2-7 事の真相
日付が変わり、睡魔に襲われ始めた頃、依頼人が姿を現した。一瞬で眠気が吹き飛ぶ。隣に立つ六夏からも緊迫した空気が感じ取れ、自然と背筋が伸びる。
依頼人のあとを追おうと足を踏み出そうとした渉の腕を六夏が掴む。六夏はもう片方の手を人差し指を立てて口元に寄せていた。
口元に当てられていた人差し指が依頼人の方に向く。そんなことは百も承知だ。だから追いかけようとしていたのだと前を向くが、掴まれた腕に力が込められ動けない。
揶揄われているのだろうかと首を捻ったところ、依頼人が出てきた場所の後方——渉たちから見たら前方——に人影が揺れた。
建物の影に隠れ、チラチラと依頼人の様子を伺っているように見える。見るからに怪しい。同じような行動をしている渉たちも側から見たら十分に不審者と何ら変わりはないが、そこは棚上げだ。
依頼人が動く。後ろにいた人物も動き出した。一定の距離を保ったまま依頼人のあとをつけている。
やっとのことで六夏が動き出した。そのあとを渉も続く。二人の間に会話はない。あの人がストーカーなのだろうかと六夏に疑問を投げかけたいだ、そうできないもどかしさを追跡にぶつけた。
依頼人のあとを追う人物は小柄な男性だった。大きめのジーンズに大きめのシャツを纏っているせいか、服に着られているように見える。髪は短く、ところどころに金のメッシュが入れられている。
大通りに出たところで信号が赤に変わり、依頼人が足を止める。後ろの男ももとの距離を保ったまま立ち止まった。
依頼人が歩き出すと、男も再び歩き出す。
これはもう確定と言っていいだろう。
つけられている事実が明らかになったところで、依頼人がタクシーを止めた。
待ってましたと言わんばかりにタクシーはすぐにつかまった。依頼人はそのままタクシーに乗り込む。振り返ることは一度もなかった。
タクシーが走り去り、依頼人の姿は見えなくなった。つけていた男性はさらなる追跡をするつもりはないのか、タクシーをつかまえる気配はない。
本日の調査はこれにて終了だろうかと、再び六夏に目を向けたときだった。
依頼人をつけていた男のもとへと六夏が駆け出した。何事かと呆気に取られていると、さらに驚くことに六夏はその男に声をかけた。
——何をやってるんだ、あの人は!?
悪態をつくのとほぼ同時に、渉は走り出していた。
男が六夏の手を振り払う。逃げるのかと思いきや、六夏の方に向かった。まずい、と思ったときには身体が勝手に動いていた。
見るも素早い動きで、渉は男を取り押さえていた。
うつ伏せの状態で地面に打ち付けられ、両手を抑えられて身動きの取れなくなった男は、それでも必死に抗おうと身体をバタつかせる。必死の抵抗も渉の前では無意味だと言わんばかりに、全体重で男の動きを抑えた。
時間は時間だが、大通り沿いで人の行き来もある場所だったため、図らずも人が集まってくる。乱闘と思われたのかもしれない。
「お巡りさんこっちです!」と声が聞こえた。タイミングがいいのか悪いのかわからない。
すぐに警察官の制服を着た男性二人が駆けつけ、渉からストーカー犯を引き取った。その間、男は終始叫びながら抵抗していた。
「なんで俺なんだよ! 捕まえるなら、そっちだろうが!」
唯一動かせる顔を渉に向ける。渉というよりは、隣にいる六夏かもしれない。
男の言い分は、しかし警察には通らなかった。見るからに逆上している男を放すこともなく、渉たちを捕えようとする気配もない。
「お話伺えますか?」
男を取り押さえている方とは別の警察官が六夏に訊ねる。六夏は冷静に「突然声をかけてしまって、驚かせてしまったみたいで」と言った。
驚いただけで襲ってくるだろうか。そんなことを思うが、口には出さない。
「なぜ声をかけられたんです?」
「私ども、探偵事務所の者で」そう言いながら警察官に名刺を渡す。「依頼があり、調査していたところ、怪しい人物を見かけたもので」
「それがこの男性? それで声をかけられたんですか?」
警察官はおもむろに眉根を寄せた。自ら危険なことをするなよ、と心の中の悪態が聞こえてくる。
「俺は結愛の兄だ! 兄が妹のあとをつけて何が悪い!」
六夏の声が聞こえていたのか、さらに声を荒げる。
「なぜ妹さんのあとをつけていたんです? 声をかけられない理由でも?」
「……こんな夜中に帰ってるんだ。兄としては心配だろ? でも、こういうことするとあいつ怒るから、こっそり見守ってたんだよ。悪いかよ!」
依頼人の兄というのは本当のようだった。警察が確認していた身分証の情報と、六夏が事前に収集していた情報が一致したらしい。確かに、依頼人の家族構成に兄が含まれていたはずだ。
依頼人の兄というのが、大のシスコンだった。親元を離れ、この街で暮らすようになったのも妹がいるからだという。
あまりにつきまとう兄を、妹は鬱陶しく思っているらしく、帰りが遅くならない仕事にしろという兄の助言を全くと言っていいほど聞き入れないのだとか。
兄の最大の譲歩があとをつけることだったらしい。何とも人騒がせな話だ。
依頼人がストーカー被害に遭っていると思っていた犯人は兄だった。妹を心配するあまり、妹に内緒で付き纏っていたのをストーカーだと勘違いしたのだろう。
実際に被害があったわけじゃなかったことに安堵し、これで悪夢ももう見ないはずだと、解決したものだとほっと一息ついた渉だったが、落ち着いたからこそ沸々とした怒りが再燃する。
「何してるんですか! 何で急に声かけちゃうんですか! すぐに警察の人が駆けつけてくれたからよかったようなものの……」
「いやぁ、驚いたね。まさかピョン吉くんが武闘派だったとは」
悪びれもなく軽口を叩く六夏を睨みつける。
「自分の身は自分で守れた方がいいからと思って、護身術習ってたんです」
「ピョン吉くんは偉いね。そこで自分自身が強くなるということを選べるなんて。いやぁ、素晴らしいよ」
「……実際、守られる方が楽なんでしょうけど、助けてくれる誰かを待つよりは効率いいのかなって。そうすれば誰にも迷惑かけないし」
「いやぁ、素晴らしい。本当に素晴らしいよ」
渉のこめかみがぴくりと動く。真面目に返しているのに、六夏は一向に軽い口調を続けていた。反省の色は全くもって見られない。
「バカにしてます?」
「いやいや、褒めてるでしょ」六夏は一旦言葉を切ってから続けた。「でも、君はそう言いながらも、困っている人がいたら手を差し伸べるんだろうね。立派だと評価はするけど……感心はしないな」
「だったら、危ないことしないでくださいよ。それともあれですか。俺が手出さなくても自分で対処できたとかですか」
「いや、全然。あのとき、ピョン吉くんが出てきてくれなかったら、一発食らってただろうね」
笑いながら軽口を叩く六夏を、渉は思い切り睨みつけた。
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