2-6 たまには探偵らしいことを

 六夏が渉を誘って外に出た。初めてのことだった。

 出かけるよと言っただけで、六夏は行き先を告げなかった。なので渉は大人しく彼のあとをついていくしかない。

 探偵事務所を出発し、電停まで徒歩で移動してから、路面電車に揺られ20分ほどで目的地に到着した。

 降りた電停からおおよその見当がついた。おそらく現場検証だ。

 依頼人の話や、六夏の調査による依頼人の情報、そして渉が夢で見た場所を擦り合わせると、つけられていると言っていた現場は特定できた。依頼人の職場近辺だ。


 気づけば手に汗を握っていた。犯罪を目の当たりにするかも知れない緊張からか、もしくは初めて六夏と外出していることへの動揺か。前者はさすがに気が早いようにも思うが。

 隣を歩く六夏の顔を少し下から覗き込むように見上げると、緩んだ口元が目に映る。心なしか足取りは軽く、何だか楽しそうだ。

 不謹慎にも思えるが、渉と同じように緊張に顔を強張らせていないだけマシだと思うことにした。


 平日の帰宅ラッシュが過ぎ、大通りから脇道に外れた道路は人通りも多くはない。

 道路を挟んで、大通り沿いに向かって右側は飲み屋街となっており、仕事終わりに一杯引っかけて帰る人たちが店の中に溢れているのだろう。

 渉と六夏は店に入ることなく、あの特有の電飾の明かりに照らされながら佇んでいた。


も管轄になったんですね」


 嫌味ではなく、素朴な疑問として投げかける。

 六夏はおかしそうに笑った。


「たまには探偵こともしてみたくなってね」


 つまりは六夏の気まぐれということか。その気まぐれに付き合わされるこっちの身にもなってくれ、と内心悪態をつくが、言葉とは裏腹に緊張がピークを超えた渉は、探偵業務に前のめりになっていた。もし依頼人のあとをつけている人を見つけた場合、そのあとは尾行調査に切り替わるのだろうか。テレビなどでしか見たことも聞いたこともない “尾行”という言葉に、またしても不謹慎ながら心が躍る。


「今日現れるでしょうか」

「どうだろうね。いつ、何時に、どのタイミングで現れるかなんて、僕には見当もつかないよ」


 六夏のいうことはもっともだ。おそらくこの日は行き当たりばったりで来ているのだろうし、張り込みは何時間も何日も行うのが鉄則だということも知っている。そもそも本当にストーカー被害に遭っているのかも定かではない。

 何にせよ、まずは依頼人の姿を見つけることが先決だ。


 依頼人の職場はビルの2階に位置していた。裏、そして両隣には同じ高さの建物があり、出入口は一箇所しかない。

 注視すべき箇所がひとつであることに感謝しながら、その唯一の出入口を視線の先に置き、渉たちは少し離れたところに身を寄せた。こういうのは依頼人にも、もちろんストーカー犯にも見つかってはならない。すべてはテレビか何かで見た情報ではあるが。


 春が近づいてきて、だいぶ日が長くなった。比例して夜が少しばかり短く感じる。

 とはいえ、待っている時間というのはいつだって遅く流れ、退屈なものだ。

 自由に身動きが取れるわけではない状況で、唯一解放されている頭を働かせる。渉はふと、帰りのことが気になった。今はまだ夜もさほど遅くない時間だが、ここまで連れてきてくれた路面電車は日を越す前に最終便を終えてしまう。バスもない。JRも同様だ。地下鉄? そんなものは元から存在しない。

 以前、車の免許について話題に上がったことがある。そのとき、六夏は免許を持っていないと話していた。持っていたところで車に乗ることはなく、持つ必要性も感じないと言っていた。確かに、彼の日常を見る限り、車がなくとも困ることはないだろうと思う。そもそもあまり外出しないのだ。ちなみに渉も自動車運転免許は持っていない。

 タクシーを拾うという選択肢もあるし、歩いても1時間ほどでたどり着けるので、さほど心配する必要はなかった。

 緩みそうになった気持ちを切り替える。遊びに来ているわけではない。


「複数人いる可能性もありますよね。実際、夢ではそうでしたし……あ、でも複数人いたとして、全員が仲間とも言えないわけか……でも仲間かどうかに関係なく、すべてを俯瞰できて、こちらの存在を悟らせない場所なんて……」

「ピョン吉くん……」真剣な表情でぶつぶつと独りごちる渉に、六夏の視線が刺さる。

「ピョン吉くんは案外、ドラマとか映画に影響されるタイプなんだね」

「……本は読まないくせに、とか思ってます?」

「その発想はなかったな。あぁ、でも僕が勧めた本、一向に読んでくれる気配がないね」

「あ、いや、あの、その……」


 墓穴を掘った。まさか矛先がそちらに向くとは思っていなかった渉はしどろもどろになる。


「5文字くらい読むと、眠くなってしまって……」

「それはそれですごいね。あぁ、わかった。僕に読んでもらいたいんだね? それならそうと早く言ってくれればいいのに。いいよいいよ。いつでも読んであげるよ」


 何を勘違いしたのか知らないが、子守唄にしかならないだろうと、六夏の申し出は丁重にお断りをした。

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