配して、あとをつけていたというのが真相なのだと思っていた。そんなこととは知らない依頼人がストーカーと勘違いしていたのだと。
しかし、その反面、もしかすると依頼人の兄以外に本物のストーカーがいる可能性も示唆していた。
依頼人が言っていたように、追いかけられる夢はここ最近見ることはなくなっていたが、それでも現実で起きているかもしれないことに疑いの目を向けようとしていたというのに、それも嘘だったというのだろうか。
早合点が過ぎるとでもいうように、六夏が目で渉をたしなめた。
「警察に行ったと嘘をついた理由もわからない。けれど、今言えるのは依頼人が嘘をついていたということだけだね」六夏が続ける。「あとそのときに訊いたんだけど、彼女、借金を抱えているそうなんだ。普通の会社員の給料ではとてもじゃないけど返せるような額ではないらしい。引っ越しを機に仕事も辞めるらしいから、どうやって返していくつもりなんだろうって心配してたよ」
「お兄さんに借金があることがバレて、お兄さんが肩代わりしてくれたとか?」
妹を心配して深夜にあとをつけるような兄だ。借金があることを知り、そのために夜の仕事をしていると知れば、喜んで借金を背負ってくれそうな気がした。どんな仕事をしているのかは知らないので、返せる当てがあるのかどうかはわからないが。
「その可能性もなくはないと思うけど、彼女、今度はセキュリティのしっかりしたところに住むと言っていたよね。お兄さんが借金を肩代わりしてくれたそのすぐあとに、自分は贅沢な生活をするだろうか? それに、お兄さんは一括で返せるほど高給取りじゃないよ」
「うーん……じゃあ、玉の輿とか?」
「それなら、結婚報告があってもいいかなと。もちろん僕たちに話すようなことではないけれど、彼女みたいな人なら言ってくれそうな気がするんだよね」
確かに、と頷く。
「蟻の話に戻してもいいかな?」
——どんだけ蟻好きなんだよ。
もちろん口にはしない。ただ思い切り顔には出ていたが。
「蟻の話というか、炎に囲まれている夢の話だね」
「炎に囲まれてるっていうか、えぐいことをしているというか……」
炎に囲まれている夢と言われ、該当する夢を思い出す。
あの夢は渉にとって炎がメインというよりは、残虐な行為をしていることが主題にあった。
蟻を半分に引きちぎって、火炙りにしているのだ。渉も家に入り込んだ虫を除去することはあった。その方法として潰すことはあっても、引きちぎることはない。炙るなんてもってのほかだ。思い出しただけでもゾッとする。
「ピョン吉くんがそっちの印象を強くしちゃうのもわかるよ。実際にピョン吉くんはその映像を見ているわけだしね。でも僕は、その夢は別の主旨があると思うんだ」
「別の主旨というと?」
「さっきも言ったけど、僕はあの夢は炎に囲まれている夢だと思ってる。炎の中がまるで自分のテリトリーを示しているかのようにね」
「テリトリーですか?」
「『あたしだけの場所』って言ってたんだよね? 炎の中は一見危険なように見えるけれど、炎がそれ以上侵略してこないという前提があれば、炎の中は安全だ。他の何かが入りようがないからね」
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